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第2章
11、ナイジェルの出自
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翌日、朝食の席でアイーシャと顔を合わせるのは酷く気まずかった。
ナイジェルの部屋で何が起こっていたかは、流石に察せられただろうから。
あの後二人で抱き合って眠った後、朝には部屋の入口に二人の着替えがそっと置かれていたことも何とも居た堪れない。
「ナイジェル、羊肉の茹で具合はどうかしら」
「……丁度いいです」
「そう、アナイリンも果実水を飲んで頂戴。朝庭で獲れたばかりの檸檬なのよ」
「……はい」
機械的に食事を口に運びながら、気まずい雰囲気の中途切れがちな会話を交わす。
「ナイジェル様、ベルナルド様がお出でですが」
家令が居間に入って来て、ベルナルドの訪れを伝える。
「わかった」
食事を終えて、立ち上がったナイジェルをアイーシャは見上げていた。
「ナイジェル、あのね」
「養母上、昨日はすみませんでした。……俺の態度が父さんや母さんにああいう振る舞いを許していたんだと思います」
「いいえ、私もそれを許していたのよ。ナイジェルに嫌われたくなかったから」
「俺は今まで一度として、養母上や養父上を嫌ったことはありませんよ」
「そう……そうね、貴方はそういう子だったわ」
面映ゆそうに笑うナイジェルにつられてアイーシャも笑う。
部隊長の軍装に着替え、外に出ると表広間にベルナルドが立っていた。
「行ってらっしゃいませ、ナイジェル様」
アナイリンとアイーシャもナイジェルを見送る。
アナイリンに見送られることに照れがあるのか、少しだけ眩しそうな表情をする。
ベルナルドはナイジェルの表情にホッとしていた。
「部隊長、バハディル大隊長が騎兵とその家族を連れて、今日を到着するとのことです」
「そうか、バハディルも疲れているだろうが、皆を練兵場に集めるように言ってくれ」
「承知いたしました」
練兵場に三百人の騎兵が集まった。
「バハディル、皆も遠路ご苦労だったな」
「いえ、何ほどのこともございません」
そう言って、バハディルが丁寧に頭を下げる。
「皆に言っておくことがある」
改まったナイジェルの声に自然と皆姿勢を正す。
「ここはエルギンとは違う。エルギンの市民は辺境防備隊に敬意を払っていた。だが、王都の市民は近衛大隊に敬意を払わない。むしろ、嫌悪感さえ抱いている。新しい部隊と言っても、同じものだと思っている。我らの一挙手一投足が見られている。守るべき市民に敵視されるのは辛いことだと思う。だが、堪えて欲しい。いずれ認められる日も来るだろう。我らの敵はフェルガナ帝国だけではない。王家と王国の民に仇なす者全てだ!」
『はっ』
真剣な表情を応じる騎兵たちを満足そうに見渡すとナイジェルは零れるよう笑みを浮かべる。
前列でそれを目の当たりにした小隊長以上の者は陶然と見惚れていた。
「バハディル、済まないが、小隊長以上の者を広間に来させるように」
「は、はい」
ぼうっと見惚れていたバハディルは我に返ると慌てて返事をする。
「カーマーゼン辺境伯がですか?」
バハディルは信じがたい様子で、顔を顰めている。
この事は口外を禁ずると前置きして、先日起こったことを詳しく話した。ヘレナ王女が精霊に憑りつかれていたことは原因不明の病と言うことにしたが。
「王太子殿下も懸念されている。カーマーゼンは辺境防備隊の中でも外敵らしい外敵がいないからな。やろうと思えばできなくもない」
「そうですな、対抗したくとも、近衛大隊右翼と左翼の二千の騎兵では捨て駒にすらなりますまい」
「烏合の衆も良い所ですからね。王都を攻められたら、真っ先に逃げ出すんじゃないんですか?」
グラントとベルナルドはかつて所属していただけにより辛辣だ。
ナイジェルは溜息をついた。
「王太子殿下を守るだけなら、今でも可能だろう。だが、それだけだ」
その時はナイジェルが最後の盾となるのだろう。
静かな笑みを浮かべる姿にナイジェルの覚悟が伺える。
主君を守るために命すら捨てる覚悟を。
その姿を目にして、顔色が変わる。
バハディルが真剣な表情で手を上げる。
「ナイジェル部隊長、一つご提案がございます」
「なんだ?」
「ヤムリカの者たちを近衛大隊に入れてはいかがでしょう?」
「ヤムリカとはあの遊牧民の?」
ナイジェルが首を捻りながら問い質す。
「無理だ、あいつらが誰かに従う訳がない」
そう言ったのはジハンギルだった。
「確かに馬術と弓術はずば抜けている。だが、部族長以外には従わない連中だ」
「エルギンにもヤムリカの者はいないな。何故そんな提案をバハディル大隊長?」
そう聞いたのはブレンドンだった。
「……ヤムリカはアジメール王家の血筋には敬意を持っております。今であれば説得できるのではと考えました」
「そんな話は聞いたことがない」
ジハンギルが納得できないのか眉を顰める。
「アジメール王家設立以前の話だからな。ヤムリカは今も昔もフェルガナに近い場所に住み遊牧で生活を営んでいた。帝国からすれば、蔑みの対象。碌な税を納めることも出来ない者など、擁護する者などいなかった。戯れで竜騎士たちの狩りの獲物になり、老若男女問わず、数十人単位で狩り獲られることもしばしばだった。それを止めたのはアクサル・クベンタエ卿。初代国王の正妃マヌラ様のお父上だ。アクサル卿の庇護下に入ることで、ヤムリカは生き延びることが出来た。マヌラ様がこの国に逃れるのも手助けしている。アジメール王家に流れる血に恩義が有る筈だ」
「よく知っているな」
不思議そうにナイジェルは首を捻る。
「我がラスロ家もマヌラ様と一緒にこの国に逃れてきましたので。この事を知る者は少ないでしょう。何しろアクサル卿は勅命により当時の選帝侯だった竜騎士をすべて討ち取ったそうです。アクサル卿もその戦いで亡くなられましたが。アクサル・クベンタエ卿の名はフェルガナ帝国の支配階級では禁忌であると共に恐怖の対象なのです」
「わかったが、何百年も前の話だろう? 今のヤムリカがアジメール王家に対して恩義を感じているとは思えないが」
「……」
「ですが、試してみても良いのではありませんかな。失敗したとて問題はありますまい」
そう擁護したのはグラントだった。
「そうだな、バハディル頼めるか?」
「はい、ジハンギル中隊長も同行させたいのですが」
ジハンギルは無言で頷き、了承の意志を伝える。
いくつかの事務的な確認を行い、解散となった。
出て行くナイジェルの後姿を見ながら、グラントはその場に残ったバハディルに問いかける。
「ヤムリカを今なら説得できると言いましたな」
「……彼らは勇敢な死を迎えた者は神の祝福を受け、いずれ蘇るという死生観を持っている。待っているのだよ、主の帰還を」
「ローク殿下がアクサル卿の生まれ変わりだと?」
「……アクサル卿は双剣の使い手だった。並ぶ者のいない剣技を誇ったという」
その場に残っていたのはジハンギルとブレンドン、スィムナールだったがグラントと同様に息を呑んだ。
「だが、部隊長は王家の者では」
「部隊長の母上のセリーナ殿は王宮に努める女官だった。当時、王宮には公に出来ない妾腹の王子が居たそうだ。十二歳になっても言葉を喋ることも理解することもできず、生まれたばかりの幼子のようだったそうだ。この王子はセリーナ殿が王宮を辞した後亡くなった。酒をまったく受け付けない体質だったようで、戯れに呑んだ酒杯を飲み干すと痙攣して亡くなったそうだ。王家にとって瑕疵と言っていい妾腹の王子だからいい厄介払いだったろうな」
呆然とバハディルの言葉に聞き入っていたグラントはごくりと唾を呑み込んだ。
「……部隊長にその事は」
「証言できる者はすべて亡くなっている。状況証拠しかないからな。セリーナ殿とその王子の間で何があったのか知る者はいない。この話も当時王妃付きの女官だった親族が今際の際に話してくれた。……何しろその王子はロクな世話もされず、放置されていたのだとか。ローク殿下とメルヴィン王子が生まれて、権力闘争が激しかったからな。目障りだったのだろう。食事すらまともに世話されず、セリーナ殿はこの王子にひどく同情的だったそうだ。亡くなったのもセリーナ殿がいなくなり、目を掛ける者がいなくなったことが原因ではと言っていた」
シンと静まり返った。
「気分が悪くなるような話だな」
ブレンドンがそう嘆息する。
「ヤムリカが説得できるかは五分五分だが、……少なくともナイジェル部隊長はヤムリカにとっても仕え甲斐のある主だと思うがな」
「それは否定しない」
「とんでもない無茶ぶりをするけどな」
お道化た様にスィムナールが肩を竦める。
「出来ない者に部隊長はそんなことはしないさ。……二度と視界に入らなくなるだけだ」
ブレンドンが静かに笑った。
ナイジェルは真面目に働く者、有能な者は身分の上下、職業にかかわらず、一度会っただけの人物でもよく覚えている。
だがそうでない者は、驚くほどあっさり忘れ去ってしまう。
嫌がらせされていた同期の者たちもあっさり忘れていた。
小隊長に昇進した時、馴れ馴れしく話しかけてきていた同期を「誰だ?」と不思議そうに首を捻っていたのにはブレンドンも驚いた。
顔を蒼褪めさせて、背中を丸めて去って行く姿は自業自得とはいえ憐れだった。
スィムナールとバハディルは神妙に頷いている。
ナイジェルの許可を得て、バハディルはジハンギルと数騎の騎兵を伴ってヤムリカの居住地に向かった。
途中、再びエルギンを訪れた。
あれから数ヶ月しかたっていないのに状況は目に見えて悪くなっているようだ。
バスターにも面会したが、どこか覇気がない。
カーディルも難しい顔でナイジェルの近況を聞いてきた。特にロークとの関係だった。
ロークとの関係は良好で、王家を守るほどの兵力を持てない現状を打開したいと考えている事を話すと酷く残念そうな顔をした。
第三大隊と他の大隊との軋轢が深刻らしい。
「俺に人の上に立つ器量はなかったようだ」
ぽつりとどこか荒んだ気配を漂わせたカールーンが呟いた。
横にいたスライも顔色が可笑しい。
「大隊長の推薦で入る予定だった従卒が何人か辞退してきたのさ」
「まあ、そんなこともあるだろうな」
大隊長の推薦を受けるからにはそれなりに有望なのだろう。珍しいこともあると思って聞いていた。
「……近衛大隊に入るつもりのようだ」
「!……いやまだ受け入れられる状態では」
人員の配置や慣れない王都の警護で従卒の訓練など出来る状態ではない。
「ナイジェル部隊長が礼装でここから去っていっただろう。それがエルギンの市民に焼き付いてしまったようだ」
守護天使が去っていくように見えたと噂する者が多い。
「ジハンギル、オグズの居住地を通って行くなら、族長に会って伝えてくれないか。今のエルギンはオグズにとって居心地が悪いとな」
「承知しました」
カールーンが言うからには相当なのだろう。
まったく喋ろうともしないスライが気になりながらも、ヤムリカの居住地に向かった。
ナイジェルの部屋で何が起こっていたかは、流石に察せられただろうから。
あの後二人で抱き合って眠った後、朝には部屋の入口に二人の着替えがそっと置かれていたことも何とも居た堪れない。
「ナイジェル、羊肉の茹で具合はどうかしら」
「……丁度いいです」
「そう、アナイリンも果実水を飲んで頂戴。朝庭で獲れたばかりの檸檬なのよ」
「……はい」
機械的に食事を口に運びながら、気まずい雰囲気の中途切れがちな会話を交わす。
「ナイジェル様、ベルナルド様がお出でですが」
家令が居間に入って来て、ベルナルドの訪れを伝える。
「わかった」
食事を終えて、立ち上がったナイジェルをアイーシャは見上げていた。
「ナイジェル、あのね」
「養母上、昨日はすみませんでした。……俺の態度が父さんや母さんにああいう振る舞いを許していたんだと思います」
「いいえ、私もそれを許していたのよ。ナイジェルに嫌われたくなかったから」
「俺は今まで一度として、養母上や養父上を嫌ったことはありませんよ」
「そう……そうね、貴方はそういう子だったわ」
面映ゆそうに笑うナイジェルにつられてアイーシャも笑う。
部隊長の軍装に着替え、外に出ると表広間にベルナルドが立っていた。
「行ってらっしゃいませ、ナイジェル様」
アナイリンとアイーシャもナイジェルを見送る。
アナイリンに見送られることに照れがあるのか、少しだけ眩しそうな表情をする。
ベルナルドはナイジェルの表情にホッとしていた。
「部隊長、バハディル大隊長が騎兵とその家族を連れて、今日を到着するとのことです」
「そうか、バハディルも疲れているだろうが、皆を練兵場に集めるように言ってくれ」
「承知いたしました」
練兵場に三百人の騎兵が集まった。
「バハディル、皆も遠路ご苦労だったな」
「いえ、何ほどのこともございません」
そう言って、バハディルが丁寧に頭を下げる。
「皆に言っておくことがある」
改まったナイジェルの声に自然と皆姿勢を正す。
「ここはエルギンとは違う。エルギンの市民は辺境防備隊に敬意を払っていた。だが、王都の市民は近衛大隊に敬意を払わない。むしろ、嫌悪感さえ抱いている。新しい部隊と言っても、同じものだと思っている。我らの一挙手一投足が見られている。守るべき市民に敵視されるのは辛いことだと思う。だが、堪えて欲しい。いずれ認められる日も来るだろう。我らの敵はフェルガナ帝国だけではない。王家と王国の民に仇なす者全てだ!」
『はっ』
真剣な表情を応じる騎兵たちを満足そうに見渡すとナイジェルは零れるよう笑みを浮かべる。
前列でそれを目の当たりにした小隊長以上の者は陶然と見惚れていた。
「バハディル、済まないが、小隊長以上の者を広間に来させるように」
「は、はい」
ぼうっと見惚れていたバハディルは我に返ると慌てて返事をする。
「カーマーゼン辺境伯がですか?」
バハディルは信じがたい様子で、顔を顰めている。
この事は口外を禁ずると前置きして、先日起こったことを詳しく話した。ヘレナ王女が精霊に憑りつかれていたことは原因不明の病と言うことにしたが。
「王太子殿下も懸念されている。カーマーゼンは辺境防備隊の中でも外敵らしい外敵がいないからな。やろうと思えばできなくもない」
「そうですな、対抗したくとも、近衛大隊右翼と左翼の二千の騎兵では捨て駒にすらなりますまい」
「烏合の衆も良い所ですからね。王都を攻められたら、真っ先に逃げ出すんじゃないんですか?」
グラントとベルナルドはかつて所属していただけにより辛辣だ。
ナイジェルは溜息をついた。
「王太子殿下を守るだけなら、今でも可能だろう。だが、それだけだ」
その時はナイジェルが最後の盾となるのだろう。
静かな笑みを浮かべる姿にナイジェルの覚悟が伺える。
主君を守るために命すら捨てる覚悟を。
その姿を目にして、顔色が変わる。
バハディルが真剣な表情で手を上げる。
「ナイジェル部隊長、一つご提案がございます」
「なんだ?」
「ヤムリカの者たちを近衛大隊に入れてはいかがでしょう?」
「ヤムリカとはあの遊牧民の?」
ナイジェルが首を捻りながら問い質す。
「無理だ、あいつらが誰かに従う訳がない」
そう言ったのはジハンギルだった。
「確かに馬術と弓術はずば抜けている。だが、部族長以外には従わない連中だ」
「エルギンにもヤムリカの者はいないな。何故そんな提案をバハディル大隊長?」
そう聞いたのはブレンドンだった。
「……ヤムリカはアジメール王家の血筋には敬意を持っております。今であれば説得できるのではと考えました」
「そんな話は聞いたことがない」
ジハンギルが納得できないのか眉を顰める。
「アジメール王家設立以前の話だからな。ヤムリカは今も昔もフェルガナに近い場所に住み遊牧で生活を営んでいた。帝国からすれば、蔑みの対象。碌な税を納めることも出来ない者など、擁護する者などいなかった。戯れで竜騎士たちの狩りの獲物になり、老若男女問わず、数十人単位で狩り獲られることもしばしばだった。それを止めたのはアクサル・クベンタエ卿。初代国王の正妃マヌラ様のお父上だ。アクサル卿の庇護下に入ることで、ヤムリカは生き延びることが出来た。マヌラ様がこの国に逃れるのも手助けしている。アジメール王家に流れる血に恩義が有る筈だ」
「よく知っているな」
不思議そうにナイジェルは首を捻る。
「我がラスロ家もマヌラ様と一緒にこの国に逃れてきましたので。この事を知る者は少ないでしょう。何しろアクサル卿は勅命により当時の選帝侯だった竜騎士をすべて討ち取ったそうです。アクサル卿もその戦いで亡くなられましたが。アクサル・クベンタエ卿の名はフェルガナ帝国の支配階級では禁忌であると共に恐怖の対象なのです」
「わかったが、何百年も前の話だろう? 今のヤムリカがアジメール王家に対して恩義を感じているとは思えないが」
「……」
「ですが、試してみても良いのではありませんかな。失敗したとて問題はありますまい」
そう擁護したのはグラントだった。
「そうだな、バハディル頼めるか?」
「はい、ジハンギル中隊長も同行させたいのですが」
ジハンギルは無言で頷き、了承の意志を伝える。
いくつかの事務的な確認を行い、解散となった。
出て行くナイジェルの後姿を見ながら、グラントはその場に残ったバハディルに問いかける。
「ヤムリカを今なら説得できると言いましたな」
「……彼らは勇敢な死を迎えた者は神の祝福を受け、いずれ蘇るという死生観を持っている。待っているのだよ、主の帰還を」
「ローク殿下がアクサル卿の生まれ変わりだと?」
「……アクサル卿は双剣の使い手だった。並ぶ者のいない剣技を誇ったという」
その場に残っていたのはジハンギルとブレンドン、スィムナールだったがグラントと同様に息を呑んだ。
「だが、部隊長は王家の者では」
「部隊長の母上のセリーナ殿は王宮に努める女官だった。当時、王宮には公に出来ない妾腹の王子が居たそうだ。十二歳になっても言葉を喋ることも理解することもできず、生まれたばかりの幼子のようだったそうだ。この王子はセリーナ殿が王宮を辞した後亡くなった。酒をまったく受け付けない体質だったようで、戯れに呑んだ酒杯を飲み干すと痙攣して亡くなったそうだ。王家にとって瑕疵と言っていい妾腹の王子だからいい厄介払いだったろうな」
呆然とバハディルの言葉に聞き入っていたグラントはごくりと唾を呑み込んだ。
「……部隊長にその事は」
「証言できる者はすべて亡くなっている。状況証拠しかないからな。セリーナ殿とその王子の間で何があったのか知る者はいない。この話も当時王妃付きの女官だった親族が今際の際に話してくれた。……何しろその王子はロクな世話もされず、放置されていたのだとか。ローク殿下とメルヴィン王子が生まれて、権力闘争が激しかったからな。目障りだったのだろう。食事すらまともに世話されず、セリーナ殿はこの王子にひどく同情的だったそうだ。亡くなったのもセリーナ殿がいなくなり、目を掛ける者がいなくなったことが原因ではと言っていた」
シンと静まり返った。
「気分が悪くなるような話だな」
ブレンドンがそう嘆息する。
「ヤムリカが説得できるかは五分五分だが、……少なくともナイジェル部隊長はヤムリカにとっても仕え甲斐のある主だと思うがな」
「それは否定しない」
「とんでもない無茶ぶりをするけどな」
お道化た様にスィムナールが肩を竦める。
「出来ない者に部隊長はそんなことはしないさ。……二度と視界に入らなくなるだけだ」
ブレンドンが静かに笑った。
ナイジェルは真面目に働く者、有能な者は身分の上下、職業にかかわらず、一度会っただけの人物でもよく覚えている。
だがそうでない者は、驚くほどあっさり忘れ去ってしまう。
嫌がらせされていた同期の者たちもあっさり忘れていた。
小隊長に昇進した時、馴れ馴れしく話しかけてきていた同期を「誰だ?」と不思議そうに首を捻っていたのにはブレンドンも驚いた。
顔を蒼褪めさせて、背中を丸めて去って行く姿は自業自得とはいえ憐れだった。
スィムナールとバハディルは神妙に頷いている。
ナイジェルの許可を得て、バハディルはジハンギルと数騎の騎兵を伴ってヤムリカの居住地に向かった。
途中、再びエルギンを訪れた。
あれから数ヶ月しかたっていないのに状況は目に見えて悪くなっているようだ。
バスターにも面会したが、どこか覇気がない。
カーディルも難しい顔でナイジェルの近況を聞いてきた。特にロークとの関係だった。
ロークとの関係は良好で、王家を守るほどの兵力を持てない現状を打開したいと考えている事を話すと酷く残念そうな顔をした。
第三大隊と他の大隊との軋轢が深刻らしい。
「俺に人の上に立つ器量はなかったようだ」
ぽつりとどこか荒んだ気配を漂わせたカールーンが呟いた。
横にいたスライも顔色が可笑しい。
「大隊長の推薦で入る予定だった従卒が何人か辞退してきたのさ」
「まあ、そんなこともあるだろうな」
大隊長の推薦を受けるからにはそれなりに有望なのだろう。珍しいこともあると思って聞いていた。
「……近衛大隊に入るつもりのようだ」
「!……いやまだ受け入れられる状態では」
人員の配置や慣れない王都の警護で従卒の訓練など出来る状態ではない。
「ナイジェル部隊長が礼装でここから去っていっただろう。それがエルギンの市民に焼き付いてしまったようだ」
守護天使が去っていくように見えたと噂する者が多い。
「ジハンギル、オグズの居住地を通って行くなら、族長に会って伝えてくれないか。今のエルギンはオグズにとって居心地が悪いとな」
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