あの夏のキセキを忘れない

アサギリナオト

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 誠也
「なあ、兄貴……。俺はこのまま地獄に落ちるべきなのかな……?」


 誠也が河川敷の休憩所で煙草を吸いながら独り言のように呟いた。

 今このとき、みのりが全身全霊で走っていることを彼はまだ知らない。

 例えみのりが勝負に勝ったとしても、兄を殺した自分が普通の生活に戻っていいはずがない。

 彼がそう思った次の瞬間―――


 ???
《あの子を泣かせたら今度こそぶち殺すぞ……》


 誠也
「え……?」


 突然、誠也の頭の中に何かが響いてきた。

 その声にはどこか懐かしさが感じられる。

 そして同時に彼の中に謎の使命感のようなものが生まれた。


 誠也
「(柳瀬誠也……。藤波みのり……。どっちも語呂悪ぃな~……)


 それはまた――――随分と先の長い別のお話である。





 ――――――――――――





 みのりは見事なスタートを切り、全国レベルの選手たちにも引きを取らない加速力を発揮した。

 観客席からはものすごい声援が上がっている。

 彼女は走る動きにだけ集中し、数十メートル先に見えるゴールラインを目指して全力で走り続けた。

 今の彼女には周囲の景色や雑音など、不必要な情報は全てシャットアウトされている。

 彼女の視界には自分が走るレーンとその先に見えるゴールテープしか映っていない。

 やがて手足の感覚がなくなり、自分の体がスローモーションみたくゆっくりと動いているような錯覚に陥った。

 すると次の瞬間――――

 みのりの視界が真っ白な光に埋め尽くされた。

 一体何が起きたのかさっぱりわからない。

 それでも彼女は、自分以外誰も存在しない世界をたった一人で走り続けている。


 ???
《…………り……》


 そのときである。

 光の向こう側に人型の黒い影のようなものが出現した。


 ???
《…………りさん……………………みのり……》


 その黒い影は遠方から彼女の名前を呼び続けている。

 正体は不明だが、みのりは〝それ〟に向かって無意識に走り続けていた。


 ???
《みのりさん、ありがとう……。出来の悪い弟だが、これからもアイツのことをよろしく頼む……》


 黒い影は彼女に礼を言い、やがてその存在は少しずつ薄れていった。

 みのりは目標を見失わないよう必死に〝それ〟を追いかけている。


 みのり
「待っ――‼」


 しかし、どんなに追いかけても黒い影との差は縮まらない。

 すると彼女の五感が突然に目を覚まし、彼女の意識は現実に引き戻された。


 吉沢
「っ――⁉」


 吉沢はみのりの異変に気付いて勢いよくその場から飛び出した。

 彼女はゴールラインを通過した後もしばらくそのまま走り続けていたのだ。


 吉沢
「(アイツ、ゴールしたことに気付いて――!)」


 その瞬間、みのりがバランスを崩して前のめりになり、彼女が転倒する寸前のところで吉沢が見事に彼女の体をキャッチした。


 吉沢
「柳瀬っ‼ おい、しっかりしろ‼」


 みのり
「…………」


 大会委員の一人が彼女の異変に気付き、無線を通じて何かを叫んでいた。

 同じレースを走ってた女子選手たちが息を切らしながらその場に集まってくる。


 吉沢
「柳瀬っ‼ おい、柳瀬っ‼」


 みのり
「あ……、せん……せ……?」


 みのりが無事に意識を取り戻し、吉沢を含む周囲の女子選手たちが安堵の表情を浮かべた。


 吉沢
「すいません、もう大丈夫です! お騒がせしました!」


 吉沢が選手や観客たちに向かって何度も頭を下げている。

 みのりは自分の身に何が起こったのかさっぱりわからなかった。


 みのり
「先生……。私……」


 吉沢
「よく頑張った。お前はこれまでにない最高の走りを披露したぞ」


 吉沢は彼女の走りに感動して涙目になっている。

 みのりは今になって少しずつ自分の置かれた状況を思い出してきた。

 一位で通過した他校の選手は、ゴールと同時にタイムが発表されている。     

 しかし、二位以下の選手たちは横並びで判定に時間がかかっていた。

 すると女子マネージャーがストップウォッチを手にものすごい勢いで走ってきた。


 女子マネージャー
「先生っ‼ これを見て――――キャーッ‼」


 女子マネージャーが走りながらいきなりジャンプし、その場で喜びのダンスを踊り始めた。

 彼女と同様に同じ学校の生徒たちが大喜びしている。


 吉沢
「柳瀬……」


 みのり
「……?」


 吉沢の目は場内の電光掲示板に釘付けになっていた。

 みのりは彼の視線を辿るようにしてレース結果を目にした。


 みのり
「あ……」


 彼女の名前は、電光掲示板の上から四番目に表示されていた。

 みのりは頭がぼ~っとして理解が追いつかない。

 吉沢
「おめでとう、柳瀬。――――ベストタイムだ」


 みのり
「っ――‼」


 地区大会の決勝『女子100メートル走』の結果は四着。

 みのりはベストタイムを更新し、見事インターハイの出場権を勝ち取った。


 みのり
「先生……。私……」


 吉沢
「見事な走りだった。お前は俺の誇りだ」


 そう言って吉沢は彼女に向かって右手を差し出した。

 するとみのりの目から涙が溢れ出し、彼女は涙を拭いながら彼の握手に応じた。

 やがて学校の生徒たちから大きな拍手が送られる。


 女子生徒C
「おめでと~、柳瀬さ~ん‼」


 男子生徒
「すげえカッコよかったぞ~っ‼」


 みのりが生徒たちの歓声に応えようと吉沢の手を借りて立ち上がろうとするが――――


 みのり
「っ――‼」


 膝の患部から激痛が走り、彼女は再び尻もちをついた。

 吉沢が地面に片膝を着いて彼女の説得に入る。


 吉沢
「……ここまでだな、柳瀬。――――棄権するぞ」


 みのり
「え……?」


 吉沢
「お前の膝は既に限界を超えている。それはお前自身が一番よくわかってるはずだ」


 インターハイが開催されるまで、あとひと月しかない。

 それまでに足のケガを回復させて再調整を行うのは、ほぼ不可能である。


 吉沢
「今なら他の選手の繰り上げが間に合うかもしれない。――――柳瀬。お前ならわかるな?」


 インターハイを目標にしている選手は彼女一人ではない。

 中途半端に長引かせて出場枠を一つ無駄にするくらいなら、ここで諦めて他の選手の夢を繋いだ方が良い。


 みのり
「……はい、先生。すぐにお願いします」


 吉沢はみのりを大会委員に任せて彼女の棄権を本部まで伝えに行った。

 大会委員が二人がかりで彼女をタンカーに乗せ、そのまま医務室へ移送する。


 みのり
「(藤波さん……。私やりました……!)」


 みのりはタンカーの上に寝転がりながら、天に向かってガッツポーズを決めた。

 彼女を運んでいる大会委員の人たちからも「おめでとさん」と称賛の言葉が送られた。
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