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デオギニア帝国からの留学
ララ(2)
しおりを挟むライドン伯爵夫人の教育は予想通り厳しいものだった。
叱られてばかりいたけれど、何度失敗しても夫人は声を荒げたりしないで根気強く教えてくれた。
今日は夫人の姪にあたるベアータという十一歳の少女との十回目のお茶会だ。
「ララ殿下はお姫様ではないのですね。所作がまったく美しくありませんもの」
初めて会ったとき、流暢なデオギニア語でグサグサ言われた。夫人が「本音は、そうとわからないよう言うものですよ」とベアータを叱るので余計にささる。
ベアータは優雅な身のこなしで、ひとつも音を立てずにカップを置く。首の傾げかた、相づちの打ちかたは大人のそれであり、女性らしさでも完全に負けていた。そしてもちろんベアータは美少女だ。
淑女のお手本として夫人に連れて来られたベアータを最初に見た時は、こんな子どもが……などと思ったりしたのだが、先生として幼児が来なかっただけよかったのだと今ならわかる。余裕で負ける自信がある。
なんたって、猫背で腹が出ているララには、茶会で姿勢を保つだけでも苦労しているぐらいだから。
「ララ殿下は猫のように愛くるしい立ち姿でいらっしゃいますね」
「ちょっと待って、それって猫背っていう悪口よね!?」
「ララ殿下。茶会なんて悪口、自慢、妬み、嫉み、そのようなものばかりですのよ。誰それが素敵だとか、そんな浮ついた会話は皆、幼少期で済ませますの」
「サファスレート大丈夫!? ねぇ、あなた本当に十一歳!?」
「十一歳になったばかりですわ。恐らくですが、今度の夜会では意地悪な方ほど、サファスレート語しか使いません。ララ殿下は読み書きどころか喋れないとか?」
「ぐっ……」
デオギニアは大国なので、皇女であるララにはデオギニア語で話しかけてくるのが常識だろうと、来る前は本気で思っていた。けれども、今回はデオギニア皇女として来ているわけではない。どういう立場で訪れているのか、というのは大事なことなのだと来てからわかった。むしろサファスレート語で話さなければならないのはララのほうなのだ。
「今日のお茶会はこのぐらいで。この後は一時間ほど座学を、その後、ダンスのレッスンをいたします」
「承知いたしました。ありがとうございました」
静かに頭を下げた。二日前、ようやく及第点をもらえた挨拶だ。
挨拶はいいが、夫人のように上半身をブレさせることなく立ち上がることはできない。まだ練習が必要だろう。
夫人は、教師と入れ替わりで出て行った。ベアータも続いて出ていこうとしていたが、立ち止まり、振り返るとにっこり笑った。
「ララ殿下、少しお痩せになりましたね。最初は豚のようでしたが、三週間経ったいま、サファスレートの町娘ぐらいには見えましてよ? オホホホ」
「お褒めにあずかりまして恐縮でございます」
「褒めてはおりません」
「可愛くないわねっ!!」
ベアータが町娘ぐらいに見えるというのなら、見えるのだろう。本人は褒めてないと言っているが、ララにとっては褒められたも同然なのだ。最初は本当に酷かったのだから。
ルイと着ていた令嬢風ドレスは、ここではただのよれたワンピースだ。あの格好でサファスレートに来たことが恥ずかしい。あのまま王宮に行かなくて本当によかった。
ミユとナターシャは足首が隠れる長さのシルク素材のワンピースを着ていた。彼女たちの細い体には合っていたし、斬新ではあるもののミユは皇女に見えた。彼女は姿勢がよく、何を着ても映える。
苦いものがこみ上げるのを必死で堪えた。
ここで踏ん張らなければ、デオギニアに帰っても、また同じことの繰り返しになるだろう。
これがきっと、最後のチャンスだ。
座学の教師には、夜会で必要なサファスレート語での挨拶を習った。無理に会話しようとせず、挨拶に留め、笑顔でやり過ごすよう指導された。その後、ダンスの練習場である邸内のホールへ向かった。
毎日履きなれない七センチのヒールを履いているだけでも全身筋肉痛だ。余計な力が入っているらしく、体中が痛い。そんな中、ダンスの練習は徐々に増えていった。運動量が増えたのに、コルセットで毎日締め上げられるせいで食事量が減っている。寝る前にヒールとコルセットから解放された体は嘘みたいに軽く感じるのだ。
音を立てて歩くと夫人が出てきて注意されるので静かに歩いた。
最初の三日間は背中に棒のような物を入れられ、優雅に歩く練習ばかりさせられた。踵の靴擦れも酷いことになった。
驚いたことにサファスレートには絆創膏がない。持っていなかったら大変なことになっていただろう。この国の令嬢は靴擦れになっても、ヒールを履いている間は我慢するしかないらしい。マリィが絆創膏を見て、羨ましいですと零していた。
来る前はサファスレートを時代錯誤の国と馬鹿にしていたのだけれど。
便利な道具を知らず、古いしきたりに縛られているはずの女性たちは、それでも凛として美しい。
ルイと離れて静かに周りを見渡してみれば、自分は何も努力せず流されるまま怠惰に生きていたのだとわかる。
こんなわたしだから、誰にも振り向いてもらえないのだ。
再びこみ上げる苦いものを堪えてダンスホールの扉を押して静かに入った。ダンス初日に扉が軋むほど強く開いてしまったことを思えば、少しは成長したのかもしれない。
いつもならダンス教師が待っているその部屋にいたのは、婚約者のコーディーだった。
「え? どうして?」
「夜会でファーストダンスのパートナーだから、その練習らしい」
素っ気ない返事に胸がズキンと痛んだ。
シンの命令で仕方なくララと婚約したコーディーは、必要最低限しか会話をしないし、接触もしない。儀礼的に送られてくる手紙やプレゼントを、それでも嬉しく思ってしまう自分が情けなかった。
「踊る?」
「…………よろしくお願いいたします」
ドレスを軽く持ち、片足を引き、膝を曲げた。筋肉痛で足がプルプルするが、ダンスの前にこれをしないと夫人に叱られる。ゆっくり視線を上げると、コーディーが口を開けてララを見ていた。
「どうしたの?」
「何でもない」
踊り始めると、コーディーはダンスが上手いのだと初めて気付いた。デオギニアにも一応社交はあるのでダンスは習っていたし、コーディーとも踊ったことはあるのだけれど。
夫人がどこからか調達してきてくれたドレスはサファスレートらしい古めかしいデザインだ。最初はこんな重いドレスを着て踊れないと思っていたけれど、初日に比べればお腹も苦しくないし、長い裾なのに綺麗に足をさばくことができている。
何よりコーディーがリードしてくれるので、スムーズに踊れて楽しい。そのまま三曲ほど続けて踊った。息は少しあがったけれど、なんとか踊りきることができた。
「わたし、生まれて初めてダンスが楽しいって思ったかも」
「そう? それは来た甲斐があったね。お世話になってるセヴィニー前伯爵から、今日はここへ来るように言われて来たんだけど。あ、そうそう、テッドは早々に逃げ出して行方不明だよ」
珍しく笑顔でたくさん話してくれるので、好意を持たれているのかと勘違いしそうになる。
こんなことぐらいで勘違いするから、わたしは駄目なんだ。
「コーディー」
「なに?」
汗をハンカチで押さえていたコーディーが首を傾げた。デオギニアらしい錆色の髪も、茶色の瞳も、コーディーだと格好よく見えるのは何故だろうといつも思っていた。
それが、わかった気がする。
ララが美しく見えないのは、色や顔立ちのせいではないことも。
ララそっくりの第一皇女のリマが美しく見えるのは、その心根や生き様が表情に出ているからだ。
リマはこんなララにさえ優しく接してくれる素敵な人だから。
母が父や国民に愛されているのも、きっと同じ理由だろう。
そんなことにさえ、気付くのに時間がかかってしまった。
「今までありがとう」
「急にどうしたの」
「本当はもっと早く言うべきだった。わたしって本当に馬鹿だから」
シンにお前の婚約者だと連れて来られたコーディーを見た瞬間から、本当は好きだったのだ。デオギニアでは珍しい涼しげな目元や、引き締まった体躯、無口なところさえも。
一度も素直にそれを認めたことはなかったし、他の男のほうがよかったなんて心にもないことをたくさん言ってしまった。
コーディーは頭がよくて将来有望なのに、本物のブービーであるララと婚約させられてしまった。
シンは最後のお情けでコーディーをモテないララの婚約者にしてくれていたのだ。
ララにとっては幸福なことだけど、コーディーにとっては不幸なことだろう。
「デオギニアに帰ったら、婚約を解消してください」
「……この国で好きな人でもできた?」
「全然。わたしにはサファスレート人は眩しすぎて。みんな綺麗だなぁとは思うけど、それだけ。なんだか顔の区別があまりつかなくて。それに、毎日必死過ぎてそんなこと考える暇もなかった」
「……」
「帰ったら高等学校に戻るね。この歳で高等学校なんて恥ずかしいけど、ちゃんと卒業する。そんなことで、シン兄様がわたしを認めてくれるとは思えないけど。それでもやってみるよ。その後は……どうしようかな……馬鹿だから……やっぱりすぐには思いつかないや」
黙ってしまったコーディーの顔を見ないまま、お辞儀をしてからダンスホールを飛び出した。
こんな時でも足音を立てずに歩けるようになった自分に苦笑しながら、滞在先の客室を目指したのだった。
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