咲希〜僕らが1000万かけてじっくり死ぬまで〜

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知らない若い女

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これでもかというほどにゆっくりと夜飯を楽しんでいる最中も何度もインターホンは鳴った。少しの間を置きながら繰り返される呼び出し音はインターホンが壊れたのか、怪奇現象が発生したのか、とにかく人間がおこしているものとは思えないものだった。鬱陶しいだとか恐ろしいとかいう負の感情はもうない。このインターホンを鳴らし続ける者が一体何者なのか好奇心が湧いた。いい感じに涼んだことだし、身体を洗ってすっきりしたし、この怪奇現象の主の正体に対面しよう。
取ってつけたような古臭いドアを開ける。
「えっ。」
「遅いよ。」
まるで知り合いかのように見ず知らずの若い女が立っていた。金髪のウルフカット。タンクトップにデニムのハーフパンツ。時代遅れな風貌をしているのに、顔が美形だからあまり古臭さを感じさせない見た目をしている。この女がさっきからインターホンを鳴らしていたのか。インターホンを定期的に姿を想像すると随分奇天烈に思える。
「誰?」
「泊めてよ。」
「えっ、なんで?」
「家がないから泊めて欲しい。」
「えっ、意味が分からん。」
「いいから泊めて。」
強引な台詞だが、台詞ほど強引にことを進めようという感じではなかった。
「何でうちなの?」
泊める気はなかったが理由が気になった。
「歩くの遅かったから。」
「歩くのが遅い?」
確かに僕はこれでもかというほどゆっくり歩いていたが、それが急に来て、粘り強くインターホンを押して、出るかも分からない相手を待ってまでここに泊まる理由とは思えなかった。
「意味が分からないんだけど」
「歩くのが遅い人って優しい人だと思うから。」
「どうしてそう思うの?」
女はウルフカットの髪をくりんくりんと指で曲げながら答えた。
「だって歩くのが遅い人はマイペースで自分に甘い人だし、自分に甘い人は大抵他人にも甘いから。」
「なるほど」
一理ある。僕は自分のことを放っておいて欲しいと思うし、他人のこともあまり気にしない。常に一人でいたいとは思わないけど、誰かとずっといたいとも思わない。だから必要以上に関わらないし、基本的に緩く接している。それを優しいと捉えるのであれば優しいのかもしれない。
「でも、僕が自分にも他人にも甘いのは、あくまで自分に都合がいいからだ。君を家に止めるのは僕にとってあまり都合がいいとは言えない。」
「そうかもね。でも泊めて。」
結局はごり押しするのか。
「やだ。」
「泊めて。」
「やだ。」
「泊めてよ。」
「やだって。」
「泊めて。」
「やだ。」
「泊めて。」
何回繰り返すんだ。そういえばインターホンを何回も絶妙に間を空けて押していた女だ。こんな押し問答を何回でも繰り返す気力は有り余ってるわけか。
「そもそもなんで泊まりたいの?」
「理由がいるの?」
「いらないとでも?」
「気になるの?」
「別に。」
「じゃあいいじゃん。」
気にはならないけど、断る理由にはなる。「よくない。なんで泊まりたいの?」
「簡単だよ。泊まる場所がないだけ。」
家出少女か。厄介ごとはごめんだ。
「いいじゃん。ブスじゃないんだし。」
「そういう問題じゃない。」
「美少女だよ?」
「そういう問題じゃない。」
「脱げばいいの?」
女はタンクトップの裾を掴んで、上裸になった。正確にはブラジャーはしている状態だが。
「そういう問題じゃないし、玄関先で脱がないで欲しい。」
「じゃあ入れてよ。」
「…」
とりあえず誤解を招くのも嫌だったので部屋に入れた。
「早く服を着て出てって。」
「興奮しないの?本当に童貞?」
「童貞を名乗った覚えはないけど。」
「童貞じゃないの?」
「童貞だけど。」
「私も処女だよ。」
「聞いてないけど。」
「泊めてよ。」
しつこい。なんだか面倒くさくなってきた。
「分かったよ泊まれば。」
「えっ、いいの?」
「帰りそうにないし、いいよ。」
廊下を歩き、居間へ向かう。背中を抱きしめられる。温かいし、柔らかい。
「なんだよ。」
「お礼のハグ。」
意味が分からない。不意に抱きしめられて童貞の僕は少しばかりどきっとしたけど、童貞にしては冷めてる僕は
「あっそ。」
とすぐに気を取り直して居間のドアを開けた。
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