どうしても、あなたの犬になりたい! 美貌の王子が溺愛したのは、内気な落ちこぼれ令嬢でした。

湖宮つばめ

文字の大きさ
20 / 43
第三章

19

しおりを挟む

 ▼△▼

 エスメは私室の鏡台の前で、はぁ、と息を零した。
(外で、あんな乱れるなんて。信じられません)
 ふとしたとき、数日前、薔薇園での出来事を思い出してしまう。
 あやうくフレアに見つかるところだった。
 それなのに、あのときのエスメは、そんな危機感すらも悦んでいたような気がする。
「溜息などつかれて、どうされましたか?」
 エスメの髪を櫛で梳いていた侍女のマリーが、心配そうに聞いてくる。
 午後から外出の用事があるため、今日はマリーが仕度を手伝ってくれていた。
 いつもは出かけるための支度もほとんど一人で済ませてしまうのだが、今日の外出は、世話になっている大叔父のところを訪ねるものだ。
 大叔父は気にしないかもしれないが、身なりで失礼があってはならない。
「マリー。ごめんなさい、何でもないの」
「何でもない、ということはないかと。婿様にいじめられましたか?」
「いいえ! グレイ様は、とてもお優しいから」
「優しいんですか? ……毎晩、盛っているようなお人が。高貴な方って、夜は淡泊なものかと思っていました」
 侍女のマリーの言葉に、エスメは、びくん、と肩を揺らした。
「ま、マリー?」
「あんなに初心で控えめだったエスメ様を、こんなに変えてしまうなんて。見てください、鏡を。以前とぜんぜん違いますよ」
 そう言われても、鏡に映っているエスメは以前と変わらない。
 垂れ目で頬にそばかすの散った、自信のなさそうな地味な女だ。
 だが、マリーが以前と違うというのなら、何か違うところがあるのだろう。良い意味ではなく、悪い意味で。
「そ、それは。以前と違って、はしたない、という意味でしょうか? そう見えますか?」
 マリーは眉をひそめる。
「はあ? そんなこと言っていませんよ。エスメ様、そういう卑屈なところが良くないかと。フレア様くらい胸を張ってくださいよ、自信満々に」
「……フレアは特別でしょう?」
「フレア様が特別なことは否定しませんけど、エスメ様にはエスメ様の良さがあること、このマリーは良く知っていますよ」
「ありがとう。あなたは本当、小さい頃から良く仕えてくれて。私、あなたを侍女にできて、幸せ者よ。フレアもきっとそう思っているでしょう」
 マリーは溜息をついた。
「幸せ者は、こちらの方なんですけどね。わたしみたいな孤児を取り立てて、自分たちの側仕えの侍女に推薦するのなんて、エスメ様くらいですよ」
「そんなことないわ。あなたのことを侍女にしたい、と思う方は、たくさんいるはずよ。マリーは素晴らしい侍女だもの」
「……フレア様のお気持ちが、少し分かりました。エスメ様は褒め上手だから困りますね。……少し窓をお開けしてもよろしいですか?」
 マリーは照れ隠しのように、そう言った。
「どうぞ。今日は風が気持ちいいでしょうから」
 マリーが窓を開けると、部屋のなかに心地よい風が吹く。
「薔薇姫のうわさ、本当だったのですね」
 ふと、聞こえてきたのは、男の声だった。
 館の使用人の声ではないから、誰の声だろう、とエスメは思う。
(薔薇姫。フレアのことですね)
 オルコットの薔薇姫。
 真っ赤な薔薇のような髪を持っているフレアにふさわしい呼び名である。
 王都の社交界には顔を出したことがないものの、フレアは、すでに貴族のうわさにのぼるくらい有名なのだ。
 あのゲームの開始後、フレアが王都に行ってからも、ことあるごとにオルコットの薔薇姫という呼び名は言及される。
「薔薇姫のうわさが、本当、というのは? どういう意味だ?」
 知らない男に応えたのは、グレイの声だった。
(相手は、グレイ様を訪ねてきた王城からの遣いの方でしょうか?)
 王城からの遣いとグレイが話しているらしい。
 おそらく、隣の部屋からの声だ。もともとは使っていない部屋だったのだが、グレイの婿入りに合わせて、彼の私室として整えている。
 声が聞こえるということは、隣室も、きっと窓を開けているのだろう。
「オルコット領には、赤い髪の御令嬢がいる。特別な、女神の加護を持っている娘」
「ああ。そこにいるだけで、他の女神の加護持ちの力を強める、という、あれのことか。たしかに珍しいな。建国以来、そのような加護持ちはいなかった」
「そうです。それに、あれほど美しい御令嬢は、王都でも見たことがありません。まさしく、薔薇姫ですね。辺境伯は、御令嬢がたを王都の社交界には連れていらっしゃらなかったので、はじめてお目にかかりましたが」
「娘たちに悪い虫がつくことを恐れたのだろう。辺境伯からしたら、そちらの方が困ったことになったはずだからな」
「そうこうしているうちに、十九でしょう。嫁ぎ遅れと言われるような年齢ですよ。薔薇姫の美貌なら、相手には困らないでしょうが」
「フレア嬢の性格を知ると、薔薇姫というのは似合わない。そうだな、さながら灼熱の炎のようだから、灼熱姫、というのは、どうだろうか?」
「御令嬢につける名前ではありませんね。――実際のところは、どうなのですか? 王太子殿下」
「もう殿下ではない」
「殿下ですよ、我々にとっては。婿入りと言いますから、その薔薇姫がお相手かと思ったのに、お相手は何の力もない薔薇姫の姉君ということではありませんか。本当の狙いは、薔薇姫の方だったのではありませんか?」
「マリー。窓を閉めてください」
 そこから先を聞きたくなくて、エスメはそう言ってしまった。
 マリーは慌てた様子で窓を閉める。
「え、エスメ様! 何も気にされる必要はありませんからね。グレイ様は、エスメ様しか眼中にないわけで……」
「フレアを前にしたら、皆、フレアを好きになるもの。……卑屈になっているのではないのです。事実として、私も、そう思います。マリー。少し一人にしてください。仕度を手伝ってくださり、ありがとうございます」
「でも」
「今日は、たしかフレアも外出の予定があったはずよ。街に出る、と言っていったの。あの子、きっとドレスに迷っているだろうから、手伝ってあげて」
「……分かりました。失礼します」
 一人きりになって、エスメはうつむく。
(そうですよね。誰だって、私よりもフレアが良いに決まっています)
 オルコットの薔薇姫。
 小さなときから、美しい令嬢として有名だったフレア。
 それに加えて、女神の加護を与えられなかったエスメとは違って、特別、女神から愛されてもいる。
 今までだって、いつも誰かに選ばれるのはフレアだった。
 グレイだって、その誰かと同じなのではないか。
 そもそも、グレイは乙女ゲームの攻略対象――フレアのためのヒーローの一人だったのだから。
(でも。……でも、あんなに好きだって、愛しているって、言ってくれる人を疑うなんて)
 疑いたくないのに、いつまでも疑ってしまう。
 エスメは、そんな自分の心の卑しさが嫌いだった。
 しばらく、エスメは動けなかった。
 ぼうっとしているうちに、気づいたら、ずいぶん時間が経っていたようだ。
(あまり、ぼうっとしていたらダメ。大叔父様のところに伺わないと。この冬の雪害対策について、ご相談する予定があるのですから)
 大叔父は、父を喪ったエスメとフレアの後見してくれた人だ。
 自分はもう高齢だから、と表には出てこないのだが、領主であった父が存命の頃から、いろいろと良くしてくれた親類だった。
 エスメの婿についても親族から候補を見繕ってくれていたのだが、グレイの婿入りで、そのあたりは白紙になった。
(大叔父様には、婿のことについても、あらためて謝罪もしないと)
 そろそろ出なければ、と思ったとき、ふと、エスメは窓の外を見た。
 門のところに、オルコット家の馬車が停まっている。
(ああ。これから、フレアが街に出るから……)
 そう思ったエスメは、目を見開く。
 停まっていた馬車が動きはじめる。
 一瞬、その窓から見えたのは。
(グレイ様と。フレア?)
 グレイの横顔と、わずかに見えた真っ赤な髪。
 その鮮烈な赤髪を、見間違えるはずがなかった。
 生まれたときから一緒にいた妹のことなのだから。
(どうして、ふたりが一緒に?)
 頭のなかに浮かんだのは、ゲームで知っているグレイとフレアの話だ。
 城下街でばったり出逢ったことをきっかけに、二人は何度も街での逢瀬を重ねる。ここは王都ではないが、これから二人で街を歩くならば、ゲーム内のシーンと似ている。
 前世の記憶があるから、エスメの頭は、そうやって重ねてしまう。
 きゅう、と、エスメの胸は締めつけられた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】異世界に転移しましたら、四人の夫に溺愛されることになりました(笑)

かのん
恋愛
 気が付けば、喧騒など全く聞こえない、鳥のさえずりが穏やかに聞こえる森にいました。  わぁ、こんな静かなところ初めて~なんて、のんびりしていたら、目の前に麗しの美形達が現れて・・・  これは、女性が少ない世界に転移した二十九歳独身女性が、あれよあれよという間に精霊の愛し子として囲われ、いつのまにか四人の男性と結婚し、あれよあれよという間に溺愛される物語。 あっさりめのお話です。それでもよろしければどうぞ! 本日だけ、二話更新。毎日朝10時に更新します。 完結しておりますので、安心してお読みください。

人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている

井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。 それはもう深く愛していた。 変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。 これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。 全3章、1日1章更新、完結済 ※特に物語と言う物語はありません ※オチもありません ※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。 ※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。

私は5歳で4人の許嫁になりました【完結】

Lynx🐈‍⬛
恋愛
 ナターシャは公爵家の令嬢として産まれ、5歳の誕生日に、顔も名前も知らない、爵位も不明な男の許嫁にさせられた。  それからというものの、公爵令嬢として恥ずかしくないように育てられる。  14歳になった頃、お行儀見習いと称し、王宮に上がる事になったナターシャは、そこで4人の皇子と出会う。 皇太子リュカリオン【リュカ】、第二皇子トーマス、第三皇子タイタス、第四皇子コリン。 この4人の誰かと結婚をする事になったナターシャは誰と結婚するのか………。 ※Hシーンは終盤しかありません。 ※この話は4部作で予定しています。 【私が欲しいのはこの皇子】 【誰が叔父様の側室になんてなるもんか!】 【放浪の花嫁】 本編は99話迄です。 番外編1話アリ。 ※全ての話を公開後、【私を奪いに来るんじゃない!】を一気公開する予定です。

義兄に甘えまくっていたらいつの間にか執着されまくっていた話

よしゆき
恋愛
乙女ゲームのヒロインに意地悪をする攻略対象者のユリウスの義妹、マリナに転生した。大好きな推しであるユリウスと自分が結ばれることはない。ならば義妹として目一杯甘えまくって楽しもうと考えたのだが、気づけばユリウスにめちゃくちゃ執着されていた話。 「義兄に嫌われようとした行動が裏目に出て逆に執着されることになった話」のifストーリーですが繋がりはなにもありません。

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

巨乳令嬢は男装して騎士団に入隊するけど、何故か騎士団長に目をつけられた

狭山雪菜
恋愛
ラクマ王国は昔から貴族以上の18歳から20歳までの子息に騎士団に短期入団する事を義務付けている いつしか時の流れが次第に短期入団を終わらせれば、成人とみなされる事に変わっていった そんなことで、我がサハラ男爵家も例外ではなく長男のマルキ・サハラも騎士団に入団する日が近づきみんな浮き立っていた しかし、入団前日になり置き手紙ひとつ残し姿を消した長男に男爵家当主は苦悩の末、苦肉の策を家族に伝え他言無用で使用人にも箝口令を敷いた 当日入団したのは、男装した年子の妹、ハルキ・サハラだった この作品は「小説家になろう」にも掲載しております。

兄様達の愛が止まりません!

恋愛
五歳の時、私と兄は父の兄である叔父に助けられた。 そう、私達の両親がニ歳の時事故で亡くなった途端、親類に屋敷を乗っ取られて、離れに閉じ込められた。 屋敷に勤めてくれていた者達はほぼ全員解雇され、一部残された者が密かに私達を庇ってくれていたのだ。 やがて、領内や屋敷周辺に魔物や魔獣被害が出だし、私と兄、そして唯一の保護をしてくれた侍女のみとなり、死の危険性があると心配した者が叔父に助けを求めてくれた。 無事に保護された私達は、叔父が全力で守るからと連れ出し、養子にしてくれたのだ。 叔父の家には二人の兄がいた。 そこで、私は思い出したんだ。双子の兄が時折話していた不思議な話と、何故か自分に映像に流れて来た不思議な世界を、そして、私は…

男嫌いな王女と、帰ってきた筆頭魔術師様の『執着的指導』 ~魔道具は大人の玩具じゃありません~

花虎
恋愛
魔術大国カリューノスの現国王の末っ子である第一王女エレノアは、その見た目から妖精姫と呼ばれ、可愛がられていた。  だが、10歳の頃男の家庭教師に誘拐されかけたことをきっかけに大人の男嫌いとなってしまう。そんなエレノアの遊び相手として送り込まれた美少女がいた。……けれどその正体は、兄王子の親友だった。  エレノアは彼を気に入り、嫌がるのもかまわずいたずらまがいにちょっかいをかけていた。けれど、いつの間にか彼はエレノアの前から去り、エレノアも誘拐の恐ろしい記憶を封印すると共に少年を忘れていく。  そんなエレノアの前に、可愛がっていた男の子が八年越しに大人になって再び現れた。 「やっと、あなたに復讐できる」 歪んだ復讐心と執着で魔道具を使ってエレノアに快楽責めを仕掛けてくる美形の宮廷魔術師リアン。  彼の真意は一体どこにあるのか……わからないままエレノアは彼に惹かれていく。 過去の出来事で男嫌いとなり引きこもりになってしまった王女(18)×王女に執着するヤンデレ天才宮廷魔術師(21)のラブコメです。 ※ムーンライトノベルにも掲載しております。

処理中です...