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二章

父方の親戚

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「ピンポーン」

 奥野がインターホンを鳴らすのを眺めながら、花耶は忘れていた緊張が一気に戻ってきたのを感じた。第一印象が大事だと思いながらも、上手く笑みを浮かべる事が出来るかと不安になった。元々人と接するのが苦手な花耶は、初対面でしかも奥野の祖父母と言う最高に気を遣う相手との対面に胃が痛くなる思いだった。そんな花耶に奥野は、大丈夫だから、と優しく囁き、握った手に少しだけ力を込めた。些細な事だったが、そんな優しさに花耶は奥野への想いを改めて強めた。

 程なくして立派な四枚建の引き戸の扉が開くと、奥からは上品そうな老婦人が現れ、その後ろに何人もの男女の姿が続いて現れ、花耶を再び驚かせた。確かに車が何台かあったが、こんなに人が集まるとは聞いていなかったからだ。

「ばあちゃん、新年おめでとう。久しぶり」
「まぁ、透君、ようこそいらっしゃい。待っていたわ」
「透夜、来たのか」
「まぁ、透ちゃん?久しぶりね」

 戸惑う花耶をよそに、にこやかに微笑む老婦人は目を細めて奥野を見上げ、それに続くように奥から次々と声をかけられた奥野は懐かしそうにそれぞれに言葉を返していた。どうやら花耶が思った以上に奥野と父方の親戚との仲は良好らしく、奥野の表情は母親に対する時に比べ違いがはっきりわかるほどに柔らかかった。その様子に花耶は、少しだけ緊張が薄れるのを感じた。

「玄関で立ち話もなんだから、まずは上がって。ここは寒いわ」

 祖母にそう告げられて、花耶は二人分の荷物を抱えた奥野の手に引かれて家の中へと案内された。こんな時まで手を繋ぐのはやめて欲しいと思うのだが、それを奥野に告げるタイミングは花耶には与えられなかった。周りもそんな奥野の態度に驚きの表情を浮かべていて視線が痛いし、家の中は外見同様立派で、気後れした花耶の足取りは重かった。

 通された部屋は花耶のアパートの部屋がすっぽり入りそうな和室が二間続き、その中に十人ほどが集まっていた。片方の部屋には大きなテーブルがあり、花耶はそこに奥野と並んで座り、反対側には先ほどの老婦人と、その連れ合いとみられる男性が座っていて、その周りを囲むように人々が四人の様子を見守っていた。人慣れしない花耶はそれだけの人数でも強いプレッシャーを感じ、寒い筈なのに嫌な汗が流れそうに感じた。

「改めて紹介します。三原花耶さん。俺の会社の後輩で恋人で、結婚するつもりです」
「初めまして、三原花耶です。ど…どうぞよろしくお願いします。それから…あの…あけましておめでとうございます」

 奥野は身内相手ではあったが、改まった態度で花耶を紹介したため、花耶も居住まいを正して挨拶をした。こんなに大人数の前で紹介されるとは思っていなかったため、緊張で事前に考えていた挨拶の言葉がすっかり飛んでしまい、無難で最低限の事しか言えなかった。大勢の視線が痛くて緊張で心臓が飛び出しそうだし、声が上ずってしまったようにも感じる。拙い挨拶にがっかりされてしまったのではないかと、花耶の心は大荒れだった。

「初めまして、透夜の祖母です。隣にいるのは私の夫で祖父よ。それから…」

 そう言って祖母は、次々と周りにいる親族を紹介していった。集まっていたのは奥野の父親の兄夫婦とその子の家族、そして父親の妹夫婦だった。緊張の極みにいた花耶の頭には殆ど入らなかったが、それでも一人一人に向き合って会釈を繰り返した。幸いにも花耶に対してマイナスの感情を向ける人はいないように感じられ、それが花耶の緊張を大きく解した。

「若いのにしっかりしたお嬢さんで安心したわ~」
「本当に。初々しくて可愛いわぁ」
「透夜ちゃんと並ぶと、美少女と野獣ね~」
「あのクールと言われた透夜が…人間変わるもんだなぁ…」

 一通り挨拶が終わると、一気に話しかけられて花耶は面食らった。奥野の事をちゃんや君付で呼ぶのも驚きだったが、奥野は苦笑を浮かべるばかりで何も言わないところから、昔からの習慣が抜けないのだろうと思われた。
 急に押しかけてどんな反応をされるかと不安でいっぱいだった花耶だが、幸いにも父方の親戚は歓迎ムードで、早くも結婚式はいつだ、どこでするのかと質問されてしまった。まだそこまでは…と思っていた花耶だったが、奥野は花耶に意味深な流し目を送りながら、俺は今すぐでも構わないんだがな…などと言い出して花耶を慌てさせた。みんなの視線が自分に集まってしまい、花耶は別の意味で居心地が悪くなったが、一方で望まれている事は嬉しかった。
 ただ、自分の事をどこまで奥野が話しているのかがわからず、花耶はこの歓迎を手放しでは喜べなかった。花耶を歓迎しているのは普通の家庭の出だと思っているからで、本当の事を知ったらがっかりされて反対されるのではないだろうか…その思いはどうしても拭えずにいた。



「それにしても、絹代さんにも困ったわね…」
「全く…透夜ちゃんには結婚したい子がいるのに…」

 奥野の母親への呆れを隠そうともしなかったのは、祖母と奥野の父親の妹に当たる叔母だった。今テーブルを囲んでいるのは奥野と花耶、祖父母と伯父と叔母で、それ以外は子供たちの相手をしたり、テレビを見ていたりしたが、会話には耳を傾けている事が感じられた。みな、母親の計画には反対で、今日は奥野と花耶の結婚宣言に協力してくれると言ってくれたため、花耶の緊張と不安は大きく減っていた。

 奥野はその場で、先ほどの誠司の店で聞いた久美の件を話した。さすがにこの話は誰も知らなかったようで、一様に驚きを表していた。奥野も不倫の末に会社を首になった久美との結婚を押し通そうとする母親への不信感が募ったが、どうしてそこまで久美に肩入れするのかがわからず、困惑していた。

「いくら絹代さんでも、不倫した子と息子を結婚させるなんて…」
「もしかして…絹代さんは知らないとか?」
「まぁ、可能性はあるわね。久美さんの事はよく知らないけど…不倫する子なら黙っていても不思議じゃないし」
「それにしても、絹代さんがそこまで結婚させたい理由って何かしらね?」
「俺も…ばあちゃんと同じだ。母さんがそこまでこだわる意味が分からない」

 祖母がやっぱりわからないと言い、奥野も母親の真意がわからずに困惑を隠せなかった。就職した直後ならまだしも、その後はそんな素振りはなかったからだ。

「…経済的に厳しいから、じゃない?」

 奥野と祖母がその理由についてこれといった答えが見つけ出せないでいると、奥野の叔母がもしかしたら…と言った風にそう切り出した。奥野がどういう事かと叔母に尋ねると、叔母は母親の実家の事情を話し始めた。

 奥野の母親の絹代の実家は、元々祖父母と長男夫婦が同居していたと言う。そこに十年ほど前、久美の母親が離婚して久美を連れて帰ってきた。元々祖母と長男の妻との関係は微妙だったのだが、そこに小姑に当たる久美の母親が加わった事で状況は一転した。生活費も入れずに我が物顔で振舞う久美母子と、何かと二人を庇う祖母に、長男の堪忍袋の緒が切れて出て行ってしまった。
 家には祖父母と久美の母親と久美が残されたが、稼ぎ手の祖父が亡くなった事で、急に経済的に厳しくなったのだろう。祖母は体が弱っていると聞くし、久美の母もパートだ。久美は先月会社を首になったばかりで、今は不倫相手の妻から慰謝料を請求されていると言う。経済的な問題を解決するためには久美を稼ぎのいい男性と結婚させるのが一番だ。だが、不倫の事もあって地元では相手を見つけるのは難しい。そこへいいタイミングで現れたのが奥野だった。母親にしてみれば、息子が地元に戻ってくるうえに、母も妹も奥野の稼ぎで養って貰えて安泰だ。両者の利害が一致したのだろう…

 叔母にそう言われた奥野は、額に手を当てると深く長いため息をついた。確かに久美と奥野が結婚すれば、母親とその妹、久美にそれぞれ大きなメリットがある。仮に奥野が会社を辞めて地元に戻ったとしても、奥野ほど優秀なら再就職先も何とかなると踏んでいるのだろう。

「全く…ハイエナみたいな奴らだな…」
「まぁ、自分は働かずに楽したい人達だからね」

 奥野のつぶやきに、叔母は容赦なく母親の実家を断じた。どうやら叔母は奥野の母親の実家の事情に詳しいらしが、あまりいい印象を持っていないらしい。

「ふざけた事を…それなら…こっちも好きにさせて貰ってもいいよな」
「そういう事。ガツンとやってやんなさい。遠慮はいらないわ」
「まぁ…でも、やり過ぎはよくないわ」
「でも止めないわよね、お母さん」

 暫くの間、考え込んでいた奥野だったが、顔を上げた時には顔に笑みさえ浮かべていた。すっきりした表情に花耶は、長い溜息と一緒に色んなものを吐き出して、何かしらの決心がついたように見えた。奥野の言葉に待っていましたとばかりに叔母が笑い、祖母は言葉ではたしなめていたが、笑顔の下ではしっかり怒っている事が感じられた。二人とも、奥野の事を心配してくれているのだと感じられて、花耶の心にまでじんわりと暖かいものが広がった。

 奥野は祖母とさっさと段取りをまとめてしまい、花耶はそれを眺めているしかなかった。こちらに土地勘もなければ知り合いもいないのだから仕方がない。ただ、奥野の表情が明るさを取り戻し、生き生きしているように見えた事に花耶には安堵した。どんな事でも、奥野が自分の望むようにしてくれたらいいと思った。
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