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秋空の栗まんじゅう
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女心と秋の空、と言う。
女心はともかく、そんな秋の空に最近のわたしは振り回されっぱなしだった。
折り畳み傘を開いたと思ったら閉じ、閉じたと思ったらまた開く。しかも晴れたまま雨が降り出すのだから、たまったものではない。
なお、今日のわたしはというと傘を忘れて、突然の雨に降られた。こんな時に限って降るのだから参ってしまう。
通り雨とはいえ、ぐしゃぐしゃになる寸前のところで、ぎりぎりまれぼし菓子店に駆け込んだところだった。
「濡れてらっしゃいませんか?」
タオルを用意してくれながら手嶌さんが言う。
幸いそこまでではなかったけれど、お礼を言ってタオルはお借りすることにした。
「今時期はこういう天気が続きますね」
「困っちゃいますね。こんな時に折り畳み傘を忘れるなんて、トホホって感じです」
体を拭きながら答えたところに、手嶌さんがふと、窓の外を見ながら、
「結婚のシーズンですからね」
「?」
「狐の」
と言って悪戯っぽく笑った。彼の冗談は本気なのか冗談なのか分からない節がある。
狐の嫁入り、ということか。
ジューンブライドならぬ……と思うとなんだか面白い。
お借りしたタオルを返すと、手嶌さんは入れ替わりにと早速メニューを持ってきてくれた。
「さて、今日は“秋の宝物”栗まんじゅうはいかがですか」
「季節物ですねえ!じゃあそれと、煎茶をお願いします」
ここに来る前は、さして季節物を好むという意識はなかった気がする。だけどこの店では季節の品を供してくれるので、自然と季節に敏感になりもする。
ましてやいもくりなんきんなんて、わたしの大好物なのだから、迷うこともなかった。
小さな丸いお皿で運ばれてきたのは、こんがりと焼きめのつけられたてっぺんの部分と、ぽってりと丸い全体のシルエットが何とも可愛い栗まんじゅうだ。
一緒に煎茶。これらは無敵のセットだと思われる。
出てきただけで幸福感に包まれるけど、肝心なのはここから。実際食べたらもっと幸せなること請け合いなのだ。
ぱくりとひと口、大きく出る。白あん。中には、大粒の栗が丸ごと一つ。
皮の香ばしさがまずやってくる。わたしは栗まんじゅうの少し厚手の皮の味がとても好きだ。もちろん中の栗が主役だと思うけど、皮は名脇役だと思っている。それと、あんこも。
中のあんこは栗あんのタイプもあるけど、まれぼし菓子店のは白こしあん。あっさりとして上品な甘み。ただそのあっさりさが、栗の旨味をバランスよく引き立てている。
中に入っている栗は甘露煮。見事なものだ。ただ、これも甘すぎずほくほくして食感が良い。
そして煎茶をすすって、一息。
一息したところでふと気づいた。
いつの間にか店に他のお客さんが来ていた。
食べるのに夢中で気づかなかったのが恥ずかしい。
初老のその女性は上品な和服姿で、つり目の……ちょっと狐目の人だった。でも柔らかな物腰。
同じくちょっと狐目の初老の男性を従えている。
「薄原さん。準備はもうできていますので。今、お持ちしますから、お掛けになって少々お待ちください」
「ええ。いつもありがとうね、手嶌さん」
「いいえ、こちらこそお世話になっております」
いったん店の奥に引っ込んだ手嶌さんが、木森さんとともに、袋に入った荷物をたくさん持って出てくる。
それらを店頭のカウンターに出して、会計は初老の男性の方が行っている。
その間に、そういえば、と薄原さんと呼ばれたご婦人がこちらを向いた。
「いつぞやはうちの若いのが失礼をいたしました」
「へっ!?」
突然話を振られたので、おまんじゅうをのどにつまらせそうになって目を白黒させてしまった。
彼女の言うことには身に覚えがなかった。
「手嶌さんにもご迷惑おかけしましたね」
「あ、いえいえ。薄原さんからのご注意はやはり鶴の一声だったらしくて。ありがとうございます」
「良いんですのよ。若いとはいえ礼儀も知らずに人様のあとをつけ回すのは、どうにもいけません。私どもの教育の不行き届きでしたわ」
ね、と微笑みかけられたけど、わたしは曖昧に微笑み返すことしかできなかった。
「お待たせ致しました。ご注文の栗まんじゅうの詰め合わせ確かにお渡し致します」
「野火、引き出物をお持ち」
「畏まりまして」
野火と呼ばれた男性の方が、何箱もの栗まんじゅうの入った袋を持っては車に運び、持っては車に運びしていく。
あっという間にそれらの作業は終わり、
「ではまた」
わたしと手嶌さんに黙礼すると、薄原さんは野火さんとともに立ち去って行った。
「引き出物って言ってましたね。栗まんじゅうが?」
「地味ではあるんですけど、栗は縁起の良い食べものなので」
手嶌さんがにこにこ教えてくれるところによると、お武家さんの時代には勝ち栗と言われて重宝されたのだとか。それに、お節料理にも入っているように、金運をあげると言われるものでもあるらしい。
それで秋の宝物というネーミングでもあるのか。
「“秋の宝物”、皆さんお気に召してくださったらいいのですが。懲りたあの方も含めて」
その時わたしは、いつかカフェラテを飲んでいたキツネ顔の男の人を思い出した。もしかして……。
手嶌さんを見つめてみても、彼は少し不思議で曖昧な微笑を浮かべるだけだった。
ふと外を見ると、雨はもうほとんど上がっている。代わりに、空には虹の橋がかかっていた。
「今日は素敵な嫁入り日和ですね」
わたしは思わず率直な感想を口に出す。
「きっとみんな気に入ってくれますよ。だってまれぼし菓子店のお菓子なんですもん」
「ありがとうございます」
ちょうど、ジャズアレンジの“Over the rainbow”が流れている。
穏やかな秋の昼下がりだった。
女心はともかく、そんな秋の空に最近のわたしは振り回されっぱなしだった。
折り畳み傘を開いたと思ったら閉じ、閉じたと思ったらまた開く。しかも晴れたまま雨が降り出すのだから、たまったものではない。
なお、今日のわたしはというと傘を忘れて、突然の雨に降られた。こんな時に限って降るのだから参ってしまう。
通り雨とはいえ、ぐしゃぐしゃになる寸前のところで、ぎりぎりまれぼし菓子店に駆け込んだところだった。
「濡れてらっしゃいませんか?」
タオルを用意してくれながら手嶌さんが言う。
幸いそこまでではなかったけれど、お礼を言ってタオルはお借りすることにした。
「今時期はこういう天気が続きますね」
「困っちゃいますね。こんな時に折り畳み傘を忘れるなんて、トホホって感じです」
体を拭きながら答えたところに、手嶌さんがふと、窓の外を見ながら、
「結婚のシーズンですからね」
「?」
「狐の」
と言って悪戯っぽく笑った。彼の冗談は本気なのか冗談なのか分からない節がある。
狐の嫁入り、ということか。
ジューンブライドならぬ……と思うとなんだか面白い。
お借りしたタオルを返すと、手嶌さんは入れ替わりにと早速メニューを持ってきてくれた。
「さて、今日は“秋の宝物”栗まんじゅうはいかがですか」
「季節物ですねえ!じゃあそれと、煎茶をお願いします」
ここに来る前は、さして季節物を好むという意識はなかった気がする。だけどこの店では季節の品を供してくれるので、自然と季節に敏感になりもする。
ましてやいもくりなんきんなんて、わたしの大好物なのだから、迷うこともなかった。
小さな丸いお皿で運ばれてきたのは、こんがりと焼きめのつけられたてっぺんの部分と、ぽってりと丸い全体のシルエットが何とも可愛い栗まんじゅうだ。
一緒に煎茶。これらは無敵のセットだと思われる。
出てきただけで幸福感に包まれるけど、肝心なのはここから。実際食べたらもっと幸せなること請け合いなのだ。
ぱくりとひと口、大きく出る。白あん。中には、大粒の栗が丸ごと一つ。
皮の香ばしさがまずやってくる。わたしは栗まんじゅうの少し厚手の皮の味がとても好きだ。もちろん中の栗が主役だと思うけど、皮は名脇役だと思っている。それと、あんこも。
中のあんこは栗あんのタイプもあるけど、まれぼし菓子店のは白こしあん。あっさりとして上品な甘み。ただそのあっさりさが、栗の旨味をバランスよく引き立てている。
中に入っている栗は甘露煮。見事なものだ。ただ、これも甘すぎずほくほくして食感が良い。
そして煎茶をすすって、一息。
一息したところでふと気づいた。
いつの間にか店に他のお客さんが来ていた。
食べるのに夢中で気づかなかったのが恥ずかしい。
初老のその女性は上品な和服姿で、つり目の……ちょっと狐目の人だった。でも柔らかな物腰。
同じくちょっと狐目の初老の男性を従えている。
「薄原さん。準備はもうできていますので。今、お持ちしますから、お掛けになって少々お待ちください」
「ええ。いつもありがとうね、手嶌さん」
「いいえ、こちらこそお世話になっております」
いったん店の奥に引っ込んだ手嶌さんが、木森さんとともに、袋に入った荷物をたくさん持って出てくる。
それらを店頭のカウンターに出して、会計は初老の男性の方が行っている。
その間に、そういえば、と薄原さんと呼ばれたご婦人がこちらを向いた。
「いつぞやはうちの若いのが失礼をいたしました」
「へっ!?」
突然話を振られたので、おまんじゅうをのどにつまらせそうになって目を白黒させてしまった。
彼女の言うことには身に覚えがなかった。
「手嶌さんにもご迷惑おかけしましたね」
「あ、いえいえ。薄原さんからのご注意はやはり鶴の一声だったらしくて。ありがとうございます」
「良いんですのよ。若いとはいえ礼儀も知らずに人様のあとをつけ回すのは、どうにもいけません。私どもの教育の不行き届きでしたわ」
ね、と微笑みかけられたけど、わたしは曖昧に微笑み返すことしかできなかった。
「お待たせ致しました。ご注文の栗まんじゅうの詰め合わせ確かにお渡し致します」
「野火、引き出物をお持ち」
「畏まりまして」
野火と呼ばれた男性の方が、何箱もの栗まんじゅうの入った袋を持っては車に運び、持っては車に運びしていく。
あっという間にそれらの作業は終わり、
「ではまた」
わたしと手嶌さんに黙礼すると、薄原さんは野火さんとともに立ち去って行った。
「引き出物って言ってましたね。栗まんじゅうが?」
「地味ではあるんですけど、栗は縁起の良い食べものなので」
手嶌さんがにこにこ教えてくれるところによると、お武家さんの時代には勝ち栗と言われて重宝されたのだとか。それに、お節料理にも入っているように、金運をあげると言われるものでもあるらしい。
それで秋の宝物というネーミングでもあるのか。
「“秋の宝物”、皆さんお気に召してくださったらいいのですが。懲りたあの方も含めて」
その時わたしは、いつかカフェラテを飲んでいたキツネ顔の男の人を思い出した。もしかして……。
手嶌さんを見つめてみても、彼は少し不思議で曖昧な微笑を浮かべるだけだった。
ふと外を見ると、雨はもうほとんど上がっている。代わりに、空には虹の橋がかかっていた。
「今日は素敵な嫁入り日和ですね」
わたしは思わず率直な感想を口に出す。
「きっとみんな気に入ってくれますよ。だってまれぼし菓子店のお菓子なんですもん」
「ありがとうございます」
ちょうど、ジャズアレンジの“Over the rainbow”が流れている。
穏やかな秋の昼下がりだった。
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