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終章、御伽噺な恋をして

152、ゲームで王様決めちゃだめ、絶対

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 部屋の扉から数歩手前で足を止めたのは、中の声が聞こえたからだ。それも、とびっきり不穏な声が。

「聖杯じゃなくても伴侶にするが? 例え世界が滅ぼうとも他の者を抱く気はないが? 文句があるなら世界を滅ぼしてもよいが?」

 話だ。間違いない。というか、危ういことを言っている。

「殿下……なんという世迷い事を口になさるのです」
 呻くような声は誰だろう。王国の文官なのは間違いない。ネイフェンが耳元で名前を囁く――やはり、文官だ。

「次の世代まで世界が続くと確信しているのだな、そなたは。ならば、世界が数年で終わるという危機感を与えれば未来を案ずる気も起きなくなるだろうか」
 
 ネイフェンに目配せをして、僕は気配を殺して聞き入った。心臓が落ち着きをなくして、聞き慣れた『王様』の声に騒いでいる。
 穏やかに上品にゆったり紡ぐようでいて、不機嫌だと直に伝えている。そんな声だ。

「お言葉ですが殿下、滅亡回避を大前提として先の後を考えるのは当たり前ではございませんか」

 内部の声を聞く僕に、扉の前を警護する兵士が物問いたげな視線を向けてくる。
 この人はハネムーン隊にもいた人だ。モイセスの部下だったはずで、僕たちの過去の事情も多少理解している信頼できる警備兵さんだ。僕は口元に指を当てて、少し熱い吐息を吐いた。

 ソワソワと耳を傾けていると、ノウファムの言葉は滔々と続いた。

「念のため言うが、俺とて世界を続かせる目的で行動を重ねてきたし、我が国の未来に思いを馳せないわけではない。人並みに愛国心もあるぞ。人の国に世継ぎの備えが必要なのはわかる」

 青年の声は郷愁を感じさせる優しい気配をのぼらせている。
 優しい気配は良いのだけど、これから国王になる方の愛国心が人並みで良いのだろうか。もう少し愛国心を高めて頂いたほうがよいのではないだろうか。

「俺たちは弱い生き物で、怪我や病ですぐに儚くなる」

 ノウファムの声が真面目な話を連ねている。僕は部屋に入るタイミングをすっかり逸して、扉の前で耳をそばだてた。
 
「武器や道具を作っても、自然の脅威は凄まじい。
 暑気に寒気は度を過ぎれば即生存を脅かし、小さな虫に刺されても、熱さぬ水で渇きを満たしても、群生の草実を食しても死はあり得る。
 長雨、飢饉、隣人との諍い、戦。獣の群れに魔物に妖精――、」

 人という生き物の生に寄り添う死の気配を生々しく語る声に、警備兵も耳を澄ませて神妙にしている。
 
 城の中で大切に育てられた第一王子であった彼は、四度の人生でどんな世界を目の当たりにしてきただろう。
 僕は最初に出会ったときのノウファムと現在のノウファムの差異を感じながら、鎖骨の辺りを手で抑えた。
 
「明日突然死ぬかもしれない。一年後に生きているかわからない。この中にいる全員が、自分の残り時間を知らない」

 ノウファムは何人もの名前を挙げた。彼が知る過去に亡くなった者たちの名だ。
 警備兵のひとりが「トーマス・ディアーク」と名前を呼ばれるのを耳にして「俺、まだ生きてるんだけど」と呟く。
 なんてことだ。トーマスさん……。これはいけない。
 たぶん、ノウファムは過去の人生の記憶とごちゃまぜになっているのだろう。僕はちょっと慌てて小声でとりなした。
「でんかは……、過去のじんせいで……、あなたを看取ったのかも……」
「俺、死んだのか。格好良く死んだかなー……今度どんな風に死んだのか聞いてみようかな」
 トーマスさんがしみじみしている。良い人っぽい。よかった。
「というか、だいたいの人は死んでいると……」
 僕たちはノウファムの記憶の中で三回分滅亡しているから。僕がそう告げると、トーマスさんは頷いてくれた。
「そうか。みんな死んだか……みんなで一緒に死んだなら死んだ俺も寂しくないな」 
「ト、トーマスさん……!」
 
 ノウファムは部屋の中で会話を続けている。
 この部屋、防音措置をしたほうがいいんじゃないだろうか。僕はだんだんと会話内容より会話が筒抜けのほうが気になってきた。とはいえ、話しているトーンも内容もなかなか真面目なので会話自体もすごく気になるのだが……。
 
「友人と火を囲み、故郷を語る。故郷の風車がまわり、父や母の畑を思い、妻の機織りの音を思い出し、赤子の成長に思いを馳せる……そして彼らの記憶に残る自分を誇り、笑顔で死ぬ」

 そんな兵士たちを何人も知っているのだと彼が語れば、警備兵たちが唇を引き結んで俯くのが見えた。僕はその表情に、名も知らない彼らにも故郷や家族があるのだということを強く意識した。そして、今日までの日々で僕の知らない間にどれだけの兵士が命を失ってきただろうかと思ったのだった。

「卿らは、俺によくそんな顔を見せる。故郷を守り家を続かせるのだと。国や王家を続かせることは特別であり、伝統を守るのが誇りなのだと……そんな価値観をよく見せる」
 青年の声は臣下を慈しむようでもあり、呆れて苦笑するようでもあった。
「けれど、国というのは最初はただの人の集まりだった。貴き身分の血統を辿ればただの人だ。例えば卿がこの【覇者の指輪】を填めれば、その日から新たな王と王家が生まれる。その程度だ、王族などというものは」

 あれっ、雲行きがあやしい。これはいけないのでは?
 僕の中の臣下の部分が警鐘を鳴らし始めた。暴走してないか。暴君モードになっていないか。これは止めるべきではないか。だめですよ殿下。何を仰るおつもりですか殿下。

「滅びるはずだった世界が続き、今隣にいる友が天寿までを生きられる。それでよいと思えないだろうか。そなたらの欲には限界がない。贅沢だ。現在の世代の救済で満足せよ。その先を見越してまであれこれと求めるな。王国を率いる次世代の指導者が必要ならば、獣人の国が獅子王を決めるときのように、この指輪を賭けてゲームでもすればよい。なんなら、帰国してすぐにでも……」

「殿下!!」

 僕は思わず扉を開けて中に飛びこんだ。一瞬部屋の中に暴君然とした圧を放つノウファムが見えたけれど、すぐに温厚な気配に変わる。危ない。危なかった。危うく我が国の王制が崩壊させられる危機であった。ゲームで王様決めちゃだめ、絶対。恐ろしい。暴君モードのノウファム、恐ろしい。

「……エーテル」
 部屋の中のメンバーが驚いた顔をしている。
 チェス盤を囲むメンバーの顔を記憶しつつ、僕はノウファムに抱き着いた。 

「もうすぐ王国に帰れますね! 僕、楽しみだなぁ……! 僕の殿下の戴冠式、とっても楽しみだなぁ……!!」
「戴冠式……」
 ちょっと嫌そうに言うな。僕はことさらに明るい声でノウファムの手にあったワイングラスを取り上げた。

 こういうのは勢いだ。勢い付けは大事だ。清楚で上品はまた今度だ。
 
 くいっとワインを飲むと、火竜になったような気分になった。怖いものなしだ。
「【覇者の指輪】を填めた国王陛下なんて、まるで御伽噺じゃないですか。僕、嬉しいなぁ! 自分の国の王様が格好良くて、嬉しいなぁ!」
「御伽噺……格好良い……」
 
 あっ、ちょっと刺さってる。
 僕は手ごたえを感じつつ、すりすりと胸板に頬を擦りつけた。

「僕、お薬もちゃんと飲みましたから。こ――婚約……」
「薬を飲んだのか?」 
 婚約をおねだりするってどうなんだ? まるで悪女じゃないか? そんな思いが一瞬脳裏に過るが、僕は思い切って声を大きくした。
「僕と婚約してくださる約束、楽しみにしているんですッ!」
 
 周囲の視線が全身に感じられる。恥ずかしい気がする。気のせいにしよう。
 僕はぎゅーっと目を閉じて顔をノウファムの胸に埋めるように密着させた。ノウファムの手が背中に添えられて、あたたかい。

「なんと愛らしいことを、エーテル……そうだな。結婚しよう」
「殿下っ!?」
  
 王様の声は愉しそうだった。ご機嫌がよい。よかった。
 僕はもそもそと声をくぐもらせた。

「さ、先に婚約です、殿下。順番というものが」
「そうか。では先に婚約で」

 僕はウンウンと頷いた。顔がとても熱い。ああ、恥ずかしい。
 
「そもそも俺も国や世界を愛しているし、守る気も治める気もあるのだ。ただ、国や世界の優先度がエーテルより低いだけで」
「僕、さすがにそこの優先度は変えていただいても構いませんよ……国や世界の優先度、上げていただいて」
「このとおり、エーテルは最優先が世界なのだ。この者は世界を救いたがるゆえ、そなたたちは大切にせよ。この者がいるから俺は世界を救うのだ。それを忘れてはならぬ」
「殿下……」

 実際、そういえばこの人はそうだった。
 最初の世界の記憶を思い出して僕はくらくらとした。

「あーあーあー、お熱いこって。オレは国に帰ったら草食系男子の会を発足するぞぉ。独り身上等って奴はオレについてこーい」
 ロザニイルが謎の会の発足を宣言している。
 
 この王様、国や世界より僕なんだって――、
 王様としてはどうなんだ。臣下として僕は「そういうことを仰ってはいけません」みたいに諫めるべき?
 それとも物語に出てくる傾城の悪女みたいに「僕を一番にしてくださって嬉しいです」とか言っちゃってもいいのだろうか?
 
 それはなんとも嬉しいような、恥ずかしいような、困ったような感覚で――僕は顔がゆるゆると緩んでしまって、熱くて、そのまま動けなくなったのだった。
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