6 / 125
6.ニコ
しおりを挟むマイナが熱を出した。
朝から医者が呼ばれ、タルコット公爵家は上を下への大騒ぎになった。
「疲れが出たのでしょう。あたたかくして、ゆっくり休ませてあげて下さい」
白髭をたくわえた医師が、薬を処方して帰って行った。
「何か飲みたいものはないか?」
「喉を通りそうなものは?」
「寒くないか?」
「痛いところは?」
「今日はずっと傍にいるからな」
レイの矢継ぎ早の質問に、聞いてるニコのほうがイライラしてきた。
「旦那さま、さっさとお仕事へ行ってください。マイナさまが休めません」
「しかし」
「しかしも、かかしもありません」
「だが」
(クッソ、イライラする!! そのお綺麗な顔を殴ってしまいたい!!)
「レイさま、お仕事の帰りに、アイスを買ってきてください」
ニコの限界を感じたのか、マイナがとうとう声を上げた。
「アイスなら今すぐに」
「帰りがいいです。帰りでお願いします。王宮御用達の『野薔薇』のアイスがいいです」
野薔薇は王城のすぐ近くに店を構えている。
明らかにレイを仕事へ行かせるための方便だ。
「……しかし、帰りでは遅いのでは」
「お願いします。夜に食べたいのです。たぶん、そんなにひどくならずに熱は下がりますから」
「そうか……マイナがそう言うのなら」
布団の中でコクコク頷いたマイナに、堪えきれない様子でオデコにキスしたレイは、後ろ髪をひかれながら出勤して行った。
仕える主人が愛されているのは誇らしいが、過保護過ぎる。
成人してすぐの結婚は貴族では珍しく、マイナは幼妻と呼ばれている。
加えて庇護欲をそそる見た目からレイが過剰に心配する気持ちはわかるが、マイナの精神年齢は実年齢より高い。
あのままずっとここにいられてしまえば、マイナは自分のせいで旦那さまが仕事をサボったと自己嫌悪に陥るだろう。
そういう方なのだ。
自立した女性でもあるが、少々気を遣いすぎるきらいもある。
前世で幼いころにご両親を亡くされたようで、厳しい祖父に育てられたらしく、そのことがより一層気遣いという面に現れているような気がする。
相手に合わせてしまうところが心配だったのに、レイから求められていた共寝を拒否したことには驚いた。
随分と奥手というか、気遣いの方向を間違えているというか……そこもまたマイナの魅力かもしれないが。
ニコの立場上、それをよしとは言えないのが辛いところだ。
マイナより七歳年上のニコもまた、彼女に庇護欲をそそられている一人である。
しばらくして寝入ったマイナの顔色を確認してから部屋を出た。
静かに食堂へ向かう。
発熱に気付いた早朝から走り回っていたので、朝食を食べそびれてしまった。
(何か残ってるといいのだけれど)
休憩に入っているであろうバアルに何かを出してもらうのは気が引ける。
すっかり片付いてしまった厨房にガッガリしながら、食物庫に行ってリンゴでも齧ろうと踵を返した。
「あっ、ニコいた! お疲れ様! なにも食べてないでしょう? これどうぞ」
目の前に現れたヨアンが手渡してくれたのは、大きな『おにぎり』が二個。
「鮭と梅干しだよ。好きでしょ?」
「うん……」
「リンゴもいる?」
どこから出したのか、ヨアンの大きな手には真っ赤なリンゴが乗っていた。
(さっきは持ってなかったよね?)
「食物庫からもらってきたんだ。ニコも行こうとしてたでしょ?」
「うん……でも『おにぎり』だけでいい」
マイナと長く過ごしているニコとヨアンは、マイナから『おにぎり』の作り方を習っている。
『忙しいときにすぐ食べられるし、持ち運びに便利だから覚えておいて?』
当時七歳だったマイナが作る『おにぎり』は小さく可愛らしかった。
ベイエレン公爵家の使用人たちは、小さな三角が並ぶお盆を前に呆然とした。
誰もが巻かれた海苔の値段が高いことを理解していたし、お嬢さまの手作りをいただくという栄誉にも震えていた。
その頃はまだ、マイナの値段の判断基準は前世のままだった。
そちらの世界の海苔は高級品ではなかったらしい。
そのすぐ後のことだ。
マイナは海苔が高価であることに気付き、使用人が『おにぎり』を気軽に食べられないことを知ってしまった。
(あの時のシュンとしたマイナさまのお顔が忘れられない……)
使用人たち皆で話し合い、しょんぼりするマイナを説得して、使用人でも気軽に食べられる海苔を巻かない米だけの『塩むすび』を習った。
本音を言えば米も高いが、絶対に買えないという価格ではない……。
『塩むすび』は米の甘さが引き立ってとても美味しい。
けれど、海苔が巻かれ、具の入った『おにぎり』はやっぱり絶品だ。
特にせわしなく動いた今日のような日は。
「海苔はとても栄養があるってマイナさまも言ってたし。こういう時こそ食べるべきじゃない? 鮭と梅干しはバアルさんにもらったよ。海苔は僕が買った海苔を巻いたから、遠慮なくどうぞ」
ヨアンはニコが断ったリンゴを丸齧りしながら笑った。
整っているのにどこか間抜けにも見えるヨアンの顔を見上げる。
「ありがとう」
「うん……あのね、ニコ」
「お断りします」
「まだ何も言ってない!!」
途端に情けない顔をしたヨアンを見て、ざわつく胸を鎮めるニコであった。
16
あなたにおすすめの小説
夫が運命の番と出会いました
重田いの
恋愛
幼馴染のいいなづけとして育ってきた銀狼族の族長エーリヒと、妻ローゼマリー。
だがエーリヒに運命の番が現れたことにより、二人は離別する。
しかし二年後、修道院に暮らすローゼマリーの元へエーリヒが現れ――!?
【完結済】隣国でひっそりと子育てしている私のことを、執着心むき出しの初恋が追いかけてきます
鳴宮野々花@書籍4作品発売中
恋愛
一夜の過ちだなんて思いたくない。私にとって彼とのあの夜は、人生で唯一の、最良の思い出なのだから。彼のおかげで、この子に会えた────
私、この子と生きていきますっ!!
シアーズ男爵家の末娘ティナレインは、男爵が隣国出身のメイドに手をつけてできた娘だった。ティナレインは隣国の一部の者が持つ魔力(治癒術)を微力ながら持っており、そのため男爵夫人に一層疎まれ、男爵家後継ぎの兄と、世渡り上手で気の強い姉の下で、影薄く過ごしていた。
幼いティナレインは、優しい侯爵家の子息セシルと親しくなっていくが、息子がティナレインに入れ込みすぎていることを嫌う侯爵夫人は、シアーズ男爵夫人に苦言を呈す。侯爵夫人の機嫌を損ねることが怖い義母から強く叱られ、ティナレインはセシルとの接触を禁止されてしまう。
時を経て、貴族学園で再会する二人。忘れられなかったティナへの想いが燃え上がるセシルは猛アタックするが、ティナは自分の想いを封じ込めるように、セシルを避ける。
やがてティナレインは、とある商会の成金経営者と婚約させられることとなり、学園を中退。想い合いながらも会うことすら叶わなくなった二人だが、ある夜偶然の再会を果たす。
それから数ヶ月。結婚を目前に控えたティナレインは、隣国へと逃げる決意をした。自分のお腹に宿っていることに気付いた、大切な我が子を守るために。
けれど、名を偽り可愛い我が子の子育てをしながら懸命に生きていたティナレインと、彼女を諦めきれないセシルは、ある日運命的な再会を果たし────
生まれ育った屋敷で冷遇され続けた挙げ句、最低な成金ジジイと結婚させられそうになったヒロインが、我が子を守るために全てを捨てて新しい人生を切り拓いていこうと奮闘する物語です。
※いつもの完全オリジナルファンタジー世界の物語です。全てがファンタジーです。
※この作品は小説家になろう、カクヨムにも投稿しています。
【完結】王子妃候補をクビになった公爵令嬢は、拗らせた初恋の思い出だけで生きていく
たまこ
恋愛
10年の間、王子妃教育を受けてきた公爵令嬢シャーロットは、政治的な背景から王子妃候補をクビになってしまう。
多額の慰謝料を貰ったものの、婚約者を見つけることは絶望的な状況であり、シャーロットは結婚は諦めて公爵家の仕事に打ち込む。
もう会えないであろう初恋の相手のことだけを想って、生涯を終えるのだと覚悟していたのだが…。
拝啓、愛しの侯爵様~行き遅れ令嬢ですが、運命の人は案外近くにいたようです~
藤原ライラ
恋愛
心を奪われた手紙の先には、運命の人が待っていた――
子爵令嬢のキャロラインは、両親を早くに亡くし、年の離れた弟の面倒を見ているうちにすっかり婚期を逃しつつあった。夜会でも誰からも相手にされない彼女は、新しい出会いを求めて文通を始めることに。届いた美しい字で洗練された内容の手紙に、相手はきっとうんと年上の素敵なおじ様のはずだとキャロラインは予想する。
彼とのやり取りにときめく毎日だがそれに難癖をつける者がいた。幼馴染で侯爵家の嫡男、クリストファーである。
「理想の相手なんかに巡り合えるわけないだろう。現実を見た方がいい」
四つ年下の彼はいつも辛辣で彼女には冷たい。
そんな時キャロラインは、夜会で想像した文通相手とそっくりな人物に出会ってしまう……。
文通相手の正体は一体誰なのか。そしてキャロラインの恋の行方は!?
じれじれ両片思いです。
※他サイトでも掲載しています。
イラスト:ひろ様(https://xfolio.jp/portfolio/hiro_foxtail)
英雄の可愛い幼馴染は、彼の真っ黒な本性を知らない
百門一新
恋愛
男の子の恰好で走り回る元気な平民の少女、ティーゼには、見目麗しい完璧な幼馴染がいる。彼は幼少の頃、ティーゼが女の子だと知らず、怪我をしてしまった事で責任を感じている優しすぎる少し年上の幼馴染だ――と、ティーゼ自身はずっと思っていた。
幼馴染が半魔族の王を倒して、英雄として戻って来た。彼が旅に出て戻って来た目的も知らぬまま、ティーゼは心配症な幼馴染離れをしようと考えていたのだが、……ついでとばかりに引き受けた仕事の先で、彼女は、恋に悩む優しい魔王と、ちっとも優しくないその宰相に巻き込まれました。
※「小説家になろう」「ベリーズカフェ」「ノベマ!」「カクヨム」にも掲載しています。
辺境伯夫人は領地を紡ぐ
やまだごんた
恋愛
王命によりヴァルデン辺境伯に嫁ぐことになった、前ベルンシュタイン公爵令嬢のマルグリット。
しかし、彼女を待っていたのは60年にも及ぶ戦争で荒廃し、冬を越す薪すら足りない現実だった。
物資も人手も足りない中、マルグリットは領地の立て直しに乗り出す。
戦しか知らなかったと自省する夫と向き合いながら、少しずつ築かれていく夫婦の距離。
これは、1人の女性が領地を紡ぎ、夫と共に未来を作る「内政×溺愛」の物語です。
全50話の予定です
※表紙はイメージです
※アルファポリス先行公開(なろうにも転載予定です)
【完結】番としか子供が産まれない世界で
さくらもち
恋愛
番との間にしか子供が産まれない世界に産まれたニーナ。
何故か親から要らない子扱いされる不遇な子供時代に番と言う概念すら知らないまま育った。
そんなニーナが番に出会うまで
4話完結
出会えたところで話は終わってます。
最愛の番に殺された獣王妃
望月 或
恋愛
目の前には、最愛の人の憎しみと怒りに満ちた黄金色の瞳。
彼のすぐ後ろには、私の姿をした聖女が怯えた表情で口元に両手を当てこちらを見ている。
手で隠しているけれど、その唇が堪え切れず嘲笑っている事を私は知っている。
聖女の姿となった私の左胸を貫いた彼の愛剣が、ゆっくりと引き抜かれる。
哀しみと失意と諦めの中、私の身体は床に崩れ落ちて――
突然彼から放たれた、狂気と絶望が入り混じった慟哭を聞きながら、私の思考は止まり、意識は閉ざされ永遠の眠りについた――はずだったのだけれど……?
「憐れなアンタに“選択”を与える。このままあの世に逝くか、別の“誰か”になって新たな人生を歩むか」
謎の人物の言葉に、私が選択したのは――
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる