まれぼし菓子店

夕雪えい

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月と太陽とレモンケーキ

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「先輩~。夢ってけっこー見る方ですかあ?」
「夢って、夜に見るあの夢?」
「そうですぅ。予知夢とか、明晰夢とか、夢占いとかあるその夢です」

 会社の休憩時間。後輩の綾瀬さんは、サラダをつつきながら唐突にそんな話を切り出した。
 お弁当のからあげを口に運びながら、わたしは答える。

「そうだなあ、夢ってあんまり見ないし覚えてない方かも」
「そうなんですか~? ね、じゃあこんなの知ってます? ……『思ひつつ寝ればや人の見えつらむ 夢と知りせば覚めざらましを』」
「へっ?」
「和歌です~。好きな人のこと思いながら寝たら夢に出てきて、分かってたら起きなかったのにな~ショックっていう」
「あー、国語の授業でやったかも……昔?」
「そんなシチュエーションとかあったことあります? あたしの夢にも手嶌さん出てこないかなあ」

 つまりそれが言いたかったらしい綾瀬さんなのだった。
 ハア、と深刻そうにため息をつく彼女を見て、わたしは思わず微笑ましく思う。夢で会いたいくらい、恋する乙女してるんだなあ。

「わたしは残念だけどないなあ、そのシチュエーション。たべものの夢はいっぱい見るかも?」
「先輩~! もっと恋する乙女してください!」
「おいしいものの夢だって、目が覚めたらちょっと残念に思うし!」

 そう言うと、花より団子すぎますう、と彼女は口をとがらせた。そうかなあ。
 ともあれ、恋する気持ちに今昔なしということだろう。誰の和歌だったかなあとスマホで検索してから、わたしはごはんの続きに手をつけた。

 それにしても手嶌さんなら、空気を読んで夢にまで出てきてくれそうな気がするけど。
 特に綾瀬さんみたいに恋焦がれていればきっと。


 そんなことを思いながら眠った夜――。


 夕暮れの空。ふんわりと暖かな空気、微かに潮の香り。
 月が出ている。傾いた太陽もある。少し離れて、海が見える。そして一面の黄色……菜の花。
 そういえば今年の春先は忙しくて、菜の花を見ないまま過ぎていってしまったことを思い出す。
 家もなく、人の姿もなく、でもひとりぼっちという感じではなくて。どことなく懐かしい春の宵に戻ってきたような風景。その中にわたしは佇んでいた。

 ふと呼ばれた気がする。
 吹いてきた風に頬をなでられて振り返ると、そこには見覚えのある姿があった。

「あれ? 手嶌さんだ」
「こんばんは。こんなところでお会いするとは……。素敵な宵ですね」
「ほ、ほんとですね! どこだかわからないんですけど……綺麗なところですね!」

 手嶌さんは最初少しだけ不思議そうな顔をしていたが、すぐにいつもの微笑みになった。
 今日はいつかのようにニットとスラックスの私服姿をしている。
 そこで突然気づいた。
 ああ、これって夢なんだって。明晰夢というものかもしれない。
 でも、手嶌さんが何でわたしの夢に出てくるのだろう。せっかくなら綾瀬さんの夢に出てあげれば良いのに。

「大丈夫ですか?」
「えっ?」
「百面相しておられますけど」
「大丈夫です!! それより手嶌さんはこんなところで何をしてるんですか? お散歩ですか」

 夢の中だから理由なんでないかもしれないけど尋ねてみる。
 菜の花畑に手嶌さん。実に絵になる構図なのだ。

「散歩ついでに、仕事も兼ねていまして。宜しければ少し、歩きませんか?」
「お仕事も?」

 彼の言葉にしたがって、ゆっくり歩むその後についていく。海の方に近づいているようだ。
 やがて木がはえて、黄色の実をつけている場所にくる。手嶌さんはその実をひとつ優しくもぎ取ると、わたしに見せてくれた。

「これ、が仕事なんです」
「これって……レモンですか?」
「はい。限定のメニュー、〝太陽と月の雫〟レモンケーキの材料になるんですよ」

 視線につられて空を見上げれば、月は東に日は西に。一枚の絵のような美しい風景が広がっている。
 彼の持っているレモンは、まるで天からの贈り物のように見えた。

「これをどうぞ」
「包み……ですか?」
「レモンケーキが入っていますので。後で召し上がってください」
「ありがとうございます、でも……」

 これは夢なのでは、という言葉を全部言わないうちに、手嶌さんは小首を傾げて笑った。
 なんでも見通してしまいそうな不思議な眼差しで。

「あなたはどうも迷子になりやすいようです。あちらに戻って、ゆっくり召し上がってください」

 途端に目の前の光景がぼやけていく。
 手嶌さんの姿も不鮮明になっていって……。

 自分のベッドで目が覚めたとき、わたしの手には、ちょこんと小さなかわいい包みがあった。
 開けてみると、手嶌さんのいったとおり、包まれたレモンケーキがあったのだった。
 ……夢だけど、夢じゃなかった。
 不思議な気持ちのまま、わたしは朝を迎えた。


 翌日の昼休み。
 また綾瀬さんとお昼をとりながら、わたしはデザートのレモンケーキを取り出した。
 ころんと丸いフォルムは本当のレモンを意識して作られたものだろうか、かじりつきたくなる気持ちになる。こんがり焼かれたスポンジには白いアイシングがかけられていかにも美味しそうだ。

 ひと口、いってみる。ざくっとしたアイシングの感触、甘みと、レモンの爽やかな風味が口中に広がり、すーっと深呼吸したくなるようなおいしさ。
 土台のスポンジは柔らかくて甘いけれど、よくバランスが取れている。
 しっとり、ふわり。

 どちらかと言うと素朴な味わいの焼き菓子なのだと思うけど、レモンが入ると断然華やかさが増幅される。
 別腹……という言葉がぴったりだ。軽いお菓子ではないのだけれど、すいっと胃袋におさまってしまう。
 食後のお茶とともに、しばらくこの豪華なデザートの余韻を楽しむ。
 おすそ分けをした綾瀬さんもご機嫌のおいしさだ。

「先輩、レモンケーキごちそうさまでしたぁ。おいしかったです」
「いえいえ。そういえば綾瀬さん、わたしも不思議な夢みたよ」
「ホントですかぁ? どんな夢です?」
「それはね……」
「それは?」
「なんでもなーい」
「ええーっ!」

 言いかけてやめた。
 誤解を産みそうな発言は慎んでおいた方が良さそうだ。
 手嶌さんは、綾瀬さんの夢にいってあげてください。

 甘酸っぱいレモンの残り香。
 途中でやめるなんて卑怯ですよと言う綾瀬さんのブーイングをかわしつつ、わたしはもうひと口お茶をすすった。
 季節はもう初夏。夢の世界のどこかにあったあの春の風景をまぶたの裏に思い返しながら。
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