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79.ロベルト(1)
しおりを挟む議会が終わり、ロベルトは安堵のため息を吐いた。
元から王の器であったヴィヴィアン殿下は、王妃やマノロ殿下に睨まれぬよう、ずっと能力を隠しながら生きていた。
第二王子のほうが能力が高いと大抵拗れるのだ。
アーサーには、ヴィヴィアン殿下の気持ちが痛いほどわかっただろう。
第二王子だったころのアーサーは、少し大袈裟なほど扱い難い王子を装っていた。
べイエレン公爵家の嫡男であったロベルトと、第二王子だったアーサーは仲が良かった。
立場上、大勢の人物の前では決して気安くはしないが無二の親友といえる。
レイとマイナの結婚は、そういう意味でも大歓迎だった。
レイが帰宅し、事後処理に追われる宰相ロジェの手伝いをしているアーサーの横顔を見つめた。
(奥方への執着を除けば有能なんだがなぁ)
アーサーはアーサーの世界で生きているというだけで、能力が低いわけではない。
人からは理解されない言動が多いため、破天荒だの変人だの屈折してるだの言われるが、蓋を開けてみれば陛下よりはまともであったのだ。
仮面の下に隠れていた陛下の王家の男らしい、歪んだ性格には心底辟易した。
(よもやマイナのことまで狙っていたとは)
シャンタルは、直前まで陛下が考えていたことをあの場で少し教えてくれた。
レイを亡き者にして、マイナを手に入れる予定であったらしい。
ヴィヴィアン殿下に毒を盛った主犯が陛下であったことには驚かなかったが、これにはさすがのロベルトも驚いた。
(マイナがヴィヴィアン殿下を救ってくれなかったら本当に危なかったのだな……)
少し前からマイナの記憶が解けつつあることはシャンタルから聞いて知っていた。
マイナに第六感が戻っていてよかったとしか言えない。
マイナは胸騒ぎを覚え、それに突き動かされたのだろう。
レイが軟禁され、知らせを受けたロベルトはすぐに動いたがマイナのほうが一歩早かった。
ヨアンが付いているというのはこういうとき便利である。
マイナがヴィヴィアン殿下との思い出を対価に解毒薬を手に入れたと聞き、ロベルトは腹をくくった。
マイナと入れ違いで魔女の森に着いたロベルトは、シャンタルに事情を聞いてすぐに引き返した。
ちょうどそのとき陛下から登城せよとの知らせを受けたのだった。
(上手くいってよかった)
陛下の変貌ぶりを疑われようとも、ヴィヴィアン殿下が王になれば全て解決する。
そもそも、陛下は王の器ではなかったのだ。
ここまで何とかやってこれたのも、代々宰相が有能だからだ。
宰相とアーサーと今後の話を詰めたあと、ロベルトはシャンタルの小屋へ向かった。
扉を荒々しくノックする。
小屋が見えることに安堵しながら、僅かに聞こえた返事を合図に扉を開けた。
室内に入ると、シャンタルがベッドで蹲っていた。
「どこか痛むのか?」
体を起こすようにして抱き上げる。
「……あー。アンタか。何か用か?」
「……用は、あるに決まってるだろう?」
シャンタルは自分に対して術を使う場合も対価を必要とする。
「用件を早く言え、アタシは今、気分が悪い」
陛下の願いに対する、陛下から抜き出した対価は六十年分の記憶だった。
陛下がこれから三十年生きながらえる為には、その倍の記憶が必要だったからだ。
対価は術に使われるが、その記憶や思い出は全てシャンタルに引き継がれる。
では、彼女自身が自分の術のために差し出した対価はどこへ行くのだと聞いたら「そんなことはアタシにもわからない」と濁されてしまった。
ロベルトに対し、全てを詳らかにするわけではないのだろう。
言えないことがあって当然ともいえる。
彼女の本当の年齢すら、ロベルトは知らない。
時の魔女と呼ばれているらしいが、それも御伽噺の世界での通称だ。
必要なときだけ姿を現す、この世界を俯瞰して見ている存在。
世界の均衡を保つための存在。
ロベルトはシャンタルのことを、そう理解している。
暗部にいたころのヨアンがここを突き止め、陛下に報告できたのも、恐らくはシャンタルが導いたことだ。
この日のことを予測しての行動ともいえる。
そうでなければ「アタシの術を一回使わせてやるといって、あの影を引き抜くといい」などと、ロベルトに言うはずがない。
それにしても、シャンタルの顔色が悪すぎる。
(初めてマイナの記憶の惨劇を見たときでさえ平然としていたのに、酷い顔色だ)
謁見の間のシャンタルは、ここから自分の幻影だけを飛ばしていた。
そうしたいと彼女が願い、ロベルトへの気持ちを対価にしたことで可能になった術だ。
醜い容姿で現れたのは、シャンタルも陛下に狙われていることを知っていたからだろう。
ただ、術のために彼女が差し出した対価がロベルトへの気持ちだったことだけは気に食わなかった。
「なんなんだ、あいつは。ロクな記憶がない。母親の呪縛と権力への執着、己の性癖を満たすための欲求ばかりだ。で? 何の用だ?」
シャンタルは乱れたドレスの胸元を引き上げ、髪を撫でつけながら聞いてくる。
離れろと胸元を押してきた。
「なるほど、私は知り合い程度の男に成り下がったのか」
「知り合いで十分だろ? もう十五年経つ。いくらアタシが世界に存在しないとされている魔女でも、そろそろ奥方に申し訳ない」
「グレースは全て知っている。むしろ公爵が愛人の一人や二人囲えなくてどうすると言われているんだからな。娘を助けてもらったのにお礼も言わせてもらえないと憤慨していたぐらいだぞ?」
妻、グレースの憤怒は恐ろしい。
ロベルトでさえ、少々言葉に詰まる。
「愛人を一人抱えたぐらいで、わたくしを愛せないような狭小な男と結婚したつもりはありませんわ」と言われたとき、ロベルトはグレースに二度目の恋をしたぐらいだ。
それに――
「私への気持ちはゼロではないな?」
全て使っていたのなら、ロベルトが触れることを許すはずもない。
それ以前に、小屋は見えなくなっており、シャンタルには会えなかったはずだ。
魔女の小屋は「魔女が見せていいと思った相手」にしか見えない。
マイナにはそれを「用のある者にしか見えない」と教えている。
シャンタルは術を施すとき、どの程度の思いを使用するのか加減ができるようだ。
自分のことであれば、かなり緻密に加減ができる。
他人であっても、近くにいればいるほど細やかな術になる。
逆に、今回のように遠くにいる陛下に術を施すのはシャンタルでも骨が折れたことだろう。
匙加減が難しく、ざっくりと記憶を取り去ってしまうことになっても仕方がないと言える。
「ゼロみたいなもんさ。今はただ、あの男の記憶が気持ち悪くて動けないだけ。アタシは拠点を移すよ」
「ほう?」
「……っ、」
「拠点など移さなくとも、本当に気持ちがないのであれば私にこの小屋は見えないはずだ」
元からシャンタルはこの森に住んでいたのだろう。
べイエレン公爵家の直系しか踏み入ってはいけないと言われている森だ。
シャンタルは狩りをしていたロベルトにこの小屋を見せた。
彼女いわく、生まれて初めて一目惚れというのをしたらしい。
だがそれも今となっては、この日のためだったようにも思える。
ヴィヴィアン殿下の損失は、それだけ大きいということだろう。
国が無くなるような未来だった可能性もある。
そうなれば、この領地もどこの国のものになるか予測がつかない。
「私への気持ちが無いと言い張るのであれば、そういうことにしてもいい。ただ、シャンタルに対する私の気持ちというのもあるのだよ。それがどのようなものか、今からじっくり味わってもらうことにしよう」
「それ以上、触れたら呪うぞ?」
「ほう。やってみるといい。対価はまた私への気持ちか? もう無いというのに? だったらなおさらもう一度惚れてもらわねばならぬな?」
眉根を寄せたシャンタルの頬をひと撫でして笑うと、罵詈雑言を浴びせられたが、そんなもので怯むロベルトではない。彼女の肩をポンと軽く押せば、簡単にベッドへ沈んで行った。
* * *
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