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95.部屋

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「ニコ!」

 べイエレン公爵家にいる両親の元へ結婚の許可をもらいに行った次の日、ゾラに手招きされた。
 例の使われていない客室である。

「結婚の許可をもらいに行ったって聞いたけど、どうだったの?」

「はい。許可してもらえました。少し父が拗ねてましたが」

 次の休みに、ヨアンと二人で婚姻届を出すことになっている。
 その報告をした昨日、レイからは、夫婦用の使用人部屋へ移るように言われている。

「父親って駄目よね。行き遅れていることを気にするくせに、いざ決まるとゴネるのよ」

「ゾラ先輩は貴族ですから仕方ないのではないでしょうか」

 むしろよく結婚できたなぁというのが正直なところだ。
 貴族籍を抜くというのがどういうものか、想像しかできないが。

(あの大旦那さまなら荒業も使いそうだけどね……)

 今ではマイナを可愛がってくれているが、最初は表情が乏しい人なので少し怖かった。

「うちなんて貧乏男爵家よ? なぜあんなゴネるのかしらね。家にいたときより今のほうがよっぽど裕福なのに」

「体面もございますから」

「全くね。それより、よかったじゃない。私、あなたは結婚しないとか言いそうだなって思ってたのよ」

「はい……本当は結婚どころか男性とお付き合いすることすら想像できなかったのですが」

「わかるわ」

「私もゾラ先輩が結婚したとお聞きしたときは驚きました」

「ガッカリした?」

「いえ……そんなことは」

 ニコが首を振ると、わかっているとばかりにゾラが笑った。

「顔に出ているわ。なんであんな下品な男とって」

「そんなこと……ないです」

 ヘンリクは以前より優しい表情になった。
 無精ひげもなくなって、清潔感が出たせいか精悍な顔つきだったことにも気付いた。

(メイドを口説くこともなくなったようだし?)

「私が窮地に追い込まれていたとき、ヘンリクに助けられたことがあったのよ。わかりにくいけど悪い奴じゃないしね。それより!! 聞きたいことがあるんだけど!!」

「何でしょう?」

「まかないで出ていた、あの珍しいデザート、どこかで売っていないかしら?」

「デザート……どら焼き、でしょうか?」

 今日のまかないは味噌汁と海藻のサラダと豚肉の生姜焼きだった。
 生姜焼きは、ニコにとっては馴染み深い。
 タルコット公爵家では、マイナさまが来てから出るようになり、人気メニューになった。
 最近はお米に合うメニューが人気だと、古参のメイドが教えてくれた。

 今日のデザートのコーナーには、どら焼きが置いてあった。
 緑茶は高いのでさすがに出なかったけれど、いつも豪華だなぁと感心する。
 どら焼きはベイエレン公爵家からの物だが、タルコット公爵家は普段からデザートが出ることが多くて驚く。

 べイエレン公爵家でさえマイナさまがおやつを作られたときぐらいしか配られなかった。
 使用人の食事は、スープとパンだけというメニューの家もあるらしい。
 酷いと、芋だけというところもあるとか。

(飢えないって有難い。私は恵まれてるわ)

「どら焼きっていうのね? 変わってて美味しかったわぁ。中の餡子っていうのがとても好きよ」

「美味しいですよねぇ。でも売っているかどうかはわからないんです。王都のお店でも見かけたことはなくて」

「そうなの? どこかのお店の新作かと思ったわ。領地のみんなにお土産に買っていこうと思ったけれど、無理そうね」

「お力になれず、すみません」

「いいのよ、売ってないものを食べられたのだから気分は最高よ。珍しいメニューは若奥さまの発案なんですってね? どら焼きもなのかしら? 若奥さまも大人気よ」

「本当ですか!?」

「ええ。この間来たときは皆が警戒していてごめんなさいね。今回はヘンリクがピリピリしていないし、奥さまや旦那さまの雰囲気もここに来てからとても穏やかなこともあって、今では皆が若奥さまの可愛らしさにメロメロよ」

「皆がメロメロ……なんだか旦那さまが聞いたら嫉妬されそうな……」

「やだ、レイさまはそんな狭小ではないでしょう?」

「……そう、です……ね?」

 そうだろうか?
 マイナに関しては、そうでもないような気がするが。

「奥さまもようやく、前回来たときの勘違いにお気づきになられたようで……初夜がまだだったことに驚いていらしたけど、蜜月に入られたときはとても喜ばれて。お二人のこと、本当によかったわね」

「はい、ありがとうございます」

「ニコも、結婚おめでとう」

「ゾラ先輩も、ご結婚おめでとうございます」

 二人でおめでとうを言い合うのが可笑しくてクスクス笑いながら一緒に部屋を出た。
 さすがに人前で話せる内容ではなかったが、退出のときまでコソコソする必要はない。
 マイナのお陰で使用人たちの雰囲気がよくなったからだ。

 扉を開けると予想通りヨアンが待っていた。
 そんな気がしていた。
 差し出された手に、素直に自分の手を重ねる。

 ふと視線を感じて横を見ると、少し離れた場所でヘンリクがゾラを待っていた。
 頬を掻いてバツの悪そうな顔をしていたけれど、大きな体を丸めて、なぜかゾラにしきりにペコペコしているのが可笑しくて笑ってしまった。

「余計なことを言ったせいで、部屋に入れてもらえないらしいよ?」

「そうなの?」

 ヨアンが小さく頷いて笑う。
 余計なこととは何だろう?
 すごく余計なことを言いそうな人だから、たくさんあるのかもしれない。

「部屋の移動いつにしようか?」

「マイナさまと相談しましょう。隣の部屋に誰もいないのは心配なのよね」

「いっそ僕がニコの部屋に毎晩通うっていう手もあるね」

「……なるほど?」

「あれ? 嫌がらないの?」

「だって、マイナさまから離れるのも不安だし、ヨアンと離れるのも不安だから、それなら二人と離れずにいられるじゃない? いい案だわ…………どうしたの?」

「すごい殺し文句」

「殺したつもりないんだけど」

 ヨアンを殺せるなら、ニコはかなりの手練れである。

「やっぱり夫婦用の部屋も欲しい」

「どっちなのよ」

「僕は最近欲張りなんだ」

「へぇ?」

 よくわからないが、欲望とは生きる糧でもあるから悪いことではないだろう。

「ヨアンは荷物があまり無さそうだから私の部屋に来ても大丈夫そうね」

 一度だけ入ったヨアンの部屋は、とても片付いていて綺麗だった。
 ヨアンが怪我をしたとき、あの部屋のことを思い返すと不安を覚えるほどだった。
 自分がいつ死んでもいいように、何も持たないのではないかと思えてならなかったから。

「うん。僕は必要な物しか持たないことにしてるんだ。でもニコの部屋だとベッドがちょっと狭いかなぁ」

「ヨアンはソファーよ?」

 もちろん冗談だが、ヨアンは絶望に満ちた表情で立ち止まってしまった。

「冗談よ」

「……僕はいま……ヘンリクの気持ちがわかっちゃったよ」

「それは、わからなくていいような気がするけど」

「やっぱり夫婦用の部屋は必要……」

「私に追い出されたとき用?」

「……!!」

「冗談だってば」

「ニコが言うと冗談に聞こえない……」

「どういう意味よ!?」

「追い出されそう……」

「ヨアンなら追い出したって入ってこれるじゃない」

「確かに」

 二度頷いてからヨアンは歩き出した。
 その顔が妙に誇らしげで、とても可愛いと思ってしまうニコであった。


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