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6-1.床の補修と本集め
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さら、とネリーの頭を撫でるように、母親の指先が動く。髪を手ぐしでそろそろと梳きながら、母親は「伸びてきたねぇ」と感慨深そうに言葉を続けた。
「そろそろ切る?」
「どうしようかなあ」
ネリーは言葉を返しながら、母親の手から逃れた髪の一房を指先で摘まむ。柔らかく、けれど癖の無い髪質なこともあり、掴む度にするりと解けるようにネリーの指先から髪の毛が零れ落ちた。
一年前。――ネリーが十歳の時は、肩口を少し過ぎたくらいしかなかった髪の毛は、今やちょうど肩甲骨の下くらいまで伸びている。そろそろ散髪すべきだと思うのだが、もう少し伸ばしてみたい気もする。
ロゼの時は、基本的に侍女に手入れをされながらずっと伸ばしていた。貴族である以上、髪の長さ、そしてそれらの質というのは、自分は髪にまでこんなにお金をかけられるんですよ、という周囲への喧伝にもなる。
貴族ではない今、髪の毛を伸ばしていた所で、とも思うのだが。ぼんやりと考えていると、ネリーの肩を軽く撫でながら、母親が「切ってあげようか!」と言葉を弾ませた。
ネリーは慌てる。自慢では無い、本当に全く自慢では無いが――ネリーの母親は、魔法薬を作る時の繊細な手つきを、散髪の時にはどこかへ置き忘れたかのようになる。単刀直入に言って下手だ。
ネリーがもう少し幼い頃、母親に散髪されて、水鏡で正面から顔を見せられた時の驚きといったらない。それ以降、出来る限りネリーは自分で散髪するようにしてきたのだが。
(――お母さんに任せたらどんなふうになるのかわからない……!)
ぶる、と体を震わせて、それからネリーは笑顔を浮かべた。
「ま、まだ伸ばそうかなあって! だから大丈夫! 大丈夫だよ!」
「そう? ネリーが言うなら、無理にとは言わないけれど」
母親は首を傾げる。ネリーはいそいそと椅子から降りた。そうして、いつものように薬草籠を抱え、「王都に行ってくる!」と声をかける。
完全に話題を逸らした形になったが、母親は何も言わず、笑顔でネリーを見送ってくれた。
ネリーは家を出て、そのまま駆け足で王都まで向かう。そうして、路地を抜けて、いつもの場所へ訪れた。
救民院。ネリーが最近、ほとんど毎日のように通っている場所だ。
門を越えて、中に足を踏み入れる。そうしてから、ネリーはどきどきと高鳴る胸を必死に抑えながら、救民院を見つめた。
昨日まで、塀をぐるりと囲むようにしてあった足場が、今は少しずつ解体が進められている。
魔法ですいすいと足場を外していたアランが、ネリーに気付いて「お、はやいな」と言葉を続けた。ネリーは何度も頷く。アランの傍には、彼の弟子であるロペラも居る。ロペラはネリーより幾分年上だ。くるくるとした茶色の巻き毛が、よく変わる表情に愛らしさを添える少年で、ここへ通って補修する間、随分とネリーは可愛がってもらった。
「きょっ、今日で終わるって、昨日……!」
「言ってた言ってた。でもこんなに早くくるなんて。親方もびっくりしてる。なあ?」
言葉を弾ませながら続けると、ロペラは笑う。そうしてから、ネリーの体をひょいと抱き上げた。人好きのする笑みを浮かべて、「ほら、中に見に行こう」と続けた。ネリーは頷こうとして、それから慌てて首を振る。
「あ、だ、駄目です! 駄目なの」
「駄目? 何が」
「騎士様と一緒に見るって約束をしていて」
「セレスト様と?」
ネリーは頷く。基本的に、ここが補修されている作業風景を、セレストはあまり見たことがない。それも当然で、騎士の中で一番位の高い『青騎士』であるが故に、朝の内は騎士としての仕事があるからだ。そして、アラン達は、王家にバレないように補修をする必要があり、時間帯は早朝や深夜など、人目につきづらい時間帯を選んで作業をすることになる。
セレストとアラン達の時間は、絶望的なまでに噛みあわなかった。なので、その橋渡しとして、ネリーが手を上げたのだ。作業の進捗や、あとどれくらいかかるか。屋根はどのように補修していくか、それらをネリーが聞いて、それを昼にやってくるセレストに伝える。時折手紙をやりとりすることもあった。中身は厳重に封がされており、セレストも見たあと、直ぐに焼いていた。
――セレストは最初、ネリーがアラン達の話をしたとき、本当に驚いた様子でネリーを見つめた。信じられない、という言葉がありありとその顔に浮かんでいたのを、ネリーは昨日のことのように覚えている。
セレストにとって、大事な場所である救民院が――他の誰かにとっても、守りたい場所であるということを、認識していなかった様子だった。
直ぐにアラン達に謝礼を、と口にしていたが、セレストが謝礼金を持っていくとこの補修のことが公になる可能性がある。それもあって、そこもネリーが橋渡しをした。
そうして――昨日の昼、満を持して、ネリーはアランから伝えられた通り、「明日補修が完成する」ということを、伝えたのである。
それまで内部の天井あたりは、万が一の崩落を防ぐためか、木くずが落ちるのを止める為か、魔法で薄い布が吊られていた。それが明日、取り払われるのだということを伝えると、セレストは言葉を飲み下すような間を置いてから、「そうか」とだけ続けた。
優しい声音だった。沢山の思いが詰められたそれに、ネリーは「そうです!」と頷いた。そうして、セレストと強引に約束を取り付けたのだ。
明日、屋根が補修された所を、一緒に見よう、と。
だから――ネリーだけが、先んじて、見るわけにはいかないのだ。
ネリーを抱き上げたロペラは僅かに視線を寄せた後、「そっか」と笑った。そうして、ネリーの体をそっと地面に下ろす。
「そういうことなら、それは邪魔したら駄目だな。きっと驚くぞ!」
「驚く? ですか?」
「そうそう。実はさあ、面白い細工をして――」
ロペラは言葉を続け、それから「あ、でも、これは言ったら駄目か」と続けた後、アランをちらりと見る。アランは少しばかり眉根を寄せた後、首を振った。
「うーん。きっとセレスト様から説明もあるだろうし。まあ、見終わったら後で工房においでよ!」
「馬鹿弟子、工房で補修の話をするなよ」
「あ、ああ、そっか、あーっ、じゃあまた今度会いに来ようかなあ。ここ、救民院として、また動くことになるんだろ?」
アランが釘を刺すように言葉を続け、慌てたようにロペラが首を振った。
ネリーは瞬く。救民院――として、動くことに、なるだろうか。なってほしい、とネリーは思うし、セレストもそのようなことを言っていた。
ただ、今回の補修の件で、救民院が王家からは良い顔をされていないという事実が浮き彫りになってしまった。そうすると、今回また人を集め、識字率を高めるように文字を教える、という動きも、良くは思われないのかもしれない。
(……まあ、今更、良く思われる、思われないとか思ってもね)
そもそもネリー自体は既に王家に対する不信感しか無い。ただ、ネリーはそうであっても、セレストはそうではないかもしれないから、注意は必要だろう。軽々な行動をすれば、セレストが危ない目に遭う可能性もある。
「そろそろ切る?」
「どうしようかなあ」
ネリーは言葉を返しながら、母親の手から逃れた髪の一房を指先で摘まむ。柔らかく、けれど癖の無い髪質なこともあり、掴む度にするりと解けるようにネリーの指先から髪の毛が零れ落ちた。
一年前。――ネリーが十歳の時は、肩口を少し過ぎたくらいしかなかった髪の毛は、今やちょうど肩甲骨の下くらいまで伸びている。そろそろ散髪すべきだと思うのだが、もう少し伸ばしてみたい気もする。
ロゼの時は、基本的に侍女に手入れをされながらずっと伸ばしていた。貴族である以上、髪の長さ、そしてそれらの質というのは、自分は髪にまでこんなにお金をかけられるんですよ、という周囲への喧伝にもなる。
貴族ではない今、髪の毛を伸ばしていた所で、とも思うのだが。ぼんやりと考えていると、ネリーの肩を軽く撫でながら、母親が「切ってあげようか!」と言葉を弾ませた。
ネリーは慌てる。自慢では無い、本当に全く自慢では無いが――ネリーの母親は、魔法薬を作る時の繊細な手つきを、散髪の時にはどこかへ置き忘れたかのようになる。単刀直入に言って下手だ。
ネリーがもう少し幼い頃、母親に散髪されて、水鏡で正面から顔を見せられた時の驚きといったらない。それ以降、出来る限りネリーは自分で散髪するようにしてきたのだが。
(――お母さんに任せたらどんなふうになるのかわからない……!)
ぶる、と体を震わせて、それからネリーは笑顔を浮かべた。
「ま、まだ伸ばそうかなあって! だから大丈夫! 大丈夫だよ!」
「そう? ネリーが言うなら、無理にとは言わないけれど」
母親は首を傾げる。ネリーはいそいそと椅子から降りた。そうして、いつものように薬草籠を抱え、「王都に行ってくる!」と声をかける。
完全に話題を逸らした形になったが、母親は何も言わず、笑顔でネリーを見送ってくれた。
ネリーは家を出て、そのまま駆け足で王都まで向かう。そうして、路地を抜けて、いつもの場所へ訪れた。
救民院。ネリーが最近、ほとんど毎日のように通っている場所だ。
門を越えて、中に足を踏み入れる。そうしてから、ネリーはどきどきと高鳴る胸を必死に抑えながら、救民院を見つめた。
昨日まで、塀をぐるりと囲むようにしてあった足場が、今は少しずつ解体が進められている。
魔法ですいすいと足場を外していたアランが、ネリーに気付いて「お、はやいな」と言葉を続けた。ネリーは何度も頷く。アランの傍には、彼の弟子であるロペラも居る。ロペラはネリーより幾分年上だ。くるくるとした茶色の巻き毛が、よく変わる表情に愛らしさを添える少年で、ここへ通って補修する間、随分とネリーは可愛がってもらった。
「きょっ、今日で終わるって、昨日……!」
「言ってた言ってた。でもこんなに早くくるなんて。親方もびっくりしてる。なあ?」
言葉を弾ませながら続けると、ロペラは笑う。そうしてから、ネリーの体をひょいと抱き上げた。人好きのする笑みを浮かべて、「ほら、中に見に行こう」と続けた。ネリーは頷こうとして、それから慌てて首を振る。
「あ、だ、駄目です! 駄目なの」
「駄目? 何が」
「騎士様と一緒に見るって約束をしていて」
「セレスト様と?」
ネリーは頷く。基本的に、ここが補修されている作業風景を、セレストはあまり見たことがない。それも当然で、騎士の中で一番位の高い『青騎士』であるが故に、朝の内は騎士としての仕事があるからだ。そして、アラン達は、王家にバレないように補修をする必要があり、時間帯は早朝や深夜など、人目につきづらい時間帯を選んで作業をすることになる。
セレストとアラン達の時間は、絶望的なまでに噛みあわなかった。なので、その橋渡しとして、ネリーが手を上げたのだ。作業の進捗や、あとどれくらいかかるか。屋根はどのように補修していくか、それらをネリーが聞いて、それを昼にやってくるセレストに伝える。時折手紙をやりとりすることもあった。中身は厳重に封がされており、セレストも見たあと、直ぐに焼いていた。
――セレストは最初、ネリーがアラン達の話をしたとき、本当に驚いた様子でネリーを見つめた。信じられない、という言葉がありありとその顔に浮かんでいたのを、ネリーは昨日のことのように覚えている。
セレストにとって、大事な場所である救民院が――他の誰かにとっても、守りたい場所であるということを、認識していなかった様子だった。
直ぐにアラン達に謝礼を、と口にしていたが、セレストが謝礼金を持っていくとこの補修のことが公になる可能性がある。それもあって、そこもネリーが橋渡しをした。
そうして――昨日の昼、満を持して、ネリーはアランから伝えられた通り、「明日補修が完成する」ということを、伝えたのである。
それまで内部の天井あたりは、万が一の崩落を防ぐためか、木くずが落ちるのを止める為か、魔法で薄い布が吊られていた。それが明日、取り払われるのだということを伝えると、セレストは言葉を飲み下すような間を置いてから、「そうか」とだけ続けた。
優しい声音だった。沢山の思いが詰められたそれに、ネリーは「そうです!」と頷いた。そうして、セレストと強引に約束を取り付けたのだ。
明日、屋根が補修された所を、一緒に見よう、と。
だから――ネリーだけが、先んじて、見るわけにはいかないのだ。
ネリーを抱き上げたロペラは僅かに視線を寄せた後、「そっか」と笑った。そうして、ネリーの体をそっと地面に下ろす。
「そういうことなら、それは邪魔したら駄目だな。きっと驚くぞ!」
「驚く? ですか?」
「そうそう。実はさあ、面白い細工をして――」
ロペラは言葉を続け、それから「あ、でも、これは言ったら駄目か」と続けた後、アランをちらりと見る。アランは少しばかり眉根を寄せた後、首を振った。
「うーん。きっとセレスト様から説明もあるだろうし。まあ、見終わったら後で工房においでよ!」
「馬鹿弟子、工房で補修の話をするなよ」
「あ、ああ、そっか、あーっ、じゃあまた今度会いに来ようかなあ。ここ、救民院として、また動くことになるんだろ?」
アランが釘を刺すように言葉を続け、慌てたようにロペラが首を振った。
ネリーは瞬く。救民院――として、動くことに、なるだろうか。なってほしい、とネリーは思うし、セレストもそのようなことを言っていた。
ただ、今回の補修の件で、救民院が王家からは良い顔をされていないという事実が浮き彫りになってしまった。そうすると、今回また人を集め、識字率を高めるように文字を教える、という動きも、良くは思われないのかもしれない。
(……まあ、今更、良く思われる、思われないとか思ってもね)
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