ポンコツ妖精さんは、そろそろ転生をやめにしたい

仁川リア(休筆中)

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第二話・忠義の代償

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 すっかり陽も落ちた黄昏時、逢魔が時を経て夜の帳が下りてくる。宵闇を、魔石寝台特急ダエグが疾走していく。
 先頭の機関車を含めて合計十五両で、全長が約三百メートル。その外観は、大蛇にも龍にも似た圧倒的な雰囲気を醸し出す。
「はぁ~、圧巻だねぇ!」
 その巨大龍が蠢く姿を、私は列車のはるか上空から俯瞰で眺めていた。無数の車窓から漏れる列車内の灯りが連なって、とても幻想的な光景だ。
 妖精は霊体ベースなので、その気になれば壁などスルリと抜けることができる。そんでもって、列車が走る上空から羽をパタパタさせながら浮遊している次第。
 うーん、この。列車の切符を買った意味がない。
「戻ろっと」
 空の捕食者である猛禽のように、羽をコンパクトにたたんで列車に向かって急滑降していく。そのままスルリと列車の天井から透明人間のように通過して、無事座席に着地。
 さて。
「まずは駅弁よね!」
 ちょうど、エプロン姿でワゴンを押してる車内販売のお姉さんが通路を歩いてくるのが見えた。
 鳥獣人デミ・バードの大人っぽいお姉さん。あ、訂正。ワゴンを押して飛んでくるのが見えた。
 羽をパタパタさせながら、ちょっとだけ浮いた状態でワゴンを押している。コウモリの羽っぽいのがついているので、吸血種かもしれない。
 鳥獣人の中で一部のコウモリ種は、一般的に吸血種と呼称される。だけど物語でよくあるような、他人の首に噛みついて血を吸うようなアレではない。あくまで亜人、鳥の獣人のカテゴリー。
 あ、でも血は好物らしくて。スーパーの食材売り場や肉屋では、吸血種のための血のドリンクが売っている。勝手に他人から血を吸うのは、普通に傷害罪になってしまうためだ。
 それに対し、賢者六人衆で天璇の塔の番人・デュラは真祖の吸血鬼トゥルー・ヴァンパイアであり、こいつは亜人というよりは魔人に近い。
 銀杏イチョウの葉を逆向けにしたみたいな左右にふんわりと広がる金髪が特徴的で、瞳はルビーを思わせる深紅のルビーレッド。
 私たち賢者六人衆では一番若い末席ではあるが、甘えん坊とかではなくむしろ甘えさせたがりの姐御肌というか。見た目は前世ニホンでいう十八歳ぐらいかな、ソラよりちょっと若く見える感じ。
 彼女のスキルは『魅了眼』チャーム・アイで、自主的に血を差し出させるという凶悪っぷり。妖精の私には物理的な血は流れていないのだが、論理的に血というか生気のようなものはあって。
 吸血種の亜人と違い、大人しく血液ドリンクを飲んだりはしない。お腹が空いたら、獰猛な捕食者となって首に噛みついてくる。彼女には、何度無断で搾取されたやら。
 でも吸われてるときって……言いにくいんだけど、すっげーいい気分になっちゃう。恍惚の境地というか、あんまりイヤじゃないんだよね。ただ、事前に許可をとってほしいなと。
 私は賢者六人衆では、アルテに次ぐ次席ポジ。別にお姉さん風は吹かせてないが、私を『ティア姉』と呼んでくれるのはソラとデュラの二人だけだ。
「お弁当、エールにおつまみはいかがですかー?」
「あ、はいはい!」
 懐かしい妹分の思い出にひたっていたから、ワゴンのお姉さんがあやうく通りすぎるところだった。手を挙げて呼びとめて、ワゴンを確認。
「ここでしか買えないようなお弁当てありますか?」
「それならぁ……コレ、とってもおススメですぅ。お弁当をホカホカにしてくれる魔導石が容器に仕込んであるので、いつでも出来立ての味が楽しめますよぉ!」
 とのことなので、買いました。シーマイ弁当。白い皮に包まれた肉団子がたくさん入ってて、とても美味しそうだ。
 どっかで見たような気がしないでもないけどね。ついでに缶エールも追加で。
「千二百リーブラ(約千円)になりますぅ……けど、あのぉ?」
 お姉さんが、ちょっと心配そうな表情で私の顔を覗き込む。そして私の羽をチラ見して。
「お客様、もしかして外に出られましたぁ?」
 ギクッ! バレた⁉ 途中下車扱いになっちゃったら切符買い直し?(そこかよ)
 お姉さんは、明らかに挙動不審になってしまった私を安心させるようにニッコリと笑って。
「ダメですよぅ、勝手に外に出たら。お顔、真っ黒ですよ?」
 へ? お姉さんが手持ちの手鏡をパカッと広げて、私に見せてくれた。
「何じゃコリャーッ!」
 髪も頬も、煤けてひどい有様だ。まるで、火事の現場から逃げ出してきたみたいな。
「列車の上空は、機関車が吐き出す排煙がたくさん飛んでいるので注意してくださいねぇ? 濡れタオル、追加しますか? 三百リーブラ(約二百五十円)です」
 うーん、商魂たくましいね!


 濡れタオルで腕や顔を拭いたら、あっという間にタオルが真っ黒けっけに。そして今気づいたけど、私の白ワンピが(灰色に)くすんで見える。このままだと、シーツが真っ黒になってしまうのでは。
「どないしよ……」
 うーん、弱った。個室になっている一等寝台ならともかく、二等寝台で全裸になるわけにはいかない。
 着替えは持ってきてるし、『ユカタ』と呼ばれる就寝用の衣装が寝台に用意されているので服は大丈夫なの。そうじゃなくて、顔や手は拭いたとはいえ完全に綺麗になったわけじゃない。見えない部分、背中が煤けてるかもしれない。
(どっか沿線の入浴施設か、最悪どっか川でも……ちょっとだけ抜けて行ってこようかな)
 と考えたが、身ぎれいにした後は列車を飛んで追いかけて追いつかないといけない。さらに真っ黒になってしまうではないか。
「本末転倒だよねぇ」
 と嘆息していたら、
「あのぉ~?」
 思案にくれていた私に声をかけてくれたのは、先ほどの車内販売のお姉さん。
「はい?」
「実はこのダエグ号、一等寝台のお客様用に予約制ではあるんですけどシャワー室が設置されてましてぇ。幸い予約が空いている時間帯がありますので、いかがなさいますかぁ? 別料金になっちゃうんですけどもぉ?」
 神はいた。
 くっそ高い一等寝台のチケットが買えちゃう客層専用だからか、十五分で千五百リーブラ(約千二百円)はちょっと痛い出費だ。元より私は二等寝台なので、ホントは予約すらできないんだよね。だけど背に灰は、じゃなくて腹は代えられない。
 結局、三千リーブラを払って三十分間を予約した。あと十分後からだ。
「あの、アメニティセットとか売ってます?」
 一等寝台のチケットを購入した客なら、小さいボトルに入ったシャワーや小型せっけん、簡易タオルなどのアメニティセットがサービスで付いてくるらしい。でも二等寝台客にそのサービスはないので、もし売っていればと思ったんだけど。
 女の子の一人旅なんだから、それぐらい持参しているだろ?と思った方はその幻想を今すぐ捨ててください。女の子みたいな男の子もいるように、男の子のような女の子もいるんです。
 ついでにいうと、男女問わず『ハハッ、そんなの途中で買えばいいじゃん』てアバウトなのもいるんですね、えぇ私がそうです。
「ん~、売り物にはないですねぇ。ただ予備があるので、シャワー室に用意しときますね?」
 神はいた(二度目)。
 売り物として用意している品じゃないので、当然ながら商品代を払ってお礼というのもできない。じゃあせめてもの心づけにとチップを渡すべく財布を取りだしたら、
「ん~、そういうのはダメですよぅ~」
 先んじて制されてしまった。まぁ確かに、善意に対して値段を付けるような行為になってしまう。失礼だったかもしれない。
「女の子が真っ黒になってちゃダメです。今度から気を付けてくださいねぇ~」
 そう言って、ニッコリと笑って去っていくお姉さん、さっきは商魂たくましいだなんて思って本当にごめんなさい!
 十分経ったので、とりあえずユカタと財布だけ持ってリビングカーと呼ばれる車両へ移動。
 ダエグ号は、一等寝台車三両にリビングカーを挟んで二等寝台車が四両。そこから食堂車を挟んで三等寝台車が五両で、先頭の機関車を合わせて十五両連結の大所帯だ。
 寝台に備えつけの案内パンフを見ながらパタパタと通路を飛んでいたら、妖精族を見るのは初めてだったのだろう。人間族の(バ)カップルが通路を塞ぐようにしてキスしてんの。私に気づいて、ギョッとして慌てて座席に引っ込む。失礼だな!
「ここがリビングカーかぁ」
 二等寝台車寄りのほうは、後ろ半分が窓の外を向く形で長い座席が左右に配置されている。窓際にシンプルでコンパクトなテーブルとかもあって、ユカタを着た狐獣人デミ・フォックスの年配のご夫婦が、缶エールとおつまみをお供に穏やかな表情で車窓の景色を楽しんでいる。
 通路をはさんで反対側の車窓席では、休憩中だろうか。エプロン姿の車内販売のお姉さんたちが楽しそうにおしゃべりをしていた。人間族に狼獣人デミ・ウルフの方、ほかにも鳥獣人の……あれ?
(あ、あのお姉さんだ)
 シャワー室の切符とアメニティセットを融通してくれた吸血種の。目が合ったけど、あちらは楽しくおしゃべり中だったので無言で会釈をするに留めておく。
 あちらも小さく会釈を返してくれて、そのまま同僚さんたちとのおしゃべりは続行。お礼はもう一度伝えたかったけど、休憩中を邪魔しちゃ悪いもんね。
 徒歩に切り替えて、彼女たちの前をてくてくと通りすぎる。裸足だけど、まぁいっか。
 リビングカーの前半分左右に個室があって、左側がシャワー室だ。右側もかな?と思ってパンフを確認したら、喫煙室らしい。
 私は吸わないけど、前のティアだったときは普通席に灰皿があったなぁ。
 私はこれまで(ティア以外として)転生してきたあらゆる世界でのお父さんを思い出して懐かしい気持ちになっちゃうので、ぶっちゃけ煙草の匂いは嫌いじゃないんだ。でもダメな人にはダメってのもわかるから。
 スモーカーにとっては肩身が狭い時代になっちゃったのかもしれない。そこらへんは前世と同じ、常識の基準は移ろいゆくものだ。
 車内販売のお姉さんから買ったシャワーカードを扉に差し込んで、解錠。右手で開けようとドアノブに手をかけようとしたら、自動扉だったらしい。
 宙に浮くやり場のない私の手、透明人間と握手でもしたいのか。くっそう、乗車時に自動扉と勘違いして後ろの人たちを困らせてしまったのを思い出しちゃったよ。
 中は脱衣室で、さらにシャワースペースへのガラス戸があった。洗面台の横に衣類カゴが置いてあり、そこにアメニティグッズのセットが用意されている。
「ありがたく、使わせていただきます!」
 手を合わせて感謝。前世ニホン人だったときの癖が出ちゃった。
 洗面台の横には冷たい瓶ミルクが買える自販機と、オールドファッションなアナログの体重計。風呂上がりに瓶ミルクの紙蓋を解放、腰に片手を添えてゴクゴクゴクっとやるあの快感。たまんないね! そして、
「ん? この機械何だろ?」
 私の身長くらいの大きい鉄板で覆われた機械。一部が電子レンジみたいにガラス張りになってて、取っ手があるのでパカッ開けることができるようだ。
「あ、何か書いてある」
 貼り付けてある銅板に、使用方法の解説らしきもの。何なに?

 ☆水を使わない画期的な魔導洗濯機『フラッシュブレイク』
  脱いだ衣服を中に入れて、「おまかせ」スイッチを押すだけで衣服がピカピカに!
  聖光パワーで、ガンコな汚れもたちまち分解!
  水も洗剤も使いません! エコでクリーンな洗濯機です。
  ※洗濯時間の目安・三分~五分(お一人様換算)

 神はいた(三度目)。
 コインの投入口らしき穴があって、そこには『千リーブラ(約八百円)』とある。こんな魔導洗濯機は初耳なので高いのか安いのかわからないけれど、とにかくありがたい。
 とりあえず、服を脱いですっぽんぽんに。ワンピとウエストベルト、下着をその洗濯機に入れて千リーブラコインを投入してスイッチオン。中でペカーッと衣服に青い光を照射しているのがガラス窓から見えるが、従来のお水を使う洗濯機のように派手に稼働するわけじゃないから音も静かだ。
 どうでもいいけど、私の胸はブラの必要がないレベルのアレ。下半身にいたっては物理でツルペタだから、上も下も下着を着用する必要がない(半分は哀しい理由だが)。まぁこれでも女の子なんでね、可愛い下着は身につけたい乙女心を察してください。
 いつまでも眺めてられないので、アメニティグッズを持ってシャワースペースの扉の前に立つ。
(ゴクリ……)
 もう過ちは繰り返さない。この扉は自動か手動か⁉ うん、手動のようです。ガラッとガラス戸を引……ん? 開かないんですけど⁉ で、よく見たら『引く』ってプレートが。つまり、平行方向じゃなくて手前に引くってことね?くっそ、こんなので……もう知らない!
 正面にはおっきなミラー。そこに映るはちんちくりんの私の裸体。
 賢者六人衆は私を除き、みんな『筋肉質でスレンダー』か『ボン・キュッ・ボン』のどちらかだ。何で私だけが、溶けかけた翌日の雪だるまみたいなさぁ?
 クルリと回って、背中側をチェック。相変わらず幼女みたいなお尻、って羽の根本あたり! イヤアァッ、背中が煤けてるぅ~っ‼
 いやはや、シャワー大正解。車内販売のお姉さん、本当の本当にありがとう‼


 一部のマニアックな層にしかウケないサービスシーンもといシャワーを終えて、ユカタに着替える。そういやここまで裸足で来たんだっけ。なので備え付けのスリッパをお借りして、洗濯が終わった衣服を小脇に抱えて徒歩で席に戻る。
 洗濯済み衣服はとてもピカピカだ。あの魔導洗濯機、家庭用のもあるかな?
(塔にまた帰ることができたら、エータの街であの魔導洗濯機を買ってこよう!)
 しょーもないことでも、『帰ったらやることリスト』は増やしておきたい。少しでも、生きることを諦めたりしないように。
 ふと思い出すのは、芭蕉の辞世の句。
『旅に病んで 夢は枯野を駆け巡る』
 古人も多く旅に死せるあり、なんて言っちゃってる本人が旅先で亡くなったんだ。私も、そんな死に方はもうイヤだから。
 んでもって――。
「おや? 小生の旅の道連れはティア嬢でしたか」
 座席に腰かけてシーマイ弁当を食べていたら、モノクルをかけたナイスミドルの老紳士・オーティムさんがカバンを片手に目の前に立っていた。
 遡ること十分前。缶エールをプシッと開けて喉を潤す。前世でいうビールに似ているお水のようなお酒(私比べ)だ。
 この世界ではさまざまな種族がいるから、寿命もさまざまで統一された成人の定義がない。つーか何度も生々流転している私を除外したとしても、賢者六人衆はみんな最低でも数千年以上生きてるわけで、『未成年ていつまで?』っていうね。
 なので未成年がお酒飲んじゃいけないなんて法律はなくて、未成年っぽい世代はできるだけ控えてねっていう『努力目標』に留まっている。
 何やら複雑な構造のお弁当箱を、説明書どおり開封。糸を引っ張るとたちまちのうちに湯気が立ち込め、シーマイの匂いが周囲に充満する。美味しそうな匂いではあるのだけど、公共の場所でコレはどうなんだろうっていうね。
 湯気が落ち着いて、そこにはホカホカのシーマイ弁当。ほかのお客さんはこの匂いが迷惑じゃなかったかなとビクビクしながら食べるそれは、それでもやはり美味しかった。
 エータ駅を発車してからまだ小一時間、向かいは空席のまま。もしお向かいさんがいたら、シーマイ弁当の匂いでご迷惑をおかけするところだったなぁとか思ってたらコレである。
「あっ、オーティムさん。こんばんは!」
「こんばんは、ティア嬢。美味しそうですね」
 これは本音か嫌味か? やっぱり臭いのか?
「あっ、はい。まさかこんなことになるなんて思わなくて!」
 もはや平身低頭です、すいません。
「……?」
 訝し気に思案顔になったオーティムさんだったけど、チラとシーマイ弁当を見て感づいたのか『あぁ!』と納得したような表情になって。
「いえいえ、社交辞令のようなものです。お気になさらず。でも、本当に美味しそうですよ」
 良かった。それよりオーティムさん、発車から一時間どこで何してたんですか?
「食堂車の一部がバーになっておりましてね。少しお酒をいただいておりました」
 ほぅ、それはいいことをきいた。
「車窓から夜景を見ながら飲むお酒も乙なものでしたね」
「いいですねぇ、私も行ってみようかな?」
 オーティムさんは鞄を寝台に置くと、車内で買ってきたのか持ち込みなのかは知らないけれどウイスキーのボトルをカバンから取り出す。続いてグラスを一つ取り出して。
「ティア嬢は、お酒はいけるほうですか?」
「まぁ好きですね。見た目がこんなんですけど、結構長いこと生きてますんで」
 そう言って、エールをグイッて飲んでみせた。オーティムさんは笑って、
「そのようですね。こちらも、お酒の匂いとかでご迷惑をおかけします」
「大丈夫です、お酒は香りも好きですよ」
 なのでシーマイの匂いを消し飛ばしてってください、お願いします。
 オーティムさんはもう一つグラスを取り出すと、
「いかがです?」
 ごく自然にグラスを差し出してくる仕草が、ダンディで素敵だ。
「ではありがたく、ご相伴にあずかります」
 即答である。他人のお金で呑む酒の美味しさは世界共通だ。
 二つのグラスに注がれるのはストレートのウイスキー、常温だけど。二人でちびちびと飲みながら、とりとめもない話に花が咲く。
「それじゃオーティムさんとは、ラムダ駅でお別れですね」
「はい。ラムダ着が午前六時ちょうどなので、そこでティア嬢より少し先に失礼させていただくことになります」
 私が降りるのは、隣国ミザール王国の首都のあるゼータ駅。首都でありながらちょうど国境に位置しており、ベネトナシュ側の国境に面しているのがラムダの街だ。
「ラムダへはご旅行ですか?」
「いえ、里帰りになります」
 そう言ってグイッと杯を空けるオーティムさんのダンディな横顔が、車窓に映る。
「実は小生、このベネトナシュ王国の宰相を長年務めておりまして。この度、老後を安寧に過ごせと陛下にお暇をいただいた次第です」
 宰相ってことは、少なくとも侯爵位か公爵位にあるのでは。まぁ人間族の貴族相手に怯む私じゃないけどね。
「いえいえ、今はただの隠居ですよ」
 空になった私の杯に、おかわりをいただく。
「今では息子がポコ侯爵家の当主です。小生にはお気遣いなく」
 お願いオーティムさん、家名のポコは口に出さないでください。吹き出しそうになってプルプルと震えちゃう。性に目覚めたばかりのガキみたいで、本当にろくでもない私。
「それでは、定年退職ということなのですね。国民に代わり、御礼申し上げます。そしてお疲れ様でした」
 賢者六人衆と各国の王室政府は、お互いに干渉しないという不可侵条約がある。なので別に私がねぎらう立場でもないんだけど、そこはまぁ社交辞令というか。
「ありがとうございます。あなたのようなお方にねぎらっていただき、恐悦至極に存じます」
 酔っぱらってるのかな? 何か私に対してへりくだっているような……気のせいだろうか。
「ティア様、あ、いや。ティア嬢はゼータの街にどのような御用か訊いても?」
「旧来の友人を訪ねようと思いまして」
 うん、ヘンだぞ。やっぱヘン。
「オーティムさん? 私の正体をご存じですね?」
「何のことでしょう?」
 さすがは一国の王に宰相として仕えた海千山千。ニッコリと笑って、嘘をついてる後ろめたさは微塵もみせない。
 でもごめんね、オーティムさん。人の目を見て話すのはご立派なれど、それって私相手だと……その、ね?
「ふぅ、適いませんね。確かにおっしゃるとおり、ティア嬢……いえ、ティア師マスター・ティアのことは存じ上げております。ですが、実際にご尊顔を拝し奉ったのはあのお蕎麦屋さんが最初ですよ」
 ティア嬢でいいですぅ……必要以上の敬語も結構です、いやホントに。
 それよりオーティムさんがあっさり嘘をついてるのを認めたのは、私のスキルが発動したから? 関係ない?
 私に対しては嘘がつけなくなるという、私だけのユニークスキルである『真実の瞳』ヴェリタス・アイ。真実を射抜く瞳。
 自動発動型のスキルなので、こちらの意思でコントロールはできない。もしスキルが発動してしまったが故の白状であれば、例の副作用もついでに発症しちゃうんだけども。
「うっ……」
 うーん、オーティムさんが内なる自分と戦ってる。言っちゃいけないんだけど、言わずにはいられないみたいな衝動に。余計なことまでしゃべってしまいたくなるという、『真実の瞳』ヴェリタス・アイの副作用に。
 宰相をしてたんだから、そりゃ城外に出しちゃいけない秘密がいっぱいあるんだろうな。興味ないです。ごめんなさい、勘弁してください。
 妖精である私は、ベネトナシュでは大聖女ポジションである。勝手にそういう扱いをされてるだけで、教会に通ったりとかはしてない。
 ミザール王国のドワーフ・ターニーは神職人。ヘアピン一個作ってもらうだけでまとまった額が吹っ飛ぶともっぱらの噂で、平民はもとより王侯貴族であっても気軽に仕事を頼める相手ではない。
 ドワーフなだけあって、幼女(?)の身なりからは想像できない大酒飲み。ボトルの一本でも手土産に持っていけば簡単に引き受けてくれるんだけど、知らない人多いだろうな。小さな少女にお酒を差し入れようなんて、普通は思わないだろう。
 アリオト王国の九尾の妖狐・イチマルは崇拝対象。崇拝つーても現人神あらひとがみ的なヤツじゃなくて、巫女さんのトップみたいな感じ。てか実際に、神職に励む巫女さんだ。
 メグレズ王国のハイエルフ・アルテはガチの崇拝対象。この大陸には創生の女神・ロードと冥府の守護者・クロスの両神を崇める『シマノゥ教』が広く支持されていて、アルテはロード神の直属の眷属という扱いになっている。
 アルテ曰く、国民が勝手に言い出したことで自分は何の布教も流布してないとのこと。だけど偶然とは恐ろしいもので、アルテは実際にロード神に対してのホットラインを持っている。これは私たち、賢者六人衆しか知らないのだけどね。
 フェクダ王国の魔女・ソラは呪術のスペシャリストである反面、生活に便利な魔導具の発明家でもある。なので尊敬と畏怖、人によってイメージは真っ二つに割れる。
 メラク王国の真祖の吸血鬼トゥルー・ヴァンパイア・デュラは畏怖オブ畏怖。といってもデュラ曰く、周囲が勝手に怖がってるだけとのことらしいのだけど。
 ここらへん、勝手に聖女認定されている私と似ているかもしれない。でも火のないところに煙は立たず……ってブーメランだね、コレ。
 まぁそんな感じで、私たち賢者六人衆はそれぞれの国の中でのポジションが微妙に違うのだ。ただ良くも悪くも、それぞれの国を象徴する存在に祀り上げられているきらいはある。私なんか駅に像が飾られてたしね。
「旅の恥はかき捨てと申します。聞いてくださいますか?」
 うーん、心が折れたみたい。しかも何話そうとしてます? 旅の恥ですよね? 繰り返しますけど、王家の機密とかホンットーに興味ないんで!


 我が名はオーティム。産まれながらにしてポコ侯爵家の貴族令息だった。
 ポコ侯爵家の嫡男である私が、乳兄弟であるベネトナシュ王国はアルカイド王太子の最側近を務めるのは、産まれる前からの決定事項だった。そして王太子が王として即位したらば、宰相として生涯お傍に寄り添うことも。
 宰相という『表』とは別に、『裏』の私もいる。通称『王家の影法師』といわれる諜報機関のトップだ。
 間諜《スパイ》活動を主とし、ときには暗殺にも手を染める。反王族派の貴族に冤罪を被せて、潰したこともある。
 あれはもう何十年も前、三十代の後半のころのことだ。私の髪がまだ黒々としていた昔。裏の仕事を終え、城を目指して騎馬で帰還の途だった。
「きゃああっ!」
 む? 少女の悲鳴? 私は下馬して悲鳴の聴こえた方向へ走る。
「もう逃げられないぞ、クソガキ!」
 裏路地に入って、さらに入り組んだ奥。一人の薄汚れた少女が、ならず者数名に袋小路に追い詰められていたところに出くわした。
「何をしている!」
 別に素手でも対処できるが、念には念を入れてサーベルを抜刀しておく。
「なんだぁ、おっさん? すっこんでろい!」
「そうはいかん。その子を開放しなさい!」
 少女は泣きながら、その場に座り込み震えている。薄汚れた身なりで、十歳前後の……ストリートチルドレンだろうか? そばには、小さな花が入ってたであろう籠がひっくり返っていて、花があちこちに散らばっていた。
 正直、早く城へ立ち返り王に報告するのが先決だ。このような些末なことにいちいち関わってはいられない。いられない、のだが。
「せめてもの慈悲だ。黙って立ち去るのならば見なかったことにしてやろう」
「しゃらくせぇっ!」
 リーダー格らしき男が、バールのようなものを振りかぶって殴りかかってきた。周囲の男たちが、それに続く。
「仕方のない……」
 サーベルを一閃させると、もうそれは完了していた。チンピラたちが全員、苦痛の呻きを漏らしながら倒れている。
「だから言ったのだ」
 私は呆れて、腰のベルトからペン型の信号弾を引き抜くと上空に投げ上げる。建物の高さを少し超えたあたりで、パーンと破裂音がして赤色の粉煙が上空で舞った。
「君は大丈夫か? 怪我はないか?」
「ひっ!」
 混乱しているのだろう。私に助けられたということを認識できないでいるのか、少女は怯えた表情で後ずさる。私は嘆息すると、その場をあとにしようとして。
「あっ、あの!」
「何だね?」
 モジモジしていて、なかなか次の言葉が出てこない。私はイラつきを隠さず、それでも待つ。
「わっ、私! フリージアと申します! 助けていただき、ありがとうございました!」
 顔を真っ赤にしてそう言うと、深々と頭を下げる少女。なかなか礼儀正しいというか、生まれつきのストリートチルドレンではあるまい。いいところのお嬢様が、孤児になって流れついたというところか。
「君は、花売りかね?」
「ハイ、お花を売ってお金を稼いでいます」
 職務上、毒草や毒花も扱うので植物には詳しくなった。なので少女が売ろうとしている花が何の価値もない野草の花だというのは、私には一目瞭然だった。どこぞの野山で詰んできたソレを商品にしているのだろう。
(生活費を稼げるほど売れるのだろうか?)
 ちょっと考え込んでしまった私を、少女は不思議そうに見上げる。
「おじさま? あ、あの?」
 おじさま、か。ちょっとくすぐったいな。
「帰る場所はあるのか?」
 何気にそう訊いたとき、少女の表情が曇った。
「えっと、その……」
「君はストリートチルドレンなのかい?」
「……ッ‼」
 やはり、図星のようだ。だが、何故か少女はそれを知られたくない様子。『こう』なる前の育ちというか考え方が影響しているのだろうか、それを明かすのは恥と考えている節を見受ける。
「いえ、ちゃんと寝る場所はあります」
 凛としてそう応える少女だったが、『寝る場所』ね。帰る場所ではなく。
(さて、どうしたものかな)
 どうしたもこうも、ほっとけばいいのだ。今はこの少女にかまけている暇はない。
 こういう考え方は冷酷かもしれないが、少女のようなその日暮らしの底辺の領民はたくさんいる。この子一人だけ助けたところで、国にとって何が変わるわけでもない。ましてや私は宰相であり、日々仕事に忙殺されている身だ。
 そうこうしているうちに、私の信号弾を確認した治安局の衛兵たち数人が駆け寄ってきた。
「閣下! お怪我はございませんか⁉」
「見てわからぬか。そこいらでもんどりうっている暴漢どもを拘束せよ。被害者はこの少女だ。少女からの調書は私自ら執ろう」
 アゴでくいと少女を見やる。衛兵たちはチラと少女を確認して『ハッ!』と敬礼。そのまま暴漢どもを縛りあげてゆく。
「さぁ、来なさい」
 そう言って手を差し出すが、先ほどとは違う怯え方で固まっている。
「あ、あの……閣下?」
 普通のストリートチルドレンならば、『閣下』という言葉に何も反応はしないだろう。むしろ意味すら知らない子のほうが多いと思う。だがこの少女は反応した。やはり、か?
「すまないね。立場上、助けて終わりというわけにはいかないんだ」
 そう言うと、少女はビクッと肩を震わせて目をそらした。
「違う違う、そうじゃない」
 私は少女の前にしゃがみこみ、両肩をポンと置いて優しく微笑んで見せる。
「『君なら』わかるだろう? 私もお仕事で君を助けたのだ、どこで誰をどのような目的で捕縛し、そして助けたか。その記録を報告しないといけないんだ」
 その言葉にピンときたのか、少女が少し納得したような表情でこちらを向いてくれた。
「はい……はい、わかります」
「ありがとう。ではちょっとついてきてもらえるかね。お腹はすいていないかい?」
 少女が小さな声で『大丈夫です』と言うのと被せるように、
『ぐううぅぅぅ~っ!』
 とすごい音が響き渡る。
「あっ、あうぅ……」
 赤面して俯く少女、なんとも凄まじいお腹の音だ。
「でも私、お金が」
「安心したまえ、保安局からの奢りだ」
 そうして私は少女を詰所に連れ帰った。机と椅子だけの粗末な部屋であるが、急ぎ食べ物を用意するよう衛兵に伝達。
 少女は椅子に座ったまま、キョロキョロと周囲を見渡して落ち着かないようだ。といっても周囲は壁しかないのだが。
「それでは始めようか」
 正面に座ると、やっと少女も正面に向き直ってくれた。
「あ、あの閣下……ごっ、ごめんなさい」
「何がだね?」
 なにやらモジモジと恥ずかしそうに、少女が俯いて…泣きそうな顔をしている。
「ど、どうしたのかね? 用を足したいのならば案内するが」
 トイレに行きたいのかなと思ったが、トイレを利用するストリートチルドレンなどいない。なので『用を足したい』だけで通じるかどうか不安だったが、それは杞憂だったようだ。
「そうではなく……私、その……」
 このままでは悪戯に時間だけが過ぎる。私は少しだけ、イラついていた。
「何だね? はっきり言いなさい」
 ちょっと口調が厳しかったかもしれない。小さく『ヒッ!』と怯えた少女だったが、意を決したように顔をあげると、
「わっ、わたし‼ 臭いので!」
「は?」
 ……。
 ちょっと思考が停止してしまった。そして、あぁそうかと思い当たる。
 ストリートチルドレンならば、長いこと入浴してないのは当たり前だ。年端のいかない少女であっても、この子はもう立派な淑女レディなのだな。
「心配はいらない。私だって、加齢臭がひどい」
「えっ?」
 ジョークというものは、笑いながら言うものだ。真顔で言ってしまったがために、今度は少女のほうが思考停止してしまった。だがすぐに、
「うっ……くくくっ……待って、ダメ。ごっ、ごめ……なさっ……わっ、笑いが止まらな……」
 それぞれ片手で口とお腹を押さえて、笑い涙をポロポロこぼしながら少女は必死に笑いをこらえている。それを見ていると、何やらこっちまで楽しい気分になってきた。
「ひどいな?」
「ちっ、ちがっ、ごっ……めっ……」
 仕方ないので、少女の笑いが治まるのを待つ。っと、いつまでも少女もないな。すでに彼女は自分の名前を名乗っている。
「フリージアだったか、それは本名かね?」
 まだ笑いが完全に抜けきれないのか、
「ふっ、ふぁい!」
 フリージアの唇が波打っている。困ったものだ。
「普段はどこに住んでいる?」
 いつまでも付き合っていられないので、真面目に問うてみた。
「えっと、助けていただいたあそこらへん……です」
 答えたくない質問だったのだろうか、完全に笑いが引いてしまったようだ。
「つまりは家なし子ということでいいかね?」
「……はい」
 ふむ。まぁそうだろうなとは思いつつ、疑問に思ってたことを訊いてみる。
「生まれつき、ストリートチルドレンかね? 私の見立てでは、君はいいところのお嬢さんだったように見受ける」
 世の中、何がトリガーで地雷なのかわからない。フリージアはサッと顔を強張らせる。
「私の出自と事件の調書に、何か関係があるのですか?」
 キッとこちらを見つめるその瞳は、ストリートチルドレンの野良犬のようなそれではない。凛として遠くを見渡す、砂漠のガゼルの瞳だ。草食動物ながら、その矜持は光り輝く。
「いや、そうではない。気に障ったのならすまなかった」
 私は一息つくと、
「もし君が今の立場に不当にも押しやられているのだったら、それを助けるのも私の仕事なのでね」
 うさん臭そうにこちらを見やるフリージアだったが、意気消沈したように俯いてしまう。
「それについては、ご心配にはおよびません。私の父、アイリス男爵の自業自得なのですから」
 アイリス男爵……聞き覚えのある、というかよく知っている名前だ。
 五年前、ここベネトナシュでは禁止されている『奴隷民』をフェクダ王国から密輸。それを国内の違法ルートで売りさばいていた。
 なお、フェクダ王国では奴隷の売買は合法である。他国に対しての奴隷の輸出は、フェクダの産業の一つでもあった。
 だがフェクダの奴隷ギルドが登録・管理する『ご主人様』による購入のみ可能で、転売はご法度だ。それ以前に、密輸の時点でもうアウトなのだが。
 当時の私は捜査の過程でそれを知り、調査に乗り出した。だが男爵は巧みに証拠を残さず、陰から暗躍して尻尾を出さなかった。
 そこで私のもう一つの顔である『王家の影法師』のメンバーに奔走してもらい、証拠を『でっち上げ』た。そこからは芋づる式に、奴隷の違法売買に関係していたすべての関係者の逮捕につなげることができた。
 証拠は偽物でも罪は本物、男爵は最後まで無罪を主張していた。だがこちらも、はいそうですかというわけにはいかない。『影法師』による非合法な尋問、いわば拷問を伴う取り調べで関係者の口を次々と割らせて物理的な新証拠も入手した。
(そして男爵は爵位を取り上げられ、処刑されたはずだ……)
 尋問を受けた関係者の中には、男爵の家族も含まれている。
 と、そこで扉がノックされた。
「閣下、食事の用意ができました」
 ちょうどよかった、確かめたいことがあったのだ。
「私は少し席を外す」
「ハッ!」
 衛兵の後ろから、女中ワゴンを押して入ってくる。丼が一つと水差し、グラス。
「私は少し調べものがある故、食べていなさい。続きは、食べ終わってからにしよう」
 そうフリージアに語りかけるが、彼女はワゴンの上の丼に目が奪われているようだ。つーかよだれ出てますよ、お嬢さん。
「チーズオーク丼だ、口に合うといいが」
 そう言ってフリージアの肩をポンと叩き、取り調べ室を後にする。
 足早に向かうは、資料室だ。扉を開け、記憶どおりの年代の棚を探す。
 貴族が処刑されるほどの罪を犯すなど、あってはならないことだ。なので当時の資料はすぐに見つけることができた。
 私は、資料を読み進める。
「フリージア・アイリス、ドゥーベ歴一九七五年生まれ。今年が一九八九年だから、今は十四歳か。事件のときは九歳だな」
 そしてどんどん読み進めていくうちに、私の手が震えていくのがわかった。顔から、いや全身から血の気が引いていく。
 そこに記述されていたのは、九歳の少女に対する陰惨な拷問まがいの尋問。泣き叫ぶ少女に、何をしたかが克明に記されていた。
 『何も知らない』との証言には嘘を吐くなと恫喝し、『ごめんなさい』の慟哭に対しては何に謝っているのか自白しろと強要する。ときには『』をも使って。
「何だこれはっ!」
 握りしめて怒りで真っ赤に膨れ上がった拳を壁に叩きつけるが、全然気は晴れない。
 『影法師』の尋問部隊が手段を選ばないことは知っている。何より自分がそう指導したのだ。そしてその功績は大きく、王国にこびりつくありとあらゆる『垢』をこそぎ落としてきた。
 私に、怒る資格があるのだろうか? 何もやっていないとわかっている被疑者をも傷めつけるのは、主犯に心理的重圧を与える一種の手法として用いている。もちろん、我らのその非道な行いは決して表沙汰にはならない。
 そして幼子がそのような尋問を受けているのを、男爵にも見学させたとの記録が残っていた。だが男爵は依然として罪を認めず、また我が子を庇うそぶりも見せなかったと。
 血を分けた親に見捨てられてなお続く生き地獄を、わずか九歳の少女が……当時の私は宰相として指示を出すのみで、取り調べの前線に出ることはなかった。だが執務を行う上で、連日のように『男爵はまだ口を割りません』と報告書を差し出す部下に私は何をした? なんと言った?
「役立たずめ!」
「どんな手段を使っても構わぬ! 口を割らせろ!」
「男爵がダメなら関係者から崩せ!」
 そんなことを怒鳴りながら、報告書を読みもせずに部下の頬に叩き返していなかったか。その中に、この報告書があったんじゃないのか。
 震えが、止まらない。


 私はいったい、何を聴かされているのだろう。目の前の、宰相を務めたという品の良さそうな老紳士の皮を被ったゴミクズに。
「で、結局そのフリージアさんはどうなったのですか?」
 自然と、言葉に怒気を含んでしまう。
「取り調べの途中で新証拠が発見されましてね、男爵は裁判で処刑判決を受けました」
「私はっ! フリージアさんのことを訊いているんです!」
 ついつい怒鳴ってしまった。わが子を見捨てるようなクソ人間に興味はないもの。
 オーティムさんは一瞬だけびっくりした表情を浮かべたが、すぐに姿勢を正す。
「フリージアは、釈放されました」
 釈放された貴族の令嬢が、何故裏路地でストリートチルドレンのように暮らしているのか。野山から摘んできた名も無き花を売って、その日暮らしをしていたのはどうしてなの?
『釈放されました』
 この言葉を、額面どおに受け止めることはできない。
「釈放された、とは? 具体的にどうなさったのですか?」
 嫌な予感がする。聴いたらダメなやつなんじゃないかと、本能が毛羽立つようにざわつく。
「それは……」
「そ・れ・は?」
 言い淀むオーティムさんに対して、無性にイラつきが止まらない。
 はたからみると、幼い孫娘にやり込められているお爺ちゃんの画。ほのぼのとした光景に見えるかもしれないが、私は本気で怒っていた。人間はやっぱり嫌いだ。ついでに言うと私は幼くもない!
「牢から……」
「牢から?」
「自力で立てないようだったので、そのまま抱えて……」
「『』!?!?」
 もうダメだ、このチンコ爺さん殺そう。
「城門を開けて、釈放する旨を告げました」
「告げて。で?」
「城門の外に投げ捨てた、と記録には……残されておりました」
 ……。
 ねぇ、ターニー、イチマル、アルテ。ソラにデュラ。私、もう我慢しなくていいよね?
 何より『不可侵条約』って、私が不在(というか死んでた)時に結ばれた賢者六人衆と帝国王室との契約だ。その場にいなかった私に、遵法の義務はある?
「ティア嬢?」
 そうだ、今聴いた話はフリージアさんが九歳のとき。そして五年後に、オーティムさんは十四歳になったフリージアさんと出会ったんだっけ。
「……続けてください」
「わかりました。私は資料室から戻り……」


 資料室から戻った私は、再びフリージアのいる部屋へ戻った。
「待たせたね」
「いえ……」
 フリージアの頬にご飯つぶがついていたので、それを取ろうと手を伸ばしたときだった。
「ヒッ!」
 何かされると思ったのだろうか、怯えて一瞬怯んでしまうフリージア。
「あぁ、驚かせて悪かったね。ここ」
 そう言って、私は自分の頬を指さす。
「ここ?」
 フリージアはわけがわからないといった塩梅で、自分の頬を触り。
「あっ……!」
 ご飯つぶがついていることに気づいたのだろう、赤面してうつむいてしまった。
 レディーに恥をかかせてしまったのだろうか? 私はそれ以上掘り下げずに、興味なさそうな表情を見せて資料をめくる。
「フリージア、ファミリーネームは無し。平民の十四歳。合ってるかね?」
「は、はい。合ってます」
 フリージアの父、アイリス男爵は爵位を取り上げられ処刑された。もう彼女は、貴族ではない。そのことには自分で納得しているようだ。
「で、あのチンピラどもに絡まれた理由はわかるかね?」
「『いつものこと』なんです」
「いつもの?」
 彼女の弁によると、あのチンピラどもは人の儲けを恐喝で横取りするのが日常茶飯事。被害者はフリージアのみならず、あの界隈で細々と暮らす者たちにとっては災害のようなもので、目をつけられたが最後逃げるしかないのだとか。
「あいつらの仲間は、捕縛した者全員かね? ほかにもいるかい?」
「あと三人、いたと思います」
「絵は得意かい?」
「絵ですか? 家庭教師について数か月習ったことがありま……あ!」
 思わず貴族令嬢時代のことを喋ってしまったのに気づいたのだろう、フリージアは押し黙ってしまう。私は聴こえなかったふりをして、紙とペンを差し出した。
「おおまかなイメージでよい、似顔絵を描いてみてくれないか?」
「は、はい。わかりました」
 この羽ペンは結構くせがあって、書きなれていないとすぐにインクが滲んでしまう。平民でさえなかなか入手できないタイプの高級品だが、彼女は難なく扱ってみせた。腐っても元貴族令嬢といったところか。
「こんな感じの三人です」
「これは……見事なものだ。おい、誰かある!」
 本当に、それは見事としかいいようがない出来だ。写実的で、それでいて特徴をやや誇張して捉えてあるのが却って印象的に映る。そして、それぞれがどういう名前なのかも記してあった。
「御用でしょうか?」
「この紙に描かれている三人、先ほどの界隈にたむろしているチンピラだ。本人確認が取れたら、ただちに捕縛して連れてこい」
「かしこまりました」
 そしてフリージアに聴こえぬよう小さな声で、
「生死は問わん」
「……ハッ!」
 衛兵が似顔絵の紙を持って部屋を出ていくのを見届けると、私はフリージアに向き直る。
「ありがとう、君への事情聴取はこれで終了だ」
「そうですか、お疲れ様でした」
 お疲れなのは君もだろう。何より、事情聴取された側の台詞ではない。
「では、失礼します」
 物腰が丁寧なのは、骨身に沁みついた貴族としてのマナー教育のおかげだろう。もし彼女がボサボサの髪、ボロボロの服を着てちょっと酸っぱい異臭を放っていなかったら、逆にストリートチルドレンといわれても信じられなかったかもしれない。
「ちょっと待ってくれ」
「はい? 何でしょう」
 席を立ちあがりかけたフリージアを、手で制す。
「君に、謝らないといけないことがある」
「謝らないといけないこと、ですか?」
 こういうのは勢いが大事だ。後で後でと歩を留めていては、大事なときに一歩も動けなくなるのだ。
「五年前、まだ九歳だった君は酷い尋問を受けた。そうだね?」
「……ッ‼」
 フリージアの表情が、サッと強張る。
「その尋問を担当した部隊は、宰相である私の子飼いの兵たちだ」
「えっ……」
 長い長い沈黙が訪れた。
「……もう、白状することは何もありません! それに私は何も知らなかったんです!」
 涙をポロポロ流しながら、ガタッとフリージアが立ち上がる。
「わかっている! わかっているから落ち着いてくれ……」
 半ば強引に、彼女の両肩に手を置いて再度座らせた。
「謝罪したいのだ」
「え? 謝ざ……え?」
 予想だにしない言葉だったのだろう、涙が引っ込んでポカンとしている。
「五年前の君に酷いことをした、それを謝罪したい。もちろん、頭を下げるだけで済むとは思ってはいない」
 私の直接の指示じゃなかったが、と言いそうになったのを慌てて口をつぐむ。そんなことを言っても、今の彼女にとって何の救いにもならない。
 何より私の直接の指示じゃないと、胸を張って言えるか? 言えるはずがないじゃないか!
「君が望むなら、私の財産をすべて差し出そう。殴りたいなら気のすむまで殴っていい。私の両脚を斬り落としたいならそれでもよい」
 これは、本心から出た言葉だ。
「ただ、国家として表立って君に賠償するわけにはいかない。それはわかってほしい……」
 フリージアは、黙ってこちらを見つめている。そして――。
「国家として、というのはわかります。元より、父が犯した犯罪で連座制が採用されなかったのは幸運だったのかもしれません」
 連座制とは、事件とは無関係な犯罪者の親族も罰せられる制度のことだ。『自分が犯罪を犯したら親族に迷惑がかかる』という思いを抑止力にするのが目的だが、その抑止が利かなかった場合――法として存在する以上は実際に執行しなければならない。
 幸いにして連座制は殺人罪にのみ適用されるので、フリージアはその難を逃れた。いや、あれは逃れたといえるだろうか。
「正直に言おう。君が五年前に遭った内容はさっき知った。当時の私はそれを知り、止める力があった。だが知ろうとすることを放棄し、結果的に君に……」
 凛としてフリージアに説いていたつもりが、言葉が続かない。声が、揺れる。
「あの……?」
 私の頬を、涙がつたった。……え、涙? 私が?
「おじさま、泣かないでください」
 フリージアが、困ったように声を絞り出す。
「まぁそういうわけなのだ。金でもいい、五年前と同じ目に遭わせたいならそれでもいい。もし私の命を所望なら……それは少し待ってくれ。君が罪を被らなくて済むように色々と事前に工作する必要がある」
「はぁ……」
 唐突の流れなので、フリージアは軽くパニックを起こしている。それもそうか。
「とりあえず私をどうしたいか、決めあぐねているなら今日はこれまでにしよう。近くの宿に予約しておくから、今晩はそこへ泊るといい、お風呂もある。もちろん、宿泊費や食費はこちら持ちだ」
「……」
「それとも、君が普段寝泊まりしている場所に帰る必要があるかね?」
「いえ、それはないんですが……何かこう、情報量が多すぎてパンクしそうです」
 そう言って、ちょっとだけフリージアは笑ってみせた。


「それで、フリージアさんは何を要求したんですか?」
「職です」
「職?」
 オーティムさんが持ってきたボトルは、もう空になっていた。車内販売や食堂車で買ってくることはできるが、何だか呑む気になれない。
「フリージアは、よりにもよって……私の仕事を手伝いたいと申し出たんです」
「それは、宰相としての?」
 いや違う。オーティムさんは、『よりにもよって』と表現した。これが意味することは一つしかない。
「『王家の影法師』として、のですか?」
「そうです」
 どうして? 幼かった自分に降りかかった不幸な出来事、それは確かにフリージアさんの父親のせいだろうけど。でも幼い彼女に『王家の影法師』が非合法な尋問でえぐった爪痕は、とめどめもなく深いはずなのに。
「あれから、フリージアとたくさん話をしました。そして彼女が望んだのは、『王家の影法師』へ入隊することだったのです」
「でも、自分をつらい目に遭わせた組織なのでしょう?」
 そこが、どうも腑に落ちないんだけど。
「だからこそ、なんです」
「と言いますと?」
「私が仕事に忙殺されて……恥ずかしながら部下の報告をないがしろにした。それ故の悲劇だったのはお話したとおりです」
 何か責任逃れをしたそうな言い方なのが気にくわないけど、ちょっと黙っとく。
「自分のような不幸な……何ていうんでしょうかね、犯罪者の家族を減らすことができるのではと考えたようなんです」
「なるほど」
 なんとなく、フリージアさんの人となりが見えてきた。だけど……これは妖精としての直感。もうフリージアさんは、この世にいない気がするの。
「スパイから暗殺まで何でもこなす諜報機関ですからね、修行は苛烈を極めました。体術に魔法、剣術や暗器の使い方、体力筋力を増やすことはもちろん、毒物への免疫を作ることまでも」
 人間、なんだかなって思う。口にはしないけどね。
「そして……男を手玉に取る技術も」
「それはつまり、『そういうこと』を?」
「はい」
 私の顔がサーッと般若のようになるのを、オーティムさんは見逃したようだ。そのまま、何ごともなかったように続ける。
「フリージアはストリートチルドレン時代に、何度も性的暴行を受けておりました。ですから、そちらの訓練はあまり抵抗なく受け入れてくれました」
 少女が一人で生き抜くには、それはあまりにも厳しすぎる環境だ。ましてや元貴族令嬢、その心痛はいかばかりだったろうか。


「おじさま、おっはようございます!」
「こらこら、何度も言っているだろう。君はもう一人の隊員なんだ、隊長と呼びなさい」
「はぁ~い!」
 上下関係が厳しい組織のはずなんだが、どうにも調子が狂う。
 あれから三年、信じられないほどに明るくなったフリージアだ。今や彼女も十七歳、どこに出しても恥ずかしくない……暗殺者アサシンとして成長していた。
 これまでに、彼女の手にかかってこの世から姿を消した敵は数知れず。その獅子奮迅の働きは、もはや組織のエース級ともいえるレベルにまで評価を上げている。
「オーティム、フリージア。陛下がお呼びだ」
「陛下が?」
 近衛隊を率いるアイン・ダイウンが、私とフリージアを呼びにきた。私だけでなく、フリージアも。つまり、『裏』の密命が下るのだろう。
「承知した。すぐ参る」
「かしこまりました!」
 二人で返事をして、足早に謁見の間へ。普段は近衛兵や高官に官僚などが控えているはずの場に、先ほど我らを呼びにきたダイウン公と陛下のみ。人払いがかかっているということは、やはりそうなのだろう。
 このような形で密命を帯びるのは初めてではない。いつもどおり、淡々と王命に殉じるだけだ。
「陛下、オーティム・ポコ。馳せ参じました!」
「あぁ、堅苦しい挨拶はよい。近う。そなたもだ」
 フリージアが、『へ? 私?』とでも言いたげにポカンとして自分の顔を指さす。これまでこうやって呼び出されたことはあったが、まさか玉座の隣まで来いとは命じられたことはなかったからだ。
「かしこまりました。フリージア、来なさい」
「は、はいっ!」
 カチンコチンになっているフリージアと、玉座への階段を上る。
「実はな、タリタのことなのだ」
「タリタ王女殿下、ですか」
「あぁ、困ったことになった」
 タリタ王女殿下とは陛下の第一子で、このままいけば陛下の後を継いで女王となられるお方だ。フリージアより二つ年上の十九歳。身長と瞳の色がほぼ同じなので、領内視察などで何度かフリージアが影武者を務めたこともあった。
「タリタがアルカプラ騎士爵に懸想して……この人でないと結婚したくないと駄々をこね、元老院をも巻き込んで大騒ぎになったのは覚えておるな?」
「はい、陛下」
「そして根負けして、アルカプラを王配とするのを認めるに至ったのだが……」
 アルカイド陛下は私より一つ年下で、乳兄弟でもある。なので立太子するまでは兄弟のように仲よく過ごしたものだが、ここまでやつれた表情は初めて見たかもしれない。何か、とてつもないアクシデントが発生したのだろうことは明白だ。
「急いで婚約式、領民へのお披露目、一定の婚約期間を経ての挙式……これらすべてを終えるには、どんなに急いでも一年と半年はかかる」
「と言いますか、一年と半年でさえかなり駆け足ですな。あまり現実的ではありません」
「うむ……」
 平民の結婚式とは違い、ここベネトナシュ王国はカリスト帝国を構成する七つの王国の一つ。ベネトナシュは大陸の最東端だが、最西端にあるドゥーベ市国におられるカリスト女皇帝が帝国を統べている。
 まずは皇帝への報告、そしてほかの五ヶ国の国王へのお披露目や参列のための下準備。非常にたくさんの時間と金と人間が動く。一年半ですべてをやろうと思ったら、過労死は覚悟せねばなるまい。
「まさかタリタも、結婚が許されると思っていなかったようで……あらかじめ、強硬手段に出ていたのだ」
「強硬手段、ですか。まさか駆け落ちでも? と言っても今朝お見かけしましたが」
 もし駆け落ちだったらば――いや、想像はしたくない。いくら自治を認められている王国であっても、ベネトナシュの王室は皇帝の臣下なのだ。帝国からどのようなペナルティが下るかわからない。
「まもなく、妊娠四ヶ月に入る」
「は?」
 今、陛下はなんと言った⁉
「このままいけば、年内には出産するだろうとのことだ」
「……」
 冗談ではない。駆け落ちのほうがまだマシかもしれない。
 というのは、『結婚前に妊娠』というのは平民の間でさえ『不潔』『野蛮』と忌避されるほどだ。当時は、そういう時代だった。
 だからたとえすぐに結婚式をあげるというウルトラCが可能であったとしても、王室の権威の失墜は免れない。帝国からも信用を失うだろう。
 隣にいるフリージアも、緊張の面持ちだ。ただ狼狽を隠せないでいる私と違い、厳しい表情でまっすぐと陛下を見据えている。それは何か、覚悟を決めた決意の表情だ。
「そこでだ。タリタには離宮にて内密に出産させるとして……表舞台に立つタリタの影武者が必要になる」
「ちょっ、ちょっと待ってください。フリージアを⁉」
「そうだ」
「無理です! これまでフリージアが影武者として成功したのは、領民からは遠くて顔をはっきり確認できないとか、従者で周囲を固めてなどの措置をとって『顔はよく見えない』という状況を作ってこそ可能だったはずです! ですが婚約式からの流れは皇帝にも挨拶に出向く必要がありますし、何よりタリタ殿下の産んだ子はどうするのです⁉ いきなり出産したことにはできますまい?」
 その私の弁に対する陛下の返答は、想像を絶していた。
「フリージアよ」
「はっ!」
「お前の主人は王であるこの私であり、その命はともにベネトナシュの領民を守護するためにあるな?」
 このとき、フリージアがチラリと私を見た。少し、寂しげな笑みを浮かべている。
「御意にございます」
「ではフリージアよ。これから余の言うとおり動いてもらう。まずは……」
 陛下からの王命はこうだった。

・外科整形手術を受け、タリタ殿下と同じ顔になってもらう。
・タリタ殿下の影武者として婚約式、領民へのお披露目、帝国への挨拶など表舞台に出る公務をこなしてもらう。
・そのために、影武者だとばれないように王女教育を受けてもらう。
・タリタ殿下に代わり、結婚式に花嫁として出てもらう。
・結婚半年後をめどに、夫であるアルカプラ騎士爵の子を妊娠してもらう。
・臨月のころを見計らって出産したことにし、そこで初めて本物のタリタ殿下と入れ替わってもらう。
・タリタ殿下が産んだ子を、頃合いを見計らって国民にお披露目する。

「陛下! それではフリージアがあんまりではありませんか!」
 冷静沈着な宰相、私はそんなイメージらしい。だが血相を変えて今にもつかみかからんばかりに陛下に迫るその姿は、さぞかしイメージをぶち壊したことだろう。幸いにして、この場にいるのはフリージアとダイウン公のみなのだが。
「顔の整形に……婚約式、結婚式、そして妊娠⁉」
 私は、陛下が何を言っているのかわからなかった。本当に、わからなかった。
「オーティム。これは『お願い』ではない。『王命』である」
「……ッ⁉」
 驚きのあまりずっと陛下を直視していたが、肝心のフリージアは?
「陛下、しかと承りましてございます」
「フリージア⁉」
「『』。引いてはお国のため、領民のためです。このままでは、帝国からどのようなペナルティが下るか想像もできません」
 凛として言い放つフリージアは、何の迷いも見せない。
「それはそうだが……だからといって」
「オーティム。繰り返すようだが、これは『王命』であるぞ」
「陛下……」
 言い淀む私を元気づけるように、フリージアは笑顔でポンと私の背中を叩いて。
っ! 私、嬉しいんですよ。一度は貴族の令嬢としての立場を取り上げられ、ストリートチルドレンとして泥水をすすりながら生きていくしかできなかった。誰も知らない場所で知らない時間の中で、惨めにのたれ死にするしかなかったんです。その私が陛下の、そして国民のために役立てるんです! たとえ平民に零落しようとも、私の中に『高貴なる者の責任と義務ノブレス・オブリージュ』の精神は生きているんですよ」
 健気に笑って、私を必死で励まそうとしてくれるフリージア。君は、その声が小さく震えてるのは自分でもわかっているのだろうか。


 聴くに堪えない。もう限界かもしれない。
「そしてフリージアさんは結局……王命とかいう非道な命令に従ったのですか?」
 私がこの世界に里帰り転生したのは、ターニー曰く四十年ぶりとのことだ。
 前のティアだったとき、魔核分裂で破裂して死んじゃう前のベネトナシュ。確かにタリタという名前の王女がいた。九歳か十歳ぐらいだった記憶がある。
(私がいない間にそんなことが……)
 どのみち、『不可侵条約』があるのでそれに関わることはなかっただろうけど。
 人間は嫌い。人間は嫌いなんだ。もう人間なんて大っ嫌い。
「フリージアの整形手術は王命が下った一両日に行われ……本物のタリタ殿下ですら、鏡を見ているのではないかと感想をもらしたほどに仕上がりました」
 仕上がるって何? ヤバい、吐きそう。
「私は宰相として、常に陛下のそばにいましたから……フリージアが王女教育や公務で多忙を極めているのもあり、そこからは年に数えるほどしか逢えなくなりました」
 どうでもいい。
「フリージアの血の滲む努力によって、婚約式、お披露目、そしてカリスト皇帝への報告。挙式の準備に参列する貴賓の警備の差配など、それらはすべて滞りなく進められたのです」
 だから何。
「そしてめでたく結婚式を迎え……」
「めでたかったですか?」
「……え?」
「いえ、続けてください」
「あ、はい」
 私が不穏な状態になっていることをオーティムさんは感づいたようだが、『真実の瞳』ヴェリタス・アイの副作用は彼の舌を休めることはない。
「そして予定どおり、式から半年後にフリージアは妊娠したのです」
「結婚相手の子、ですよね?」
「そうです」
 なんか腑に落ちない。子を成すだけなら、子種は誰でも良かったはずだ。
 あぁでも将来の王として即位するのはタリタ王女のほうか。そのとき騎士爵は王配の立場になる。王室の血を引かない子なのだから、王位継承権には絡まないわけで。
「そして季節が晩夏に差しかかるころ、臨月を迎え……」
 ここまで来て、オーティムさんが口をつぐんだ。唇がプルプルと震えている。
(『副作用』と戦っているのか…)
 どうやら、よほど言いたくない結果が待ち受けているようだ。それを言いたくなくて、必死に内なる自分に抵抗している。だけど私の『真実の瞳』ヴェリタス・アイは、残酷なまでにそれを語らせるのだ。
「王女殿下と入れ替わる日が設定され、私にはとある『王命』が下りました」
 聴きたくない。オーティムさんが何を言うのか、もうわかってしまった。だから聴きたくないけど……やっぱり確かめずにはいられない。
「王女殿下の身代わりになっていたこと、身代わりとして帝国の皇帝や諸国の王室を欺いたこと、領民を欺いたこと。陛下にとっては獅子身中の爆弾ですよね、フリージアさんの『存在』は」
 オーティムさんの口から聴かされる前に、自分で言っちゃったほうがいいかもしれない。
「フリージアさんを『消した』んですね?」
「それは……」
 やっぱりか。傾国をもたらすかもしれない存在を、陛下がみすみすと『お疲れ様』と解放するはずがないからだ。
「せめて……その役目は私にと陛下に懇願しました」
 は? ちょっと待って⁉
「オーティムさんが……手にかけたのですか?」
「そうです」
 血液が沸騰する。いや、妖精である私に物理的な血液は流れていないんだけど、それでも。クラクラして何も見えない、こいつは何を言っているんだ?
「フリージアは、私に懇願しました。『口封じに消されるのはいい、覚悟はしていた』と」
「……」
「ただ、この子を産むまで待ってほしい。そしてこの子を守ってほしいと涙ながらに訴えてきたのです」
 王家の影の役目を果たす傍らで、一人の女性としてどんなにか無念だったろう。我が子を母として慈しんで育て、愛し愛される夢があっただろうに。
「私には、フリージアを口封じすると同時にもう一つの王命も下っていました」
 もうやめて…やめてください。傾国を導くかもしれない禍根を断つには、もう一つやるべきことがあるからだ。でもこれだけは、どうしてもハッピーエンドを願わずにはいられない。
「子は……フリージアさんの子は今、どこに? オーティムさんが保護して、今は幸せに暮らしているのですよね?」
 そうであってほしい。人間はそこまで鬼じゃないって、心の底から思いたいの。
 だけど、人間はどこまでも残酷だった。
「いえ……」
 ――もういい! 何も言わないで!
「私は……絶望の表情を浮かべていたフリージアの首を、斬り落としました。そして返す刀で、彼女のお腹に剣を突き立てたのです」
 逃げるように寝台に飛び込み、シャーッとわざと大きな音を立てて拒絶を見せつけるようにカーテンを閉める。
「彼女が二十歳の誕生日を迎える、七日前のできごとでした」
「うるさい、うるさい、うるさい! もういい、黙ってて! 黙れ!」
「ティア嬢……」
 私はかたつむりのように布団にくるまって、それ以上の彼の発言をシャットアウトする。
 嫌い嫌い嫌い、人間嫌い、大嫌い……。


 いつの間にかそのまま眠りに落ちたようで、窓側のカーテンをちょい開けして窓の外を確認。払暁の朝焼けが空に展開を始めている。そして、再び寝台に横になって。
 列車の車輪が線路の継ぎ目を拾う『ガタン、ゴトン』という音がする間隔がだんだんと広がってきた。朝一最初の停車駅、ラムダが近い。オーティムさんの降りる駅だ。
 カーテン越しだからわからないが、向かいの寝台でゴソゴソと動く気配がした。降りる準備をしているのだろう。
 やがて列車はゆっくりと減速していき、朝もやが立ち込めるホームの景観が窓の外をゆっくりとスライドしていく。
「ティ……」
 私に呼びかけようとするオーティムさんの小さな声がカーテンの向こうから聴こえたが、聴こえないフリをした。午前六時という時間帯もあって、オーティムさんもそれ以上は話しかけてこなかった。
 やがて完全に列車は静止して、車内アナウンスが小さな音声でラムダ駅着を告げる。まだ寝ている人への配慮だろう。そしてオーティムさんの気配が、靴音が遠ざかっていく。
 完全にいなくなったであろうのを見計らい、私はカーテンを開けた。オーティムさんの寝台は、丁寧に布団がたたまれている。
 そして窓の外をチラと見て、とある懸念が脳裏をかすめた。
(アルカイド陛下は、去年崩御したってターニーが言ってた。今のベネトナシュの王は、フリージアさんが命がけで名誉を守ったタリタ女王陛下だ。口封じに消されたぐらいなんだから、王家の裏を知り尽くしたオーティムさんを野に放つのは――)
 そこまで思いを巡らせたとき、窓の外にオーティムさんが改札へ向かう後ろ姿が見えた。そして、その後ろからフード付きの黒いコートで身を包んだ男性がオーティムさんの背後に立ち……そのまま足早に改札方向へと立ち去る。
 オーティムさんは、その場に崩れ落ちた。倒れたショックでカバンの留め金が外れ、中身が散らばる。
「……」
 一瞬のできごとだった。出血はないようなので急所を一撃、あるいは致死毒かもしれない。
 私はそれを目撃しながらも、何故か冷静でいた。倒れたオーティムさんに駅員が駆け寄り、ホームの客が野次馬となって周囲を取り囲む。
 チラと見えたオーティムさんの顔は、確実に絶命しているのがわかった。でもどうして? どうしてそんな穏やかな笑顔を浮かべているの?
 発車時刻になり、ゆっくりと列車が動き出す。次の停車駅は、私の目的地であるミザール王国のゼータ駅だ。私もそろそろ降りる用意しないと。
 キャリーに荷を詰めなおしながら考える。オーティムさんの口を封じるように王命を下したのは、タリタ女王陛下だろう。そしてオーティムさんは……おそらくだけど、その王命が下ることを察していたのではないだろうか?
 荷を詰め終えいつでも降車できる状態になったので、ただボーッと窓の外を見てアンニュイな時間を潰す。ベネトナシュとは違う雰囲気の家々がちらほら姿を見せ、国境を越えたのを実感した。
「オーティムさん、あなたの人生それで良かったの?」
 ちょうど河川上に差しかかった列車のひときわ響く鉄橋の音が、私が小さく呟いたその言葉をかき消した。
 ねぇ、ターニー。あまり楽しい話じゃないけど、聴いてほしいことがあるよ。
 あなたなら、何て応えてくれるだろう? 嘘でもいいから慰めてほしいな……。
 列車の線路の継ぎ目を拾う音の間隔が、再び広がり始めていた。


【おまけ】『王女と乞食』

(喉乾いたな)
 王女教育で慣れぬワインをここのところ呑まされたおかげで、喉が焼けてるように調子が悪い。
 『王家の影法師』の訓練でも強い酒は呑まされたことはあるが、タリタ王女の影武者になってからはそれもとんとご無沙汰だったのもあって、身体がびっくりしたのだろう。
 貴賓を招いた王城での晩餐会、タリタ王女(中身はフリージア)はボウルに入った水を凝視していた。
(の、飲んでいいのかな? 飲み水、だよね?)
 フリージアは、意を決してフィンガーボウルを両手で持って。
『ゴクリ、ゴクリ……ぷはぁ~っ!(生き返るぅ~)』
 周囲はびっくり仰天である。何せ指を洗うためのフィンガーボウルの水を、まるでラーメンのスープのように飲み干したのだから!
大臣A(王女様がそうしたのだから……我々もすべきか?)
他国王子B(これは、ベネトナシュでのマナーなのか? 事前にレクチャーを受けていないぞ! どうする、どうすればいい⁉)
大臣C(王女様には何か考えがあってやったことに違いない。ならば我らも…っ‼)
他国王女D(ここは、私たちが追従するかどうか……試されてる⁉)
侍女E(ちょっ、ちょーっ! フリ……タリタ殿下! それはゆっ、指を洗うためのっ‼)
オーティム「……殿下、後で大事な話があります」

 後日、フリージアの頭には大きなたんこぶが出来ていたという。
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