海の向こうの永遠の夏

文月みつか

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第2章 永遠の夏

14.救世主現る

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 天井近くまであるがっしりした金属製のオープンラックは、上から下まで、あらゆる工具と部品で埋め尽くされている。

「この辺をきれいにしてくれるととても助かるよ」

 おじちゃんは腕を振って棚周辺をざっと示し、あろうことかあたしに店番を任せて出かけてしまった。
 助っ人をよこすから大丈夫だと言われたけど、バイトの経験がないあたしはかなりナーバスになっていた。
 こんなことなら手伝いなんて申し出るんじゃなかったと思いつつ、新しい自転車のことを考えると突っ立ってばかりもいられない。

 軍手をはめた両手をパシッとたたいて気合を入れる。Tシャツとジーンズの上に手書きで「サイクルショップたけだ」と書かれた前掛けをしめ、格好だけはそれっぽくなる。

 上段は出し入れする機会が少ないのかだいぶほこりをかぶっていて、まずはそこから攻めることにする。脚立に上り、何が入っているのかよくわからない段ボール箱をズズズッと引き出す。

 想像以上に重たい!

 ひっくり返して中身をぶちまけてしまわないように、慎重に慎重に胸に引き寄せ、持ち上げる。正直、腰にきそう。

 そういうギリギリのところで踏ん張っていたあたしは、

 チャリチャリチャリン!

 というベルの音に、文字通り腰を抜かしそうになった。
 表にお客さんが来てしまったらしいという焦りと、ちゃんと対応できるのかという不安、そして段ボール箱の重み。

「ごめんなさい、今手が離せないんです!」

 パニックになりかけていたあたしの声は、悲鳴に近かったかもしれない。慌てて脚立を降りようとしてバランスを崩し、重心は後ろへ。

 自分の口から出ている「イヤァァァァァ」という叫びとは裏腹に、最近こんなことばっかりだなぁというのんきな考えが頭をよぎる。

 大丈夫、海が助けてくれるはず。

 でも今回に限って、海はあたしの呼びかけに反応してくれなかった。いつもは「しょうがねえあな」って顔で助けてくれるのに、なぜかプイッとそっぽを向く姿が浮かんだ。

 言いようのない恐怖の谷底に落ちていく。
 死よりも深い絶望。虚空に、背中から落ちていく感じ。

 だけどあたしは、ドンッと現実味のある力強さで抱きとめられた。

「おっと! 大丈夫?」

 耳元で声をかけられてぞくりとしたあたしは「ひゃっ」と奇声を上げ、結局段ボール箱から手を離してしまった。

 ドサッと箱が床に激突し、フタが開いてカラフルなケミカル剤が勢いよく飛び出す。とっさにつかもうと身を乗り出して、救世主のつま先を思い切り踏んづける。

 自転車のかごに、床に、ばらばらと散乱する原色のスプレー缶とボトル。ただでさえ足の踏み場がなかったスペースで、つま先を持ってぴょんぴょんと器用に飛び跳ねているお兄さん。呆然と眺めているうちに、突然あたしの頭はひらめいた。

「もしかして、達緒たつおさん!?」

 救世主のお兄さんは飛び跳ねるのをやめ、「そうそう」とうなずく。

「いかにも僕が達緒です。いや参った。せっかくヒーローになれるところだったのに、まさか返りちに遭うとは」
「ごめんなさい、そんなつもりはなかったんですけど……足、大丈夫ですか?」
「うん、もうおさまってきた。そっちは、ケガない?」
「はい。でも、段ボール、落としちゃいましたけど……」
「いいよいいよ。大したもの入ってなさそうだし。こんな重たそうなもんを高いところに乗っけてた親父が悪い」

 言いながら散乱した箱の中身を拾うので、慌てて手伝う。

「ところで親父は?」
「ああ、オヤジ会に行くとかなんとか。なるべく早く戻ってくるって言ってましたけど……」
「うーん、それは夜まで店番よろしくっていうのと同義だね。親父の早めは夜の10時ぐらいだから。ちなみにオヤジ会っていうのは商店街のオヤジ連中の集まりで、草野球したり酒を飲みながら株やゴルフの話で盛り上がる会だよ。ま、別に興味ないと思うけど」

 箱の中身はひとまずすべて無事のようだった。ほっとしてため息が出た。

「おじちゃんが言ってた助っ人って、達緒さんのことだったんですね」
「そうらしいね。僕は千夏ちゃんが来るから暇なら来いと言われたんだ」
「四国を巡礼中だったんですよね。途中で離脱していいんですか?」
「別に問題ないと思うよ。うどんは十分食べたし」

 うどんと巡礼は関係ないのでは……

「それより、次は広島風お好み焼きを食べに行きたいんだ。それと砂丘も見てみたいなあ。おっと、そういえば自転車外に出しっぱなしだった」
「見てもいいですか?」
「もちろん。ていうか、こっちに持ってくるよ。メンテもしたいし」

 達緒さんは店先に出て、すぐに重そうなバックパックと自転車を担いで戻ってきた。

「あれ、思ったより小っちゃい」
「だろ? 折りたたみ式だから電車やバスにも乗れて便利なんだ。小っちゃくても走行性は文句なし。大事な旅の相棒だよ」
「見かけによらずできる子なんですねぇ」
「そうなんだよ! 変速もスムーズだしね。それにほら、こうしてたたんで……ハンドルのところだけ伸ばしておけば、スーツケースみたいに転がして運べるんだ。それから、カゴみたいに取り付けられるバッグもあってね……」
「へえ……ほお……」

 どうやらあたしは達緒さんのサイクリスト魂に火をつけてしまったらしい。達緒さんは愛車について、メンテナンスの重要性について、さらには自転車業界の今後の展望について熱心に語ったが、専門用語が多くて半分以上よくわからなかった。なぜか最後はうどんと小口ネギの親和性について話が飛び、そこだけはあたしも理解し共感することができた。

「やっぱりうどんはコシがあるほうが好きだなあ……って、ごめん。つい夢中になってしゃべっていたけど、僕ら店番してるんだったね。形だけでもやっておこうか」
「はい、そうですよね! 仕事しましょう!」

 あれこれ語る達緒さんを眺めているのは面白かったが、これではおじちゃんに面目が立たないので、あたしは張り切ってそう言った。

 でもさっき危険な目に遭ったばかりなので棚の片づけは任せてもらえず、やったことといえば売り物の自転車をハタキでぱたぱた払うぐらいだった。
 ときたまやってくるお客さんにも、達緒さんがすべて対応した。パンクの修理だったり、緩んだチェーンの調整だったり。達緒さんは基本的な修理なら問題なくできるらしく、手際よく作業していた。

 おじちゃんには放蕩ほうとう息子だなんて言われていたけど、好きなことがあって、ちゃんと社会に適応して生きている達緒さんが、あたしにはすごく大人に見えた。

 このままでいいのかな……

 そう心の中で思ったとき、潮の匂いがかすかに鼻をかすめたような気がした。

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