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第1章 海の向こう
4.紫陽花屋敷
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紫陽花屋敷は住宅街から少し離れた、雑木林の中にある。雑木林にはアジサイがたくさん植わっていて、青と水色の花をいっぱいに咲かせていた。あんまりきれいに咲いていて、ちょっと怖いくらいだった。家の近所で見るアジサイはとっくにしぼんでいたのに、ここは時間が止まっているみたい。木陰の涼しさのせいもあって、あたしはぶるっと身震いした。海と一緒じゃなければ、途中で引き返していたかもしれない。
屋敷は古くていかめしい2階建ての洋館で、大きさはうちの3倍くらいはありそうだった。敷地で言えばもっと広い。壁は無数のひびとつる植物におおわれ、全体的にくすんで灰色がかっていた。屋根は一部陥没して、せっかくの張り出し窓は薄汚れて、ありもしない人影を連想させた。まわりに背の高い木々が生い茂っていて、よけいに暗い印象を与える。そのなかで、やっぱりアジサイだけが生き生きと咲いている。
黒くさびた鉄の門扉の前で、あたしたちは棒立ちになった。噂には聞いていたけれど、いざ目の前にするとものすごい存在感だった。きっと昔は手入れが行き届いていて、素敵な家で、立派な人が住んでいたんだろうなと思った。
「怖いなら帰ってもいいけど?」
海が期待するようにそう言った。あたしはぶんぶん首を振る。
「すごい家だなあって思っただけ」
あたしは気合を入れるためにパンッとほっぺをたたいた。いつもなら自転車のベルをチリチリ鳴らすところだけど、雑木林が砂利道なのでおいてきたのだ。
「よし、行こう!」
門の扉は冷たくてざらざらしていた。鍵はかかっていない。そおっと押すと、あたしの力でも簡単に開いた。ぎぃぃぃぃと不気味な音がして、背中がざわざわした。
あたしと海は無言でうなずきあい、紫陽花屋敷に足を踏み入れた。
雑草の合間から見える飛び石をたどってポーチに飛び乗る。わきに表札があってうっすらと字が書いてあったけど、あたしには読めない漢字だった。
ドアをノックして「ごめんくださーい」と声をかける。
海はびっくりしてこっちを見た。
「空き家なのになんであいさつしてんの?」
「だって、いちおう人の家だし」
当然だけど返事はなかったので、ドアノブを回す。やっぱり鍵はかかっていなくて、すっと開いた。
「おじゃましまーす」
ドキドキしながら中へ入る。
とたんに、埃っぽいような、カビっぽいような臭いが鼻をついた。
天井の高い広々とした部屋で、シャンデリアが吊り下がっている。大きなテーブルと椅子と、暖炉があった。たっぷりしたレースのカーテンが窓の光をさえぎっていて薄暗い。
目が慣れてくると、壁にかけられた花の絵とか、マントルピースの上の置き物や写真立て、細かい模様の入ったじゅうたん、床に落ちた中身の見えるクッションなんかが目に入った。あと、たくさんのクモの巣も。
「うわー、すごいね。すごく汚い」
「幽霊は掃除しないだろうな」
海は浮かない顔で空っぽの花びんの中をのぞきこんで、眉をひそめた。どうやら、空っぽではなかったらしい。
「だからこんなところ来たくなかったんだ。さっさと帰ろうぜ」
あたしも海が持っていた花びんの中をのぞいた。丸まって死んでる小さな虫がいっぱいいた。
「なんだ、お化けが怖いんだと思ってたのに」
「お化けより人間のほうがよっぽど怖いって」
「じゃあ幽霊は? もともと人間じゃん」
「お化けと似たようなもんだろ。おれは自分の目で見たものしか信じない」
「なにそれ、かっこつけてるの?」
あたしが笑うと、海は「ちがうって」と否定しつつもつられて笑った。
カタン
ふいに物音がして、あたしたちはぴたりと押し黙る。
心臓が思い出したようにドクドクと鳴りはじめる。
古い家だからがたついているのかもしれない。あるいはネズミとか……と海が分析していたけれど、あたしは落ち着かない気分になって、左右を見まわした。キャビネットに飾られた陶製のピエロ、写真立ての中の人の視線、ススで黒っぽくなっている暖炉の向こうの闇。急にすべてが疑わしく、怪しく思えてきた。
「2階、調べてみようよ。さっきの音、上のほうからしたし」
恐怖心はあったけれど、それ以上に好奇心のほうが強かった。
海はじっとあたしの目を見て、小さくため息をついた。
「わかったよ。一緒に行く」
階段は手すりがついていて横幅も広かったけれど、木造なので一段上がるごとにミシミシと音を立てた。底が抜けたらどうしようかと思ったけど、幸いそこまでは傷んでいなかった。
あたしたちはさっきよりずっと緊張感を高めて、2階の部屋を見て回った。書斎、寝室、子ども部屋、バスルーム、また寝室。どれも古びてカビ臭くて、ひび割れている豪華な鏡台とか止まったままの振り子時計とか目を引くものはあったけれど、これといって異状はなかった。
でも、ひとつだけドアが開かなくて入れない部屋があった。
「あれ、鍵かかってるのかな?」
押しても引いても、ノブをガチャガチャ回しても開かない。そこで、思いついてとなりの部屋へ戻った。
「どうするんだ?」
海が心配そうに後をついてくる。
「こっちの部屋のバルコニーから、あっちの部屋の窓に行けないかなと思って」
「やめろよ。危ねえって」
「大丈夫だよ。海と遊んでたおかげで木登りはけっこう上手くなったし」
「あっちの窓も鍵かかってるかもしれないぞ」
「そんなの行ってみないとわからないじゃん」
窓を開けてバルコニーに出る。となりの部屋の窓へは、頑張って身を乗り出せば手が届きそうだった。でもそれより、手すりの外側から近づいたほうが簡単に開けられそう。
リュックを下ろして深呼吸。海が止めるのも聞かず、あたしはよっこらせと手すりを乗り越える。足先をバルコニーの内側に乗せて、柵一本分ずつ、慎重に進む。ギシギシいうのがちょっと怖い。
もう手を伸ばせば届きそう。無意識に呼吸を止めていた。開け、開けと念じる。
窓は開いた。
「やったー!!」
と、叫んだと同時に、近くの木に止まっていたカラスが飛び立った。あたしの声に驚いたんだと思う。でもあたしは、カラスのせいでもっと驚いた。足場なんてほとんどないのに、逃げようとして足を踏み外した。
あっ 落ちる
体じゅうをひやりとした感覚がかけめぐる。
海が叫ぶ。すべてがスローモーションになる。
あたしは手を伸ばした。海もそれをつかもうとした。
だけど、ふたりとも間に合わなかった。
千夏っ
海の声が頭に響く。あたしの意識はそこで途切れて、闇に飲みこまれる。
屋敷は古くていかめしい2階建ての洋館で、大きさはうちの3倍くらいはありそうだった。敷地で言えばもっと広い。壁は無数のひびとつる植物におおわれ、全体的にくすんで灰色がかっていた。屋根は一部陥没して、せっかくの張り出し窓は薄汚れて、ありもしない人影を連想させた。まわりに背の高い木々が生い茂っていて、よけいに暗い印象を与える。そのなかで、やっぱりアジサイだけが生き生きと咲いている。
黒くさびた鉄の門扉の前で、あたしたちは棒立ちになった。噂には聞いていたけれど、いざ目の前にするとものすごい存在感だった。きっと昔は手入れが行き届いていて、素敵な家で、立派な人が住んでいたんだろうなと思った。
「怖いなら帰ってもいいけど?」
海が期待するようにそう言った。あたしはぶんぶん首を振る。
「すごい家だなあって思っただけ」
あたしは気合を入れるためにパンッとほっぺをたたいた。いつもなら自転車のベルをチリチリ鳴らすところだけど、雑木林が砂利道なのでおいてきたのだ。
「よし、行こう!」
門の扉は冷たくてざらざらしていた。鍵はかかっていない。そおっと押すと、あたしの力でも簡単に開いた。ぎぃぃぃぃと不気味な音がして、背中がざわざわした。
あたしと海は無言でうなずきあい、紫陽花屋敷に足を踏み入れた。
雑草の合間から見える飛び石をたどってポーチに飛び乗る。わきに表札があってうっすらと字が書いてあったけど、あたしには読めない漢字だった。
ドアをノックして「ごめんくださーい」と声をかける。
海はびっくりしてこっちを見た。
「空き家なのになんであいさつしてんの?」
「だって、いちおう人の家だし」
当然だけど返事はなかったので、ドアノブを回す。やっぱり鍵はかかっていなくて、すっと開いた。
「おじゃましまーす」
ドキドキしながら中へ入る。
とたんに、埃っぽいような、カビっぽいような臭いが鼻をついた。
天井の高い広々とした部屋で、シャンデリアが吊り下がっている。大きなテーブルと椅子と、暖炉があった。たっぷりしたレースのカーテンが窓の光をさえぎっていて薄暗い。
目が慣れてくると、壁にかけられた花の絵とか、マントルピースの上の置き物や写真立て、細かい模様の入ったじゅうたん、床に落ちた中身の見えるクッションなんかが目に入った。あと、たくさんのクモの巣も。
「うわー、すごいね。すごく汚い」
「幽霊は掃除しないだろうな」
海は浮かない顔で空っぽの花びんの中をのぞきこんで、眉をひそめた。どうやら、空っぽではなかったらしい。
「だからこんなところ来たくなかったんだ。さっさと帰ろうぜ」
あたしも海が持っていた花びんの中をのぞいた。丸まって死んでる小さな虫がいっぱいいた。
「なんだ、お化けが怖いんだと思ってたのに」
「お化けより人間のほうがよっぽど怖いって」
「じゃあ幽霊は? もともと人間じゃん」
「お化けと似たようなもんだろ。おれは自分の目で見たものしか信じない」
「なにそれ、かっこつけてるの?」
あたしが笑うと、海は「ちがうって」と否定しつつもつられて笑った。
カタン
ふいに物音がして、あたしたちはぴたりと押し黙る。
心臓が思い出したようにドクドクと鳴りはじめる。
古い家だからがたついているのかもしれない。あるいはネズミとか……と海が分析していたけれど、あたしは落ち着かない気分になって、左右を見まわした。キャビネットに飾られた陶製のピエロ、写真立ての中の人の視線、ススで黒っぽくなっている暖炉の向こうの闇。急にすべてが疑わしく、怪しく思えてきた。
「2階、調べてみようよ。さっきの音、上のほうからしたし」
恐怖心はあったけれど、それ以上に好奇心のほうが強かった。
海はじっとあたしの目を見て、小さくため息をついた。
「わかったよ。一緒に行く」
階段は手すりがついていて横幅も広かったけれど、木造なので一段上がるごとにミシミシと音を立てた。底が抜けたらどうしようかと思ったけど、幸いそこまでは傷んでいなかった。
あたしたちはさっきよりずっと緊張感を高めて、2階の部屋を見て回った。書斎、寝室、子ども部屋、バスルーム、また寝室。どれも古びてカビ臭くて、ひび割れている豪華な鏡台とか止まったままの振り子時計とか目を引くものはあったけれど、これといって異状はなかった。
でも、ひとつだけドアが開かなくて入れない部屋があった。
「あれ、鍵かかってるのかな?」
押しても引いても、ノブをガチャガチャ回しても開かない。そこで、思いついてとなりの部屋へ戻った。
「どうするんだ?」
海が心配そうに後をついてくる。
「こっちの部屋のバルコニーから、あっちの部屋の窓に行けないかなと思って」
「やめろよ。危ねえって」
「大丈夫だよ。海と遊んでたおかげで木登りはけっこう上手くなったし」
「あっちの窓も鍵かかってるかもしれないぞ」
「そんなの行ってみないとわからないじゃん」
窓を開けてバルコニーに出る。となりの部屋の窓へは、頑張って身を乗り出せば手が届きそうだった。でもそれより、手すりの外側から近づいたほうが簡単に開けられそう。
リュックを下ろして深呼吸。海が止めるのも聞かず、あたしはよっこらせと手すりを乗り越える。足先をバルコニーの内側に乗せて、柵一本分ずつ、慎重に進む。ギシギシいうのがちょっと怖い。
もう手を伸ばせば届きそう。無意識に呼吸を止めていた。開け、開けと念じる。
窓は開いた。
「やったー!!」
と、叫んだと同時に、近くの木に止まっていたカラスが飛び立った。あたしの声に驚いたんだと思う。でもあたしは、カラスのせいでもっと驚いた。足場なんてほとんどないのに、逃げようとして足を踏み外した。
あっ 落ちる
体じゅうをひやりとした感覚がかけめぐる。
海が叫ぶ。すべてがスローモーションになる。
あたしは手を伸ばした。海もそれをつかもうとした。
だけど、ふたりとも間に合わなかった。
千夏っ
海の声が頭に響く。あたしの意識はそこで途切れて、闇に飲みこまれる。
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