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29.馬車
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マイナはレイの膝の上で困っていた。
そのうちわかると言い切ったくせに、レイはマイナの長い髪の先をいじったり、マイナのドレスの胸元にあるリボンをいじったり、ときどき背中をぽんぽんしてくるだけで、それが何なのかがわからなかった。
(慣れてきたなぁ)
結婚したばかりのときなら、その程度のことでも飛び上がっていたと思う。
三センチぐらいは飛んだはず。
(今はむしろ落ち着くかも)
マイナを膝にのせたレイは、ずっと静かだった。
そのことにホッとしたり、なぜかちょっと物足りなく感じたりしていた。
暇なので馬車の窓から外を眺めたら、ニコがずっとヨアンにかじりついていて気の毒になってしまった。
もしかするとニコは高所恐怖症なのかもしれない。
馬の上は案外高いと思う。
(遊園地がこの世界にあれば、ヨアン……もっとくっつけたねぇ。惜しかったな? お化け屋敷とかなー。あー。駄目だ、お化け屋敷ぐらいじゃニコは怖がらないや)
むむむ、と眉を寄せていたらレイに「どうしたの?」と聞かれた。
「前世に、お化け屋敷っていうのがあったんですよー」
「ん?」
(しまった!! レイさまが『ん?』って小首を傾げるやつは駄目だ。なんか色んなものが漏れてる!!)
「あの、遊園地っていうのがあって、その中にあって、」
「あぁ! 遊園地ならあるよ」
「あるの!?」
「マイナが言う前世の遊園地と同じかどうかはわからないけど。行きたい?」
「行きたいです!!」
「じゃあ、明日行こう」
「そんなに近いの!?」
「さすがに泊まりにはなるかな? 馬なら日帰りできるけど」
「それだとヨアンの護衛が微妙だよね」
「全員馬だとさすがにね。べイエレン公爵家から我が家ぐらいの距離ならいいけど、長距離はちょっとね」
「そっかー。でも泊まりって大丈夫なの?」
「五日ほど休日をもぎ取ったから大丈夫だよ」
「すごい!! ぶりざーど宰相、気前いい!!」
「私の余裕の無さを感じたみたいだね。まぁ、その後もっと余裕が無くなったんだけど」
余裕の無さとは?
さっきの汗のことだろうか?
汗だくのレイなんて、マイナにとってはただのご褒美だったが。
「……レイさまに余裕がないときなんてあるの?」
「ついさっきね。マイナが私と離婚したがってると思っていたぐらい余裕が無かったよ」
「離婚!? レイさま、わたくしと離婚したいの!?」
「ちゃんと聞いて? 私は、マイナが、私と、離婚したがってるかと思って焦ったの」
マイナはおっちょこちょいだった。
というか、離婚なんて微塵も考えていないからレイの言う台詞を聞き間違えてしまった。
「私が何で離婚を考えるの?」
「私に愛されていることを、ちっとも理解してくれないからだよ」
「愛!?」
「ほらね」
(愛……されてるだと!? 誰の話だ!?)
「いま何を考えてた?」
「レイさまに愛されてる人って誰だろうって」
「マイナだよ!!」
「……まさか」
考えてみて欲しい。
レイは幼いころから、兄のフィルよりも兄らしくマイナに接してきた御仁である。
そのレイが、マイナを妹のように可愛く思うことはあっても、それが愛……なるほど?
「家族愛」
「それもあるけど、私は、女性としてマイナを愛してるんだよ」
「じょせいとして」
では何故、いまだに閨は決行されないのだろうか。
足りないのは色気だろうか。
「それで、どうやって私の気持ちを理解してもらって、受け入れてもらおうかを考えていたんだけどね」
「……受け入れる」
子作りの隠語だろうか。
なるほど?
子作りまでのロードか。道筋か。
「いま何を考えていた?」
「子作りのための道筋かと」
「最終的にはそうなるけど、今は違うからね?」
レイはここで初めて、頭が痛いというような顔をした。
噛み合わないことがしんどいのだろう。
(私もしんどい)
「わかってもらうためにも、遊園地に行くのもちょうどいいかもね。気分転換にもなるし。新婚旅行はもっと遠くに行きたいけど」
「新婚旅行!! 行けるの!? この世界でも!?」
「ふっ、そっちも興味ある?」
「あります!!」
なんて素晴らしい響き。
早く結婚した友だちから送られてくる年賀状が、いかにも新婚旅行って感じで羨ましかった。
(何が羨ましいって、自分の家族を持っていることが羨ましかったんだよねぇ)
家族揃っての遊園地など、前世で叶うことはなかったけど。
祖父は遊園地とは程遠い人だった。
それに、たとえ祖父と行けたとしても、ぽっかり空いてしまった心の穴は埋まらなかっただろう。
私の父と母だと言って、祖父が見せてくれた写真を見てもピンとこなかった。
あまりにも幼いころに死に別れてしまったからだ。
「家族……いいなぁ」
「私とマイナはすでに家族だよ?」
レイは目を細めて笑い、壊れ物みたいに優しく抱きしめてくれた。
「なるほど、これが愛」
呟いたマイナに、レイは片眉を上げた。
祖父は厳格な人で、前世では抱擁というものをよく知らずに育った。
現世では父がスキンシップ過多で、マイナとしてたくさん愛されて育ったので、マイナとしては欠けているものはないはずなのに。
(前世の何かが引っかかってるのかなぁ……レイのことは信用しているし大好きなのに、この気持ちは何だろう)
愛という言葉がとても怖かった。
「急がなくていいから、少しずつ私の愛を受け入れて?」
「…………はい」
「すごい迷ってたね。しかも敬語?」
「うん……」
「ん」
額にレイの唇が触れる。
触れられて怖いと思うこともないのに。
心の奥底でもたげてくるこの不安。
「私は、マイナを女性として愛していて、マイナを抱きたいと思っているからね?」
「うん……」
耳を……。
(耳をいじりながら言うのやめてもらえないかな!!)
「ぷっ、真っ赤」
「だってレイさまが!!」
「うん。そうやって、私のことを、ちゃんと、男として見て。俺は、マイナの兄ではないよ?」
「んっ」
はむっと耳朶を食まれた。
背筋を駆け抜ける感覚に震える。
レイの底知れぬ色気に怯えるマイナであった。
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