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地区大会当日。
みのりは準備運動と膝のアイシングを繰り返しながら自分の出番を今か今かと待ち構えていた。
今日の彼女はいつもと違う。
絶対に無理だと思われていた準決勝を突破し、なんと決勝にまで駒を進めていた。
周囲からはケガをする前より速くなっているのではないかと驚きの声が上がっている。
吉沢
「(柳瀬……)」
顧問の吉沢は関係者スペースからみのりの一挙一動をしっかり観察していた。
何か不審な点があれば、例え発走直前であっても彼女を辞退させるつもりだ。
先日みのりが持って来た診断書には――――
『現状では問題なし。しかし、ケガの影響が確認され次第即座に出走を取り止めるべし』旨が書かれていた。
みのりは河川敷で誠也と別れた後、その足で再び病院へと向かい、診断書の内容を担当医に書き直してもらっていた。
病院では、犯罪などの悪質な利用目的ではない限り、交渉次第で内容を変更してもらえることがある。
無論、これは患者と担当医の間だけの秘密であり、特にスポーツ界で知られる暗黙の了解だ。
みのりに交渉を持ちかけられたとき、担当医と例の看護師はとても驚いていた。
気になる男子のために引退する覚悟だとカミングアウトされ、その男子に心当たりがあった看護師はみのりに味方するような視線を担当医に送り続けた。
担当医は医者としてみのりの無茶を止める立場にあったが、みのりはその男子が誠也であることを包み隠さず話し、今は彼のためだけに走りたいと担当医を説得した。
みのりの覚悟が担当医にも伝わり、担当医は診断書の内容を変更する旨を了承した。
みのり
「…………」
やがて、みのりが出走する時間がやってきた。
彼女の参加種目は『女子100メートル走』。
100メートル走は数ある陸上種目の中でも最も人気が高い花形競技であり、インターハイに出場できる選手の倍率は東大や早稲田に受かる率よりも低いと言われている。
インターハイ目前の地区大会決勝にもなると、そこには全国クラスの選手しかほとんど残っていない。
みのりは今からその強豪たちを相手にハンデを抱えた状態で競い合わなければならない。
彼女は文字通り、この一走に全てを懸けるつもりだ。
みのりはシューズの紐をしっかりと締め直し、スタート地点へと向かった。
すると彼女は地面から立ち上がる際に少しだけよろけてしまう。
吉沢
「っ――⁉」
吉沢は彼女が片膝からバランスを崩したのを見逃さなかった。
吉沢が慌てて彼女に声をかける。
吉沢
「おい、柳瀬!」
みのり
「…………」
しかし、みのりには吉沢の声が聞こえていない様子だった。
彼女はそのままスタート地点に向かっていく。
吉沢
「(くそっ、聞こえてねえ……! アイツもう〝入って〟やがる……!)」
集中状態に入った選手の耳に周囲の雑音は一切届かない。
今の彼女には少しでも早くゴールラインに到達すること以外頭になかった。
吉沢は早く気付くべきだったと今更ながら後悔した。
みのりがインターハイの出場枠を勝ち取るには、彼女が今から走る地区大会の決勝――上位6人の中に食い込まなければならない。
みのりは陸上部のエースだが、彼女の普段の実力は地区大会の一回戦でギリギリ通用するレベルだ。
勝ち上がり形式のレース大会は、序盤で自分以外の選手を引き離せる者ほど有利とされている。
一度引き離せば最後まで全力で走り切る必要がなく、決勝に向けて体力を温存できるからだ。
しかし、みのりがここまで勝ち残るには、常にベストタイムに近い走りを続けなければならなかった。
そう。
吉沢はこの時点で気付くべきだったのだ。
常に100パーセントに近い走りを続けてきた彼女の膝は既に限界を超えていたのだと……。
吉沢は、もしものときは体を張ってでもみのりを止めるつもりだった。
しかし、何故かその足が前に進まない。
彼女の指導者として――そして元陸上選手としての本能が彼の決断を鈍らせていたのだ。
吉沢
「(あの気迫、あの闘争心……。今までのアイツならここまで出来たか……?)」
みのりは足の負傷と出場辞退のマイナス要素が重なり、過呼吸を起こすほどのストレスを抱え込んでいた。
一度は絶望に押しつぶされた彼女だが、誠也との出会いが彼女を新たなステージに覚醒させた。
自分のためだけに走り続けてきた彼女が、初めて誰かのために走りたいと思うようになったのだ。
背負うものがあればこそ、人はより強くなれる。
誠也を助けたいと願う心と本心では助かりたいと願う誠也の心。
その二つの想いを背負うことで、みのりの力は限界以上に引き出されている状態だった。
吉沢
「(すまん、柳瀬……。俺は指導者失格だ……)」
吉沢は血が出るほど拳を強く握り締めた。
彼の行いは足に爆弾を抱えた教え子を見殺しにするも等しい。
それでも吉沢はその目で見てみたかった。
限界を超えた先の世界でしか見られないキセキの光景を……。
みのり
「…………」
決勝戦に出場する選手たちがスタートラインに立ち、クラウチングスタートの構えを取った。
審判員
《――SET》
選手たちが地面に手を着いたまま腰を引き上げる。
そしてついに――――
スタートの合図であるピストル音が鳴り響いた。
みのりは準備運動と膝のアイシングを繰り返しながら自分の出番を今か今かと待ち構えていた。
今日の彼女はいつもと違う。
絶対に無理だと思われていた準決勝を突破し、なんと決勝にまで駒を進めていた。
周囲からはケガをする前より速くなっているのではないかと驚きの声が上がっている。
吉沢
「(柳瀬……)」
顧問の吉沢は関係者スペースからみのりの一挙一動をしっかり観察していた。
何か不審な点があれば、例え発走直前であっても彼女を辞退させるつもりだ。
先日みのりが持って来た診断書には――――
『現状では問題なし。しかし、ケガの影響が確認され次第即座に出走を取り止めるべし』旨が書かれていた。
みのりは河川敷で誠也と別れた後、その足で再び病院へと向かい、診断書の内容を担当医に書き直してもらっていた。
病院では、犯罪などの悪質な利用目的ではない限り、交渉次第で内容を変更してもらえることがある。
無論、これは患者と担当医の間だけの秘密であり、特にスポーツ界で知られる暗黙の了解だ。
みのりに交渉を持ちかけられたとき、担当医と例の看護師はとても驚いていた。
気になる男子のために引退する覚悟だとカミングアウトされ、その男子に心当たりがあった看護師はみのりに味方するような視線を担当医に送り続けた。
担当医は医者としてみのりの無茶を止める立場にあったが、みのりはその男子が誠也であることを包み隠さず話し、今は彼のためだけに走りたいと担当医を説得した。
みのりの覚悟が担当医にも伝わり、担当医は診断書の内容を変更する旨を了承した。
みのり
「…………」
やがて、みのりが出走する時間がやってきた。
彼女の参加種目は『女子100メートル走』。
100メートル走は数ある陸上種目の中でも最も人気が高い花形競技であり、インターハイに出場できる選手の倍率は東大や早稲田に受かる率よりも低いと言われている。
インターハイ目前の地区大会決勝にもなると、そこには全国クラスの選手しかほとんど残っていない。
みのりは今からその強豪たちを相手にハンデを抱えた状態で競い合わなければならない。
彼女は文字通り、この一走に全てを懸けるつもりだ。
みのりはシューズの紐をしっかりと締め直し、スタート地点へと向かった。
すると彼女は地面から立ち上がる際に少しだけよろけてしまう。
吉沢
「っ――⁉」
吉沢は彼女が片膝からバランスを崩したのを見逃さなかった。
吉沢が慌てて彼女に声をかける。
吉沢
「おい、柳瀬!」
みのり
「…………」
しかし、みのりには吉沢の声が聞こえていない様子だった。
彼女はそのままスタート地点に向かっていく。
吉沢
「(くそっ、聞こえてねえ……! アイツもう〝入って〟やがる……!)」
集中状態に入った選手の耳に周囲の雑音は一切届かない。
今の彼女には少しでも早くゴールラインに到達すること以外頭になかった。
吉沢は早く気付くべきだったと今更ながら後悔した。
みのりがインターハイの出場枠を勝ち取るには、彼女が今から走る地区大会の決勝――上位6人の中に食い込まなければならない。
みのりは陸上部のエースだが、彼女の普段の実力は地区大会の一回戦でギリギリ通用するレベルだ。
勝ち上がり形式のレース大会は、序盤で自分以外の選手を引き離せる者ほど有利とされている。
一度引き離せば最後まで全力で走り切る必要がなく、決勝に向けて体力を温存できるからだ。
しかし、みのりがここまで勝ち残るには、常にベストタイムに近い走りを続けなければならなかった。
そう。
吉沢はこの時点で気付くべきだったのだ。
常に100パーセントに近い走りを続けてきた彼女の膝は既に限界を超えていたのだと……。
吉沢は、もしものときは体を張ってでもみのりを止めるつもりだった。
しかし、何故かその足が前に進まない。
彼女の指導者として――そして元陸上選手としての本能が彼の決断を鈍らせていたのだ。
吉沢
「(あの気迫、あの闘争心……。今までのアイツならここまで出来たか……?)」
みのりは足の負傷と出場辞退のマイナス要素が重なり、過呼吸を起こすほどのストレスを抱え込んでいた。
一度は絶望に押しつぶされた彼女だが、誠也との出会いが彼女を新たなステージに覚醒させた。
自分のためだけに走り続けてきた彼女が、初めて誰かのために走りたいと思うようになったのだ。
背負うものがあればこそ、人はより強くなれる。
誠也を助けたいと願う心と本心では助かりたいと願う誠也の心。
その二つの想いを背負うことで、みのりの力は限界以上に引き出されている状態だった。
吉沢
「(すまん、柳瀬……。俺は指導者失格だ……)」
吉沢は血が出るほど拳を強く握り締めた。
彼の行いは足に爆弾を抱えた教え子を見殺しにするも等しい。
それでも吉沢はその目で見てみたかった。
限界を超えた先の世界でしか見られないキセキの光景を……。
みのり
「…………」
決勝戦に出場する選手たちがスタートラインに立ち、クラウチングスタートの構えを取った。
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