あの夏のキセキを忘れない

アサギリナオト

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 次の日、みのりは無事に病院を退院した。

 二日間ゆっくり休んだおかげか、膝の痛みはかなり楽になっている。

 みのりは誠也のいる河川敷に向かって病院を出発した。

 両親には救急車を呼んでくれた人にお礼を言ってから帰宅すると伝達済みだ。

 河川敷の休憩所には、それから約十五分ほどで到着した。

 彼女の予想通り、誠也は当たり前のようにその場所で煙草を吸っていた。

 誠也はみのりの存在に気付いた瞬間に煙草の火を消し、彼女に歩み寄った。


 誠也
「よお。大丈夫だったか?」


 みのり
「おかげさまで、すぐに退院することができました。その節は本当にありがとうございました」


 みのりが誠也に向かって丁寧なお辞儀をする。

 これは本題に入る前の彼女なりのケジメだった。


 みのり
「さて、藤波さん……。私に何か言うことはありませんか?」


 みのりの目付きが急に鋭くなる。

 心当たりがあった誠也は額から冷や汗を流し始めた。


 誠也
「な、何だよ、いきなり……?」


 みのり
「誤魔化しても駄目ですよ。私が倒れたときに何かしましたよね?」


 そう言ってみのりは誠也にずいずいと詰め寄った。

 逆に彼は一歩ずつ後ろに下がって行く。


 誠也
「あ、うん……。〝何か〟しました……」


 みのり
「〝何か〟って何ですか?」


 誠也は休憩所の端まで追い詰められ、もはや逃げ切れぬことを悟った。


 誠也
「たぶん、お前の想像で合ってる……」

 みのり
「っ――」


 その瞬間、みのりは顔を真っ赤にして誠也の体をポカポカと殴り始めた。


 みのり
「酷いっ! 初めてだったのに――! 」


 誠也
「いでででっ――! わ、悪かったよ……。でも、あのときはそうするしか――」


 みのり
「わかってます! わかってますよ!」


 誠也はみのりを助けるために怒られるのを覚悟した上で唇を塞いだのだ。

 無論、彼が過呼吸の正しい対処法を知っているのが一番だった。

 しかし、二年前からベッドで寝たきりの彼に〝今〟の知識を求めるのは無理がある。

 この件に関して誠也は何も悪くない。

 それでもみのりが彼に怒っているのは、彼女にとって『藤波誠也』という存在がただの知り合いではなくなっていたからだ。


 みのり
「藤波さんはズルいです……。自分は慣れてるからって余裕ぶっちゃって……」


 誠也
「(いや、確かに初めてではないけど……。俺ってそんなに遊んでるように見えるのか……?)」


 みのり
「……見えます」


 誠也
「(心読まれたっ――⁉)」


 どうやら頭で考えていたことが顔に出てしまっていたようだ。

 藤波誠也は遊んでいるというより自然と女の子にモテるタイプであり、未成年での喫煙すらファッションの一環に見えてしまう天性の女殺しである。

 自然体でモテてしまうのだからその件について彼に罪はない。

 しかし、女性の視点から見れば遊び人と思われても致し方ないと言える。

 するとみのりが涙目で誠也を睨みつけた。


 みのり
「だから責任取ってください」

 誠也
「はい?」


 みのり
「手段は問いません。ですが必ず私が納得する形で事を収めてください」


 みのりの目には絶対に逃がさないという力強い意志が込められていた。

 誠也は女性経験は豊富だが、泣いている女の子を相手にしたことはない。

 ゆえに今の彼女が何を考えているのか、彼にはわからなかった。


 誠也
「なら、今からやり直すか?」

 みのり
「え……?」


 誠也
「あの日をなかったことにするのは許せない……。なら、やり直すしかないだろ?」


 みのり
「…………」


 誠也
「俺なら〝それ〟が出来るぞ?」


 誠也は元より下心ありきでみのりに声をかけたのだ。

 彼女がその気なら、誠也はいつだって応じる覚悟だ。

 誠也がみのりに顔を近付けると、彼女は顔を真っ赤にして彼を突き飛ばした。


 みのり
「冗談言わないで下さい! そんな軽々しい気持ちで来られても迷惑なだけです!」


 初めての苦い思い出を良い思い出で上書きする。

 その考え方自体は間違っていない。

 その思い出が運命の瞬間に変われば、彼女にとってのそれは〝嫌な思い出〟ではなくなるからだ。

 しかし、その運命を成立させるには〝相手も〟本気でなければならない。 

 誠也がみのりを運命の相手と認識しなければ意味がないのだ。

 みのりに突き飛ばされた誠也は背中から柵にもたれかかり、寂し気な表情を浮かべた。


 誠也
「冗談……か……」


 彼は内側のポケットから煙草を取り出し、彼女に背を向けてそれに火をけた。

 この体勢はみのりに煙が向かないよう気を遣っているのではない。

 今は彼女と顔を合わせたくなかったのだ。


 みのり
「…………」


 みのりは誠也から距離を取り、彼とは正反対の向きでベンチに腰かけた。

 彼女は誠也の置かれた状況を理解している。

 そしてそれは彼自身も気付いているはずだ。

 誠也は不良だが、気に入った相手のために力を尽くせる漢気のある人間でもある。

 例えこの場で二人が結ばれたとしても、その関係は決して長くは続かない。

 自分が普通の人間ではないと自覚している彼は、最終的に自ら身を引くだろう。

 みのりにはその結末が見えているため、〝今の彼〟を受け入れることが出来ないのだ。


 みのり
「(やっぱり私がやるしかない……)」


 みのりは考えた。

 何故誠也は今の状況を甘んじて受け入れているのか……。

 それはおそらく龍也が死亡した過去の事故に関係している。

 例の事故には事故に遭った本人たちしか知らない何かが隠されているのだ。

 彼女にとって今までの会話はただの前置きに過ぎない。

 彼女の真の目的は過去に起きた事故の真相を探ることだった。


 みのり
「藤波さん」


 誠也
「……あ?」


 誠也が少しイラっとした態度でみのりに返事を返した。


 みのり
「ここであった事故のことは聞きました。そのときにあなたのお兄さんが亡くなったことも……」


 誠也
「……」


 二人の間にしばし沈黙が流れる。

 誠也はみのりの方に向き直り、背中を柵に預けた。


 誠也
「どこでその話を知ったか聞きてえところだが……。そうか……」


 彼はどこか納得した様子で口に含んだ煙を吐き出した。


 誠也
「やっぱり兄貴は死んじまってたか……」


 誠也は事故に遭ったときに肉体から離れ、それ以来ずっとこの場所にいる。

 そのため自分たちの体がその後どうなったのか、わからず仕舞いだったのだ。


 みのり
「もしかして気付いてなかったんですか? それじゃあご自身の体のことも……」


 みのりが誠也の方に振り返り、彼にそうたずねた。

 誠也が彼女の言葉に首を傾げる。


 みのり
「あなた、まだ生きてますよ」


 誠也
「……」


 みのり
「病院であなたの〝体〟と会ったんです。今は植物患者として延命措置が施されてます。事故のこともそのときに知りました」


 みのりが彼の現状を大まかに伝えるが、本人はあまり嬉しそうでない。

 その理由も、おそらく例の事故と関係しているのだろう。


 みのり
「……それで、藤波さん。これからどうするんですか?」


 誠也
「……何が?」


 みのり
「元の体に戻る気はないんですか?」


 今の誠也は幽体離脱と似たような状態だ。

 彼の精神が肉体に戻れば、藤波誠也は本当の意味で覚醒する。

 彼の両親も大いに喜ぶだろう。

 すると誠也が逆に質問を返した。


 誠也
「その前に一つ聞いていいか?」


 みのり
「……?」


 誠也
「お前は何で〝そいつ〟が俺だって思うんだ? こんな状況、普通にありえねえだろ?」


 例え顔や名前が同じだとしても、別人だと考えるのが普通だ。

 彼が何らかの理由で嘘の名前をみのりに教えた。

 そう考える方が自然である。

 みのりは自分がそう思った理由を彼に説明した。

 みのり
「初めて藤波さんを病院で見たとき、何故か初めて会った気がしませんでした。そのときはまだ身内程度にしか考えてなかったんですが、事故の話を聞いた瞬間にあなたの顔が真っ先に思い浮かびました」


 誠也
「……それだけか?」


 みのり
「理由を付けるなら他にもあります。私はこれまでにあなたと何度か接触する機会がありました。だけどあなたの体からは何も感じなかった。――――今のあなたには体温がないんです」


 誠也
「……」


 みのり
「そして一番の理由は――――匂いです」

 誠也
「匂い?」


 みのり
「あなたは四六時中ここで煙草を吸ってますよね? けど、あなたからは何も匂ってこないんです。隣に座ったときも、あなたに口を塞がれたときすらも……」


 煙草の匂いは本人よりも周囲の人間の方が強く感じる。

 特に非喫煙者は、その匂いにはとても敏感だ。

 普通ではありえないことだが、普通ではありえない人間がそこにいるのだ。

 二人が同一人物と考えるには十分である。

 しっかりと判断材料を揃えられているがゆえに誠也も言い訳のしようがなかった。


 誠也
「さっきの質問だけどな……。答えは〝ノー〟だ」
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