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第八話・神々の思惑

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 オズワルドさんとジャスミンさんに遅れること三日、私もターニーもミザール王国へ戻ることにした。
 ヤーマ本島はもう入出国が可能とのことだったんだけど、まずフレア肺炎に感染しているかどうかの診断を受けないといけないらしくて。かなり順番待ちが多く、入国しても約一週間は国が指定する宿泊施設に隔離されちゃうんだとか。
「そっ、そこまでして、ねぇ? いっ、行くようなとこじゃないよね? ミザールに戻ろ? ね?」
 ターニー、完全に不審者です。
「まぁミザール側が入国禁止にする前に戻るべきだとは思うけど……ターニー、何か怖がってる?」
「べべべべっ、別に?」
「本当ーぅ?」
「ほ、ほほっ、本当だってば!」
 私は別に、そのつもりは無かったんだ。ちょっとからかい半分で。
 ただね、ターニーさんが。私の瞳を凝視しすぎてしまったんだよね。
「うっ、卑怯者!」
「ごめん、そんなつもりじゃなかった! だから言わんでいいよ‼」
 無意識で発動しちゃう私のスキル、『真実の瞳』ヴェリタス・アイ。私に対して一切の嘘がつけなくなるという。
「ティ、ティア-っ! 恨む!」
「取り消す! 取り消すから言わなくていいマジで!」
 正直、私の周囲にこの能力スキルを持つ人がいたらすごくイヤだと思う。
 嘘も方便なシチュエーションは人生で必ず遭遇するし、言っちゃいけないことを知ってしまうこともあるよね。ていうか茉莉花ちゃん――オズワルドさんのときがまさにそうだった。
 そんなとき、絶対に嘘がつけない、訊かれたら喋ってしまう。こんな存在とは、私はお近づきになりたくない。
 それなのに、普通に友人として接してくれるターニー。イチマルもアルテも、ソラやデュラもそうだけど……ターニーだけは意味が違ってくる。
 妖術を使うイチマル、ハイエルフのアルテは私のソレに抗うすべがある。ソラも呪術で声の認識阻害で対抗してくるし、デュラにいたっては『魅了眼チャーム・アイ』で相殺できちゃうのだ。
 でもターニーだけは、抗う手段がない。その能力がない。
 それにも関わらず、そんなの気にしないで私の悪友もとい親友をやってくれてる。私にとっては、かけがえのない存在なのだ。
「そうだよ! 注射が怖いんだよ!」
「いや、訊いてないから」
「訊いたじゃん!」
 そうだった。ターニー、涙目になってる……。
「ハッ! 笑いたきゃ笑えばぁ? 鍛冶の仕事で切り傷や火傷なんてしょっちゅうだけど、そんなボクがあんな小さな針……を……ティア?」
 もうね、涙止まんない。ターニーに嫌われたくない。
「ごめんなさい、本当……ごめっ……」
 想定外だったようで、ターニーがポカンとしてる。浮いてた涙も、引っ込んじゃったみたい。
「な、何でティッ、ティアが泣くの?」
「ごべんなざいぃ~‼ わだっ、わだじのごどを嫌いにならな……」
 言葉が続かない。ターニーは、困ったようにちょっとだけ笑って。
「そこは、注射怖がってるボクを笑うとこでしょ!」
 そう言って、笑って私の涙を袖で拭いてくれる。マジのマジで本当にごめんね、そして大好き!
「まったく、泣き虫なんだから」
「……前に約束したよね?」
「何の?」
 まだターニーと知り合ったばかりのころ、お互いへの不満がそれぞれ言い出せないまま蓄積して、結局大喧嘩に発展したことがあって。ってもう数千年前だけどね。
「お互いイヤな部分が目についたら、遠慮なく指摘しあおうって」
「うん。したね?」
「ターニーは私の、このスキル……イヤな部分じゃないの? これまで一度もマジの意見として指摘されたことがないような気がするの」
 また泣きそうになってる私に、質問の意図がすぐにわからなかったのか思案顔のターニーだったけど。
「あぁ! そういうことね」
 やばい、この続き聞きたくないかもしれない。
「自動発動型でしょ? ソレ。デュラのと違ってさ?」
「え? うん」
「ティアはさ、『くしゃみをするから』『おならするから』『鼻水が出るから』って理由で人を嫌いになったことある?」
 ? なんでそんな理由で人を嫌うの? まぁ別の理由で、人間族は嫌いだけど。
「ティアが意図せずして発するそれを、そうだからって嫌うのは……ボクはそうするボクを、自分自身を嫌いになるだろうね」
 ターニー……。
「カッコいいこと言ってるけど、注射針が怖いんだよね?」
「……うん、ティアのそういうことろはマジ大っ嫌いだね!」
 そう言って、服の上から私の乳首を捻り上げるターニーさん。そういや、そういう約束したっけ。ていうか服の上からピンポイントで、乳首の位置をあてないでくれませんかね?
「いだだだだっ! ゴッ、ゴメンナサイ!」
「本当にこいつはっ!」
 あ、そうか。あれは……。
「……そういうことだったんだ」
「? 何が?」
「ううん、何でもな……くない!」
 やばいやばい、危うくチクピンの罠に。
「チッ! でも、何でもなくないなら言えるよね?」
 ターニーさん、ニヤニヤとゲスい笑顔です。
「言ってもいいけど、死ぬよ?」
「誰が?」
「私とターニーが」
「???」
 不可思議そうな表情のターニーさん。いやほんとこれマジで自爆発言になるんだけど、でも言っちゃう。言っちゃいたい。
「ジャスミンさんとターニーが仲良くなってさ、私がやきもち妬いたじゃん? 覚えてる?」
「うん、宿でだよね。それが何か?」
 ふーっ、ふーっ。いざ言うとなると、恥ずかしいな。
「私、ジャスミンさんが私よりターニーと仲良くなったことに妬いた……んだと自分で思ってたんだけど、」
「⁉ 待て、ティア! 言わんでいい‼」
 あ、気づきやがった。でも続けるね?
「私のターニーが取られちゃった気がして、すごくイヤだったんだ」
「……」
 顔をタコみたいに真っ赤にして無言になる私たち、我ながらくっそ笑う。
「ど、どっちも死ぬって、言っ、言ったよね?」
「な、な~る、そっ、そういう」
「だから私の『何でもない』には、そういうシチュとかもあってね?」
「……了解。チクピンのカウントは、とりあえずストップするよ」
 やっぱしてたのか。そして二人で思わず吹き出しちゃたりなんかして。
「ま、ターニーが注射嫌いなら仕方ない。私だって血液流れてないから、ひと悶着ありそうだしね。ミザール側で入国が禁止されないうちに帰っちゃおうか」
 ターニーさん、自分の思うとおりになったのに渋い表情だ。
「ティアだってさ、何かないの? 普通の人には普通なのに、自分だけそれがイヤみたいなさ?」
「弱みを言えと?」
「ぶっちゃけると、そうだね」
 うーん、有りすぎて。
「静電気がイヤかな? 金属製品を触ろうとしたら、バチッとかいって指から火花が飛ぶんだ。私、帯電体質なんだよね。で、空気の乾燥する季節になると一日で数十回て単位でなるから、最後のほうは『もぅイヤだぁ~‼』てマジ泣きしちゃう」
「……それは普通の人もイヤだと思う」
 それもそうか。
「あ、じゃあ! ほら、ご飯粒って一粒残さず食べるのがマナーじゃない?」
「うん」
「でもお蕎麦屋さんとかでさ、汁を残すのはいいんだけどネギとかの薬味をプカプカ浮かせたまま丼返す人、本当にマジでイヤ。私、ネギも一欠片残さず全部食べちゃうから」
「うん。うーん?」
 何すか?
「それはそれで立派な考え方だと思うんだ」
「うん」
「もっとこう、からかいやすいのない?」
 ……そうリクされて誰が言えるか。
 まぁそんなアホみたいないつもどおりの会話があって、今はミザールを目指す船上にある私たち。
「ミザールに着いたら、ターニーともお別れだね」
「……しんみりする空気にしたいなら、ボクさっさと逃げるけど?」
 まぁそれもあるけど、ターニーに逃げられちゃたまらないな。
「んーとね、次はアリオト王国へ向かうことになるんだけど」
「なるんだけど?」
「アリオトは玉衡の塔、イチマルに。やっぱ顔を見せないとだよねぇ?」
「? ごめん、言ってる意味がわからないや」
 だよね。
「じゃあ仮に、イチマルをスルーしてメグレズのアルテ、フェクダのソラ、メラクのデュラには顔を出しました。どう?」
「……何でイチマル姉をスルーしたの?ってなるよね」
「だよね」
 はぁ、難しい。
「あれ? イチマル姉とティアって仲悪かった?」
 そうじゃない。そうじゃないんだけど。
「いや、なんか苦手なんだよね」
「へぇ、初耳。何か理由あるの?」
 これは説明が難しいな。
「六人で集まってるとさ、私とデュラでダブルボケをやってターニーとソラがツッコみ、それを生暖かく見守るアルテとイチマルみたいな場になるじゃない?」
 なんか、お笑い芸人みたいな言い方になってしまった。
「ボクたちをお笑い芸人みたいに言うのやめてくれない? うん、まぁそうとしてそれで?」
 あ、やっぱそう感じちゃいましたか。
「その場に於いてのアルテやイチマルは好きなんだ。お母さんポジの怖いけどとっても頼りになるアルテと、冷静沈着で礼儀に厳しいけどアルテに怒られてるときとかは庇ってくれるお姉さんポジのイチマルみたいなさ?」
「うん」
 でも、イチマルと二人きりとなると。
「真面目で優秀な姉と、ポンコツでちんちくりんな妹っていうね」
「ティアのほうが姉ポジでしょ、序列でいうと」
 まぁそうなんだけど。アルテが長女で私が次女、イチマルが三女でターニーはソラの次の五女ポジだ。
「二人きりだとね、性格まったく違うし共通の話題がないの。イチマル、真面目っ子ちゃんだしさ。何より恐ろしいのが……」
「恐ろしいのが?」
 えぇ、覚悟決めてね? 言うよ?
「ボケても、ツッコんでくれないの」
 だから何っていう表情のターニー。えぇ、そうでしょうとも。
「『今のボケはどういう意味なのでしょう? どこが面白いとおもってそう言ったのでしょうか?』ってね」
 イチマルは敬語キャラだ。全員にそう。
「あ……」
「説明を求めてくるの。だからここはこういう意図で言って、ここで面白がって欲しかったの……て説明するハメに!」
「あはっははは!」
 笑いごとじゃないっ‼
「じゃあティアは、イチマル姉に会いたくない?」
「そういうわけでもない」
「ならいいじゃん」
 まぁね。
「でも大陸一の鍛冶職人であるターニーや商会長であるソラみたいにさ、イチマルもマウンテ教の姫巫女じゃない? 会おうと思ってなかなか会えるわけじゃないしさ? スルーしてしまうのもしょうがない、よね?」
 マウンテ教の姫巫女っていえば、シマノゥ教でいう大聖女ポジだ。この大陸で一人二人しかいない存在の。
「……年間の九割九分を塔を留守にしてるティアが言う?」
 あうぅ。
「まぁ、行くよ! 会えばいいんでしょっ‼」
「ボク、何で逆ギレされてんの?」
 そうと決まれば、次の目的地はアリオト王国の首都・イプシロンの街だ。玉衝の塔の番人、イチマルに逢いに行こう。
「ダメ元で訊くけど、」
「ごめん、忙しい。ティアとの旅行で潰れた分、仕事が溜まってる。あ、ティアとの旅行がイヤだったわけじゃないよ? むしろいい息抜きになった。これは本当にありがとう」
「あ、うん。しょうがないね」
 やっぱ、ついてきてもらうの無理か。
「気が重いなぁ。そしてそう思ってる自分が嫌いだ」
 これは本当に。私が一方的に、仲間に苦手意識を持ってる。
「まぁまぁ。いい機会だからさ、イチマル姉といろいろ話してみたら?」
 うん、そうだよね。悪い予感しかしないけど、頑張ってみる!


 ミザール王国・ゼータ駅。ターニーが見送りにきてくれた。
「ティアはアリオトへはどう行くの? 高速鉄道ならほぼ半日がかりだけど、それが一番早い」
 高速鉄道といっても、前世の新幹線みたいには早くない。まぁこの世界では十分高速なのだけれどね。
「それだと、この時間から乗ったらイプシロン着が日付けを超えた深夜になっちゃう。だったら、やっぱ寝台特急でまったりゆっくりとね」
「イチマル姉に逢うまでの時間を引き伸ばしたい、と」
「そう」
「……肯定するとは思わなかった」
 いやー、あの。えへへ!
「あ、でもいい便あるかな? ゼータに来るまでに乗ってきた『ダエグ』って早朝着だった」
「んー、夕刻発の『ミルキーウェイ』かな。イプシロン着が翌朝の午前十時くらい」
 ほぅ、『ダエグ』とも違う寝台特急なのか。
「それもターニーが製造請け負ったやつ?」
「だね。ただ、『ダエグ』や『なると』と違って、全車両が三等客車なんだ。食堂車もないし、オール寝台客車」
 ふむ、それはそれで。三等客車とは、二段寝台が向かい合ってる寝台客車だ。
 ぶっちゃけ、全席が埋まったなら旅の道づれが四人てことになる。行きの『ダエグ』は二等客車で二段じゃなかったから、オーティムさんしかいなかったけど。
「オススメポイントとか、ある?」
「……オススメできないポイントなら、ある」
 なんですと⁉
「両国間にある、スワン・レイクは知ってるでしょ?」
 うん。大陸で二番目に大きい湖で、ミザールとアリオトの国境にあるよね。
「ティアが……前代のティアが生きてたころは、湖沿いを迂回するように走ってたんだけど」
「あぁ、そういやそうだったね」
「ティアが死んでから、大規模な開発が行われてね。湖の中央に駅ができたんだ」
 ごめん、何の話してるのかわからない。湖の中央に駅とな?
「ミザール側の国境に面するアルタイル駅から、湖の地下を走るんだ」
「地下……」
「時刻は夜半だから、トンネルの音がうるさくて眠れないかもしれない」
 ふむふむ?
「夜景も楽しめないわけか」
「いや、そうでもない」
 といいますと?
「さっき言ったじゃん? 湖の中央に駅があるって」
 あ、そうだった。
「午前五時くらいかな。夜通し走って最初にその駅に到着すんの」
「湖の中央で降りてどうすんのよ?」
 釣りでもすんのか?
「クラーケン駅っていうんだけどね、駅舎自体が巨大な娯楽施設になってんの。ショッピングから宿泊施設、映画館に病院まである。どの施設もほとんどが二十四時間営業で、別名が『白夜城』なんていわれてたりするね」
 なんだその無茶苦茶な駅は……巨大な駅ビルというのは前世ニホンでもあったけど、湖のど真ん中でそれはどうなの。
 ちなみに『白夜』とは前世の世界で存在する自然現象だ。
 ニホンだと陽は東から上り西に沈む。これは地球の自転でそう感じる現象なのだけど、北極点に近くなると回転する軸により近づく。なので、太陽が地平線上をぐーるぐる平行に回るだけで沈まないことがあるのだ。
 タイムラプスってご存知だろうか? 一定時間ごとに撮影した写真を合成する手法なんだけど。
 白夜のタイムラプスを前世のネットで見たことあるんだけど、それはそれは神秘的だった。東西南北の地平線が、すべて黄金に光り輝くネックレスを置いたかのような。
 ちなみにだけど、それの割りを食うのが『極夜』と呼ばれる現象。『白夜』は地球の軸が傾いてるからこその現象なのだけど、逆方向の南極点に近づけば逆に一日二十四時間ずっと夜になってしまうんだって。
 この世界で、北極や南極に位置する大陸はまだ発見されていない。というか、そこまで行く技術がまだない。いつか、探してみようかな?
「で、その駅からアリオト国境側のベガ駅までは湖上を走る。これはこれで鉄橋の音がうるさくて眠れないというもっぱらの評判なんだよね」
 くっそ迷惑な仕様だな、と思って。あれ? それってば……。
「東京湾アクアラインの鉄道版か!」
 さしずめクラーケン駅は、海ほたるSAみたいな感じなんだろう。
「え? トウキョ、何?」
「凄い凄いすんごい! 乗りたい! 是非乗りたい‼」
「あ、うん。ティアさえ構わないなら……」
 ターニーは困惑顔だ。誰も好き好んで、夜間をトンネル&鉄橋の鉄道に乗りたがらないだろう。
「でも何で、そんな迷惑な路線できたの?」
「走るのは寝台特急だけじゃないよ」
 あ、そうか。
「これまで湖迂回ルートだとほぼ一日かかってたのが、半日に短縮されたからね。利便性て意味で利用客の評判はいいよ」
 早く着きたい人にはそうなんだろうけど、旅情ってもんがあるじゃない?
「旧ルートはどうなった? 廃線?」
「いや、そっち経由もあるけど寝台特急は走ってないね。オール鈍行のみ」
 そっか、残念。夜の湖を横目にってのも、風流乙なもんだけどね。
「じゃあターニー。出発まで時間あるから、どっかで軽く食べない?」
「いいね、行こう」
 時間があるといっても、もうお昼すぎだ。そんなに長時間じゃないので、本当に軽くということで駅舎内の飲食店を探す。
「羽猫そばにしよう」
「うん、異議なし」
 で、暖簾をくぐって。
(またいる……)
 Uの字型のカウンターの、向こう側の対面。
「水色ちゃんだ……」
「え?」
 ストーキングされてるのかなとさすがに疑ったが、今回ばかりは違うみたいで。
 私と目が合った水色ちゃん、びっくりして豪快におそばを吹いてしまった。かなり咳き込んでてつらそう。
「鼻からおそば、出てるんだよなぁ」
 笑っちゃいけないけど、笑ってしまう。
「ねぇ、ターニー。あそこのさ……ターニー?」
「……え? あれ? 何でボク……」
 ターニーが泣いて……る?
「あれ、本当になんでだろう。あそこのヘンな格好した子を見てたら、なんでか知らないけど涙が。あれ?」
 ……そういや私も、エータ駅の羽猫そばで、あの子を見てて泣いたことあったな。何だか遠い遠い記憶の底から感じる追憶みたいな、えも言われぬ説明しづらい懐かしい感覚ノスタルジーを感じて。
 ターニーまでそれを感じてるってことは、私とターニー両方に関係している?
 店員さんからもらった布巾でテーブルの上を拭いてるその子とまた目が合って、軽く会釈された。だから、なんとなく会釈し返して。
「まぁいいや。ターニー、何そばにする?」
 水色ちゃんに、こっちからコンタクトを取ってもいいけど。でも今は、何も教えてくれないだろうな。なんとなく、そう思った。


 九尾の妖狐・イチマル。彼女は、身長が一五〇センチ『も』ある妖精の私よりも目立つ外見だ。身長そのものは、一七〇センチあるかないかでそんなに目立つわけじゃないんだけど。
 なんたって狐。狐獣人デミ・フォックスじゃなくてマジモンの狐。服を着てて二足歩行、しかもスプロケ……じゃなくて尻尾が十一本もある。
 イチマル曰く、『そのうちの二本は普段使わないので』とのことでいつもは九本しか顕現させてないのだけど、その一本一本にどんな用途があるのかは教えてくれなかった。いや、聴いたかもしれないけど覚えてないや。
 大陸で一番布教されているシマノゥ教から派生したマウンテ教の姫巫女、いわば大聖女ポジション。王侯貴族並みに、なかなか会うのが難しい存在だ。
 シマノゥ教は前世でいうキリスト教っぽい感じだけど、マウンテ教はニホン神道テイスト。だから姫巫女であるイチマルも、普段はニホン人にはお馴染みの巫女衣装を着ている。
(イチマルに会えるかな。会いたいわけじゃないけど、会いにいって会えないのもイヤだな)
 うーん、自分勝手だな私。そういう自分自身、旅の空の下にあるわけで。今ごろは、ベネトナシュ・揺光の塔に私を訪ねていっては留守だから諦めた人が続出しているだろう。
「へい、山菜そばと肉そば大盛りお待ち!」
 来た来た! ってあれ?
「あの、エールは頼んでませんよ?」
 私たちが注文したおそばと一緒に、エールのグラスが二つ。
「あぁ、あちらのお客様からです。お代はいただいております」
 店員が指し示す方向を見ると、ちょうど水色ちゃんがお店を出るところだった。
「???」
 ターニー、わけがわからないという顔だ。私も同様。
 うーん、ハリウッド映画のバーのシーンとかでよく見るやつだけど、立ち食いそば屋で経験するとは思わなんだ。
「ティア、これどういうことだと思う?」
「……すでに半分飲み干してから言うセリフじゃないね」
 ターニー、いつの間に。でも本当に何なんだろう?
 ちなみにだけど、シマノゥ教が根っこなだけあってマウンテ教が信奉するのは同じ女神・ロード様と冥王神・クロス様。本家は唯一神というかこの二人以外を認めていないけど、マウンテ教のほうはこの配下に八百万やおよろずの神様が従えてるって教えになってる。
 で、私たち賢者六人衆だけが知ってる本当の話。実は、マウンテ教の教義のほうが正解に近い。
 というのも、ハイエルフのアルテはロード様の眷属。ハイエルフとエルフは見た目が似ているだけで、エルフは亜人だがハイエルフは精霊族なのだ。いわば亜神。
 世界広しといえど、ロード様を『あのババア』呼びするのってアルテぐらいのもんだろうな。
 といっても本当はババアじゃないよ? 一度アルテの伝手でお会いしたことがあるけど、とっても綺麗な女神様だった。
 あぁ、そうだ。そのときに訊いてみたんだっけ、私がティアとしての生々流転を繰り返すのはロード様のご意思なのかって。
『私ではないですね』
「では誰が? というか誰かの意思ではあるのですか?」
『……いつか、あなたも逢えると思います』
 そう言って、最後まで教えてくれなかったな。そして、不意に思い出すのは。
「リリィディア……」
 私が転生する度に現れる、黒い魔法少女。
「ん? 何、ティア」
「あぁ、えーと何でもな……くない」
 ターニーさん、丼に口を付けてお出汁をいただいてたもんだから……豪快に吹いた。
「ティア! もうカウントしてないって言ったじゃん! だから言いたくないなら言わなくていいってば」
「うん……『リリィディア』って名前に聞き覚えある?」
 ターニーのお箸を持つ手が、ピタリと止まった。
「それって、長い黒髪の女の子?」
「知ってるの⁉」
 え、待って待って。ちょっと待って。予想外の展開なんですけど⁉
「何度か夢で出逢っただけ、なんだけどね。名前を訊いても全然教えてくれなくて、一回だけ……教えてくれた。ティアもその子を知っているの?」
 どうやらこの問題、思ったよりも根が深そうだ。もしかして、イチマルやアルテ、デュラやソラも知っているのかもしれない。
「ターニー」
「ん?」
「私ね、早くイチマルに会いたい」
「? そりゃよかったね?」
 イチマルに訊いてみたい。あの少女を、リリィディアを知っているのかどうかを。あの少女と、私たちとの関係を。
 もう今の私はイチマルへの苦手意識なんて飛んでいて、もう本当に早く逢いたいなって心持ちになっていたんだ。
 そして私たちは、気づいていなかった。ホームからガラス窓越しにおそばを食べている私たちを見ている……水色ちゃんに。
「七人目はどこにいるの? リリィの七つ目の……最後の欠片かけらは」
 そして水色ちゃんは、ちょうどそのとき入線してきた列車に足早に乗り込んでいったのだった。


「ロード、何を見ている」
「クロスか」
 創造神、そんな呼ばれ方をして幾星霜。本当はそうじゃないことを知っているのは、盟友にして冥界を司るクロスともう一人……『真の創造神』のみ。
「お前の眷属は、かの欠片どもには手を出さぬようだな、クロス?」
「……我にも予想外だったがな。アレは、リリィが完全体になるまで待つ心づもりのようだ」
「悠長な!」
「『失敗』した貴殿がそれを言うか?」
「それはっ……」
 人間界で、シマノゥ教として広く流布されている創造神・ロードとは私のことだ。かつて、この世界には何もなかった。『無』だけがあったという。
 そこへ或る日、突如として一つの大きな光が誕生した。それが私。
 そして光あるところに影あり、その影から誕生したのが冥界神・クロス。シマノゥ教はそんなデタラメを子々孫々に語り継いでいる。
(まったくの嘘でもないがな)
 光から産まれた私は神界を、影から産まれたクロスは冥界を。当初は、各々の世界の安寧を保つのに忙しく、私とクロスの交流が一時期途絶えたことがあった。
 そして神としての仕事に忙殺される私に、いつの日からか小さな黒髪の女の子がまとわりつくようになった。私はてっきり、クロスが産み出した生命なのだと思いこんでいて。
 だがクロスのほうにもまたその少女は同じようにつきまとい、彼もまた私が産み出した生命だと思っていたそうな。
 互いに、その少女に構っている暇はなかった。だから……今思うと、邪険な態度であったと内省している。
 その少女――リリィは寂しかっただけなのだ。遊んでほしかった、笑いかけてほしかった、頭をなでてほしかった。そんな小さな小さな、ささやかな願い。
 だが私もクロスも、その願いをかなえることはしなかった。ただただ鬱陶しく思い、遠ざけた。そしてそれが後に、とんでもない惨劇を産み出すことになるとも知らずに。
 何故あのとき、その矛盾に気づかなかったのだろう。いくら光あるところに影ありといえど、『無』の状態から光が顕現したとて影ができるわけがないのだ。つまり、『何か』が私が産まれたその場にいたことになる。
 やがて美しい少女に成長したリリィは、『自分だけの世界』を創った。そのころにはもう、私のこともクロスのことも目に入っていないようだった。
 いや、最初に眼中から外したのは私とクロスだったな。私とクロスは、リリィに見捨てられたのだ。
 リリィが創りあげた世界、『魔界』。
 神界と冥界のはざまに位置するそれは、瞬く間に神界や冥界と同じレベルにまで膨張した。気づいたときは手遅れだったが、魔界では魔界人たちが平和で穏やかな日々を過ごしている。だから私もクロスも、見てみぬふりをしていた。
 だが安寧の日々は、突如して終焉を告げる。
 リリィはいつしか、リリィディアと名乗るようになっていた。神界の言葉で『ディア』は、『捨てられしもの』『忘れ去られし者』を意味する。もしこのときこの意味に気づいていたら、あの惨劇は回避できたのだろうかと今でも思う。
 魔皇・リリィディア率いる魔界が、神界と冥界に突如として侵略戦争をしかけてきた。
 戦いは苛烈を極め、私やクロス、リリィは戦死した同胞の代わりを次々と『創造』で補充していくという悪夢のようなサイクルが回り始めた。数百年だか数千年だか続いたそれは、三界で合わせて延べ数千億とも兆とも数えることのできる戦死者がでた。
 最終的に、私とクロスとでリリィを封印することに成功した。リリィを倒すことは、どうしてもできなかったからだ。
 そして封印前にリリィが教えてくれた事実には、青天の霹靂、驚天動地もいいところで。
 リリィは――『真の創造神』だった。無の世界で、どこまでも白く続く何もない世界でただ一人。いつ終わるともしれない悠久の時空の中で、ずっと。
 リリィは寂しかった。そこで、私という光を産み出すことにしたのだ。そして私という光がリリィを照射してできた影から、クロスが産まれた。
 リリィは嬉しかった。もう寂しくない、一人ぼっちで泣くこともない。だがそんなリリィの思惑を知らず、私もクロスもリリィの存在を認識しなかった。
 リリィは哀しかった。一人がイヤで私とクロスを創造したのに、また一人ぼっちに戻ってしまったのだ。魔界を創造し魔皇となり、自らを慕ってくれる周囲に恵まれた後もなお、リリィは私たちを欲した。
 リリィは楽しかった。私やクロスが目を血走らせて挑んでくる姿を見るのが……自らの名前を、私やクロスが呼んでくれる。リリィはリリィにとって、やっと欲しかったものを手に入れたのだ。
 これが、魔皇・リリィディアが侵略戦争を起こした動機だった。
 そしてかの魔界があった世界、今は――『人間界』と呼ばれている。リリィが創造した魔界人の子孫たちが、人間として亜人としてその世界で新たな生命を育んでいる。
 私もクロスも、リリィが封印から覚めぬよう注意深く人間界を見守ってきたが……真の創造神に、偽りの創造神である私たちが叶うわけもない。気の遠くなるほどの年月を経て、再びリリィはこの世界に、人間界に転生してきた。
 リリィ・ベル。魔法少女が世界を動かすその社会で、リリィは天才魔法少女として新たな生命を得る。
 だが彼女は、魔皇・リリィディアとしての記憶は有していなかった。水色の魔法少女マリィ・ベル、黄色の魔法少女ララァ・ベルという親友に囲まれ、笑顔の耐えない幸せな生活を送っている。
 ちなみに『ベル』とは、彼女たちが生きる魔法少女の世界で優秀な魔法少女にのみ名乗ることを許された称号だ。
 だから、もういいかなと思った。リリィはやっと幸せを手に入れたのだ。
 本当なら私やクロスがそうしてあげなきゃいけなかったのが心苦しいが、もうリリィは大丈夫。そう、思っていた。
 魔法少女が世界を動かすとは言っても、魔法少女が為政を行っていたわけではない。普通に人間の王がいて、魔法少女たちは貴族として仕えていた。
 そして人間の王は、魔法少女たちが自らよりも大衆の耳目を集め、影響力を増していくのを快く思っていなかった。そして、惨劇の火蓋は切って落とされる。
 人間の王による――『魔法少女狩り』。
 多くの魔法少女が、そうであるという理由だけで断頭台に上り、処刑されていく。たまたま国を離れていたリリィは難を逃れたが、タイミング悪く帰国したその場で目の当たりにしてしまう。
 親友マリィが、ララァが処刑されるシーンを。
 リリィは、再び魔皇として覚醒した。怒り、憎しみ、嘆き、哀しみ……そんなもので心を、胸をいっぱいにしてギシギシといびつな音をたてて膨張していく。
 歪み、軋み、膨れ上がる。リリィはもう、リリィでなくなっていた。
 覚醒した魔皇・リリィディアの発する瘴気で、かつてのリリィが創造した人間界はその九割以上が死に絶えた。そしてリリィは、再び長い眠りにつく。
 そこからさらに気の遠くなる年月を経て、三度みたびリリィは……リリィディアは覚醒の兆しをみせ始めた。もう、迷ってはいられない。リリィを、リリィディアを今度こそ。
「そこでお前は、我ら神々が直接関与できないという……リリィが創り上げたルールに抗うため、自らの眷属を創り上げ人間界に送った」
「あぁ、そうだ」
 そう、創造神リリィが創り上げたルールで、私もクロスも人間界に直接手出しができなかったのだ。だから、『女勇者』として人間である『アルテミス』を創造し、真の覚醒前にリリィを討伐することを命じたのだった。
「アルテミスは、命令どおりリリィを……六つの斬撃でバラバラにした。もう、リリィは復活するしろを失ったはずだったのだ」
 もうこれで終わった。誰もが、そう思った。だが、悲劇は再び繰り返す。
 魔皇を倒した女勇者、アルテミス。彼女は人々から賛美され、瞬く間に畏敬される存在となった。そしてまた、それを人間の王は王室への人心低下を恐れるあまり……アルテミスを偽りの逆賊に仕立て上げ、処刑してしまう。
 アルテミスの六つの斬撃でバラバラになったリリィの魂は、世界各地に散らばっていった。それぞれのリリィの欠片が、己が宿る肉体を探しに旅立ったのだ。
 そして処刑されたアルテミスは、再び新しい生を得る。人間だった前世とは違い、精霊としてハイエルフのアルテとして。
 さらには、アルテは自らが前世で砕いたリリィの七つの欠片の一つを持って産まれてきたのだ。なんという皮肉だろうか。
 それ故か、アルテミスだったころの――冤罪で処刑された記憶が影響しているのか、あまり人間を快く思っていない。
「だが、アルテはまだマシなほうだ。人間を嫌いな亜人なぞたくさんいるからな」
「アルテは精霊だ。亜人ではない」
「ふん。やっかいなのはあの妖精だろう? よりによって、リリィの……彼女の哀しみと憎しみを、一番引き継いでいる」
 そう。かつて人間どもが理不尽な理由で、妖精族を滅ぼしたことがあった。
 そのときに死んだ妖精の一人が、その怒りと憎しみの炎を決して絶やすことなく……リリィの魂と共鳴して、リリィの欠片をその胸に抱いた状態で。何度もこの世に生を得ては消え、生を得ては消える。
「あの妖精、ティアを何度もこの世界に呼び戻してるのはリリィだろう?」
「えぇ、間違いありません」
 リリィは再び目覚めようとしているのか? この世界を、私たちをまだ憎んでいるのだろうか?
「だからといってクロス。私はあなたが行った、ことわりを覆すやり方には賛同できないのですよ」
「抜かせ! 貴様が何もできなかったからだろうが! 今一度ひとたびリリィが覚醒したら、私たちではもう勝てないのかもしれないのだぞ!」
「……」
 私は女勇者アルテミスという人間を創造し、人間界へ送り込んだ。結果としてリリィの復活はすんでのところで阻止できたが、皮肉にもアルテミスはリリィの一部、一欠片として新たな生を得るに至ったのだ。
 クロスは私のやり方に失敗に、業を煮やして『禁忌タブー』の手段を用いた。
 かつてのリリィの転生体であるリリィ・ベルの大親友、魔皇・リリィディア覚醒のきっかけとなった水色の魔法少女――処刑されて死んだマリィ・ベルに、偽りの命を与えて。
 冥王の眷属として再び生を受けたマリィは、リリィ討伐に人間界へ向かったのだが……。
「かの『水色』は、リリィの欠片には手を出したくないようですね?」
「あぁ。マリィなりの矜持なのだろう。あるいは、かつての親友への慈悲か礼儀か。リリィの……リリィディアが完全体になるまで待つようだ」
 私もクロスも、リリィが完全に復活するのを事前に阻止しようとして動いているのだ。リリィがリリィディアとして復活するのを待つなど、本末転倒もいいところ。
「クロス、それでは遅いのだ!」
「ふざけるなよ、ロード? 貴様に文句をいう資格があると思うてか⁉」
 堂々巡りだ。これを言われては私も反論できない。だから我らのこの会話は、いつもここで終わる。
「七つ目……リリィの最後の欠片はどこにあるのでしょうか」
「さぁな。マリィもそれを探しているようだ。かの者の願いはおそらく……もう一度リリィに逢うことだろうからな」
 だから、それでは遅いのだ。遅いのだけれども……かつての大親友ならば、この出口のない迷路を打破する道を見つけてくれるのかもしれない。私はとても小さいその可能性に、少し縋ってみたい。
 ちょっとだけ、そう思った。


「来た来た!」
 ホームに、魔石寝台特急『ミルキーウェイ』が入線してくる。
「いよいよお変われだね、ターニー」
「お別れ、ね。変わってるのはティアだけだから」
 私とターニー、最後までこんな調子。でもこれでいい、私たちに涙は似合わない。
「忘れ物ない? ハンカチは持った?」
「オカンかな?」
 そんな感じで、開いた扉にはまだ入らずに軽口を叩き合う。私もターニーも多分、思ってたんだ。このままずっと話がしていたいなって。
 でも時間は有限だ。あっという間に発車時間がきた。
「じゃ、中に入る」
「座席、どこらへんだっけ?」
「真ん中らへん」
 そう伝えて私は、ターニーに背を向けて何も言わず車中へ。別れの挨拶は言いたくなかったからとはいえど、ちょっとどうなのかな自分。
 座席に座ると、窓の外にちょうどターニーが来ていた。はめ込み式の窓だから、お互いの声は聴こえない。
 だから特に声を掛け合うわけじゃないんだけど。ただなんとなく、見つめ合ったり視線外したりと。
 やがて扉が閉まり、列車が動き出す。私は我慢できなくて、車窓に……ブチュ~ッとね? 窓越しのキス、応じてくれるかなと思ったけど。
『ガンッ!』
 車窓パンチが返ってきた。うん、ターニーとの別れはこれでいい。また逢いにくるよ、ターニー。
 お互い笑顔で手を振りあって、やがて列車は黄昏時のホームを駆け抜けた。
「あ……」
 さっきからの私のバカっぷりを、対面の寝台の客――黒髪の綺麗な女性が見ていたようで、クスクスと笑っていた。
「すいません、お恥ずかしい……」
「いえいえ、こちらこそ笑ってしまい申し訳有りません」
 その女性は、律儀にも深く頭を垂れて謝罪してくる。
(すごい美人だな……)
 ストレートの黒い髪は臀部付近まで伸びており、身長もかなり高い。一八〇センチは余裕でありそうだ。金色の瞳で、人間族だとは思うのだけど自信はない。
 胸は平均よりは大きいほうだと思うのだけど、着物の重ね合わせた胸元にチラと見えるのは晒布さらしだ。多分だけど、胸をあえて強調しないようにしている?
(私には縁のないアイテムだな)
 何だったら、上半身ハダカで海水浴をしてても女性だとばれない自信がある。
「アルコルの方ですか?」
 着物なんて、帝国にはない衣装だ。アルコル独特の民族衣装。着物といっても、晴れ着みたいなめっちゃ目立つやつではなく、シックな色合いのまさに『貴婦人』て感じの上品なデザイン。
「いえ、今はアリオトに住まいを持っておりますが、元はアルコルの出身なんです」
 やっぱりね。
 私が座席についたときにはもうすでにいて、浴衣姿だったし荷物とかはちゃんと開けてあったから、ゼータの手前から乗ってきてたはず。ゼータ駅の一つ向こうは、もうベネトナシュ王国だ。オーティムさんが降りた駅。
「ベネトナシュからいらっしゃったんですか? あ、さっきから失礼ばかりでごめんなさい、私はティアと申します。ベネトナシュに住まいがありますが、ミザールには友人を訪ねてきていまして」
「えぇ、存じています」
 はい?
「こちらこそ申し遅れました。私は夜叉やしゃ。私もベネトナシュに友人を訪ねていったのですが、あいにく会うことができず……先触れを出しておかなかったからでしょうね。仕方なくアリオトへ引き返すところなんです」
「そ、それは残念でしたね」
 さっきこの人、夜叉さん。何か気になることを言ったような気がするんだけど。
「あのぉ~?」
 不意に、上から声が。私の真上の寝台のお客さんだ。こちらも女性だけど……なんだけどっ⁉
(妖精族だ……)
 私と同じ、人間族と同程度のサイズの。浴衣姿の妖精てのもシュールだな。って私、いつもこんな風に見えてたのか。
「私たちも自己紹介、よろしいでしょうか? 旅は道連れっていいますし」
(たち?)
 そう思って、上のほうの視線の先は。夜叉さんの上の寝台にも、女性客。こちらも妖精族だった。なんかこの二人、顔が似てるな?
「あ、いいですよ。私はティア、あなたたちと同じ妖精族です」
「はい、存じてます」
 またか、何なんだ。
「私はパンティラ。向かいは双子の妹のギシアンです。私たちも、ベネトナシュから……ティアさん、どうかしました?」
 いいえっ、なんでもないんです‼ なんでも……なんでもないんです。
 人の名前で吹き出すとか失礼きわまりないので、寝台の壁にガンガン頭を打ち付けて煩悩を破壊する。
(パンチラにギシギシアンアン……)
 ここはニホンじゃない、ニホンじゃないんだ。我慢、我慢……。
「パンティラさんとギシアンさんには、私はすでに自己紹介を済ませておりますの」
 夜叉さん、ニッコリ笑って。そうだよね、皆ベネトナシュから来てるもんね。
「ティアさん、その……」
「パンチラ……じゃなかった、パンティラさん? 何でしょう」
 言っていいものかどうか、ちょっと迷ってる顔だ。パンティラさんがアイコンタクトでギシアンさんを見るが、ギシアンさんも似たような表情で。この姉妹、どうしたんだろ?
 夜叉さんが困ったように笑いながら、
「私が言いましょうか? 実は列車がベネトナシュを走っている間、ずっと三人でおしゃべりしてたんですの」
「はぁ……」
「それで妖精族のこのお二人から、自分たち妖精族の象徴的存在であるとても凄い方の自慢話をずっと聞かされておりました」
 は? 妖精族の象徴的存在とな。心当たりがないので、上段寝室の姉妹をチラ見するも……二人とも、恥ずかしそうにうつむいちゃった。
「ごめんなさい、私も妖精族だけど引きこもりみたいなもんだから。その象徴的な存在の方を存じあげないです」
 引きこもりは違うな、むしろ逆だ。お家に滅多にいないからね。
「へっ? 引き……え?」
「いやいやいやいや、そんなはずないでしょう⁉」
 ん? 姉妹が軽くパニック。夜叉さんは、これまた上品に口を隠して小さく笑っている。
「その象徴の方というのが凄い方らしくて……ベネトナシュの首都、エータ駅構内に銅像が立っていたぐらいです」
 とは夜叉さん。うーん、そんな凄い方の銅像があったのか。見逃したな。
「お姉、やばい。ティアさん気づいていない!」
「マジウケる!」
 今度は、おかしくて仕方がないといった様子の姉妹。何なんですかね?
「その銅像には、こう説明がありました。
『我がベネトナシュ王国が大陸全土に誇る聖なる妖精であり、至高の大聖女とも称される天の使徒の』」
「夜叉さん、ストーップ‼」
 私、完全に理解しました。
「『アレ』かぁ!」
 姉妹二人、我慢できずに吹き出しちゃった。
「私はじっくり拝見できたのですが、パンティラさんとギシアンさんは遠目にしか見ることができなかったそうなんです。何でも、保安局員たちが近づけないように厳重警備していたそうで」
 は? 何故に。
「そうなんですよ。私たちベネトナシュの出身とはいえど、郊外のフェルカド出身なので。なかなか、首都の駅に来る機会てなくて」
「そうです‼ とっても楽しみにしてたのに、あんまりです!」
 あのふざけた像を、保安局員が厳重に警備? そりゃまたどうして。
「私が拝見できたのはそうなる前の日だったんですが、チラと見ました。台座の説明のところに、何やら落書きがあったのです」
 ……『定礎』と書いたアレだろうか。
「そうそう、ひどいよね! 私たち妖精族にとってティアさんて、女神さまのような存在なんですよ! その像を汚すバカ、ほんとマジで死んでほしい」
「だよね。生きる価値なしのゴッキー、いやそれ以下だわ」
 今度はプンスカしている姉妹。夜叉さんが困ったように、小さく笑ってる。私は冷や汗が止まりません‼
「パンティラさんとギシアンさんには、本当に申し訳ないと思っています」
「え?」
「へ?」
「何で夜叉さんが?」
 私と姉妹、目がはてなマークです。
「私、そのような不届きな心得者を許せなくて……駅員に通報したのです」
 正義感の強い人だな? まさか本人が落書きしたなんて、思っちゃいないだろうなぁ。
「おそらく警備が厳しくなったのはそれを受けてから……本当に申し訳有りませんでした」
 夜叉さん、立ち上がって姉妹に向けて九十度のお辞儀で謝罪。姉妹、慌ててベッドからの階段を駆け下り……ではなく、自力(羽)で降りてきた。
「夜叉さんが謝ることじゃないです!」
「そうです! むしろ妖精族を代表して感謝を申し上げたいくらいです!」
 そう言って、なかなか頭を上げようとしない夜叉さんにしきりに声をかけてる。うーん、優しい世界。悪者は私一人だけじゃないか。
「えぇ、本当に。むしろ通報してくださりお手数をおかけしました」
 そう夜叉さんに声をかける私の目、ちょっと泳いでいたかもしれない。
「そう言っていただければ、心も軽くなります」
 夜叉さん、頭をあげてニッコリと笑って。身長の高い美人さんて、笑顔も絵になるなぁ。姉妹は羽で、パタパタと飛んで上段寝室に戻る。
 ベネトナシュに私と同じタイプの妖精族が少ないけどいるてのは知ってたけど、なかなか出会う機会てそういやなかったな。
「つまり皆さん、私の正体は元からバレバレだったと?」
「いえ、ご自身でティアと名乗られたのでそうなのだろう、と」
 あ、そうだった。
「私とギシアンは、写し絵で知ってたんです。先祖代々語り継がれる家宝の中にそれがありまして」
 いや、重いです。こんなちんちくりんの写し絵なんて、誰得なんだろう。大事にしないでいただきたい……。
 やがて窓の外は夜の帳が降りて、スワン・レイクも近い。
 私も備え付けの浴衣を着こんで女子四人、姦しいを通りこしておしゃべりに花が咲く。姉妹は私より見た目がちょっと年上っぽいけど、ほぼ同世代。夜叉さんは大人の女性だったけど、聞き上手というか世代のギャップを感じさせない軽妙なトークで切り返してくれる。
 ちなみに、夜叉さんも浴衣に着替えた。晒布は外してるから胸が……それ、浴衣のシルエットじゃないって。
 楽しい時間もあっという間に過ぎて、列車はミザール王国の西の国境にあるアルタイル駅に。ここでは三十分ほど停車しているらしくて、お客さんたちはホームの施設を堪能するためだろうか、何人かが一時下車をする。
 私たちも、お弁当やらお酒やらを買い込むためにホームの売店へ買いに行こうということになった。荷物番のためにパンティラさんが残ることになり、夜叉さんとギシアンさんとで三人。
「ギシアン、私サンドイッチとコーヒーね」
「お酒は?」
「いらない、大丈夫」
「りょ!」
 姉妹か、いいな。まぁ私にも、ターニーとかソラとかデュラとかいるけどね。実の姉妹じゃないけど、妹みたいなもん。
 イチマルは……年齢的にも序列的にも私のが姉ポジだけど、向こうは私のことなんて姉と思ったことなんてないだろうなぁ。
 列車を出るとき、扉近くのフロアには大きな鏡。その前を通りかかったときに、ちょっと髪をちょいちょい。って。
(……なんだこれは)
 とんでもないものが、鏡に写り込んでいた。


 列車は定刻どおりにアルタイル駅を発車。ほどなくして、トンネルに入る。
 時刻は間もなく午後十一時。午前五時に湖上にあるクラーケン駅まで、ノンストップでトンネル内を疾走する。
「こっ、これはなかなか⁉」
「こんなので眠れる⁉」
「うーん、ターニーに聞いてはいたけど」
 聞いていた以上の轟音だ。どうりで、浴衣と一緒に耳栓が用意してあると思った。
「夜叉さんは驚かれないんですね?」
 トンネル内を反響する音が凄いので、どうしてもちょっと大きめの声量になってしまう。
「驚いていますよ? ただ私は行きも通ったので……お昼でしたけれども」
 なるほど。
 周囲の客もなかなか寝付けないようで、おしゃべりの声があちらこちらから聴こえてくる。うーん、この。ただそれも時間が時間だけに、だんだんとそれもやんできて。
 私たちも、周囲に迷惑なので口数がほとんどなくなっていった。ギシアンさんの寝台は、もうカーテンが閉まっているから寝ているのかな? よく眠れるなぁ。
(それにしてもすごい音だな……)
 私は、『ちょっとトイレに』と、一言誰に断るでもなく声をかけて席を立つ。もちろん、妖精はお花摘みなんてしない。妖精界的に、『ちょっと席を外しますよ』みたいな意味だ。
 通路を歩いていて、さきほどアルタイル駅で見た鏡の前を通りかかる。
(……やっぱり、そういうことだよねぇ)
 うーん、なんてこった。まぁいいや。
 そのまま扉まで歩いていき、私は……透過能力を駆使して、開かない窓の外に首を出してみる。
「うっひゃああぁ~っ‼」
 慌てて首を車内に戻して。うーん、トンネル内凄い……て私、何がしたかったんだろう。ちょっと酔ってるかな?
 そして座席に戻ろうとして、再びあの鏡の前を通りかかるんだけど。
「ゲッ⁉」
 髪も顔も真っ黒! そりゃそうだ、魔石機関車がトンネル内を走っているのだ。そこは機関車が吐き出す煙で充満された世界に決まってる。
(『ダエグ』でもやらかしたなぁ)
 私に学習能力ってものはないらしい。仕方ないので洗面所で顔の煤は落とすが、髪は……どうしよ、これ。
 仕方ないので、羽をラップのように前方に丸めて顔を隠す。座席では夜叉さんがまだ起きていて、私の行為にギョッとしつつもスルーしてくれた。優しいな。
 パンティラさんはもう寝てるみたいで、カーテンが閉まってる。私ももう寝ようと思って、カーテンをクローズ。とりあえず明朝どうするかな……と思ったら。
「ティアさん、まだ起きてらっしゃいますか?」
 カーテンの向こうから、夜叉さんの声。
「な、何でしょう?」
「私の使い残しでよければですが……清浄効果のある魔導具を持っています。お使いになられますか?」
 ほぇ? カーテンを開けると、夜叉さんが手のひらの上に指輪を置いて私の寝台の前に片膝をついてた。
「何をどうしてそんなに髪が真っ黒になってるのか存じませんが」
 うぅっ、そこツッコまないで!
「今晩のように、どうしてもお風呂に入れない日とか。私が友人からもらったこの魔導具があれば、衣服も含めて綺麗にしてくれる効果があるんです」
 のゎんと、そんな便利なものが⁉
「私はもう使いましたので、残り魔力だと髪の汚れを落とすのが精一杯だとは思うのですが……よろしければ、いかがですか?」
「いえいえ、大変ありがたいです! 遠慮なくお借りします‼」
 地獄に髪もとい神とはこのことか。私はありがたく頂戴することにした。
「服を着たままですと、服のほうに先に洗浄魔法が行ってしまうかもしれません」
 とのことだったので、カーテンを締めて全裸に。何かこの旅程で私、裸になりまくってる気がするな⁉
 指輪をはめて、教えてもらったとおり石の部分に指を当てて軽くこすってみる。ぽわぽわとした光が飛び出してきて、私の全身を包んだ。
 数秒くらいそうしていたら、魔力が切れたのか指輪の石は濁った色に変色している。
(どれどれ?)
 私は手鏡を出して、顔を確認。
(おおっ、綺麗になってる‼)
 いやはや魔導具って凄いね! そう思って指輪を外すと、内側に小さく刻印が見えた。
『フェクダ・ソラ商会』
(……)
 おはようからおやすみまで、生活をソラに見張られている気がするのはどうしてなんだろうね?
 この轟音で眠れないかと思ったけど、耳栓が思いのほか役に立った。アルコルでのドタバタでの疲れがまだ抜けていなかったのか、ぐっすり眠ることができて翌朝。
「んっ、んーんっ! ん?」
 浴衣の前がはだけて、まな板ショーになってた(意味が違う)。着直して、カーテンオープン。
「あ、夜叉さんおはようございます」
「ティアさん、おはようございます」
 夜叉さん、もう起きてた。午前五時のちょっと前ですよ? 見れば、上段の姉妹ももう起きてる……というか降りる用意してる?
「パンティラさん、ギシアンさん、おはよう。ところで何してるの?」
「あ、ティアさんおはようございます。私たち、次のクラーケンで降りるんです」
 湖上の駅、クラーケン。文字どおり湖の真ん中だ。
「こんな時間から駅の施設、機能しているんですか?」
 ターニーは、白夜城とか言ってたけども。
「あぁ、駅施設には用はないんです」
「はい。私たちの叔父夫婦の家が湖上にあるので、駅からは自力で飛んで行こうと」
 なるほど。森羅万象から派生する妖精族だから、草木があれば、水があれば、光があればそこはどこでも妖精の棲家にできるのだ。
「お名残惜しいですが」
「ですね。お二人ともお達者で」
 ちょっと早いけど、お別れの挨拶。夜叉さんはアリオトの首都、イプシロンまで。私と同じ駅で降りるのだと。
 ほどなくして列車はトンネルを抜けてクラーケン駅に到着。久しぶりに地上の星を見たな。列車はここから湖上を走る。
 時間が時間なだけに、降りるのは姉妹とほか数名のみ。なので寝てる人の邪魔にならないように、小声で改めてお別れの挨拶をして、列車は湖上を走り出す。車窓から見える湖上遠くに、羽をはばたかせて飛んでいる姉妹の後ろ姿が見えた。
「空を飛べるって、うらやましいですね」
 溜め息をついて、夜叉さんがそう言う。
「いいことばかりじゃありませんけどね。私は飛べなくてもいいから、夜叉さんの美貌と身長とスタイルが欲しかったですよ」
「お上手ですのね、でもありがとうございます」
 ちょっと照れながらも、頬を上気させる夜叉さん。いやいや、お世辞じゃなくて本音です。
「昨晩は、洗浄の魔力の指輪をありがとうございました。それであの、おいくらになりますか?」
 そう言って財布を出したんだけど、夜叉さんにスッとさり気なく財布を出した手を制されてしまった。
「お気になさらず。むしろ私の使いかけでしたので、ご不快に思われたかもしれません」
「そんなことないです! 結構助かったんです」
 だから、いくらなんでもタダってわけにはいかない。
「私も、簡単に引き下がれないですよぅ……」
 向こうはいいと言ってるのに、ちょっと迷惑だったろうか。
「困りましたねぇ……」
 顎に手をやって困惑顔の夜叉さんだったが、諦めたように一息つくと。
「わかりました、素直にお礼はいただいておきますね」
 良かった。
「でも友人からもらった物なので、値段がわからないのです」
「市販されていないんですか?」
「はい。なんでもプロトタイプ、試作品なんだそうで」
 うーん、困ったな。そういや『ダエグ』のシャワー室が十五分で千五百リーブラ(約千二百円)だった。だからといって髪だけでそれは……私は構わないのだけど。
「多すぎます……」
 ですよね。そういうわけで、五百リーブラ(約四百円)ということで話はついた。もともとお金はいらないと言ってた夜叉さんだったので、それでも多いと言いたげだったけど。
 列車は、朝ぼらけの湖上を疾走していく。トンネル内と違い、リズムカルに線路の継ぎ目を刻む音が、逆に眠気を誘う。
「私、ちょっと寝ることにします」
 夜叉さんにそう言われて、私も追従することに。鉄橋の音がうるさいとターニーが言ってたけど、私はすぐに眠りについた。
 そして、あの鏡で見た光景。あれ、どう始末をつけてやろうか。
(楽しみだなぁ)
 しばし寝入った後、目が覚めたら午前九時を過ぎたあたり。寝すぎた? いや、トンネル内で深く眠れていなかったのかもしれない。夜叉さんも似たようなもんらしく、起きるのが私とほぼ同時刻だった。
「お互い、寝すぎてしまいましたね」
「ですね」
 なんて言って笑い合う。
「もうすぐ十時、イプシロンに着きますね。夜叉さんは朝食はどうなさいますか?」
 ミルキーウェイは、食堂車がない。社内販売はあるが、もうこの時間だ。弁当が残っているかどうか?
「そうですね。私は、塔に戻ってからいただこうと思います」
 塔、ね。隠すつもりはどうやらないみたいだ。だから、私も言ってやった。
「私もそっち行く予定だったんだ。一緒に食べない? イチマル」
「わかりました。有り合わせでよければ」
 夜叉さんことイチマルは、いたずらっぽく笑ってそう言った。


 列車は定刻どおり、イプシロン駅に午前十時到着。
 私とイチマルは、駅前の馬車ターミナルからイチマルの守護する玉衝の塔近くまで行く馬車に乗り込んだ。
「ティアさんは、どこらへんで気づきましたか?」
「イチ……じゃなかった、夜叉さんが列車内の鏡の前を通ったときだよ。見覚えのある狐が、鏡の中では浴衣着て歩いてたんだもん、びっくりした」
 もちろん慌てて鏡の前を確認したら、そこにいたのは夜叉さんだったわけで。
「あら、ほ、ほ、ほ」
 そこでバレていたのは意外だったらしく、ちょっと恥ずかしそうに頬を染め、着物の袖で口を隠して照れくさそうに笑う夜叉さん――ことイチマル。
 イチマルが妖術で自分の姿を変化させてる理由は、私には痛いほどわかる。目立つのがイヤな私だけど、知らない人は知らないのだ。
 だがイチマルの場合、狐が服着て二足歩行で言葉を喋るのである。知っている知らないに関わらず、悪目立ちは私の比ではない。私は小声で、
「人がいるところでは夜叉って呼んだほうがいいよね?」
「お願いします」
 イチマルの場合、名前もやばい。イチマルなんて名前は、この大陸でイチマルしかいないだろう。理由は前に言ったとおりで、まぁティアって名前もそうなんだけどね。
 そしてくわえて、イチマルは大陸ナンバーツーの宗教であるマウンテ教の姫巫女。ナンバーワンであるシマノゥ教でいう大聖女だ。上から数えて二番目か三番目くらいの高位神職。
 人が乗り降りを繰り返し、次に馬車が停まるのは目的地。終点なので、もう私と夜叉さんしかいない。
「もしかしてイチマルさ?」
「何でしょう?」
「ベネトナシュに友人を訪ねてきたらいなかった、って……」
「あら、こうして再会できましたよ?」
 やっぱりかー!
「ほんと、ごめん! 留守ばっかりで」
「いえいえ! 私こそアポ無しで駆けつけてしまい、ご迷惑をおかけしました」
 それは確かに、律儀なイチマルらしくないな?
「それが……私の魔法陣、着信はできるんですが発信のほうが調子悪くて、ソラさんに修理をお願いしていたところだったんです」
 ふむふむ?
「そこへターニーさんから、ティアさんが再びこの世界に生を受けたという着信がありまして」
 あぁ、あれか。アルコルへ行く旅券と査証を手にいれるために、ドタバタしてたときの。
「そこでこちらからは発信ができないので、取るものもとりあえず駆けつけた次第です。私のほうこそ、お騒がして申し訳有りません」
「いやいやいや、全然気にしないで‼ 会いに来ようとしてくれて嬉しい!」
 一方でこのバカティア、いかにしてイチマルに会わずに済むか考えていた薄情者なんです。やばい、自己嫌悪が凄い!
「本当にごめんなさい……」
「何故ティアさんが謝るのです?」
「ゔっ……この話はもうここまでにしよ? ね?」
 首をかしげながらも、イチマルはそこからは追求しないでくれた。
 それにしても。まじまじとイチマルを見ていて思うんだけども……。
「ねぇ、イチマル?」
「何です?」
「その夜叉としての姿、私に見せるの初めて?」
「ですね」
 本当にそうだろうか。今思うと、誰かにすごく似ている気がするのだ。
「ターニーさんには何度か見せたことはあるのですが……」
 ん?
「もしかしてゼータのホームで、ターニーもイチマルに気づいてた?」
「はい、車中でしたので話はできませんでしたが、手を振り合うぐらいは。まだティアさんが座席に着く前ですね」
 おのれターニー、教えてくれてもいいじゃない! ……って教える術もないか。窓開かないもんね。にしても、私は初見?
「そっかぁ……おかしいな」
「何がでしょうか?」
「ううん、何でもない」
 あ、また言っちゃった。でも本当に申し訳ないから、イチマルはチクピンしていいよ?
 イチマルは、ちょっと寂しそうにうつむいた。ほんとーにごめんっ、ほん…とー、に。あれ?
「イチマルッ‼」
「はっ、はいぃ⁉」
 改めて夜叉としてのイチマルを見つめる。寂しそうにうつむいたその姿に、あの子の姿がダブる。どこかで見たどころじゃない、どうして気づかなかったんだろう。
 似ているんだ、あの子に――リリィディアに。もちろん、リリィは十代半ばくらいの可愛らしい顔立ちの少女だし、私よりちょっと背が高いかなってくらいで。
 対して夜叉は、一八〇センチを超える長身で、顔立ちも立派な大人の女性。リリィの瞳は黒で、夜叉――イチマルもだが、こちらは金色という違いはある。
 でもでもでも、もしあの子リリィが十年ほど育ったあとの姿を想像したら。それはきっと、今の夜叉のような感じじゃないだろうか。まぁ身長はそこまで伸びないとは思うけど。
 本当は、塔でじっくり話をしてみるつもりだったけど心が逸る。だから核心を突いてみることにしたんだ。
「ねぇ、イチマル?」
「はい」
「リリィディア、という名前に聞き覚えはある?」
 イチマルは、真っ直ぐに私の顔を見たまま無言だ。
「そうですね……」
 そうして一拍の間をおいて。
「よく知っている、というわけではありませんが。存じているか、という問いならばその答えは『はい』です」

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