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四章、隻眼の王と二つの指輪
71、殿下、陛下、兄様、僕、私(軽☆)
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隻眼のノウファムは、その姿だけで僕の記憶に訴えかけるものがある。
その姿を視ていると、痛ましさとか、罪悪感とか、後悔とか……そんな感情が湧いてくる。
……過去二回、僕を負傷してそうなった彼を思い出す。
――けれど、過去二回と今回とで違うのは、僕たちの関係性だった。
「……兄様……」
僕が呼べば、ノウファムは軽く眉を寄せて薄い唇を引き結んだ。
それは不思議な表情と気配だった。
歓ぶようでもあり、苦しみに耐えるようでもある。
まったく理解の及ばない感情が見えて、僕は「そう呼んだのは今この状況で正解だっただろうか」と疑問に思った。
きっと、他の呼び方をしていたら違った顔を見せたに違いない――僕はこの時、そう感じた。
「……殿下」
唇を動かすと、ふわっと良い匂いがした。
甘くて、蜜のように僕の鼻腔に絡んで胸のあたりに降りていって、そこからもっと下にさがっていくみたいな。
……発情してしまいそうな匂いだ。
「ああ、いいな。そっちがいい」
いつもは「お兄様」と呼ばせようとするのに、ノウファムは隻眼を細めて僕の頬を撫でた。手のひらで撫でられたところが、熱い。
獲物を捕まえて喉を鳴らす肉食の獣みたいだ。
僕はぞくっとして、小さく足を擦り合わせた。
片方だけになった青い瞳に、飢えや乾きに似た情念がちらちら覗いている。
渇望みたいなものが感じられる。
――僕を美味しそうだなと思っているような、そんな欲が熱っぽく、甘ったるく、僕の胸を騒がせる。
「へ……陛下?」
ぼうっとして呼べば、頬を撫でていた手が首に滑り落ちた。
「それは、嫌だ」
骨の形を確かめるみたいに、柔らかい部分を愛でるみたいに、さわさわと首が撫でられる。
僕は暴君の機嫌をうっかり損ねて処刑一歩手前の罪人になった気分で身を固くして、慌てて他の呼び方を探した。
「ノウファム様……」
「それは好いな」
ふわっと機嫌の良い気配がして、ノウファムが僕をいい子いい子と撫でてくれる。
精悍な眉を寄せた、何かを我慢するような切ないノウファムの表情は、色っぽい。
色気にあてられてしまいそうだ――思考が霞む。
「俺のエーテルはいい子だな」
「ん……っ」
トーンを下げた声は、いつもより低い。甘い。声だけで腰が砕けてしまいそうだ。
身体の芯からこみ上げる何かに、僕は吐息を震わせた。
「それで、お前は聖杯なわけだが……俺に義務で抱かれるのか?」
首元に噛みつくみたいに口をあけて吸い付かれると、びくんと上半身が大袈裟なほど跳ねた。
「世界のために? カジャに命令されて? 嫌々抱かれる……?」
声は、段々と不満そうな気配を募らせていった。
僕はその声色に、やっぱり過去の世界のノウファムを思い出していく――ノウファムは、僕に「聖杯であるロザニイルを抱け」と言われるのが本当に嫌そうだったのだ。
甘く歯を立てられて、ぬるりと舌の腹でそこを舐められる。
ぞくっと首の後ろが粟だって、肩が揺れた。
ちゅ、と唇で吸われると、じんじんと痺れるような刺激が奔って、心臓が飛び出してしまいそうなほど落ち着きをなくしていく。
「ぼ、僕――」
はぁっ、と甘ったるい吐息をついて声を零せば、ノウファムはピクッと動きを止めた。
「……?」
体温がそっと離れる。
僕がそろそろと見上げると、ノウファムは口元に手を当てて考え込むような顔をしていた。
「……僕……」
繰り返すと、ノウファムは小さく頷いた。
ああ、そういえば僕、前は――「私」という一人称だったのではないかな……?
僕は、ふわふわと思い出した。上品ぶって、気取って。
年上の陛下に対して、不遜に生意気に「私は童貞ではありませんが?」なんて顔をしてその道の先輩ぶっていたような気がする。
肉体関係も、恋愛も、経験なんてなかったのに――友達すらいなかったのに!
「兄様と呼んでくれ、エーテル?」
兄の声をしたノウファムが囁くように言った。
それはなんだか少年みたいな声で、僕をとても切ない気持ちにさせた。
「に、……兄様」
請われるまま呼ぶと、ノウファムはふわりと優しく「兄」の顔で微笑んだ。
そして、僕を抱き枕のように抱きしめると、家族の温度感で「寝るか」と言ったのだった。
「兄さん、最近寝不足だったんだ。よく眠れなくてな」
ノウファムは、欲をどこかに忘れてしまったような眠そうな声でそう言った。
嘘吐きなノウファムがたった今紡いだその言葉は嘘ではなく、真実に違いない――僕はそう思いながら、ロザニイルに言ったみたいに言葉をかけた。
「夢です。兄様……悪い夢は、現実ではありません……」
「エーテルは優しいな」
――ノウファムはとても大人びた顔で、嘘吐きな気配で、薄っぺらい言葉を返して目を閉じたのだった。
【……ロザニイルとは、違う】
僕はその時、そう思った。
その姿を視ていると、痛ましさとか、罪悪感とか、後悔とか……そんな感情が湧いてくる。
……過去二回、僕を負傷してそうなった彼を思い出す。
――けれど、過去二回と今回とで違うのは、僕たちの関係性だった。
「……兄様……」
僕が呼べば、ノウファムは軽く眉を寄せて薄い唇を引き結んだ。
それは不思議な表情と気配だった。
歓ぶようでもあり、苦しみに耐えるようでもある。
まったく理解の及ばない感情が見えて、僕は「そう呼んだのは今この状況で正解だっただろうか」と疑問に思った。
きっと、他の呼び方をしていたら違った顔を見せたに違いない――僕はこの時、そう感じた。
「……殿下」
唇を動かすと、ふわっと良い匂いがした。
甘くて、蜜のように僕の鼻腔に絡んで胸のあたりに降りていって、そこからもっと下にさがっていくみたいな。
……発情してしまいそうな匂いだ。
「ああ、いいな。そっちがいい」
いつもは「お兄様」と呼ばせようとするのに、ノウファムは隻眼を細めて僕の頬を撫でた。手のひらで撫でられたところが、熱い。
獲物を捕まえて喉を鳴らす肉食の獣みたいだ。
僕はぞくっとして、小さく足を擦り合わせた。
片方だけになった青い瞳に、飢えや乾きに似た情念がちらちら覗いている。
渇望みたいなものが感じられる。
――僕を美味しそうだなと思っているような、そんな欲が熱っぽく、甘ったるく、僕の胸を騒がせる。
「へ……陛下?」
ぼうっとして呼べば、頬を撫でていた手が首に滑り落ちた。
「それは、嫌だ」
骨の形を確かめるみたいに、柔らかい部分を愛でるみたいに、さわさわと首が撫でられる。
僕は暴君の機嫌をうっかり損ねて処刑一歩手前の罪人になった気分で身を固くして、慌てて他の呼び方を探した。
「ノウファム様……」
「それは好いな」
ふわっと機嫌の良い気配がして、ノウファムが僕をいい子いい子と撫でてくれる。
精悍な眉を寄せた、何かを我慢するような切ないノウファムの表情は、色っぽい。
色気にあてられてしまいそうだ――思考が霞む。
「俺のエーテルはいい子だな」
「ん……っ」
トーンを下げた声は、いつもより低い。甘い。声だけで腰が砕けてしまいそうだ。
身体の芯からこみ上げる何かに、僕は吐息を震わせた。
「それで、お前は聖杯なわけだが……俺に義務で抱かれるのか?」
首元に噛みつくみたいに口をあけて吸い付かれると、びくんと上半身が大袈裟なほど跳ねた。
「世界のために? カジャに命令されて? 嫌々抱かれる……?」
声は、段々と不満そうな気配を募らせていった。
僕はその声色に、やっぱり過去の世界のノウファムを思い出していく――ノウファムは、僕に「聖杯であるロザニイルを抱け」と言われるのが本当に嫌そうだったのだ。
甘く歯を立てられて、ぬるりと舌の腹でそこを舐められる。
ぞくっと首の後ろが粟だって、肩が揺れた。
ちゅ、と唇で吸われると、じんじんと痺れるような刺激が奔って、心臓が飛び出してしまいそうなほど落ち着きをなくしていく。
「ぼ、僕――」
はぁっ、と甘ったるい吐息をついて声を零せば、ノウファムはピクッと動きを止めた。
「……?」
体温がそっと離れる。
僕がそろそろと見上げると、ノウファムは口元に手を当てて考え込むような顔をしていた。
「……僕……」
繰り返すと、ノウファムは小さく頷いた。
ああ、そういえば僕、前は――「私」という一人称だったのではないかな……?
僕は、ふわふわと思い出した。上品ぶって、気取って。
年上の陛下に対して、不遜に生意気に「私は童貞ではありませんが?」なんて顔をしてその道の先輩ぶっていたような気がする。
肉体関係も、恋愛も、経験なんてなかったのに――友達すらいなかったのに!
「兄様と呼んでくれ、エーテル?」
兄の声をしたノウファムが囁くように言った。
それはなんだか少年みたいな声で、僕をとても切ない気持ちにさせた。
「に、……兄様」
請われるまま呼ぶと、ノウファムはふわりと優しく「兄」の顔で微笑んだ。
そして、僕を抱き枕のように抱きしめると、家族の温度感で「寝るか」と言ったのだった。
「兄さん、最近寝不足だったんだ。よく眠れなくてな」
ノウファムは、欲をどこかに忘れてしまったような眠そうな声でそう言った。
嘘吐きなノウファムがたった今紡いだその言葉は嘘ではなく、真実に違いない――僕はそう思いながら、ロザニイルに言ったみたいに言葉をかけた。
「夢です。兄様……悪い夢は、現実ではありません……」
「エーテルは優しいな」
――ノウファムはとても大人びた顔で、嘘吐きな気配で、薄っぺらい言葉を返して目を閉じたのだった。
【……ロザニイルとは、違う】
僕はその時、そう思った。
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