謀殺された悪役令嬢は、前世の護衛騎士の幸せを見届けたい

うづき

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1-2.過去と今

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 瞼を指す光に、淀んだ思考がぐい、と手を引かれるような心地を覚えた。ぎゅうっと眉根に力を入れてから目を覚ます。それと同時に、階下から母の呼ぶ声が聞こえてきて、ロゼは小さく伸びをした。
 体型を隠すような、すっぽりと頭から被って着る衣服を軽く整えて、手ぐしで髪の毛を整える。そうして、足を滑らせないように急な階段を降りると、食事を用意していた母が「ネリー」と言葉を口にした。

「はぁい。おはよう」
「おはよう。今日は朝から街へ薬を卸しに行くから、着いてきてくれる?」
「もちろん」

 ネリーは頷いた。母が嬉しそうにして、そうして焼きたてのパンを載せたお皿を机の上に置く。ネリーの分だけ、いつも、少しだけ多い。一度母のパンと入れ変えたことがあったが、直ぐに気付かれて戻されてしまった。そして、遠慮はしないの、と怒られたのを覚えている。

 ネリーは、孤児だ。そして、前世と、そのもう一個前の前世の記憶も持っている。簡単に言えば、二人の人生を、一つの体に既に背負い込んでいるのだ。
 前世は、ロゼ・デイラシア。そしてもう一つ前の前世は、こことは違う世界で暮らす、一般人の女性。

 毒薬を飲んで少し経ってから、ロゼは転生をした。ネリーという、幼い少女に。
 ネリーには、母も父も生まれついた頃には身よりと呼べる存在が一人もいなかった。突如として思い出した二人分の前世の記憶に発狂しかけていたネリーを拾ったのが、今の母である。
 今の母は魔法薬草術に長けていて、熱を出すネリーを看病し、名を授けてくれた。彼女の甲斐甲斐しい、献身的とも言える支えが無ければ、ネリーは今頃デイラシアのどこかで野垂れ死んでいただろう。

 だから、ネリーは今の母親にひどく感謝をしている。いずれ、この恩をきちんと返さなければならないな、なんて思いながら、日々、薬草採取などを手伝っているのだ。
 幸いなことに、ネリーには前世の記憶がある。識字率の低い世界で、ネリーは文字を読めるし、薬草の分類も可能だ。前世、どうにかして悪女として断罪されるルートを回避するべく、本を読みあさっていた知識が来世に生かされるとは、思ってもみなかった。

 ネリーは食事を終えてから、薬草籠を背負う。母は出来上がった魔法薬を瓶に入れたものを、籠に詰め込んでいる。重たそうに見えるが、恐らく魔法で軽くしてあるのだろう、籠を持ち上げる動きは軽快だ。

「それじゃあ、行こうか」
「うん」

 頷くと同時に、差し出された指先を握る。
 ネリーは、今年で十歳になる。
 それはすなわち、ロゼが死んでから、十年の月日が経った、ということの証左でもあった。


 デイラシアの王都に到着する。魔法薬を売り出す母に声をかけてから、ネリーはいつもの場所へ向かった。
 王都に作られた救民院、ロゼが生きていた頃、力を入れてようやく作り上げた場所、――その、跡地である。

 ロゼが視察に来た頃には、孤児の子ども達がここに居て、ロゼの支援の元に暮らしていた。デイラシアは識字率が低い事もあり、老若男女問わず、救民院で識字率の向上を図るための講義も行っていた。実際、そこそこの人数が参加していたように思えるが、今は廃墟としての様相を示している。
 ロゼが死んだ後、直ぐに、救民院は国の保護から外れたのだ。

 立て付けの悪い扉を開くと、内部の構造が露わになる。吹き抜けの形をした二階建ての建物だが、二階に上がるための梯子はもうぼろぼろだ。長く保つようにと誂えた椅子も、盗まれたり、端材として使われるなどしているのか、ほぼ数が残っていない。机は言わずもがなである。
 屋根には穴が空き、木材で出来た床がネリーの体重で僅かにたわむ。現代であれば確実に立ち入り禁止の札が掲げられそうなそこが、ネリーは好きだった。

 この場所で、ネリーは――ロゼはセレストに文字を教えたのだ。
 セレスト。――ロゼが幼い頃、それこそ、十歳のころ、奴隷として売られてやってきた、まだ稚さの残る、小さな獣人族の子ども。
 美しい銀色の髪に、それと似た耳。ふさふさの尻尾は、恐らく狼の尻尾が一番形容に近い。虹彩の鋭い青色の瞳は、初めて連れられてきたロゼの生家で、怯えたような色を宿していた。美少年のようにも、美少女のようにも見える。栄養の行き渡っていない、貧相な体が、なおのこと性別を錯覚させた。

 文字が読めず、そのせいで、わけもわからぬ内に奴隷として売られてしまったセレストは、周囲の全てが敵だと言うような顔をしていた。だから、ロゼに向ける視線にも厳しいものが混じっていた。
 ――だから、本来、悪役であるロゼは、セレストの視線を不遜と罵り、酷く、きつく、物のように当たり散らさなければならなかった。

 けれど、その頃には、ロゼは前世の記憶を取り戻していた。だから、セレストに酷く当たる、ということは、どうしても出来なかったのである。そもそも、ロゼの前世はセレスト推しの一般人女性であった。推しに酷く当たるだなんて、出来るはずもないだろう。

 だから、出来る限り、ロゼとして、セレストに優しく接しようと思って、そのように行動した。セレストのように、文字を知らぬということで危機的な状況に陥る子どもがこれから先出ないようにと、救民院を家族の力を借りて立ち上げた。その後、ロゼが王族に輿入れすることになった際、王家に引き継ぐ形で救民院の権利を渡したのだが、その結果がこれである。

 セレストも、最初の頃はあまり表情も変えず、言葉も口に出さなかったが、少しずつ少しずつ、それらを表出することを怖がらなくなっていたように思う。最終的にはよく笑うようになっていた。その上で、親交を深められたこともあってか、ロゼが王太子に見初められ、輿入れすることになった時も、付いていきたい、と名乗り出るほどだったのだ。その頃には、セレストは栄養状態が良くなったこともあって体の発育も良くなり、元々の身体能力の高さも相まって、騎士として頭角を示すほどになっていた。なので、ロゼとしても一緒に来てくれるならありがたい、とセレストからの言葉を喜んで受け入れたのだが――。

 結局、ロゼは謀殺されてしまった。ネリーは前世のことを思い出してから、出来る限りセレストの情報を探ってみたのだが、騎士として王家に仕えている以上の情報は掴めていない。だが、きっとどこかで幸せに生きているはずだ。
 そうであってほしい、と思う。

 前世、何をしたって、為す術も無く悪女としての汚名を着せられ、死んでしまうことを余儀なくされてしまった。だからこそ、せめて、何かしら一つでも、セレストが幸せに暮らすことが出来るような、そんな手伝いが出来ていたなら、多少は報われるというものである。

 ネリーは小さく息を吐いて、それから周囲を見渡す。床に、紙が落ちているのが見えて、それをそっと拾いあげた。
 どうやら何かしらの演劇の演目が描かれているらしい。恐らくは沢山配られた内のいくつかが、風に吹かれて、こんな辺鄙なところまで飛んできたのだろう。

 題目は『赤の魔女と救世の聖女』。題名だけでなんとなく察しがついたが、どうやらロゼ・デイラシアを誅伐する物語であることは間違い無いだろう。赤の魔女、傾城の悪女。それらは、ロゼの死後、ついて回った異名のようなものである。

 演劇として、誰かの耳目を楽しませているなら、まあそれも、悪くない人生だったのかもしれない――なんて、思った、瞬間である。

「誰だ?」

 静かな声が耳朶を打った。それは、地を這うような低い声だった。鋭く磨いだ刃の先を、喉元に突きつけられているかのような感覚を覚える。殺気とも言い換えられるそれに、ネリーは体を硬直させた。
 軋む床を、ゆっくりと踏みしめて誰かが近づいてくる。男性は、ネリーの後ろで足を止めると、「子ども?」と僅かに息を詰まらせた。

「……何をしにここへ? ここはもう既に閉館している。廃墟だ」
「……」

 喉が震える。言葉が出ない。何かしら言葉を口に出すのが怖い、と思うのは初めてのことだった。ネリーの零す、浅い呼吸の音だけが場に満ちる。
 男性は小さく息を零した。瞬間ふ、と殺気が和らぐ。一拍を置いて、冷や汗がドッと吹き出すのを感じながら、ネリーはようやく「こ、ここが」と言葉を続けた。喉がからからに渇いている。

「ここが……好きで……」
「……ここが?」
「そう。そうです」

 何度も頷きながら、ネリーは言葉を続ける。そうして、不意に糸が切れるようにして、その場にへたりと座りこんだ。
 手に持っていたチラシは、緊張と震えで、既にぐちゃぐちゃになってしまっている。もう文字も判別出来ないほどになったそれを固く手に持ったまま、ネリーは小さく笑った。
 腰が、抜けてしまったようである。立てない。

 ネリーに言葉を投げかけていた男性が、困惑じみた雰囲気を醸し出すのがわかる。いつまで経っても動き出さない相手を、不審に思ったのかもしれない。
 男性はゆっくりと足を動かすと、ネリーの前に移動した。そうしてネリーを見つめ、思ったよりも幼い子どもを相手にしていると気付いたのか、言葉尻を和らげるようにして言葉を続ける。

「……もしかして立てないのか? すまない、俺のせいで、そうなってしまったんだろう。手を貸す」
「え――」
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