竜と王冠のサクリファイス~乙女ゲームの攻略キャラたちがお互いを攻略して王都炎上?

浅草ゆうひ

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8、夏の海底洞窟と罪人の流刑地編

95、チェスとサクリファイス

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 進む方向から、石鹸みたいな清らかな香りがする。

「それでね、お母様は地下室は入れないと仰るのよ。お父様と行ってらっしゃいって」
 歩くうちになんとなく始めた北の伯爵家での思い出話は、ネネツィカを懐かしく温かな気持ちにさせてくれた。
「地下室に魔法使いの杖はあったの?」
「なかったですわ!」
 少年が興味があると言った様子で聞き役に徹するので、ネネツィカは代わりの魔法使いの杖をティミオスと作った話もしてから、そちらの話も聞きたいわと言ってみた。

「ぼくの話より、迷路の終わりだよ」
 クレイがゆるゆると示す右の道の先には、拓けた空間が見えていた。南西側の通路出口から四角い空間に足を踏み入れた形の二人は、興味津々でスペースを見渡した。

 二階建てほどの高さの物見やぐらが南北に二つ。二つに挟まれ、見下ろされる位置に小ステージめいた四角い遊戯盤が置かれている。明色と暗色の正方形のマスが交互に縦横並ぶ遊戯盤には、北に黒色、南に白色の人間の子どもほどのサイズの駒が生き物のようにそわそわしながら並んでいた。チェスだね、とクレイが面白そうに呟いた。
「駒が生き物みたい。これ、妖精?」
 しげしげと眺めたり、つついたりしていると遊戯盤の北側の黒駒がひとつ、まるで「早く始めろ」と言わんばかりにひょこりと2マス分、前に出てストップしてから元の位置に戻っていき、自分の位置で跳ねている。
「白い駒たちもぴょんぴょんしてますわよ。動かしてほしいみたい」
「何? これ……ゲームするの?」
 物見やぐらに登って手すりにつかまり見下ろして、好奇心を滲ませた少年の声が駒に降る。
「妖精がやってるの?」
「そうかもしれませんわ。試しに命令してみては?」
「ぼくがやっていいの?」
「ええ、どうぞ。騎士さまのお手並み拝見ですわ」
 ルールもあやしい、定石も知らない。そう目を逸らすネネツィカの隣でクレイは「ふーん」と首を傾げて、「白、e2歩兵はe4へ」と声を降らせた。
 e2のマスで待ちかねていた白の歩兵駒が嬉しそうにぽんと跳ねて、e4のマスに出た。やぐらの上で「動いた」という声が綺麗に揃って、ゲームが始まった。黒の歩兵がまっすぐにe5に直進して止まる。
「f2歩兵、f4へ」
 ぴょこりひょこりと動く駒を見ているのは面白いが、ネネツィカには何をしているかはよくわからない。ただ、e5にいた黒の歩兵が入れ替わるみたいに斜め前のf4に進んで、そこにいた白の歩兵が盤外に転がっていき、仲間を応援するみたいに中を見つめている姿はちょっとかわいいと思った。
「あら、駒が取られましたわね」
「きみ……このゲームあんまり知らないんだね」
 何かを察したように頷いて、クレイが「f1のビショップはc4へ」と指示を出す。白のビショップが斜めにすすっと走っていった。
「ユージェニーは、こういうゲームや呪術に凄く詳しくて、ぼくは劣等感を覚えたな……」
 しみじみとクレイが呟くから、ネネツィカは続きをねだった。自分が話したように、なんでもない家での思い出話をしてくれる――それを感じると、親しさが増すようで嬉しかった。

 黒のクイーンがh4に走り込んで、白のキングに圧をかけている。白のキングは一歩だけ右に逃れた。
「あの子は4、5歳の時にもう大人の知能があるって言われてた」
「ほぉん……ずるですわね」
 ユージェニーは異世界人の記憶があるのだから、と言いそうになってネネツィカは口を噤んだ。
「えっ、ずるではないよ?」
「……」
 b7の黒歩兵が元気よくb5に滑っていく。白のビショップが優雅にそれを成敗して、g8にいた黒ナイトがサッとf6に跳ぶ。すると対抗するようにg1にいた白ナイトがf3に駆けた。
「ぼくのお父様はその時、少し心を病んでいたようだけど、ユージェニーと会うと気分がよくなると笑って……」
「いまは健やかでいらっしゃると、お聞きしていますわ」
「うん」
 クレイは少し考える顔をして、「エリックは初めて会った時から、相手に合わせる感じだったよ」と話を変えた。h4に居座っていた黒のクイーンがh6にさがっていく。
 
「ぼく、エリックが守護竜を呼ぶのを何度も見たよ」
 そっと不思議な声でそれを打ち明ける少年の眼は、盤面をしずかに視てd2にいた白歩兵を一歩だけ前に歩かせた。f6にいた黒ナイトが、h5に移動すれば、f3にいた白ナイトが黒ナイトとにらみ合うみたいにh4に移る。

 ネネツィカは、噂を思い出していた。それを見透かしたみたいにクレイが肩を揺らす。黒のクイーンがg5にずれて黒ナイトと並んで白ナイトを脅かすので、白ナイトをf5に逃して。
「噂に怒ってくれてたね」
 そう言って、微笑む声には好意が燈っていた。

 c7にいた黒歩兵がc6に進んで、h1にいた白のルークは左に一歩ずれた。「守らないの?」と言わんばかりに黒の歩兵が白のビショップを取っている……「あら、やられています?」ネネツィカが思わず呟く。g2の白歩兵が勇気を出したように二歩前に進めば、歩兵に脅かされた黒のナイトが、f6にそそくさと逃げて行った。
「あの噂はさ、本当かも」
 h4へと白の歩兵がまっすぐ前進して、黒のクイーンも黒のナイトの隣へと一歩退く。ゲームの攻防も気になるが、それよりも告白にどきりとしてネネツィカは少年の横顔を見た。盤上ではh4の白歩兵が黒のクイーンに追撃するように一歩進んで、黒のクイーンは一歩前に出てその追撃から逃れている。白の駒たちが勢い付くようにその場でぴょんぴょん跳ねて――白のクイーンは悠々とf3に進んだ。睨まれた黒のナイトは、g8まで引っ込んで逃げてしまう。c1で見守っていた白のビショップは、楽しそうに自軍クイーンの真ん前のマスまで滑り込み、そこにいた黒の歩兵を退場させた。

「ぼくは守護竜アスライトの加護を持ってないんだ。お母様と血が繋がっていないのかも」
 ネネツィカは、相槌に詰まった。

 盤面でも、窮した黒のクイーンがf6に下がっていく。b1にいた白ナイトは、ここで勇ましくc3に跳んだ。b5にいる黒の歩兵がぎくりと身をこわばらせている。f8にいた黒のビショップがすっ飛んできて、c5に辿り着いた。
「呼んでも、竜が来たことなんてないし――」
 少年は淡々と言葉を紡いだ。「c3の白ナイトは、c5へ」そこは、逃亡した黒クイーンを次に獲れる位置だ。黒のクイーンはb2まで一気に駆け抜けた。もう、退くだけの戦いはしないと言うみたいに。黒のクイーンは「逃さないと次はルークを頂くわよ」といった顔でa1の白ルークを睨んでいる。

「なのに、お母様の子だ、加護があるって公爵家は言い張ってる。公の場で証拠を見せろと言えば、言い逃れできないと思うよ――でも、エリックはぼくが『呼べない』とわかっても、『仕方ないね』で済ませてくれたんだ」
 クレイの声色がそんなエリックに感謝するようだったから、ネネツィカは頷いた。頷いて、「ユージェニーも確か娘のフリをさせられていて、実の子ではないのでしたっけ? 公爵家ってウソばっかりなんですのね」と心の中で恐れ入った。

 f4にいた白ビショップがd6にするっと進んで、攻めていく。黒のクイーンは宣言通りにルークを倒してa1に辿り着き、f1にいる白のキングを睨んだ。
「おっと、エリックがピンチだよ」
 からかうように言って、クレイが白のキングをe2に避難させる。ネネツィカにはよくわからないが、c5にいた黒のビショップが苛烈に進軍し、g1の白ルークを倒したのはわかった。
「白はルークが二つ獲られたようですが」
 さっきは黒が逃げてばかりに思えたが、今度は白が取られてばかり? とネネツィカはソワソワした。

「うん、いいんだ」
 e4にいた白の歩兵が、ぴょこんと一歩前に出る。b8にいた黒のナイトがa6に走る中、f5で待機していた白のナイトも歩兵を倒しながらg7に進む。そこは、黒のキングを脅かす位置で――黒のキングはd8にずれて逃れた。
「クレイは、エリック様が好きですのね」
 それを言いたいのだろうと感じて口にすれば、少年はちょっと顔色を窺うような目を向けた。
「変な意味じゃなくて、ね」
「ええ、ええ」
「ほんとにわかってる……?」

 そんなやり取りの合間にも、白のクイーンがf6にしずしずと進み出て、再び黒のキングにチェックをかける。g8にいた黒のナイトが、自軍のキングを守るためにf6に跳び、白のクイーンを頂いた。
「あのう――クイーンまで、獲られてしまいましたけれど」
 気付けば、たくさん強い駒が取られている――ネネツィカは眉を寄せた。

「サクリファイスだよ」
 当たり前みたいにクレイが言って、d6にいた白のビショップをe7に進めた。
「これでチェックメイト」
 勝ったよ、と微笑む顔を見て、ネネツィカはよくわからない顔で拍手を贈ったのだった。
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