【完結】オトナのお付き合いの彼を『友達』と呼んではいけないらしい(震え声)

佐倉えび

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 父が店員に名を告げると、貴族用の個室に通された。
 王都に来てから五年になるミシェルでさえ、初めて入る店だ。

「お父様、よくこのお店をご存知でしたね」
「馬鹿にするな。私だって秘密を守れる場所や店ぐらい把握している」
「そうですか」

 予めコース料理を注文しておいたらしく、品よく盛り付けられている前菜を口にする。鶏肉と青菜が絡まり、甘酸っぱい味が口に広がる。鼻を抜ける柑橘系の爽やかな香りが心地いい。

「お前にいい縁談がきた」

 ワインを口にしながら、ミシェルは「やっぱり」と心の中で呟いた。
 わざわざ出向いて来るということは、断れない縁談――もしくは、ミシェルに断らせないための処置だろう。父にしては小技が効いている。

「私が王都に滞在している間に婚約の書類を交わす手はずになっている。そうそう領地を離れてはいられないからな」
「そんなっ!!」
「なんだ。私が選んだ相手じゃ不満だと言うのか?」
「そうではなく、私には仕事が……」

 レイモンドと別れたら実家に帰ろうと思っていたことを棚に上げてミシェルは叫んだ。
 尻すぼみになってしまったのは、父の眼光が鋭く、余計なことを言うのがためらわれたからだった。

「先方は仕事を続けていいと仰ってる。王都に屋敷も構えているそうだ。彼一人の財産だけでも軽く我が家の財をこえる。大したものだ。たとえ子ができてお前が仕事を辞めても経済的に困窮することはないだろう。持参金も必要ないと仰せだ。安心しろ、アレはいい男だ」

 父は満足げに頷いてワインを飲み干した。少しピッチが速すぎはしないだろうか。
 畑仕事のせいで爪は短く、ペンより鍬を持つ時間が長かったせいか指は節くれだっている。
 結婚こそがミシェルの幸せだと思っている老いた父の久しぶりに見る嬉しそうな顔に、嫌だとは言えなくなってしまった。

「王都の野菜はイマイチだが、味付けで何とかなるものだな」

 小声でそんなことを呟き、グラスに追加のワインを注ぐ。

「うん。酒はやっぱり王都がいいな」

 父の言葉が遠ざかって聞こえ始めた。
 王都に出てくる前は、ずっとそんな感じだった。
 何を言っても無駄という気持ちが強くなり、気持ちを伝える努力を怠る自分が嫌だった。
 今もまた、耳を塞ぎたくなる気持ちが父の声を遠ざける。

(この歳になって、高位貴族でもないのに政略結婚なんて……)

 高位貴族以外の適齢期は二十歳だ。
 ミシェルはすでに二十三歳で、もうすぐ誕生日を迎える。
 行き遅れと囁かれる微妙な年齢にさしかかっているのだ。

(私にそんないい条件の結婚が舞い込むわけないのに。もしかして身体目当て?)

 ミシェルは既に純潔ではない。
 平民ならまだしも、結婚しようとする貴族令嬢はほぼ純潔のはずである。
 しかも、レイモンドしか受け入れられないほど、深く彼のことを愛してしまっている。

 そんなことを言えば父は激昂するだろう。

 高級な料理やお酒など、節約してきた父は久しぶりのはずだ。
 今ここで純潔ではないと告げれば、父の楽しいひと時に水をさしてしまうことだろう。

 でも、婚約してからでは遅い。

(お父様の声を遠ざけている場合ではないわ……)

 レーヌ子爵家の信用問題になる。
 むかしかたぎの父からは勘当され、実家に足を踏み入れることはできなくなるだろう。
 仕事を辞める予定のミシェルにとって、実家へ戻れないことは貧困に陥ることを意味する。

(それでも、レイモンドに抱かれたことを微塵も後悔しないなんて……)

 どうやらミシェルが自覚するよりもずっと深く、彼のことを愛してしまっているらしい。
 その彼といえば、ミシェルと会うこともなく他の令嬢との結婚が決まっているのだけれど――

 意を決して残りのワインをあおり、浮かれる父を見据えた。

「お父様、実は私……すでに純「レーヌ卿、親子水入らずのところ、申し訳ありません」

 扉が開く前に、ミシェルの言葉に被さるように声がかかった。父もポカンとしている。
 聞きなれた声と共に、貴族らしい煌びやかな格好をしたレイモンドが現れた。

(どういうこと!?)

「ミシェル嬢がいらしていると聞き、いてもたってもいられなくなりまして。実はこのお店はカヌレ家御用達でして。お恥ずかしい話ですが、私がミシェル嬢に懸想しているということもオーナーには知られてしまっているんですよ。気を利かせた彼が教えてくれまして。失礼かと思ったのですが、どうしてもミシェル嬢に直接気持ちを伝えたかったのです。同席をお許しいただけますか?」

 レイモンドは形のいい唇に綺麗な弧を描いてミシェルと父を交互に見ていた。



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