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会うためのいいわけ、あれこれ

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 ドアが閉まり、窓の景色がまたゆっくりと流れ出す。
 鎌田はそれをぼんやりと眺めている。

 土曜の午前、新幹線の3列席を独り占めできたのは幸運だった。今の駅を過ぎれば、しばらく乗りこんでくる客は少ない。新聞でも広げながらゆったりくつろごうと思ったその時だった。

「ここ、座ってもいい?」

 緑の野球帽をかぶった少年が、通路側の席を指さしていた。小学校高学年ぐらいに見えるが、一人だろうか? ほかにも席は空いているようだが……

 だめだとも言えず、「ああ」と鎌田はうなずいた。

 少年は「ありがとう」と軽く頭を下げると、席に着いてリュックサックを膝の上に抱えた。

 なんとなく気まずい。

 鎌田は子どもが苦手だったが、間の席の荷物を自分の側に少し寄せて、リュックを置けるスペースをつくってやった。少年は素直にそこへ荷物を移動した。

 今度こそ新聞を広げようかと思ったが、カバンを探っていると少年が「ねえ、おじさん」と話しかけてきた。無視するわけにもいかず、「なんだ?」と鎌田は応じた。

「ぼくさ、これからお父さんに会いに行くんだ」
「へえ、そうか。一人でか。偉いな」
「偉くないよ。お母さんに黙って出て来ちゃったから」

 少年はリュックのほうに視線をやる。

「さっきから、どこにいるのって連絡が止まらないんだ」
「それはよくないな。心配して当然だ」
「だよね。でも、お父さんのところに行くなんて言ったら、すごく怒ると思うんだ。ふたりは今、けんかしてるから」
「そうか」

 鎌田はかける言葉が思いつかない。少年は帽子を取り、くにゃくにゃと両手で歪めて遊び始めた。それが少年の癖のようで、帽子はよれてすり切れている。

「こういうとき、どんなふうに言えばお母さんは許してくれると思う?」
「正直に言えばいいんじゃないか。お父さんに会ってくるって」
「でもさ」

 少年はリュックの上にパサッと帽子を乗せた。

「お父さんの味方をするなら、もう二度とご飯つくってあげないって言うんだよ」
「そうか。君も大変だな……」

 それにお父さんも、と鎌田は心の中で付け加える。

「アキラだよ」
「え?」
「ぼくの名前、アキラ。おじさんは?」

 彼は少しためらったのち、「鎌田だ」と答える。

「鎌田さん」

 アキラ少年の無垢な瞳が、まっすぐに鎌田をとらえる。

「ぼく、お母さんになんて言いわけすればいいかな?」

 えっ、と鎌田に戸惑いの表情が浮かぶ。彼は子どものこういう、大人に対する過剰な期待や信頼が苦手だった。大人にだってできないことはある。たくさん、あるのに。

「そうだな……」

 鎌田は無理やり考えをひねり出す。

「お父さんのほうから会いたいと誘って来たことにしたらどうだ? どうしても渡したいものがあるとか言われたことにして」

「ダメだよ。それじゃお父さんが悪者になっちゃう」

 そうか、と鎌田はまた別の案をひねり出す。

「お父さんの体調がすぐれないというのはどうだろう。それで緊急的に君を呼び出したというのは」
「ちょっと難しいかなぁ」とアキラは顔を曇らせる。
「昨日の夜、ふたりは電話で大ゲンカしてたんだよ。ぼく、それで心配になって、朝一番で会いに行くことにしたんだ」
「なるほど。お父さん、元気そうだったのか」
「うん。とっても」

 うーんと鎌田は唸る。

「ちなみに、お父さんは一人で暮らしているのか?」
「うん。単身赴任してるんだ。なかなか帰ってこないから、すれ違いが多いみたいで」
「そうか……」

 大丈夫、喧嘩だとしても口をきいてくれるうちはまだ間に合うぞ、と鎌田は見ず知らずの父親にエールを送る。

「こんなのはどうだ」

 鎌田は次第に乗ってきた。

「お父さんの素行を調査しに行くという口実だ」
「ソコウって?」
「普段の行いだな。君は自らお母さんのスパイになって、お父さんが反省しているかどうか確かめに行くんだ」
「スパイ、かっこいいね」

 アキラの顔がほころんだ。

「でも、お父さんのソコウが悪かったらどうしよう」
「調査報告なんてのは、勝手にでっち上げればいいんだ。それで丸く収まるならな」
「ふーん」

 いまいち納得していない様子だ。
 もう少し父親を信じてやれ、と鎌田は思う。

「おじさん、グミ食べる?」

 アキラがリュックからお菓子を取り出した。

「おう、もらっておく」

 糖分を補給し、もっと違う角度の、素晴らしい言い訳はないかと思考をめぐらせる。かつての妻につけられた、言い訳製造マシーンという不名誉な称号にかけて考える。

 お母さんから距離を置きたくなった、では母親の機嫌を余計に損ねるだろう。
 新幹線で一人旅をしてみたくなった……なくはないが、いかにも取って付けたような言い訳だ。
 学校の宿題で知らない街を探検することになったというのは……問い合わせればすぐに嘘だとばれてしまうな。

 ああでもない、こうでもない、と鎌田が迷宮にはまっていると、「あ、ぼくも一個思いついた」とアキラが言った。

「おじさんに誘拐されたっていうのはどうかな」
「俺が、君をか?」
「そう。それで、ぼくは大人しくついていくしかない。でも途中で隙を見て逃げて、お父さんのところにたどり着く」
「無茶だな」
「……やっぱり?」
「まず、俺の立場を考えろ。誘拐犯になんてされたら人生めちゃくちゃになる。一生恨むぞ」
「言ってみただけだよ。恨まないで」

 突然、口の開いたリュックから振動音がした。アキラは「たぶんお母さんだ……」とつぶやいた。

「出たほうがいい。きっとすごく心配している」
「えー……」

 アキラは嫌そうな顔をしたが、結局電話に出ることにした。

「もしもし?……うん、ぼく。新幹線に乗ってる。えーと、その……」

 不安げに鎌田のほうを見る。

 鎌田は肩をすくめた。どの言い訳を使うかは君次第だという意味をこめて。

「お父さんのところに向かってる……ううん、親切なおじさんと一緒……うん、わかった。ごめんなさい」

 少年が通話を終えると、鎌田は親指を突き出した。

「本当のことを言ったんだな。立派じゃないか」
「お母さん、ぜんぜん怒ってなかったよ。それどころか、泣いてるみたいだった」
「息子が無事でほっとしたんだろ」

 うん、とアキラは小声でつぶやいた。

「でもこれで、お母さんはご飯をつくってくれなくなるかも」

 本気でそう思っているらしい少年を見て、鎌田は笑った。

「そのときは、自分でご飯をつくればいいんじゃないか?」
「え、ぼくが?」
「そうだ。一人で新幹線に乗れるんだから、料理だってできるさ」
「そっか。考えたことなかった」

 アキラはすっきりとした表情で、また帽子をくにゃくにゃともてあそび始めた。


 やがて新幹線はアキラの父親が住む街へ到着した。

「それじゃ、行ってくるね」
「ああ。元気でな」

 アキラはリュックを背負い、帽子をかぶった。表情は晴れやかだった。連絡を受けた父親がホームに迎えに来ているらしい。

「上手くいくといいな」
「うん、ありがとう」

 鎌田は小走りに駆けていく少年の姿を見送る。ホームに降り立った少年が、父親を見つけて走り寄っていくところまで車窓から見届ける。遠目に見た父親は、どことなく鎌田に雰囲気が似ていた。




「ねえパパ、話聞いてる?」

 キャラメルマキアートに両手を添えた明里あかりが、しかめ面で言った。

「すまん。なんの話だったか……」
「もう、あたしの卒業式に来てほしいって話だよ。娘の晴れ姿、見たくないの?」

 カップに口をつける明里は、失礼しちゃうわと唇を尖らせている。しばらく会わないうちに、また大人っぽくなった。

「行きたいのは山々だが、向こうが嫌がるだろう」
「ママのことはあたしが説得するから大丈夫。ていうか、この機会にちゃんと向き合ってほしいと思ってるの。パパもママも、何かと理由をつけて会うのを避けようとするんだから。いい加減、大人になってほしいわ」
「しかしな、会ったからと言ってお前の望むような展開になるかどうかは……」
「別に再婚してほしいとか思ってないよ。だけど、パパはずっとあたしのパパでしょ。学費だって出してくれてるんだから、こういうときくらい堂々と権利を主張してよ」

 いったいいつの間にこんな口を利くようになったのか。鎌田は娘の成長速度に圧倒されるばかりだ。もしかすると、自分はとっくに追い越されているのではないか。

「ねえってば、話聞いてる?」
「聞いてるよ」

 鎌田は自分のコーヒーカップに目を落とした。そして、卒業式で元妻に再会したら、こんなに下腹が出てきてしまったことをなんと言い訳しようかと考えている。
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