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第2章
7、バハディルの思い
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「兄としてご相談とはどのようなことでしょうか?」
苛立ちを隠しきれない様子の異母弟にロークは苦笑する。
「うむ、ヘレナのことでな」
ロークの言葉に盛大に眉間にしわが寄った。
「私は既に臣下に下っております。王族の末席にあるとはいえ王宮のことに口を挟むのは分を弁えぬことかと存じますが」
「何を言う。ヘレナはお主の同腹の妹ではないか。十分口を挟む余地があるぞ」
「そうおっしゃる王太子殿下も腹違いとはいえ、妹ですよ」
言葉を飾ってはいるが、互いに押し付け合っているにすぎない。
暫く不毛な言い合いをしていたが、どちらともなく黙り込んだ。
重い沈黙に先に折れたのはメルヴィンの方だった。
ふうと溜息をつくとかなり嫌そうに口を開いた。
「……何が起こったのだけお聞きします」
「済まない」
そこにいきなり扉が開いたかと思うと小柄な少女が飛び込んできた。
「ナイジェル様! どうしてわたくしの所に来て下さらないの……あら、お兄様王都にいらしたのですね」
「久しぶりだなヘレナ。仮にも王女なのだから、はしたない真似はよしなさい」
「丁度良かったわ。ナイジェル様を連れてきてくださいな。お兄様が言えば、ナイジェル様も従いますでしょう? 本当に恥ずかしがり屋で困った方ですわ」
困ったように手を頬に当てて、溜息をつく妹にメルヴィンは瞬きをして凝視した後、ロークの方を見た。
ロークは口元を歪め、笑っているのか憮然としているのか判断のつかない表情をしていた。
「お前は何を言っているのだ?」
「まあ、お兄様、カーマーゼン辺境伯ともあろう方が随分察しが悪いのですね? ナイジェル様はわたくしの為にエルギンから近衛大隊に移られたのでしょう。それでも気にされているのでしょうね、身分の違いやあの方の出自のことを。わたくしの愛情はその程度では揺らぎませんのにね」
「……ナイジェルはライギット辺境伯の娘と結婚するつもりのようだが?」
「まあ!」
紫水晶の瞳を見開いて、唇を震わせると手で顔をおおい泣き出した。
「お可哀想にナイジェル様。きっとライギット辺境伯に脅されているのですわ!」
そう叫ぶと部屋から飛び出していった。
流石のメルヴィンも妹の狂乱に唖然とした表情でそのまま見送ってしまった。
「ナイジェルはライギット辺境伯の娘と婚約しているのか?」
どこか不機嫌そうな様子でロークが聞いてきた。
「ええ、そのようですね」
恐らく娘との間で口約束程度のことはあるのだろうが、父親であるオスウィンには言ってはいないのだろう。
それをロークは正式に婚約しているのに黙っていると勘違いしているようだ。
何故かロークの表情にすうっと溜飲が下がる思いがした。
態々誤解を解いてやる必要はない。
そう心の中で悪鬼が囁いてくるようだった。
「確かヘレナにはフェルガナの皇子との縁談が持ち込まれていたのではありませんか?」
眉間にしわを寄せ、頬杖をついて考え込んでいるロークに気付かぬふりで話しかけた。
「そうだ、第三皇子とのな。ついこの間までは納得していたのだが、突然ああなってしまってな。何を考えているのかさっぱりわからん」
「第三皇子は事実上の皇太子でしたね」
「ああ、第一皇子は妾腹の出で、皇位継承権はない。第二皇子は病弱でこのところは床から離れることも出来ないらしい。双方にとって意義のある結婚であることはヘレナも分かっていると思っていたのだがな」
「まあ、昔からナイジェルに恋心を抱いたようですが」
「……初耳だな」
憮然としたようにメルヴィンを睨む。
「子供の戯れに過ぎないことを態々お耳に入れることでもないでしょう」
笑みを浮かべてはいたが、突き放すような言い方だった。不愉快そうな表情のまま睨んでいたが、溜息をついてメルヴィンから視線を逸らす。
「ともあれ、お主は兄なのだから説得を試みてくれ」
「……承知いたしました。王太子殿下の御為ですからね」
柔らかな笑みを浮かべたまま、実に白々しい言葉を吐くと丁寧に一礼をして「青の間」から出て行った。
そんな異母弟の後姿をロークは暗い眼差しで見送っていた。
「久しぶりだな」
胸を逸らすように中隊長以上の者が使う食堂に入ってきた男をスライとカールーンは一瞥した後、何事もなかったように書類の整理をし始めた。
バハディルは軽く無視されてムキになったのか、二人の目の前に座る。
「お主ら、何か言うことはないのか?」
「早速、ナイジェル部隊長に追い出されたのか?」
「――この三本線を見て分からんのか!」
「大した出世ですな、大隊長殿」
軽くいなす様に言うとカールーンは書類に目を落とす。スライは顔すら上げなかった。
その態度にムッとしながらも、懐から手紙の束を出して、二人の鼻先に突き付ける。
「あいつら、この俺を荷運び人か何かと勘違いしていやがる」
エルギンから近衛大隊に移った兵士の中にはエルギンに家族を残して移った者もいるのでその者たちからの手紙なのだろう。
カールーンは苦笑いしながら受け取り、スライは無表情で受け取った手紙の束を見詰めていた。
「ジハンギルの母親に頼まれていた物があったな。持って行ってくれ」
「なんで俺が」
ぶつぶつと文句を言いながらも、食堂から出て行くカールーンの後についていく。
周りはその様子を苦笑しがら見ていたが、中には不愉快そうに眉を顰めている者もいる。
スライは暫く、書類を整理した後に紙の束を手に席を立った。
その場にいた者たちに軽く会釈をして食堂を出る。
背中に彼の行動に警戒するような視線を感じながら。
その視線はスライが私室に戻るまで追いかけてきた。
自室に戻り、机に書類の束を置く。
部屋の外の気配が無くなるのを確認すると窓を開けた。
窓に面する中庭に人影がないのを確認して外に出る。
窓の下の張り出した部分を伝って移動し、かつてはナイジェルが使っていた部屋の窓を叩く。
すぐに窓が開いた。窓の枠に片手を置くとひらりと身軽に飛び越える。
部屋の中には先ほどとは別人のように厳しい表情のバハディルと口の端に苦笑を浮かべたカールーンがいた。
「中隊長にもなってこんなことをする羽目になるとはな」
「確かに。従卒の時に食糧庫に盗みに入って以来だな」
兵舎と兵士たちの家族が住む住居の手配が終わったので残りの騎兵とその家族を王都に連れて行くためにバハディルはやって来ていた。
厳しい表情のままバハディルが口を開く。
「こちらの様子はどうだ」
「大分不穏な空気にはなっている。特にサーディーの部隊がな」
「……これ以上は連れて行けないか」
「止めた方がいい。閣下が宥めてはいるのだが、閣下自身もあまり納得していないのだろう」
カールーンの答えにバハディルは黙り込んだ。
「予想以上に近衛大隊が腐っていてな。手が足りない上ナイジェル部隊長自身も狙われている」
カールーンとスライは顔を見合わせた。
「あの人を害することなど近衛大隊の連中には不可能だろう」
「俺とカールーン、スィムナールたちが束になっても敵わなかったからな」
ナイジェルが中隊長になった頃のことだ。
ポーシャは美しい女性に成長していて、縁談が引きも切らない状態だったが、変わらずナイジェルに好意を寄せていた。
何かと理由を付けては世話をして纏わりついていたのだが、本人に思いを全く気付いてもらえないということを繰り返していた。
焦ったポーシャはブレンドンに相談するようになっていった。
「なんで俺が恋敵のことで相談に乗らなければならないんだ」
と半泣きだった。
次第にポーシャも半分諦めるようになってきて、相談している目の前の男もかなりの美形で将来性もあることと無愛想だが、何くれとなく相談に乗ってくれることに絆されて、何となく好いて好かれる仲となっていった。
「ポーシャ、そろそろ親父さんに結婚の申し込みに行きたいんだが」
「ふふ、嬉しいわ。お父さんに言っておくね。……ところでナイジェルって中隊長になったって本当?」
「……なんでナイジェルの話が出て来るんだよ」
「エルギン中で話題になっているのも、すごいわよね。二十歳にもなっていないのに」
「いや……そうでもない」
「いやだ、ブレンドン。男の嫉妬は醜いわよ」
「そうじゃなくてだな!」
少し遠くから聞くともなしに聞いていたスィムナールとジハンギルは呆れたように二人を見ていた。
「女とは恐ろしいな」
「あれは単にナイジェルを出してブレンドンに嫉妬させたいんだろう。放っておけよ、仲が良いだけだ」
そこに肉切り包丁を構えた厨房長が立っていた。
「ブレンドンだったな。お前か、うちの娘を誑かしたのは?」
「誑かしたなんてとんでもない、俺の方が弄ばれている」
「ちょっとどういう意味?」
「そうだろう? 何かというとナイジェルの名前を出すじゃないか」
「それは…そんなつもりは……お、怒らなくてもいいじゃない」
ぐすんと少しばかりわざとらしく涙ぐむ。慌てたブレンドンがポーシャを抱き寄せる。
勝手にやってろとばかりに周りはシラケるが厨房長はその事に怒りが再燃したようだ。
「ポーシャ! ま、まさかこの男と!」
「そんな訳ないでしょ! 私そこまでふしだらじゃないわ!」
「そうだ、味見程度でとやかく言われたくないな」
「味見だとう!」
逆上した厨房長がぶんぶんと目茶苦茶に肉切り包丁を振り回すが、ブレンドンは余裕で避けて行く。
「何故避ける!」
「避けなきゃ死ぬだろうが!」
「お父さん止めて! ブレンドンも小隊長なんでしょ、止めてよ!」
「怪我させてもいいなら、可能だがな」
「絶対ダメ!」
ブレンドンは舌打ちすると避けながら、剣筋は素人だが、腕力はあるらしく風切音がする。
肉切り包丁をうまく弾き飛ばすべく時機を図っていると運悪くナイジェルが通りかかった。
「何をしている、厨房長!」
慌てて二人の間に入り込むと見事に弾き飛ばした。
「きゃあ、ナイジェル! ありがとう、私の為に」
思わず黄色い悲鳴を上げるポーシャに厨房長は茫然とする。
「お、お前まさかナイジェル中隊長とも?」
「何い!」
「ちょ、そ、そんなわけ」
好意を寄せていたのは事実なので、ポーシャは言い澱んでしまった。
ポーシャの言動にブレンドンは完全に逆上してしまった。
平気なふりをしていたが、嫉妬と剣士として決して敵わない劣等感が一瞬ブレンドンの理性を奪った。
ブレンドンが放った喉元を狙った強烈な突きをナイジェルは紙一重で躱して、がら空きになった脇腹にナイジェルの抜き打ちが届く寸前でジハンギルの剣がそれを阻止した。
弾かれかけて何とか踏みとどまったところに瞳を翡翠色に煌めかせて襲い掛かってきた。
スィムナールが体当たりして牽制したが、三対一でもブレンドンたちが防戦一方に追い込まれてしまった。
「止せ! ナイジェル」
騒ぎを聞きつけてカールーンとスライが駆けつけるとナイジェルはほんの一瞬唇を笑みの形に歪めると双刀を鞘に戻して右手を柄に掛け、身構えた。
凄まじい殺気を浴びせられ、五人が硬直した瞬間だった。
「ナイジェル、何をしているのだ!」
バスターの怒声が響いて、途端にナイジェルは殺気が消えて狼狽えたように視線を揺らして俯いた。
正気に戻った厨房長が話し始めて事態を知ったバスターは溜息をついた。
「経緯はわかった。しかし、やり過ぎだぞナイジェル。自室に戻って謹慎していろ。少し頭を冷やすんだな」
「はい……。承知しました、閣下」
バスターに叱られて悄然と俯き、バスターの側近に連れられて自室に戻っていった。
ナイジェルが兵舎の中に消えていくと、カールーンは息を吐き出した。背中を冷たい汗が伝っている。
ブレンドンたち三人は地面にへたり込んでいた。地面に座り込んで動かないブレンドンにポーシャが泣きながらしがみ付いて謝罪の言葉を繰り返していた。
ブレンドンは嬉しそうにポーシャを抱きしめていた。
「閣下。助かりました」
スライが青い顔でバスターに話しかけた。
「あの冗談が本当になったようだな」
憮然として言うカールーンにジハンギルは無表情の顔に大粒の汗を浮かべていた。
「閣下が止めていなければ、俺とブレンドンは確実に死んでいたな」
ぼそりと呟く。数か月前の紛争で白兵戦になった時にナイジェルが見せた神速の抜き打ちと同じ構えだった。
振るった後数個の首が同時に飛んでいた。
「お主らも変わっているな。そんなことがあったのにナイジェル部隊長を恐れないのか」
バハディルは皮肉めいて言う。
「お主には言われたくはないな。あの人が従卒だったころは弄っていたのに随分な変わりようだ」
揶揄するように言われ、真顔になってバハディルは黙り込んだ。酷く苦しそうに顔を歪める。
「俺は……気が引きたかったのかもしれん。その他大勢として当たり障りのない態度を取られ、視界の片隅にすら入らないよりはな」
「子供ではあるまいし」
「俺の家はアジメール王国が樹立される前から続く家系だと言ったことがあったな」
突然話を変えたバハディルにカールーンとスライは今日何度目か顔を見合わせた。
「耳に胼胝ができるくらい聞いたな」
苦笑しながら言うスライに真面目に頷きながら、話しだした。
「これは言っていなかったが、代々選帝侯を輩出してきたクベンタエ家に仕えていた。アジメール王家に仕えるきっかけはアクサル卿の娘のマヌラ様に従ってこの国に来たからだそうだ」
「戦乱の中を主の娘を守ってきたと言うことか」
「……そう聞こえたか?」
「違うのか」
「そのご先祖様は相当な臆病者だったらしい。他の竜騎士たちをすべて敵に回して戦いに臨んでいたアクサル卿にとっては戦場で役に立たない臆病者など邪魔な存在だったのかもしれない」
暗く己をあざ笑うように暗い笑みを浮かべる男をスライとカールーンは何とも言えない表情で見つめていた。
「お主、ナイジェル部隊長とそのアクサル卿を重ねているのか?」
「さてな……」
立ち上がったバハディルを見上げる。
「第三部隊の者であれば、もう少し割けるのだが」
「いや、それは良くない。……グラント殿の推測だが王太子殿下はいずれナイジェル部隊長を軍総司令官するおつもりのようだ。お主らにはここでそれなりの武力を持っていてもらわねばならん。――そろそろ行かないと。あまり長居しては不審に思われるだろうからな」
扉の所まで行くと振り返って
「ナイジェル部隊長に身辺に気を付けるように忠告する手紙を書いてくれないか」
「お主らが言えばいいだろう?」
「……俺は過去のことがあるからな。お主らはあの人から父親のように慕われている。少しは心に残るだろう」
「父親のように慕われているかはわからんが、そうしよう」
「頼む」
短い応えにナイジェルに対する心情が現れていた。部屋から出て行く男を二人は苦笑しながら見送った。
苛立ちを隠しきれない様子の異母弟にロークは苦笑する。
「うむ、ヘレナのことでな」
ロークの言葉に盛大に眉間にしわが寄った。
「私は既に臣下に下っております。王族の末席にあるとはいえ王宮のことに口を挟むのは分を弁えぬことかと存じますが」
「何を言う。ヘレナはお主の同腹の妹ではないか。十分口を挟む余地があるぞ」
「そうおっしゃる王太子殿下も腹違いとはいえ、妹ですよ」
言葉を飾ってはいるが、互いに押し付け合っているにすぎない。
暫く不毛な言い合いをしていたが、どちらともなく黙り込んだ。
重い沈黙に先に折れたのはメルヴィンの方だった。
ふうと溜息をつくとかなり嫌そうに口を開いた。
「……何が起こったのだけお聞きします」
「済まない」
そこにいきなり扉が開いたかと思うと小柄な少女が飛び込んできた。
「ナイジェル様! どうしてわたくしの所に来て下さらないの……あら、お兄様王都にいらしたのですね」
「久しぶりだなヘレナ。仮にも王女なのだから、はしたない真似はよしなさい」
「丁度良かったわ。ナイジェル様を連れてきてくださいな。お兄様が言えば、ナイジェル様も従いますでしょう? 本当に恥ずかしがり屋で困った方ですわ」
困ったように手を頬に当てて、溜息をつく妹にメルヴィンは瞬きをして凝視した後、ロークの方を見た。
ロークは口元を歪め、笑っているのか憮然としているのか判断のつかない表情をしていた。
「お前は何を言っているのだ?」
「まあ、お兄様、カーマーゼン辺境伯ともあろう方が随分察しが悪いのですね? ナイジェル様はわたくしの為にエルギンから近衛大隊に移られたのでしょう。それでも気にされているのでしょうね、身分の違いやあの方の出自のことを。わたくしの愛情はその程度では揺らぎませんのにね」
「……ナイジェルはライギット辺境伯の娘と結婚するつもりのようだが?」
「まあ!」
紫水晶の瞳を見開いて、唇を震わせると手で顔をおおい泣き出した。
「お可哀想にナイジェル様。きっとライギット辺境伯に脅されているのですわ!」
そう叫ぶと部屋から飛び出していった。
流石のメルヴィンも妹の狂乱に唖然とした表情でそのまま見送ってしまった。
「ナイジェルはライギット辺境伯の娘と婚約しているのか?」
どこか不機嫌そうな様子でロークが聞いてきた。
「ええ、そのようですね」
恐らく娘との間で口約束程度のことはあるのだろうが、父親であるオスウィンには言ってはいないのだろう。
それをロークは正式に婚約しているのに黙っていると勘違いしているようだ。
何故かロークの表情にすうっと溜飲が下がる思いがした。
態々誤解を解いてやる必要はない。
そう心の中で悪鬼が囁いてくるようだった。
「確かヘレナにはフェルガナの皇子との縁談が持ち込まれていたのではありませんか?」
眉間にしわを寄せ、頬杖をついて考え込んでいるロークに気付かぬふりで話しかけた。
「そうだ、第三皇子とのな。ついこの間までは納得していたのだが、突然ああなってしまってな。何を考えているのかさっぱりわからん」
「第三皇子は事実上の皇太子でしたね」
「ああ、第一皇子は妾腹の出で、皇位継承権はない。第二皇子は病弱でこのところは床から離れることも出来ないらしい。双方にとって意義のある結婚であることはヘレナも分かっていると思っていたのだがな」
「まあ、昔からナイジェルに恋心を抱いたようですが」
「……初耳だな」
憮然としたようにメルヴィンを睨む。
「子供の戯れに過ぎないことを態々お耳に入れることでもないでしょう」
笑みを浮かべてはいたが、突き放すような言い方だった。不愉快そうな表情のまま睨んでいたが、溜息をついてメルヴィンから視線を逸らす。
「ともあれ、お主は兄なのだから説得を試みてくれ」
「……承知いたしました。王太子殿下の御為ですからね」
柔らかな笑みを浮かべたまま、実に白々しい言葉を吐くと丁寧に一礼をして「青の間」から出て行った。
そんな異母弟の後姿をロークは暗い眼差しで見送っていた。
「久しぶりだな」
胸を逸らすように中隊長以上の者が使う食堂に入ってきた男をスライとカールーンは一瞥した後、何事もなかったように書類の整理をし始めた。
バハディルは軽く無視されてムキになったのか、二人の目の前に座る。
「お主ら、何か言うことはないのか?」
「早速、ナイジェル部隊長に追い出されたのか?」
「――この三本線を見て分からんのか!」
「大した出世ですな、大隊長殿」
軽くいなす様に言うとカールーンは書類に目を落とす。スライは顔すら上げなかった。
その態度にムッとしながらも、懐から手紙の束を出して、二人の鼻先に突き付ける。
「あいつら、この俺を荷運び人か何かと勘違いしていやがる」
エルギンから近衛大隊に移った兵士の中にはエルギンに家族を残して移った者もいるのでその者たちからの手紙なのだろう。
カールーンは苦笑いしながら受け取り、スライは無表情で受け取った手紙の束を見詰めていた。
「ジハンギルの母親に頼まれていた物があったな。持って行ってくれ」
「なんで俺が」
ぶつぶつと文句を言いながらも、食堂から出て行くカールーンの後についていく。
周りはその様子を苦笑しがら見ていたが、中には不愉快そうに眉を顰めている者もいる。
スライは暫く、書類を整理した後に紙の束を手に席を立った。
その場にいた者たちに軽く会釈をして食堂を出る。
背中に彼の行動に警戒するような視線を感じながら。
その視線はスライが私室に戻るまで追いかけてきた。
自室に戻り、机に書類の束を置く。
部屋の外の気配が無くなるのを確認すると窓を開けた。
窓に面する中庭に人影がないのを確認して外に出る。
窓の下の張り出した部分を伝って移動し、かつてはナイジェルが使っていた部屋の窓を叩く。
すぐに窓が開いた。窓の枠に片手を置くとひらりと身軽に飛び越える。
部屋の中には先ほどとは別人のように厳しい表情のバハディルと口の端に苦笑を浮かべたカールーンがいた。
「中隊長にもなってこんなことをする羽目になるとはな」
「確かに。従卒の時に食糧庫に盗みに入って以来だな」
兵舎と兵士たちの家族が住む住居の手配が終わったので残りの騎兵とその家族を王都に連れて行くためにバハディルはやって来ていた。
厳しい表情のままバハディルが口を開く。
「こちらの様子はどうだ」
「大分不穏な空気にはなっている。特にサーディーの部隊がな」
「……これ以上は連れて行けないか」
「止めた方がいい。閣下が宥めてはいるのだが、閣下自身もあまり納得していないのだろう」
カールーンの答えにバハディルは黙り込んだ。
「予想以上に近衛大隊が腐っていてな。手が足りない上ナイジェル部隊長自身も狙われている」
カールーンとスライは顔を見合わせた。
「あの人を害することなど近衛大隊の連中には不可能だろう」
「俺とカールーン、スィムナールたちが束になっても敵わなかったからな」
ナイジェルが中隊長になった頃のことだ。
ポーシャは美しい女性に成長していて、縁談が引きも切らない状態だったが、変わらずナイジェルに好意を寄せていた。
何かと理由を付けては世話をして纏わりついていたのだが、本人に思いを全く気付いてもらえないということを繰り返していた。
焦ったポーシャはブレンドンに相談するようになっていった。
「なんで俺が恋敵のことで相談に乗らなければならないんだ」
と半泣きだった。
次第にポーシャも半分諦めるようになってきて、相談している目の前の男もかなりの美形で将来性もあることと無愛想だが、何くれとなく相談に乗ってくれることに絆されて、何となく好いて好かれる仲となっていった。
「ポーシャ、そろそろ親父さんに結婚の申し込みに行きたいんだが」
「ふふ、嬉しいわ。お父さんに言っておくね。……ところでナイジェルって中隊長になったって本当?」
「……なんでナイジェルの話が出て来るんだよ」
「エルギン中で話題になっているのも、すごいわよね。二十歳にもなっていないのに」
「いや……そうでもない」
「いやだ、ブレンドン。男の嫉妬は醜いわよ」
「そうじゃなくてだな!」
少し遠くから聞くともなしに聞いていたスィムナールとジハンギルは呆れたように二人を見ていた。
「女とは恐ろしいな」
「あれは単にナイジェルを出してブレンドンに嫉妬させたいんだろう。放っておけよ、仲が良いだけだ」
そこに肉切り包丁を構えた厨房長が立っていた。
「ブレンドンだったな。お前か、うちの娘を誑かしたのは?」
「誑かしたなんてとんでもない、俺の方が弄ばれている」
「ちょっとどういう意味?」
「そうだろう? 何かというとナイジェルの名前を出すじゃないか」
「それは…そんなつもりは……お、怒らなくてもいいじゃない」
ぐすんと少しばかりわざとらしく涙ぐむ。慌てたブレンドンがポーシャを抱き寄せる。
勝手にやってろとばかりに周りはシラケるが厨房長はその事に怒りが再燃したようだ。
「ポーシャ! ま、まさかこの男と!」
「そんな訳ないでしょ! 私そこまでふしだらじゃないわ!」
「そうだ、味見程度でとやかく言われたくないな」
「味見だとう!」
逆上した厨房長がぶんぶんと目茶苦茶に肉切り包丁を振り回すが、ブレンドンは余裕で避けて行く。
「何故避ける!」
「避けなきゃ死ぬだろうが!」
「お父さん止めて! ブレンドンも小隊長なんでしょ、止めてよ!」
「怪我させてもいいなら、可能だがな」
「絶対ダメ!」
ブレンドンは舌打ちすると避けながら、剣筋は素人だが、腕力はあるらしく風切音がする。
肉切り包丁をうまく弾き飛ばすべく時機を図っていると運悪くナイジェルが通りかかった。
「何をしている、厨房長!」
慌てて二人の間に入り込むと見事に弾き飛ばした。
「きゃあ、ナイジェル! ありがとう、私の為に」
思わず黄色い悲鳴を上げるポーシャに厨房長は茫然とする。
「お、お前まさかナイジェル中隊長とも?」
「何い!」
「ちょ、そ、そんなわけ」
好意を寄せていたのは事実なので、ポーシャは言い澱んでしまった。
ポーシャの言動にブレンドンは完全に逆上してしまった。
平気なふりをしていたが、嫉妬と剣士として決して敵わない劣等感が一瞬ブレンドンの理性を奪った。
ブレンドンが放った喉元を狙った強烈な突きをナイジェルは紙一重で躱して、がら空きになった脇腹にナイジェルの抜き打ちが届く寸前でジハンギルの剣がそれを阻止した。
弾かれかけて何とか踏みとどまったところに瞳を翡翠色に煌めかせて襲い掛かってきた。
スィムナールが体当たりして牽制したが、三対一でもブレンドンたちが防戦一方に追い込まれてしまった。
「止せ! ナイジェル」
騒ぎを聞きつけてカールーンとスライが駆けつけるとナイジェルはほんの一瞬唇を笑みの形に歪めると双刀を鞘に戻して右手を柄に掛け、身構えた。
凄まじい殺気を浴びせられ、五人が硬直した瞬間だった。
「ナイジェル、何をしているのだ!」
バスターの怒声が響いて、途端にナイジェルは殺気が消えて狼狽えたように視線を揺らして俯いた。
正気に戻った厨房長が話し始めて事態を知ったバスターは溜息をついた。
「経緯はわかった。しかし、やり過ぎだぞナイジェル。自室に戻って謹慎していろ。少し頭を冷やすんだな」
「はい……。承知しました、閣下」
バスターに叱られて悄然と俯き、バスターの側近に連れられて自室に戻っていった。
ナイジェルが兵舎の中に消えていくと、カールーンは息を吐き出した。背中を冷たい汗が伝っている。
ブレンドンたち三人は地面にへたり込んでいた。地面に座り込んで動かないブレンドンにポーシャが泣きながらしがみ付いて謝罪の言葉を繰り返していた。
ブレンドンは嬉しそうにポーシャを抱きしめていた。
「閣下。助かりました」
スライが青い顔でバスターに話しかけた。
「あの冗談が本当になったようだな」
憮然として言うカールーンにジハンギルは無表情の顔に大粒の汗を浮かべていた。
「閣下が止めていなければ、俺とブレンドンは確実に死んでいたな」
ぼそりと呟く。数か月前の紛争で白兵戦になった時にナイジェルが見せた神速の抜き打ちと同じ構えだった。
振るった後数個の首が同時に飛んでいた。
「お主らも変わっているな。そんなことがあったのにナイジェル部隊長を恐れないのか」
バハディルは皮肉めいて言う。
「お主には言われたくはないな。あの人が従卒だったころは弄っていたのに随分な変わりようだ」
揶揄するように言われ、真顔になってバハディルは黙り込んだ。酷く苦しそうに顔を歪める。
「俺は……気が引きたかったのかもしれん。その他大勢として当たり障りのない態度を取られ、視界の片隅にすら入らないよりはな」
「子供ではあるまいし」
「俺の家はアジメール王国が樹立される前から続く家系だと言ったことがあったな」
突然話を変えたバハディルにカールーンとスライは今日何度目か顔を見合わせた。
「耳に胼胝ができるくらい聞いたな」
苦笑しながら言うスライに真面目に頷きながら、話しだした。
「これは言っていなかったが、代々選帝侯を輩出してきたクベンタエ家に仕えていた。アジメール王家に仕えるきっかけはアクサル卿の娘のマヌラ様に従ってこの国に来たからだそうだ」
「戦乱の中を主の娘を守ってきたと言うことか」
「……そう聞こえたか?」
「違うのか」
「そのご先祖様は相当な臆病者だったらしい。他の竜騎士たちをすべて敵に回して戦いに臨んでいたアクサル卿にとっては戦場で役に立たない臆病者など邪魔な存在だったのかもしれない」
暗く己をあざ笑うように暗い笑みを浮かべる男をスライとカールーンは何とも言えない表情で見つめていた。
「お主、ナイジェル部隊長とそのアクサル卿を重ねているのか?」
「さてな……」
立ち上がったバハディルを見上げる。
「第三部隊の者であれば、もう少し割けるのだが」
「いや、それは良くない。……グラント殿の推測だが王太子殿下はいずれナイジェル部隊長を軍総司令官するおつもりのようだ。お主らにはここでそれなりの武力を持っていてもらわねばならん。――そろそろ行かないと。あまり長居しては不審に思われるだろうからな」
扉の所まで行くと振り返って
「ナイジェル部隊長に身辺に気を付けるように忠告する手紙を書いてくれないか」
「お主らが言えばいいだろう?」
「……俺は過去のことがあるからな。お主らはあの人から父親のように慕われている。少しは心に残るだろう」
「父親のように慕われているかはわからんが、そうしよう」
「頼む」
短い応えにナイジェルに対する心情が現れていた。部屋から出て行く男を二人は苦笑しながら見送った。
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