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57.変化
しおりを挟むニコの様子がおかしい……。
タルコット公爵家に来たばかりのころに戻ったともいえる。
「マイナさま、本日のお召し物はこちらです」
「うん……」
菫色の首元の開いていないドレスは、ところどころ白のレースが入っており、とても可愛らしい。
義母が仕立ててくれた上等なもので品もいい。
今日は店舗の内見があるから仕方がないので素直に頷いたが、最近はどこへも出かけない日でも、このレベルのドレスを着せられてしまうので少し困っている。
元々緩いドレスに眉を顰めていたニコだけれど、最近はマイナに合わせて妥協してくれていたというのに、何がニコをそうさせるのだろう。
「ニコ、何か悩みがあるの?」
「ございません」
「そう?」
ございませんという顔ではないが。
タルコット公爵家にきたばかりのころ、マイナが舐められては困ると気を張っていたときのようだ。
(私もここに馴染んだし、レイさまのお陰で実家のようにはいかなくても結構ゆるく過ごせてたのになぁ)
マイナの行動を制限するわけでもなく、何かを注意されるわけでもないのだけれど違和感を感じる。
何となく。
(笑顔が減った?)
使用人らしくはある。
だが、ニコの笑顔が好きなマイナは寂しさを感じてしまう。
一方、ミリアは笑顔でマイナの衣装や髪を褒めてくれるようになり、最近はお喋りも弾む。
(逆転しちゃった!? ミリアの先輩として手本になりたいとか!?)
使用人としては正しいのだろう。
けれども、どこか張りつめたように見えるその姿は痛々しかった。
馬車に揺られて現地に到着すると、ボルナトが店舗の前で待っていた。
「ごきげんよう、ボルナト」
「ごきげんよう、奥さま。今日も素敵な装いですね」
「ありがとう。本当はボルナトの服を着たかったんだけどね」
「それは次の楽しみにとっておきます」
「そうね」
店舗は決定しているので、実質は内見というより開店準備である。
ボルナトが扉を開けてくれた。
「あら。綺麗ね」
ボルナトは棚の設置や主力商品の搬入を済ませてくれていたようだ。
「ええ。前のオーナーが綺麗好きの方だったようで、裏の控室も綺麗でしたよ」
「それは良かったわ」
(レイさまは、そういう店だと知ってて選んでくれたのね……)
角の好条件の立地なので家賃は高いが、これだけ綺麗なら妥当だろう。
修繕費用がかからないぶんお得だ。
角なので左右と正面から光が入り、とても明るい。
「絵は、この辺りに飾ろうかしら」
お会計をする台の後ろの壁を指さした。
扉を開けると正面の位置になる。
御者台に乗って付いてきていた従僕のタウノがその場所に絵を運んで掲げてくれた。
「いいわね。そこにしましょう」
タウノだけでは難しいのでヨアンが手伝い、絵は無事に飾られた。
「これは……!?」
「どうしたの?」
ボルナトが絵を見てしきりに首を傾げている。
「見たことあるような気がしまして、ハイ」
「そう?」
(和食の食材があるぐらいだもの。書道だって描く人はいるかも。かなり崩して書いた創作だから、漢字を知らなければ絵に見えるだろうし)
「バルバリデの有名な画家です。その人のもので?」
「これはわたくしが描いたの」
「えええええっ!? お、奥さまは画家だったんです!?」
「そんな大層なものじゃないわ。趣味よ」
(しかも絵画じゃなくて、前世の書道だけどね)
「これは……お売りにならないので!?」
「こんなの誰も買わないわよ」
前世で有名だったのは祖父で孫娘のほうは無名である。
「何を仰ってるんですか。バルバリデでは金貨何枚かという話です」
「さすがにそれはないわー。だってこれ、趣味で書いた落書きよ。あまり気にしなくていいわ。それより、金木犀の香りのお品を見せてちょうだい」
「かしこまりました」
ボルナトは控室脇の倉庫に保管していた香水を出してきた。
手で仰ぐようにして匂いを嗅ぐ。
「うん……すごく特徴のある三つに絞ってくれたのね?」
「はい。やはり香りはお値段が出ます」
「そうみたいね」
トイレの芳香剤みたいだったらどうしようと思ったが一番高い物は品のいい香りがした。
一番安いものは芳香剤のような香りがしたので、いっそトイレに置きましょうと提案した。
前世の芳香剤と比べれば、品のいい香りがするので大丈夫だろう。
「店内はこの一番高いやつで。商品に匂いがつかない程度に香りを含ませた布を置いてね。多めに入荷して、商品としても売りましょう。香りが気に入ってくださったお客さまが買ってくださるかも」
「そうですね」
「売れなくても店内で使えばいいしね?」
「なるほど。合理的ですね」
店舗のイメージは前世の雑貨屋さんなので、デベソ国にはない小物なども仕入れることに決めて今日の開店業務は終了した。
(なんか肩が凝るなぁ……甘いものが食べたい……)
いつもより会話が少ない馬車の中で、気詰まりになったマイナはそっと溜息を吐いた。
空模様まで心なしかどんよりしているような気がする。
「マイナさま、お疲れですか?」
ヨアンが心配そうに聞いてくる。
「ちょっとね。甘いものが食べたくなっちゃった」
「それなら、僕がひとっ走りして、綿あめを買ってきましょうか?」
「綿あめ!? 綿あめがあるの!?」
「あるんです!!」
「懐かしいなぁ」
「買ってきます!! 馬車は走ってていいですよー。すぐ追いつくんで」
ヨアンは宣言通り、もの凄いスピードで買って帰って来た。
足が速くて驚く。
「マイナさまは今日のお召し物に似合う菫色にしましたよー」
「やだ、すごく可愛いじゃない!! ありがとう!!」
「はいこれ、ニコのぶん。黄色ね」
「就業中よ!? 要らないわ!!」
思いのほか大きな声でニコが拒否したので、マイナは驚いて綿あめを床に落としてしまった。
「あっ、綿あめが……せっかくヨアンが買ってくれたのにっ、ごめんねっ」
落ちた綿あめが可哀そうで、買ってきてくれたヨアンに申し訳なくて泣きそうだ。
すぐに拾ってくれたヨアンは「僕が食べるので、マイナさまはこっちをどうぞ」と笑って黄色い綿あめをマイナに握らせた。
「ヨアン、ダメよ。それは落ちたやつよ? 食べちゃダメよ?」
「んー。僕は丈夫なんでこのぐらい平気でーす」
「駄目よ、ヨアン。ねぇ、ニコも止めて?」
ニコは我に返ったようにハッとして、ヨアンに小声で「食べちゃダメ」と言った。
ヨアンは食べるのが早いから、もうほとんど食べ終えてしまっていたのだけれど。
おそらく、帰ってから捨てるにしても人に見られるということを気にしてくれたのだと思う。
公爵夫人が屋台の食べ物を買い食いなんて、いくらマイナに甘いタルコット公爵家でも外聞が悪いからだ。
「ごめんね、ヨアン」
「やだなぁ。僕がどんな育ち方してきたのかマイナさまはべイエレン公爵から聞いて知ってるでしょう? 何ともないですよー」
「知ってるから余計だよ、ごめんね、ヨアン」
「泣かないでくださーい。せっかくだから笑顔で食べて欲しいです」
「うん……そうだね」
喉の奥が涙の味に染まる。
情けない顔をしながら食べた甘いはずの綿あめは、ひどく苦い味がした。
■ ■ ■
祖父の個展が都内で開催されたとき。
最終日の前日の、ちょうど人が一番少ない日に彼は現れた。
前回お茶に誘われたとき、私は彼とお茶することを了承していたらしい。
いつ来るのだろうとソワソワしながら毎日のように服や髪型を気にしていた。
「終わりまで待ってますので、お茶というより、せっかくなんで、ご飯に行きませんか?」
「はい」
小さく頷くと、彼は色素の薄い茶色の瞳に弧を描いて笑った。
食事はとてもオシャレな鉄板焼き屋さんだった。
目の前で美味しいオマール海老やホタテ、白身魚を焼いてもらった。
サラダや一品料理を頂いているうちにサーロインステーキも焼かれる。
香ばしい匂いだけでも酔いが加速していった。
プロが焼くとこんなにも美味しいのかと目からうろこが落ちる。
「美味しい……」
目を見開いた私のグラスに、彼がワインを注ぐ。
魚介のときは白を、お肉になってからは赤を。
セオリー通りだなと思いながらも、初めての味わいに舌鼓を打った。
祖父が訪れない系統のお店であり、友人と訪れるには敷居が高いお店だ。
慣れない街、慣れない食事、慣れないお酒。
普段なら警戒してもおかしくないほどのイケメンが知らない世界の話をする。
「骨董品を扱う仕事をしているんですよ」
「骨董品……」
祖父は壺などの焼き物や絵画には全く興味を示さない人だった。
だから近いようで遠く、彼の話はどこか異世界を匂わせる話であった。
「美術品も多く扱っていまして、先生が現役のうちにお会いしておきたくて」
「なるほど」
祖父目当てか。
そうだろうな、と素直に思った。
最初から会いたいと言っていたはずだ。
「ですが、それはちょっと、どうでもよくなったというか……先日、あなたに一目ぼれしてからは」
彼は驚くほど自然に好意を伝えてきた。
恋を知らなかった二十五歳の私は、とても無防備なまま、それを受け入れた。
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