「脇役」令嬢は、「悪役令嬢」として、ヒロインざまぁからのハッピーエンドを目指します。

三歩ミチ

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6 努力は自信につながらない

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 同じような話なのに、どうしてこうも新鮮なのだろう。

 夜に布団に寝転び、図書室で借りた本を開く。ここ数日の、私の習慣だ。
 本を読みながら、いつものように、物語の世界に没入していく。

 乙女ゲームの世界に悪役令嬢の立場で転生した主人公だが、彼女にはそのゲームの記憶がない。テンプレートな「乙女ゲームのストーリー」を想起し、追放エンドを回避すべく、努力して自分を磨き上げていく。
 彼女は転生したことによって「ステータス」を開示できるようになり、ヒロインを大きく超える能力値を手に入れる。
 ついでに、努力した悪役令嬢と元から努力家のヒロインは気が合い、攻略対象そっちのけで、親友と呼べる関係に発展する。
 最終的にはヒロインと悪役令嬢、それに攻略対象たちが織りなすほんわかしたやりとりを堪能し、私は本を閉じた。

 本を閉じると、ページの間から、独特な埃の匂いが立ち上る。ふと、図書室でのやりとりが思い浮かぶ。

 何度も温かく声をかけてくれた慧には、特待生なりの悩みがあった。
 早苗と自分を比較して格差を感じている私と、一般生徒と自分を比較して格差を感じている彼には、たしかに共有できる感情があったのだ。

「周りと比べたら、自信なんてもてないわ」

 物語の令嬢ほどでないにしても、私も、努力はしている。しかし、努力しているのは、私だけではない。

 学年1位の海斗だって、そうだ。持ち前の才能だけで、1位をとり続けることはできない。
 幼稚部の頃から家族ぐるみの付き合いをしているから、彼の努力は知っている。
 早苗も、言わずもがな。維持することの大変さは、よくわかる。

 努力はしても、それは自信にはつながらない。頑張っても海斗たちに敵わないのは、能力が足りないからか、と思ってしまう。

 この劣等感があるから、慧と打ち解けることができた。
 それは確かなことだけれど、この物語の主人公のように、早苗を凌駕するほどの能力値を得られたら、劣等感なんてもたずに済んだのに。

 どうしたら、自信をもてるのだろう。

 私は、本のページをぱらぱらと繰る。

 本の主人公はゲーム世界に転生していて、「ステータス」という能力値が可視化されていた。彼女は努力によって、その数値を上昇させていく。

 私も、数値が早苗を超えたとはっきりわかれば、自信をもてるかもしれない。

「……はあ」

 溜息が出るのは、そんなにうまい話はないと、よくわかっているからだ。
 勉強を重ねても、点数はそれほど劇的には伸びない。体力値、頭脳値のような、明確な基準があるはずもない。

 ここは、ゲームではない。残念ながら、簡単にはいかない。
 だから私は、いつまでも自信をもてないままなのだ。

 気付いたら眠っていたらしくて、私はうつ伏せたまま、目が覚めた。

「……おはよう」
「おはようございます。あら、お嬢様……」

 身支度をしてくれる侍女、高塚シノに声をかけると、彼女は口元をふわっと押さえた。

 揃えた指先、小首を傾げる動作。
 その何気ない所作にも品があるのは、彼女が昔から我が家に勤めており、かつては私に礼儀作法の教育などもしていたほどの、行き届いた侍女だからだ。
 もう四十代に差し掛かっているはずだが、彼女はいつまでも若々しく、昔と変わらない。

「寝違えたのですか? 頬に痕が付いていますよ」
「え? ……あら、本当だわ」

 鏡を見ると、頬にしっかり、斜めの痕が残ってしまっている。
 あんな風に、うつ伏せで寝たからだ。頬に触れてその凹みを確認する私を、シノは微笑みながら見ている。

「治してから、登校しましょうね」
「え……いいわ、そんなの」

 私が頬に痕をつけたところで、誰も気にかけないだろう。慧に会う放課後には、さすがに取れているだろうし。断る私を、シノは「駄目ですよ」と制した。

「淑女とあろうものが、自分の寝姿を想像させるような装いで、人目に触れるところへ出てはいけません」
「……はい」

 シノは、私の作法の先生だ。
 ちょっと厳しい口調でそう告げられてしまっては、何も言い返せない。

 鏡ごしに彼女の様子を伺うと、シノは、またふわっと微笑んだ。

「お湯を持ってきますね。少々お待ちください」
「お湯?」
「ええ。足を温めると、頬の痕は治りますよ」

 シノはそう言い残し、音も立てずに部屋を出て行く。相変わらずの身のこなしだ。感心する間もなく、湯気の立つ桶を持って、またシノが戻ってきた。

「早いわね」
「お嬢様をお待たせするわけにはいきませんからね。さ、おみ足をこちらへ」

 言われるがまま、足を湯につける。程よい湯加減で、なんだか、足先からほっと力が抜けて行く感じがする。

「……寝てしまいそうだわ」

 ぽかぽかと、足から体が温まって行く。目覚めた時の眠気が再度襲ってきた気がして呟くと、シノは「起こしますから、眠っても構いませんよ」と言った。

「肩もほぐしてよろしいですか?」
「ええ」

 さらに、シノは私の肩に手をかけ、圧をかけ始める。
 首がほぐれ、緊張が緩んでいく。

「……お嬢様」

 ぐらぐら、と頭が揺らされた。
 はっとして、目を開く。瞬きを幾度かしてから見えたのは、可笑しそうに笑うシノであった。

「……私」
「お眠りになっていましたよ。……ほら、ご覧ください。痕がすっかり消えたでしょう」
「本当だわ」

 斜めに薄赤い線が入っていた私の頬は、すっかり痕が消えている。それどころか、薄桃色に染まり、いつもより血色が良い。

「……なんだか、肌艶も良いような」
「血行の良くなるマッサージをしましたから。いつものお美しさが、さらに増しましたね」

 美しいかはともかく、肌がつやっとして、頬が上気して、いつもより顔色が良いのは確かだ。頬に手のひらで触れると、もちもちとした感触が返ってくる。
 朝から目がいつもより開いて、顔つきが明るく見える。こんなに、見た目の印象が変わるなんて。

「ありがとう、シノ。痕も消えたし、肌が綺麗になって、ちょっと気分が上がったわ」

 コンディションが良いことで、良い気分になった。礼を言うと、シノは「それなら毎日しましょうか」と応える。

「いいの? 大変じゃない?」
「いえ……お嬢様がお嫌そうな顔をされるので、控えていただけです。お嬢様も高等部に進学されたから、もっと色々、手をおかけしたいと思っていたのですよ」
「嫌そうな顔?」

 質問すると、シノは顎に指先をあて、考えるそぶりをする。

「中等部にいらした頃、でしょうか……ほら、お出かけになるときに、お化粧をお勧めしたことがありましたでしょう」
「……そういえば」

 中等部に入りたてのころ、外出時に化粧をするよう勧められ、断ったことがあったかもしれない。お化粧とか、髪を飾るとか、華やかな衣装を着るとか……そうした色気付いた行いは、年齢不相応な気がしていたのだ。

「お嬢様がお嫌でないのなら、お化粧も致しますよ」
「そう……どうしようかしら」

 正直ことを言えば、今だって、まだ早いと思っている。お化粧など、大人びた身だしなみは、早苗達のような華やかな女子にだけ許されるものだ。私には、身分不相応である。

 頭に、昨日読んだ本の一節がよぎる。

 主人公の女性は、努力していく過程で、「目に見える変化があるって、楽しい」と言っていた。ステータス値の変化という目に見える向上があることで、努力するのも、何の苦でもない、と。頑張っても何も得られなかった現実世界でのことを思えば、むしろ楽しいくらいだ、と。

 私は改めて、鏡に映る顔を見る。
 朝から時間をかけて手入れした私の顔は、それだけでいつもより目が開き、明るい印象に見えた。

 目に見える変化を重ねたら、いつか彼女を超えられるかもしれない。

「身だしなみに時間がかかって、シノに迷惑でないのなら」
「もちろん、迷惑なんてこと、ありませんよ。磨けば光ると思っていたのです。ふふ、腕が鳴りますね」

 シノの瞳の色が、ぎらりと変わる。腕まくりをして、不敵な笑みを浮かべた。

「ご希望があったら、おっしゃってください」
「ううん……任せるわ」

 私が言うや否や、シノは化粧水の瓶を取る。
 そこから私はされるがまま、顔に何か塗られ、粉をはたかれ、眉を触られる。

「こんな感じで、いかがでしょう?」

 シノの手が止まり、私は鏡を見る。

「思っていたより、派手じゃないのね」
「お嬢様は元がよろしいですし、まだお若いですから。そんなに派手には致しませんよ」

 目はやや大きく、頬はやや桃色に。肌はややきめ細かく、そして少し色白に。化粧をするというのは、もっと派手に変化するのだと思っていた。
 実際のところ、鏡に映る私は、全体的な印象はさほど変わらないまま。少しずつ良い方向に変化していた。

「いい感じだわ」

 顔を左右に傾ける。髪型はいつもと変わらないポニーテールだけれど、なんだかそれも、洗練されて見える。

「とってもお似合いです!」

 目尻の垂れた優しい笑顔で、シノがそう太鼓判を押してくれる。
 鏡に映る自分の口角がいつもより上がって見えるのは、化粧のせいだけではないだろう。

「おや……お嬢様、今日は雰囲気が違いますね」

 車に乗り込むと、すぐに山口の指摘を受けた。
 自分としては気に入った仕上がりだったけれど、今までお化粧なんてしたことがなかったから、おかしく見えるのかもしれない。

「……変よね」
「いえ。よくお似合いですよ」

 柔らかな声色と穏やかな表情でそう褒められると、そんな気がしてくる。

「もちろん、お化粧なんてされなくても、素敵でいらっしゃいますが」
「……ふふ」

 率直な言葉で褒められ、なんだか照れくさくて、私は笑ってごまかした。
 山口はハンドルを柔らかなリズムで叩き、車を走らせてゆく。

 学園の皆は、私のことを、どう見るのだろうか。

 窓の外には、見慣れた風景が流れていく。学園が近づいてくるのを感じる私の胸には、期待と不安が入り混じっていた。

 もしかしたら、海斗が気づいて、褒めてくれるかもしれない。
 そうでなくても、クラスの誰かが気づいてくれるかもしれないという、淡い期待。

 柄にもないと、笑われてしまうかもしれない。そんな不安。

 そもそも私の変化になど、誰も気づかないのだから、やきもきする必要なんてないのに。
 自分に言い聞かせながらも、気持ちは抑えきれず、どこか浮ついていた。
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