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終章・旅人の夜の詩
252(終)、星は流れて、夜光
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自分の心をそっくり移した少女が境界の向こうで執事と笑っている。その世界の住人として、少女の人生は続くのだ。
少女はそれに頷き、春に感謝を告げて帰っていく――夢から、現実へと。
◇◇◇
紅薔薇の群れから攫われるようにして、抱きかかえられたまま宵闇の庭園に連れられる。
天は凍て星も震えるように凄絶な深く濃い夜の色を魅せていて、人工の灯りに包まれ、夜風に揺れて織り成す緑と華花の彩が美しい。
躍る影は深墨色で、太古の昏さをふいに連想させるのだ。
そわそわと見ていると、『騎士王』は冬薔薇の震える茂みの傍に置かれた椅子へとクレイを座らせた。雪白の薔薇装飾が凝らされた椅子は可愛らしくて、すこし冷えているのが火照った身には心地よい。ニュクスフォス自身は椅子の前に膝をついて従者然とした顔で落ち着いていて、それに日常を感じてしまうのが倒錯的に思われる。
「あの星……」
クレイは異世界の名残にそっと声を向けた。共に見上げてくれるらしき気配があたたかい。
「あの星はもうじき流れてしまうよ、ニュクス」
――だから何、と言われると困るのだけど。
(僕は一応、この後も色々するつもりだったんだけどなあ)
「お前はいつも僕の盤面を乱す……」
柔い吐息を密やかに洩らしつつ、視線を移せば火の色纏う眼差しが長い睫毛に彩られて理知的な色を魅せていた。
「それは殿下が俺に何もご相談なさらぬゆえですが?」
その口ぶりは少し拗ねた風情で、なんだか子どもっぽい。それが愉しくて、クレイは微笑んだ。
「お互いに」
「さよう、さよう」
星が流れるより疾く、世界の変化など知らぬとばかりに青年の声が夜気を震わせ、口上を連ねる。
「いと佳麗なる大地の恵み、愛らしい菫毒、気高き月……俺のクレイ」
(何か始めたぞ)
何をなさるのだろうか、と見守るクレイの片手が取られる。指先を掬いあげるようにして、包みこむように何かが填められる――紅い夜を象徴するような大粒の宝石を煌めかせる、指輪だ。夜の世界に咲く赤色に目を奪われていると、青年は指輪を填めた指を褐色の指先で慈しむように撫でさすり、口上を続けるようだった。
「……」
指におさまる其れを意識して、熱を佩く指先の滑る感触を感じれば、頬がゆるゆるとして背がふわりと熱を帯び、胸で鼓動が踊るのがどうしようもない。
――ちょっと撫でられてここまで悦んでいて、僕は大丈夫なのだろうか。
(指輪というと特別な感じがしないかな、これ婚約指輪とかそういうやつかな)
浮かれた思考が止まらぬ耳に、声が届いている。
「信念に因り博愛の剣は冴えて怯まず」
(これは、あれだね! わかる、あれだね!)
クレイは胸を躍らせた。夜の色に染め上げられた『騎士』が裡に籠る熱を知らせるように白めく吐息を零して、美しく囀る。
「高潔な身は盾とならん」
明るく澄んだ双眸が星など知らんとばかりに『主』を見上げて、凛然と微笑んだ。
「礼節持ち此処に只人の私人は死して生涯の忠誠を誓わんと欲するものなり」
クレイは淡く微笑み、その双眸に映っている己を覗き込むようにして頷いた。
「夜の視座に騎士の戦歌と忠義を囀る様や佳し。僕はこれを好むものである」
熾火に似たほてりに浮かされたように言葉を紡げば、日常と非日常の狭間に溺れるよう。
「颶風の剣、忠勇の盾、……僕の騎士は美しき夜光と申すのだ」
早鐘のように打つ心臓が、『騎士』が指輪に口付けをする視界に騒いでいる。陶然とする頭上で、凍える紅い夜の涙滴めいて星が流れていた。けれどそんな事はもう、どうでもよいと思えてならぬのだ。
「騎士は、主の望みを叶えるために僕を娶るのである。忠義であるな」
(忠臣アクセルのように)
そっと囁けば、笑む気配が耳に心地よい。
「騎士は自身の望みにて貴方様を頂くと申し上げましょう。すなわち、愛と」
――この騎士だか皇帝だかは、僕を喜ばせるのがうまいのだ。
(エインヘリアに帰ったら、あの竜の卵を献上しようか)
クレイはふとそんなことを思い付いた。
この者は本当は、竜が好きなのだ。
そもそも、最初は親に言われて公爵家に取り入ろうとしていたが、その時は黒竜が見たくてユージェニーではなくクレイに寄ってきていた……。
(この騎士に竜を贈る事が出来たら)
きっと、とても喜ぶだろう。
それを想像しただけで、なんだか胸がいっぱいになってしまうのだ。
「僕、僕、……帰ったら、好いものをあげる」
燥ぐように言えば、ニュクスフォスは日常の香りを纏って快活に首を傾げて見せた。
「ほう、ほう。なんでしょう。楽しみですね」
「ふふ、楽しみにするが良い……寒くはないの?」
そういえば、寒いのが苦手だったのではなかったか――気付いて問いつつ、手をほどいて椅子から立ち上がると視線が追いかけてくる。
身じろぎせず見守る視線は優しく、騎士然として。
けれど、騎士と呼ぶには何か抵抗のある生き物なのだとクレイは知っていた。
「いや、別に俺はクレイが思ってるほど寒さにやたら弱いわけでは……いや、いや。弱い。寒い、とても寒い! 俺は寒い!」
「ん」
皇帝はそう言って立ち上がった脚に縋るようにひっついてくる。なにやらわざとらしく寒がって、すりすりしている。
「あー、寒い。あったかい。この体温がたいそう快い――しかし、このおみ足は逆に寒そうで俺的には好いようなご注意申し上げたいような」
「そ、そのくっつき方はなんか威厳がないな……お立ち」
手を差し伸べれば、繋いでくれる。
繋いだ手を軽く揺らせば、それだけで楽しい気分が湧いてくるのが不思議だった。
「僕があたためてあげる。こう暗くては、お前の色もよく視えぬし、もう帰ろう」
おねだりするように言えば、頷く気配が安堵を誘う。
「暗がりで愉しむからこそ格別の高揚を誘う色というものもございますぞ」
「うん、うん。わかるよ。夕映えなども佳いよね。世界が茜に染まるのだ」
(彼女も、おうちに帰った……)
未練を断つように空から目を背ければ、緑豊かな南国の庭園、大地は生命の歓びに充ちて風に個性を揺らしている。
視線を落とさねば誰も気づかぬ、夜に揺れる個性たち。
けれど、視る者がいなくてもそれは変わらずそうしているのだろう――少年はそう思うのだった。
少女はそれに頷き、春に感謝を告げて帰っていく――夢から、現実へと。
◇◇◇
紅薔薇の群れから攫われるようにして、抱きかかえられたまま宵闇の庭園に連れられる。
天は凍て星も震えるように凄絶な深く濃い夜の色を魅せていて、人工の灯りに包まれ、夜風に揺れて織り成す緑と華花の彩が美しい。
躍る影は深墨色で、太古の昏さをふいに連想させるのだ。
そわそわと見ていると、『騎士王』は冬薔薇の震える茂みの傍に置かれた椅子へとクレイを座らせた。雪白の薔薇装飾が凝らされた椅子は可愛らしくて、すこし冷えているのが火照った身には心地よい。ニュクスフォス自身は椅子の前に膝をついて従者然とした顔で落ち着いていて、それに日常を感じてしまうのが倒錯的に思われる。
「あの星……」
クレイは異世界の名残にそっと声を向けた。共に見上げてくれるらしき気配があたたかい。
「あの星はもうじき流れてしまうよ、ニュクス」
――だから何、と言われると困るのだけど。
(僕は一応、この後も色々するつもりだったんだけどなあ)
「お前はいつも僕の盤面を乱す……」
柔い吐息を密やかに洩らしつつ、視線を移せば火の色纏う眼差しが長い睫毛に彩られて理知的な色を魅せていた。
「それは殿下が俺に何もご相談なさらぬゆえですが?」
その口ぶりは少し拗ねた風情で、なんだか子どもっぽい。それが愉しくて、クレイは微笑んだ。
「お互いに」
「さよう、さよう」
星が流れるより疾く、世界の変化など知らぬとばかりに青年の声が夜気を震わせ、口上を連ねる。
「いと佳麗なる大地の恵み、愛らしい菫毒、気高き月……俺のクレイ」
(何か始めたぞ)
何をなさるのだろうか、と見守るクレイの片手が取られる。指先を掬いあげるようにして、包みこむように何かが填められる――紅い夜を象徴するような大粒の宝石を煌めかせる、指輪だ。夜の世界に咲く赤色に目を奪われていると、青年は指輪を填めた指を褐色の指先で慈しむように撫でさすり、口上を続けるようだった。
「……」
指におさまる其れを意識して、熱を佩く指先の滑る感触を感じれば、頬がゆるゆるとして背がふわりと熱を帯び、胸で鼓動が踊るのがどうしようもない。
――ちょっと撫でられてここまで悦んでいて、僕は大丈夫なのだろうか。
(指輪というと特別な感じがしないかな、これ婚約指輪とかそういうやつかな)
浮かれた思考が止まらぬ耳に、声が届いている。
「信念に因り博愛の剣は冴えて怯まず」
(これは、あれだね! わかる、あれだね!)
クレイは胸を躍らせた。夜の色に染め上げられた『騎士』が裡に籠る熱を知らせるように白めく吐息を零して、美しく囀る。
「高潔な身は盾とならん」
明るく澄んだ双眸が星など知らんとばかりに『主』を見上げて、凛然と微笑んだ。
「礼節持ち此処に只人の私人は死して生涯の忠誠を誓わんと欲するものなり」
クレイは淡く微笑み、その双眸に映っている己を覗き込むようにして頷いた。
「夜の視座に騎士の戦歌と忠義を囀る様や佳し。僕はこれを好むものである」
熾火に似たほてりに浮かされたように言葉を紡げば、日常と非日常の狭間に溺れるよう。
「颶風の剣、忠勇の盾、……僕の騎士は美しき夜光と申すのだ」
早鐘のように打つ心臓が、『騎士』が指輪に口付けをする視界に騒いでいる。陶然とする頭上で、凍える紅い夜の涙滴めいて星が流れていた。けれどそんな事はもう、どうでもよいと思えてならぬのだ。
「騎士は、主の望みを叶えるために僕を娶るのである。忠義であるな」
(忠臣アクセルのように)
そっと囁けば、笑む気配が耳に心地よい。
「騎士は自身の望みにて貴方様を頂くと申し上げましょう。すなわち、愛と」
――この騎士だか皇帝だかは、僕を喜ばせるのがうまいのだ。
(エインヘリアに帰ったら、あの竜の卵を献上しようか)
クレイはふとそんなことを思い付いた。
この者は本当は、竜が好きなのだ。
そもそも、最初は親に言われて公爵家に取り入ろうとしていたが、その時は黒竜が見たくてユージェニーではなくクレイに寄ってきていた……。
(この騎士に竜を贈る事が出来たら)
きっと、とても喜ぶだろう。
それを想像しただけで、なんだか胸がいっぱいになってしまうのだ。
「僕、僕、……帰ったら、好いものをあげる」
燥ぐように言えば、ニュクスフォスは日常の香りを纏って快活に首を傾げて見せた。
「ほう、ほう。なんでしょう。楽しみですね」
「ふふ、楽しみにするが良い……寒くはないの?」
そういえば、寒いのが苦手だったのではなかったか――気付いて問いつつ、手をほどいて椅子から立ち上がると視線が追いかけてくる。
身じろぎせず見守る視線は優しく、騎士然として。
けれど、騎士と呼ぶには何か抵抗のある生き物なのだとクレイは知っていた。
「いや、別に俺はクレイが思ってるほど寒さにやたら弱いわけでは……いや、いや。弱い。寒い、とても寒い! 俺は寒い!」
「ん」
皇帝はそう言って立ち上がった脚に縋るようにひっついてくる。なにやらわざとらしく寒がって、すりすりしている。
「あー、寒い。あったかい。この体温がたいそう快い――しかし、このおみ足は逆に寒そうで俺的には好いようなご注意申し上げたいような」
「そ、そのくっつき方はなんか威厳がないな……お立ち」
手を差し伸べれば、繋いでくれる。
繋いだ手を軽く揺らせば、それだけで楽しい気分が湧いてくるのが不思議だった。
「僕があたためてあげる。こう暗くては、お前の色もよく視えぬし、もう帰ろう」
おねだりするように言えば、頷く気配が安堵を誘う。
「暗がりで愉しむからこそ格別の高揚を誘う色というものもございますぞ」
「うん、うん。わかるよ。夕映えなども佳いよね。世界が茜に染まるのだ」
(彼女も、おうちに帰った……)
未練を断つように空から目を背ければ、緑豊かな南国の庭園、大地は生命の歓びに充ちて風に個性を揺らしている。
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