小話シリーズ

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ぴょん吉

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15年間で街並みが随分変わった。午前中にやる家の手伝いをすまし、しばらくの休憩時間に、生まれ育ったこの街を散歩していたナツキはそう感じた。先祖代々温泉付き旅館を営んできた宮田家の次女であるナツキはこの街の地理を熟知しており、宿に泊まる観光客に街のよく案内をしている。今年で20歳を迎えるのでもう15年間案内し続けていることになるが、この15年で観光客の客層や、案内を頼まれる場所が大きく変わっていることをナツキは強く感じていた。15年前は客層は常連のお年寄りが多く、この街のいわゆる穴場と呼ばれる場所の案内を頼まれることが多かった。珍しい生き物のいるほら穴、少ないが蛍のいる小川、かなり歩くが美しい夕焼けの見える小高い丘……。しかし、今の客層は若者が多く、案内を頼まれる場所といえば、ガイドブックを見れば自分で見つけられるような場所ばかりである。ナツキはそういった場所は他にもガイドブックを見て来た観光客でごった返しているため、案内するのがひどく億劫だった。そして、そのような観光客に合わせ、街が観光地化していくことに嫌悪感を抱くのであった。昔友だちとよく行った屋上に遊園地のあった古びたデパートは大きなショッピングモールになり、僅かだが温かい水のでる不思議な古池は大きな噴水になり、初めて出来た彼氏とよく夜ご飯を食べた少しさびれた定食屋はコンビニエンスストアになった。観光客が増えれば増えるほど、宮田家の旅館は繁盛していくのだが、ナツキの憩いの場は減っていった。観光客なんて来なければいいんだと思う一方、自分は旅館の娘であり、観光客が来なければ生活出来ないと分かっているため、ナツキは家の手伝いをする時には必ず、その矛盾にイライラしていた。そんなイライラを発散するために散歩をし、まだなんとか残っている15年前の面影をゆっくりと辿るのであった。
ナツキが散歩をしていると、また一つ変わってしまったものを見つけた。幼馴染で初カレで元カレのカズヤの家族が営んでいる店である。元々は八百屋だったその店は、カラフルな色で「fragile」と描かれた看板を掲げる、今時のカフェになっていた。変わらないものを辿っているというのに変わってしまったものを見てしまったナツキは、
「はぁ……」
と大きくため息をついた。
「うちの店の前でそんな大きなため息つかんでくれよ。」
ため息をつくナツキの背後から、大学から帰ってきたカズヤが話しかけた。ナツキは振り返るとカズヤを見上げ、ドスの効いた声で言った。
「フラギレだかなんだか知らんけど、変な喫茶店作りやがって。あんたんとこも媚び売り始めたか。」
「フラギレってなんだよ。それフラジャイルって読むんだよ。」
「はっ?どーいう意味よ?」
「……もろい」
「はっ?」
ナツキはギロリとカズヤを睨む。カズヤは左手で頭の後ろをかきながら、困った表情を浮かべた。カズヤは困った時、決まって頭をかいた。ナツキはそんなカズヤを最初は優しい男だと好意に持っていたが、別れる時にはただの情けない男として認識していた。
「いや、なんか儚くも折れそうな感じがオシャレなんだとよ。」
「折れろ」
「そう言うなって……」
カズヤは依然左手で頭をかいていた。
「親父もお袋も悩んで悩んで喫茶店にしたんだ。やっぱここも観光地になっちまったからなぁ。スーパーも出来たし、八百屋じゃきついんだよ。」
「知るか馬鹿。あんたんちにはがっかりだよ
。」
ナツキは足下の小石を蹴り、カズヤにぶつける。
「あのなぁ。お前ん家もなんか手うたんとダメだって親父さん言ってたぞ。」
「えっ?」
ナツキは目を見開いた。観光客が増えて、ナツキの家の旅館はいつも繁盛していたため、そんなことを言われるとは夢にも思わなかった。
「なんでさ?」
「お前ん家の近くにでっかいホテルできるんだろ。お前聞いてないのか?」
ナツキは昨日の夜のことを思い出す。思ったより部屋が寒く目が覚めたナツキが台所に向かうと、夜も遅いのに母と父と祖父がこそこそと居間で話をしていた。あれはそういうことだったのかとナツキは気づく。
「……ホテルができてもうちは歴史ある温泉旅館だ。あんたんとこと違って潰れる心配はない。」
地面をジッと見つめながらナツキは先ほどより小さい声で言った。
「歴史あるっていえば大層なもんかもしれんが、ただの古びたボロい旅館じゃねぇか。」 
カズヤもつぶやくようにナツキに言った。
「うるせぇ!」
ナツキはカズヤのスネを足のつま先で思いっきり蹴った。
「いってぇ!何すんだ!」
カズヤは蹴られた一瞬跳び上がり、スネを両手で抑えながら座り込んだ。
ナツキの顔は眉間にしわがより、目には涙を浮かべていた。
ナツキは
「ばーか!売国奴!」
と叫び、カズヤの横をすり抜け、走り出した。カズヤは
「おいっ!ナツキっ!」
と彼女を呼び止めたが、ナツキは振り向くことなく走っていった。
ナツキの小さくなっていく背中を見つめながら、カズヤは「なにもかも変わらないなんてそんなこと、あるわけねぇだろ」と小さく呟いた。


カズヤの家から脇目も振らず走ったナツキは、街の外れにある、街全体を見渡せる小高い丘に辿り着いた。この丘から見える夕焼けは本当に綺麗で、居心地が良かった。ナツキは昔よくここを宿泊客に案内したものだが、今は誰にも教えないでいる。ナツキがカズヤに告白されたのも、幼い頃父と遊んだのも、今は亡き祖母と散歩をしていつも寄っていたところもこの丘であった。この丘もいずれはなくなってしまうのだろうか。高層マンションや高級ホテルのようなものが立ち、面影すらなくなってしまうのであろうか。街は以前にはない活気が溢れ、カズヤを含め、友だちはみんな長い通学時間をかけて都心の大学に行っているが、この街の人たちは止めどなく変わっていくこの街に何も違和感を感じずに生きているのだろうか。街が元の面影がなくなるような変わり方してしまうのなら少しずつ寂れて言ったほうがいいのにな、とナツキは沈んでいく夕日と街を見つめながら思った。
この丘に来ると、いつも幼い頃を思い出す。ナツキがまだ小さい頃流行った唄がナツキの頭に浮かんでは消え、浮かんでは消えていった。

ぴょん吉はー楽しいことがー大好きでー 
ぴょん吉はーみんなのことが大好きでー
ぴょん吉はーみんなと一緒に遊んだよ
ぴょん吉はーみんなとたくさん遊んだよ

ぴょん吉はー新しいことが大好きでー
ぴょん吉はー街の外に憧れてー
ぴょん吉はーみんなに内緒ででてったよ
ぴょん吉はー少しの間でてったよ

ぴょん吉はー街のみんなに会いたくてー
ぴょん吉はー街のみんなが大好きでー
ぴょん吉はー街に再び戻ったよ
ぴょん吉はーみんなに会いに戻ったよ

ぴょん吉はー楽しいことが大好きでー
ぴょん吉はーみんなのことが大好きでー
ぴょん吉はーみんなと一緒に遊んだよ
ぴょん吉はーみんなとたくさん遊んだよ


この時のぴょん吉は再び街に戻った時何を思ったのだろうか。前と同じように遊べたのだろうか。幼い頃は何も気にせず歌っていた唄が、今になって何度も思い浮かぶのは自分が変わったからなのだろうか。幼い頃歌った唄に自身の感情を重ねがらナツキは日がしずむまで街を眺め続けた。

小さな丘からゆっくりと歩いて帰ってきたため、ナツキが家に着く頃には辺りはすっかり暗くなっていた。
家のドアを開けると母のカズコが
「遅いっ!何やってたの!早く手伝いなさい!」
と大きな声でナツキを叱った。ナツキは
「ごめんごめん」
と小さくつぶやき、宿泊客の夕飯を運ぶ手伝いを始めた。カズコは忙しそうにしており、父のユウゴロウも料理を手早く用意していた。伝統はあるが、小さな旅館で従業員が少ないため夕食時は休む暇が全くないのだ。今日の宿泊客に今まで来ていた常連客はおらず、その代わり若いカップルや家族連れで食堂はいっぱいであった。ナツキの運ぶ皿はイタリアンだかフレンチだかよく分からない、寂れた旅館に不似合いなもので彩られていた。

夕食の時間が終わるとナツキやユウゴロウの1日の仕事は緊急時以外はなくなる。今日もユウゴロウは裏部屋でタバコを吸いながら、内容もそんなに分かってないだろうに、気難しそうな顔で新聞を読んでいる。ユウゴロウの様子から新しく大きなホテルができるようには思えなかったがナツキはユウゴロウに「大きなホテルが近くにできるんだって?」と尋ねた。
ユウゴロウはナツキの言葉に一瞬固まるがすぐに
「そうだな。」
と答えた。ナツキは
「どうすんのよ。」
とぶっきらぼうに聞いた。先ほどのカズヤとの会話のように自身の感情をさらけ出すようなことはしたくなかったのだ。ユウゴロウは新聞を閉じ、タバコを灰皿に置き、新聞をゴミ箱に投げつけると、
「ついてこい。」
といい部屋を出た。ナツキは不思議に思いながらも、黙ってユウゴロウの後を追った。
しばらく廊下を歩いていると物置部屋に着いた。ユウゴロウが昔集めた旅行の土産がたんまりと溜まっている物置部屋だがナツキはあまり入ったことがなかった。中に入ると部屋は埃臭く、ナツキは何度か咳き込んだ。そんなナツキを横目にユウゴロウは棚の上においてあった大きな箱を
「よっこいしょういち」
と下ろし、床に置いたのち、それを開け
「見ろ。」
とナツキに言った。
「えっ……何これ。」
ナツキが箱の中を覗き込むとそこにはカエルの着ぐるみあった。
「ぴょん吉だ。覚えてないか?」
ユウゴロウはニヤリとした顔でナツキに問いかける。
覚えているに決まっている。あの唄の、あのぴょん吉だ。ナツキはユウゴロウを怪訝そうに見つめ、
「覚えてるけど、これが何なのよ」
と聞いた。
ユウゴロウは
「これをお前が着て接客するんだ。あの唄はこの街の流行り歌で、この街のシンボルとなるだろう。よそ者は知らん。ぴょん吉が観光客に人気になれば大きなホテルだろうがなにが来ようがこの旅館は潰れん。」
ユウゴロウが馬鹿なのは前々から知っていたが、ここまで馬鹿だとは思わなかった。ナツキは呆れ果て一息ついた後、
「こんなんで生き残れるかぁぁぁぁぁぁ!!」
と旅館全体に響き渡るほどの大声で叫んだ。こんなカエルの着ぐるみを着て接客をしたところで大きなホテルに敵うわけがないと思いながらも、ナツキの顔には今日初めての笑顔が浮かんでいた。

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