ミルクティー依存症

高槻

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 電車の中でいくら考えてみても、自分を呼び出したという新海先輩に心当たりはなかった。あまり聞かない苗字だから一度聞けば忘れそうにないのに、こんな時に限って頭から抜け落ちてしまっているんだろうか。
 四年も前の卒業生だというのに突然部室に来て櫂に会いたいと言う理由は一体何なんだろう。櫂の都合を聞いて改めて日を設定しようとはしないあたり、怒っていると考えるのが妥当だろうか。けれど、先輩を怒らせるようなことをした覚えもない。
 考え事をしていたからだろうか、いつもは長く感じる駅から大学までの道のりが今日は短かった。
 土曜日だというわりに学内は想像よりずっと賑やかだった。研究の忙しい院生たちだろうか。学食や生協のある一番学生の集まる一角を通り過ぎ、敷地の隅に追いやられるようにして建っているサークル棟を目指す。オーケストラ部の誰かが練習でもしているのか数種類の木管楽器の音が聞こえてきた。

「……あ」

 サークル棟の入口が視界に入った時だった。そこに立っていた人物に見覚えがある気がして、櫂の足が止まった。
 長い黒髪の、長身ですらりとスタイルのいい女の人。ドラマでよく女医や弁護士の役をやっている女優と雰囲気が似ている気もする。
 前に会った、というより見た、のは昨日だ。間違いない。昨日、裕也の部屋にいた女性。裕也よりも歳上に見えるけれど、この大学の学生なんだろうか。博士課程の学生だとすればあり得なくはない。
 視線に気付いたのか、ふっと相手が顔を上げた。何かを確かめるようにじっと櫂の顔を見て、それからゆっくりとこちらへ近付いて来る。

「どうして……」

 呟いた声は妙に掠れていた。どうしてここで彼女と会ってしまったのか。咄嗟に逃げようと踵を返そうとして失敗する。体が上手く動かない。
 昨日聞いた彼女の声が、そんなものを思い出したくもないと思うのに、櫂の頭の中で再生された。
さっきも言ったけど裕也今お風呂入ってるの。もうすぐ出てくると思うから――。
 あのあと二人は何をしていたんだろう。櫂と連絡をとろうとしていた裕也を拒否した、そのあと。
 二人とも容姿がいいし、と櫂は自虐的なことを考えた。二人を俳優として起用して映画を作るとしたら、ベッドシーンか、少なくともそれを示唆するシーンくらいは入るんだろう。映画は消費者のニーズにこたえなければならない。誰の目から見てもお似合いのカップル。自分が裕也の相手ではそうはいかない。

「――きみ、高瀬櫂くん、よね?」

 名前を呼ばれて、一瞬、櫂の脳までもがフリーズした。

「ごめんね、突然呼び出したりして」
「……え?」

 どうして彼女が自分の名前を知っているのか。それに、突然呼び出したりして、とはどういう意味なのか。
 櫂を呼び出したのは映研の先輩のはずだった。裕也が一年生のときの四年生だと手嶋は言っていた。目の前の女性は――確かに、大学の在学生だと言われるより、四年前の卒業生だと言われたほうがしっくりくる。

「……先輩が、新海先輩ですか?」
「そうよ。少し高瀬くんと話がしたかっただけなんだけど、それにしたってあんまりな呼び出し方よね、ごめんなさい。でも裕也に聞いてもきみの連絡先なんて教えてくれそうになかったし。昨日飲み会があったみたいだったから、朝部室に来れば誰か現役の部員に会えると思ったのよ。手嶋くん達にも迷惑かけちゃった」

 今度何か部室に差し入れでも持ってこないと、と新海はため息をつく。容姿のせいなんだろうか、その仕草はやけに絵になっていた。
 耐え切れなくなって、櫂は先を急かした。

「あの、それで、俺を呼び出したのは」

 僅かに声が上ずってしまう。
 裕也の部屋にいた女性が自分を呼び出すなんて穏やかじゃない。不快に思うくらいに手のひらが汗でじっとりとしている。

「そのことなんだけどね」

 新海はそう言って一旦言葉を切って、真っ直ぐに櫂の目を見てきた。意思の強そうな目には櫂も内心怯まずにいられない。

「聞きたいことがあるの。もしかしたらもう、だいたい見当がついてるかもしれないけど。きみ、裕也のことどう思ってるの? 裕也は付き合ってるって言ったけど、本気なの?」
「……それ、は」
「ああ、まず最初に言っておくと、男同士っていうのが社会的にどうって部分に関しては、今は気にしなくていいわ。私、一応そういう偏見はないつもりだから。けどね、男同士なのに、本気でもないのに裕也と付き合ってるとしたらあんまりよ。裕也からきみの話はよく聞くけど、私にはどうしても、きみが本気なようには思えないの。だって、きみはただくだらない我侭で裕也を振り回して、子供っぽい独占欲で縛りつけてるだけじゃない。そんなの、裕也が可哀想よ。私にはとてもじゃないけど見ていられない」

 呼吸が止まるかと思った。
 男同士で付き合っているということを知られたというより、新海に事実を指摘されたことにショックを受けた。
 くだらない我侭で振り回して、子供っぽい独占欲で縛り付けているだけ。それは櫂が一番よく解っていること。
 こんな自分と違って、新海は裕也の嗜好に理解を示して、櫂の話を聞いて裕也のことを心底心配に思い、こんな方法をとってまで櫂にコンタクトをとってきた。
 新海はきっと、裕也のことを本気で好きなのだろう。そんな人に迫られたとしたら、裕也だってなびいてしまうに違いない。現に、彼女は昨夜裕也の部屋に泊まっていったわけで――…。

「――新海先輩、は」
「なに?」
「先輩は、笠原先輩の何なんですか?」

 漸くそれだけ言った櫂に、新海は意味深な笑みを浮かべた。

「さあ? それが知りたいなら直接聞いてみればいいじゃない」
「直接?」
「裕也に。今日はたぶん一日中家にいるわよ。覚悟が決まったらいらっしゃい」

 覚悟が決まったらね、と繰り返して新海が去った後も、しばらく櫂はその場に立ち尽くしていた。
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