名無しの聖女は辺境伯に愛《なまえ》を授かる

赤坂 明

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 担いだ荷を乱暴に下ろす。大量の野菜の詰め込まれた荷はどさりと重い音を立て、裏口の石畳に乱暴に投げ出された。
 庭先で遊んでいた子供たちが、びっくりしたように目を丸くする。駆けっこをしていた脚が止まり、ぽかんと口を開く様は実に無邪気で無防備だ。
 苛立ったボルスは、小さく舌打ちした。子供たちは直ぐに興味を失ったのか、パタパタと駆け出す。
 日当たりの良く広い庭を駆ける子供たちは、まるで何の不安も心配もないようで、ここが孤児院であるということを忘れさせるようだった。
――捨てられた分際で、お目出度いことだ。
 胸の中で毒づきながら、ボルスはどさどさと荷を積んで行く。玄関から出て来た調理人が、ボルスの顔を見てぎょっとしたように顔を引っ込めたが、ボルスには知ったことではない。
 ボルスは、孤児院の出身である。それも貧民街に位置する孤児院の出身だ。こんな王都の中心部にある、教会の保護下に置かれた平穏な場所とは雲泥の差の、劣悪な環境で育った。
 機嫌次第で殴りつける職員も、残飯のような食事も知らないような、無垢な子供たちの笑顔は妙に胸に刺さる。極力その光景を見ないように、俯きながらボルスは黙々と荷を運んだ。端から分かってはいる。こうした小綺麗な孤児院に入れるのは、止ん事無き貴族の落とし種であったり、神に仕えるべき神官の隠し子であったり、そういった血筋の明らかな子ばかりだ。
 貧困層に生まれ、親の再婚により捨てられた、ボルスとは生まれながらに身分の差がある。
 淡々と食糧を運び入れながら、ボルスは心を無にする。今年成人を迎えるボルスは、食料品を扱う雑貨屋の下働きのようなものをしている。本当はボルスは、料理人になりたかった。けれど、十五の時、〝選定の儀〟で選ばれなかったボルスに、選べる職は少なかった。〝ギフト〟持ちでない孤児など誰が雇いたいと思うものか――一般的な平民の子であれば、ご大層な夢さえ抱かなければそれなりの職も選ぶことが出来る。しかしボルスにとってはそれすらも、遠い夢のまた夢の話でしかなかった。

「ご精が出ますね」
 くさくさするボルスの背に、穏やかな声が掛けられる。
 振り返るボルスの前に立つのは、穏やかな笑みを浮かべた初老の男だった。ボルスは無言で頭を下げる。幾度か配達を行う内、この初老の男が孤児院の院長であるとは知れていた。
 仏頂面でボルスは会釈をし、その場を去ろうとする。しかしその背に、柔らかな問い掛けが追って来る。
「無事に間に合ったようで安心しました、道は混んでいませんでしたか?」
「は? ……いや、別に」
「本日は第三聖女様が王都へお越しになるそうで、人手も相当なものだったでしょう。子供たちにも馳走を振る舞う予定だったので、大変に助かりました」
 聖女。その言葉に思わずボルスは足を止めた。脳裏に浮かぶのは金髪の、いつもへらへらと卑屈な笑みを浮かべていた、同い年の少年だった。男に媚び、身を売っていた淫売の少年。
 ボルスの中で聖女は、娼婦の形をしている。  
 動揺が見て取れたのか、院長は首を傾げながらも、穏やかに続ける。
「辺境へ嫁がれてからもこの孤児院のことを気に掛けて頂けましてなあ。ありがたいことに、寄進まで」
 好々爺然とした院長の顔を、今度こそボルスはあからさまに睨み付けた。何が寄進だ。国から金が出ている癖に、更に金が欲しいのか。ぱっと見ただけでも分かる、ここの子供たちが小綺麗な服を着て、良いものを食べさせられ、――愛されて育っているということを。
 あの少年とて、そんなことは分かっているだろうに。最底辺の暮らしの中で、体を売っていたあの、『娼婦の子』ならば。
 ボルスは皮肉げに口の端を上げる。いっそこの何も知らないで聖女を崇めている男に、全てぶちまけてやろうかとも思う。お前の信仰している聖女は、孤児で、男に股を開いていた、その癖只の運だけで〝ギフト〟を見出された、『娼婦の子』なのだと。
 仄暗いボルスの思惑など露知らず、院長は明るい声を上げた。
「ああ、いらっしゃいました。第三聖女様だ」
 ぎょっとしたボルスは視線を彷徨わせる。庭先で遊んでいた子供たちが、わっと入り口の方へと駆け出した。裏口にいるボルスから、遠く、輝く金色が目に映る。黒鎧の騎士を引き連れた聖女が、華やかな笑顔を見せながら駆け寄って来る子供たちに応じていた。
「凱旋式の合間に顔を出して頂けるとは聞き及んでおりましたが、まさか早々に起こし下さるとは。子供たちも喜びます」
 それでは、と一礼をして歓待の為聖女の方へと向かう、院長の背を只ぼんやりと見遣る。
 光の中にある聖女は、晴れやかな笑み。浮かべていた。まるで後ろ暗いことなど何一つないというように。
――すかした顔しやがって、運だけでそこに居る『娼婦の子』の癖に。
 昏い悪意は自分に跳ね返りボルスの心を暗く染めた。聖女など〝ギフト〟さえなければ――その思いは畢竟、ボルス自身を貶めているに過ぎない。〝ギフト〟すらない孤児院出身のこの身は、『娼婦の子』以下であると。心の何処かで自身を卑下している、その気持ちに蓋をして、ボルスは相手を胸中で貶め続ける。
 罵倒して、貶して、全てをぐしゃぐしゃにしてやりたい気持ちと、それで己を壊す恐れと。動けなくなるボルスの方に、不意に、聖女の顔が向けられた。庭を挟んだ距離であるにも関わらず、碧の瞳がこちらを捉えたのが分かる。ボルスは狼狽えた。まさかこちらの思惑が知れた訳でもあるまいに――そもそもボルスを覚えているかどうかも分からないのに。
 後ろめたさに突き動かされるようにその名を呼び掛け、――そして気付く。ボルスは、『娼婦の子』の名を、知らない。

「ルカ、時間だ」
 聖女の背後から黒鎧の騎士が声を掛ける。ルカ、と呼ばれた『娼婦の子』は、ゆるりと騎士を降り仰ぐ。
 辺境の地に嫁いだらしい聖女は、碧をきらきらと輝かせ己の伴侶らしき人物を見上げている。
 何事かを囁き合う二人に、一瞬ボルスの胸を、ひやりとしたものが過る。かつてボルスは聖女を疎んでいた。孤児院にいたどの子供もそうだったろう。『娼婦の子』、侮り貶し殴っていたその事実を、傍らの騎士にもし告げていたならば。
 子供のしたこととは到底見過ごされないだろう。何せ相手は国賓級の〝聖女様〟だ。
 青い顔で呆然とするボルスを余所に、聖女と騎士は踵を返した。そのまま去るかに思われた聖女は、ふと、こちらへ顔を向ける。
 碧い碧い瞳が、緩く弧を描いた。口の端が美しく上がるのに、虚を突かれてボルスは立ち尽くす。
 碧の片目が、ぱちりと、大きく瞬かれる。不器用に瞑られた瞳がボルスを捉え、そこに込められた色には嘲りも皮肉もなく、ボルスを只々戸惑わせた。
――じゃあな、
 薄い唇が爽やかに別れを告げ、長めの後ろ髪がきらきらと日に透けて輝く。嬉しそうに、照れ臭そうに、伴侶に寄り添う姿に、かつての陰はない。
「お忙しい中でしたが、顔を拝見出来て何よりでした」
「あの、」
 再び戻って来た孤児院の院長に、思わずボルスは問い掛ける。妬みとも違う、怒りとも違う。胸の内に沸き上がるそれを、強いて言えば、発憤だった。
「あの、この孤児院で――この孤児院じゃなくても良いんですけど、働き口ってありますか? 出来たら、料理とかやれると、嬉しいんすけど」
 驚いたような院長の目が、優しく眇められる。
 きらきら、きらきらと、祝福の残滓は残酷なまでに平等に、ボルスに降り注いでいた。
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