竜騎士の末裔

ぽてち

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第2章

9、精霊との戦い

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 王宮の回廊をナイジェルとユタは連れ立って歩いていた。

 あの後ナイジェルはヘレナに手紙を送った。出来ればお会いして話をしたいという趣旨の手紙だ。
 ナイジェルはそのままの言葉で書こうとしたが、ユタに書き直させられて少々思わせぶりな内容になっている。 眉を寄せ不愉快そうになったが、ヘレナ王女の為ですよとユタが言うと何とか納得した。
 それが功を奏したのか、すぐに手紙を持った侍女が訪ねてきた。此方を見る侍女の視線は明らかに不穏なものだった。

 その手紙を持って王太子に面会を申し込んだのだった。
「青の間」ではなく王太子が個人的に客に会うための部屋に通された。
「王太子殿下は只今政務にお忙しく、ナイジェル部隊長には申し訳ありませんがこちらでお待ちください」
 そう侍従のムスタムが言うと頷くナイジェルを何かもの言いたげに見つめていた。
「何か?」
 ムスタムの視線を感じて質問する。ナイジェルに視線を向けられ、躊躇しながら口を開く。
「王太子殿下と何かあったのでしょうか。最近殿下の機嫌がひどく悪いのです」
「いや、御前会議以降お会いしていないが」
 ナイジェルは不思議そうに首を捻っている。
「そうですか。ナイジェル部隊長にお心当たりがないのであれば宜しいのですが」
 やや心配そうに此方を見ていたが、それ以上は言わず一礼すると下がっていった。
「ナイジェル、王太子と何かあったのですか?」
「いや?」
「さっきのムスタムの言葉、あれは忠告ですよ」
 ユタの言葉にナイジェルは黙り込んだ。それから暫く待たされた。

 待たされている間、目を瞑り端座したままピクリとも動かないナイジェルを時々伺っていたが、時間が経つに従ってユタの表情は憂いが濃くなっていった。

「待たせたな、ナイジェル部隊長」
 普段のロークからしてみるとやや乱暴な足取りで部屋に入って来て、それと分かるくらい不機嫌そうな声だった。
 ナイジェルはハッとしたように目を見張り、視線を伏せると丁寧に頭を下げた。ユタもそれに倣う。
「王太子殿下にはご機嫌麗しく」
「ナイジェル」
 ナイジェルの挨拶を途中できつい口調で遮る。
「私の機嫌が麗しくお前には見えるのか?」
「……いいえ」
 そう言ったきりナイジェルは押し黙った。
 視線を伏せ、沈黙するナイジェルにロークは苛立ちを隠せないようだった。
「何故、ライギット辺境伯の娘との結婚を私に黙っている」
 ナイジェルは驚いた様子で視線を上げた。

 失望と怒りがない交ぜになったロークの顔を正視できずにまた視線を伏せる。
「私事ですので」
「近衛大隊の部隊長と辺境伯の娘の結婚を私事だと言うのだな」
「王太子殿下、ナイジェル部隊長と辺境伯の息女との結婚は先日決まったばかりなのです」
 ユタが割って入るが、ロークは不快そうに視線を向けただけで何も言わなかった。
「ナイジェル、私は疑い深い人間だ。だからこそ、お前だけは疑いたくはない。出来る限りお前のことを話して欲しい」
「はい、申し訳ありません」
 視線伏せて謝罪するナイジェルを何と思ったのか、重い溜息をつく。
「先日決まったとはいつだ?」
「御前会議の後です。ライギット辺境伯もお忙しいようでしたし、私も王都を離れられませんでしたから。結婚と同時に伯父の、エルギン辺境伯の養子になる予定です」
「御前会議の後か……なるほどな。そう言えば、エルギン辺境伯には子供はいなかったな」
 ナイジェルの言葉にロークは顔を歪めた。メルヴィンに誑かされたこと気づいたが何も言わなかった。
「はい、以前からガーランド家を継ぐように言われていました」
「そうか。祝いの品を届けさせよう」
「ありがとうございます」
 ピリピリとした空気がようやく和んできた、ユタもほっとしたようにナイジェルを見た。

「ところで何か用だったのか」
「はい、ヘレナ王女のことでご報告したいことが」
 途端にロークは眉を顰めた。
 モラーヴィのことも紹介して精霊に憑りつかれているかも知れないことも言った。
 小猿が小さな小男に変わるのを目を丸くして見ていたが、何とか納得したようだ。

「ナイジェルは変わったものに懐かれるな」
 ロークにもユタと同じことを言われ憮然とする。
「これがヘレナ王女から来た手紙です」
 ナイジェルが差し出した二つの手紙に目を通して、その内容にやはり渋い顔をする。
「危ういことをするな、ナイジェル。ヘレナにはフェルガナの皇子との結婚が内々にだが決まっているのだぞ。こんな手紙を受け取っていたとなると関係を疑われてもしかたなかろう」
「ですが、この様子ですと下手に返事を書かなければ大騒ぎされたでしょうね。そうなればそれこそ大事になります」
 冷静に言い退けるユタにロークは増々渋い顔になる。先日の狂態を見ているとやりかねない。
「王太子殿下には後宮に入る許可を頂きたいのですが」
「まあ、ヘレナを何とかせねばならないのは承知だ。こちらから頼みたいことでもあるな」
「では、早速参りましょう」
 そう言って立ち上がろうとしたユタとモラーヴィを手を上げて制する。
「待て、お前たちだけで行かせるわけにはいかない。メルヴィンを呼ぶから少々待っていろ」
 それを聞いた瞬間ナイジェルは複雑そうな表情になった。
 何とも言えない表情で黙るナイジェルを見て、ロークは少し表情を緩めた。

 暫くは他愛もない話が続き、モラーヴィは出された砂糖菓子を嬉しそうに頬張っていた。
 半時ほど経って、ムスタムに案内されてメルヴィンが入ってきた。
 ナイジェルは僅かに身構えたが、メルヴィンはいつも通りの笑顔を浮かべていた。
 モラーヴィはメルヴィンを見て、驚いたように目を見張っていたが慌てて目の前の皿に盛られていた砂糖菓子をすべて口の中に詰め込むとこそこそとナイジェルの後ろに隠れた。

「お呼びでしょうか、王太子殿下」
「態々済まないな。ヘレナのことだ」
 その事で呼ばれたと想定していたのだろう特に驚くことも無く、微苦笑を浮かべただけでナイジェルの隣に座る。
「どうもヘレナは精霊の憑りつかれているようなのだ」
 重々しく言うロークにメルヴィンは奇妙な笑顔を浮かべていた。
 いきなり妹が精霊に憑りつかれていると聞いても信じられないのだろう。
「本当ですカーマーゼン辺境伯」
 モラーヴィを前に出すとまた小猿に変化させた。それで納得したらしい。
 というより精霊の責任にしたかったのだろう。

「では、参ろうかナイジェル」
 ナイジェルを促すように立ち上がると王太子に一礼して扉の外に出て行く。
 その後に続いて出て行こうとするナイジェルを王太子が呼び止めた。
「……すまなかったな」
 視線を逸らせたまま謝罪の言葉を口にするロークに淡く澄んだ微笑を浮かべて頭を下げた。
 その様子を横目に見ながら、舌打ちしそうな表情をするメルヴィンをユタがじっと見つめていた。


「ナイジェル様、ようやく来て下さったのね!」
 まさしく花が咲き乱れるかのような笑顔を見せて、出迎えたヘレナだった。
 小鳥のさえずりの様に軽やかに甘く響く声も、天性の麗質を感じさせる白く小さな顔にもナイジェルに対する愛情に溢れていた。
 ほっそりとした肢体を媚びにくねらせてくる様子も幼いながら、それともそれ故なのか色香を感じさせ、上目づかいに此方を見上げてくる視線に普通の男であれば悪い気はしないだろう。
 寧ろ大半の男が鼻の下を伸ばしながら、誘い込まれるだろうが、ナイジェルは僅かに鼻に皺を寄せただけだった。

「ヘレナ王女殿下には、長らく無沙汰にしておりました。挨拶もせずにおりましたことお詫び申し上げます。王女殿下もお変わりなく」
「そんな堅苦しい挨拶をするためにいらしたのですか。わたくしの気持ちをご存じのくせに酷い……」
 そう言うと手で顔を覆った。
 すすり泣く声が手の間から漏れているが、指の隙間から除く瞳は涙に濡れていない。

 それを見取って流石にメルヴィンは呆れた様子だ。
「ヘレナ、お前は招き入れた客人をいつまでも放っておくように教育を受けたのか? そうであるならば、王太子殿下に進言申し上げないとな」
 痛烈な皮肉を込めた眼差しで意味ありげにヘレナの傍に控えた侍女たちを見る。
 メルヴィンの視線に震えあがった侍女たちは慌ててヘレナに取りつき、宥めて座らせるとお茶を出してきた。
 ヘレナは子供のように頬を膨らませて、不貞腐れて綺麗に梳られた金髪を弄っている。
 メルヴィンはちらりとこちらに視線を投げるとそのまま黙り込んだ。
 あとはお前たちがやれと言いたいのだろう。

 ユタは進み出るとヘレナの前に布で覆われた鳥かごを置いた。
 ヘレナは柳眉を逆立てて、ユタを睨んだ。
「なんですの、これは?」
「ナイジェルからヘレナ王女への贈り物です」
「まあ! ナイジェル様、嬉しゅうございます」
 ナイジェルは飛びつかんばかりに喜びを露わにするヘレナにたじろいだ様子だったが、無表情に頭を下げる。
 それを見て、ユタがナイジェルの脇腹を肘でつついた。

 もう少しヘレナの気を引くような表情をしろと言いたいのだろうが、ナイジェルとしては不機嫌にならないようにするので精いっぱいだった。
 ヘレナは嬉しそうに鳥かごを覆った布に手をかけて、中を覗く。小さな白い猿がちょこんと座りこんでいるのを見て、僅かに眉を寄せる。
「珍しい毛皮の猿ですのね。なんだか、ナイジェル様らしいですわ」
 俺らしいとはいったいどういう意味だろうと首を捻っているとヘレナの表情がみるみる悪鬼の形相となっていった。
 奇声を上げて、鳥籠を思い切り壁に向かって投げた。
 胡坐をかいて座っていたナイジェルは即座に反応して、鳥籠が壁に叩きつけられる前に捕まえた。
 髪を振り乱して立ち上がったヘレナは印を組むと周囲から炎が吹き上がった。
 吹き上がった炎は勢いを増して絡み合い、炎の蛇となって鳥籠を抱えたナイジェルに襲い掛かった。
 間一髪で炎を躱すと床に転がる。
 ヘレナの傍にいた侍女たちは猛烈な炎に当てられ、悲鳴を上げた。

 メルヴィンは侍女たちを部屋の外に連れ出して、逃げるように指示して王女の部屋の周囲に人を近づけないように命じた。
 鳥籠の中からよろめきながら、小猿が出てくると変身を解いてモラーヴィがへたり込んでいた。
「た、助かりました、ナイジェル様」
「よくも妾を謀ったな! モラーヴィ、許さない」
「他愛もない口喧嘩で家出した挙句、お父上の大切な部下である私を殺そうとするなんで酷いではありませんか!」
「ふん、お前のどこが父の大切な部下だと言うのだ! いつも物を半分しか出せない半人前のくせに」
 こんな時だと言うのにそれを聞いたユタが噴き出している。
 一瞬、ナイジェルはユタを流し見て、盾に使おうかと本気に思った。

 それが分かったのか首を竦めて、扉を開いて指笛を鳴らした。
 高温と低音を不思議な律動で繰り返していた。
 シャゼアに罵倒されたモラーヴィは顔色を真っ赤に染めていた。
「うう、そんな本当のことを言わなくてもよろしいじゃないですか! そんな性格だから振られてしまうのですよ」
「なんですって!」
 きいっと癇癪を起こしたのか小さな足を踏み鳴らして、怒り狂うシャゼアに憑りつかれたヘレナと顔を真っ赤にして反論するモラーヴィのやり取りを聞きながら、ナイジェルは素早く剣を抜き放ち、じりじりと距離を詰める。

 風切音がして振り向くと開いた扉の中に背中に白い小さな蛇と大きな溝鼠を載せたファルハードが飛び込んでいった。
 ファルハードは咆哮を上げ、ヘレナとナイジェルの間に割って入った。
 勢いよく渦巻いていた炎がすうっと消えていく。
 
 小さな蛇はファルハードの背中から床に落ちるとぽんと破裂音を立て煙が上がるとそこに一人の青年が立っていた。
 黒々とした双眸は穏やかな性質を映していて、その端正な顔立ちはどこにも瑕疵を見いだせないほど美しかった。
「シャゼア殿!」
「ラティーフ様、何故ここに」
 突然現れた許婚に戸惑いながらも、僅かにシャゼアの周り取り囲む炎の勢いが衰えた。
「貴方が家出したと聞いて心配しておりました。なぜこんな馬鹿な真似を」
「だって……貴方がほかの女精霊を褒めるから、いけないのですわ!」
 わあっと顔を覆って泣き出したシャゼアをナイジェルとメルヴィンはこれ以上ないくらい冷ややかな視線を送っている。
 さらに殺気も加わった視線がモラーヴィに向かった。
 モラーヴィは潰れた悲鳴を上げて、大げさに跪くと言い訳をし始めた。
「だから言ったじゃないですか! シャゼア様はとっても性格が悪いって!」
「……くだらない理由で家出しただろうと思っていたが、予想をはるかに超えていたな。痴話喧嘩は結構だが、他人を巻き込むんじゃない」
「ささ、シャゼア様もちゃんと謝って下さい」
「なんで妾が謝らなくてはいけない? そもそも気を引きたいのであれば、家出でもしてみたらどうかと言ったのはモラーヴィ、お前ではないか!」
『なんだと!』
 ナイジェルとラティーフ、イクバールの声が重なる。
「そ、そんな、シャゼア様の愚痴なんだか、惚気なんだかのお話が長くて適当に相槌を打っただけじゃないですか。それを勝手に本気にしたのはシャゼア様でしょう」
「……ファルハード、齧っても構わないぞ」
「止めて下さい、ナイジェル。ファルハードが腹を下してもいいのですか?」
 大真面目に諌めるユタに仕方なさそうに舌打ちして恐ろしく冷淡な眼差してモラーヴィを見る。

 顔立ちは貴公子然としていたラティーフも精霊であるだけあって口から炎を吹き出し恐ろしい表情になる。
 イクバールに至っては怒りの為に顔色がどす黒くなっている。
 ラティーフが一歩前に足を踏み出そうとした時、いつの間にかシャゼアの後ろに回り込んだメルヴィンが妹の喉元に剣をあてがった。
「動くな。ラティーフといったかなそこの精霊。ここはアジメールの王宮。精霊たちの内々の揉め事を持ち込まれても困るな。早々に王女に取りついている精霊と共に立ち去るがいい」
 にこりと笑みを浮かべる顔は穏やかだが、瞳は針のように鋭い。

 ラティーフは息を呑む。
「その女性は貴方の仕える王家の女性でしょう。それを……」
「ああ、そして同腹の妹だ。だからこそ妹に害が及ばない内に出て行ってもらいたいな」
「シャゼア殿」
 ラティーフがシャゼアを促す様に言うが、シャゼアの意識が前面に出ているからなのか人相すら変わっている少女は不満そうだった。
「何故妾が高々人間に言葉に従わねば」
 そう言いかけた時メルヴィンはぐるりと手を動かした。血の線が首の周りに引かれ、シャゼアはか細い悲鳴を上げた。
「メルヴィン王子!」
 非難する声を上げるナイジェルに笑いかけた。その笑みに心臓を冷たい手で握られたような気がした。
「確かに鋼に弱いようだな。というより憑りついた者に同調するのか」
「止めて下さい! シャゼア殿を放してください」
 必死で縋るラティーフにメルヴィンは冷ややかな姿勢を崩さない。
「何か考え違いをしていないか。妹の体から出て行けば済むことをややこしくしているのはそちらだろう」
 ラティーフは口を噤み、メルヴィンを睨んだ。

 喉元に剣を突き付けられたシャゼアは観念したように目を瞑ると口から、靄のようなものを吐き出した。
 吐き出された靄は人の形をとっていった。
 青みがかった黒髪と小麦色の肌、孔雀石の顔料でくっきりと線を引いた目元は涼しげな美女だった。
 憔悴しているようだったが、それでも相当勝ち気なのだろうメルヴィンをきつく睨んでいた。

 精霊が抜けてがくりと崩れ落ちる妹をメルヴィンは抱き留めた。
「ラティーフ様、こんなところにいるのは嫌ですわ。参りましょう」
「待て」
 ラティーフに抱き付き、逃げようとするシャゼアを制止する。
「お前が焦がした調度を元に戻してから帰れ」
「何故、妾がそんなことをしなければならないのですか! そこにいるモラーヴィにやらせればよいでしょう」
「物を半分しか出せない半人前と罵っておきながら、無責任にも逃げるつもりか? それとも精霊の姫君ともあろう者がその程度のこともできないのか?」
 メルヴィンの痛罵にシャゼアは小麦色の頬を紅潮させると無言のまま、印を組み口の中で何か唱えていたが、焦げた絨毯や座布団が消え、新しいものに変わる。
 煤で汚れた壁も綺麗になった。

「まあいいだろう、王族に対する無礼も問いたいところだが、精霊相手では牢に繋いでも意味はないだろうからな。跪いて許しを請うのであるならば、許してやらなくもない」
 傲然と言い放つメルヴィンにさらに顔を赤くして、何か言おうとするシャゼアをラティーフが止める。
 黙って膝をつくと頭を下げる。隣にいたイクバールもそれに倣う。
「ラティーフ様! イクバールも貴方たちが膝をつく必要はないでしょう」
 不満そうに言うシャゼアだったが、最愛の婚約者と父王の腹心の部下が大人しく従っているのに自分ばかりが我が儘を言うのもはばかられた。
 ぶつぶつと言いながらも膝をつく。
 
 口の中で謝罪の言葉を口にすると、頬を膨らませて不満を言う。
「ラティーフ様、こんなところもう私居たくありませんわ。私を父の城までお連れ下さいませ」
 そう言ってラティーフにしがみ付いた。自分の我が儘で家出してきたのだろうにとんでもないお姫様だ。困ったような表情だが、どこか嬉しそうなラティーフも似た者同士なのだろう。
 そのまま三人は消えた。
「ちょっと、なんで私を置いてくのですか!」
 取り残されたモラーヴィがキイキイと喚きながら、跳ねている。

 ナイジェルは肺に溜まった息を吐くとメルヴィンを見る。
 メルヴィンに何か思惑があるのだろうと精霊達とのやり取りに沈黙を通していたが、別人を見る思いだった。
「ヘレナ王女は大丈夫ですか」
 ぐったりと意識を失っている少女を痛ましげに見る。
「優しいことだなナイジェル。だがな、恋情を抱く女の立場から見れば、中途半端な憐憫の情ほど、残酷なものは無いのだよ」
 酷く酷薄な表情とは裏腹に優しい手つきで妹を絨毯の上に横たえる。
「王太子殿下に報告してきたらどうだ、部隊長殿」
 ナイジェルは暫くの間メルヴィンを睨んでいたが、一礼すると部屋から出て行った。

「……うう、ナイジェル様?」
 ヘレナがうっすらと目を開けた。苦しそうに身じろぎするのを冷淡な眼差しでメルヴィンが見ていた。
「お兄様、ナイジェル様は……御無事でしょうか?」
「あれを傷つけるのは精霊をもってしても難しいようだ」
 皮肉めいた苦笑を浮かべる同腹の兄をホッとしたように見上げた。
「そう…ですか。よかった」
「残念だが、お前の恋心はあれには届かないよ」
 冷ややかな表情の兄をどこか悲しいものを見るようにヘレナは笑みを浮かべた。
「あの方の心がどこにあるのかは、当の昔に悟っていました。本当は私の気持ちなど知られたくはなかった」
 閉じた瞼から一筋の涙が頬を伝わった。

 こんな場合ではないが、メルヴィンは苦笑した。
 妹のふるまいを目の当たりにして好意と摂らなかったのは当のナイジェルのみだ。
「……お可哀想なお兄様。ずっとあの方の心を求めておいででしたのに、あの方の忠誠心は王太子殿下に向かわれてしまった」
「なんだと」
 ヘレナの言葉にメルヴィンは表情を消した。
「あの方はとても優しい。でも、心の中に踏み込むことを決して許さない。告罪天使の綽名そのままに」
「黙れ」
 地獄の底から湧きだすような増悪と絶望に彩られた声だった。
 その声を耳にしても、ヘレナの顔には兄に対する憐れみと同情の表情しか浮かばなかった。
 澄んだ紫沈丁花ライラックの瞳がこちらの心情を見透かすように揺れているのが、心底イラついた。
 どす黒い感情がゆっくりと心を覆っていく。
 無意識に腰の剣に手を置く。
  
 何も知らない、只の血を受け継いでいることしか価値のない小娘が……。

 抜きかけたところで、扉の向こうで様子を伺っていた侍女たちが入ってきた。
「ひ、姫様ご無事ですか」
 すうっと心を覆っていた黒い感情が引いていく。ただ無くなったわけではなく、澱の如く心の底に沈殿していく。
「首に傷を折っている。治療してやれ」
「は、はい。仰せのままに公爵閣下」
 慌ただしく、ヘレナを寝所に連れて行き、医師を呼びに出て行く様を冷ややかな目で見ながら、メルヴィンは部屋を後にした。
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