27 / 49
27 直談判
しおりを挟む
「藤乃さん、結果は見にいかないの?」
「まだ行かないわ」
「そう。ならわたし、先に行ってるね」
泉がそう言って、屋上から出ていく。
テストの順位が貼り出されるのは、今日の昼休み。つまり、今だ。
あんまり早く行くと早苗たちに会ってしまうと思って、ここで、時間を潰しているところだ。
早苗と海斗がどんな風にいちゃつくかを、私は知っている。そんな光景を見たら、また泉は、何か言った方が良いと怒ってくれる。
彼女の気持ちは嬉しいけれど、イベントは、私がいなくても進むのだ。
だから敢えて、今は時間を無駄にする。
「……暑いわ」
真上に出ている太陽は、気温をじりじりと上げている。
もう、すっかり夏だ。
夏休みも近づいてきて、季節はすっかり移ろっている。
建物の陰に座っているとはいえ、じわりと汗が滲むのを感じて、私は立ち上がった。
結果を見に行くには、まだ早い。
「……2年生のを、見に行ってみようかしら」
成績は壁に貼り出されるので、他の学年でも、見ることができる。
慧は、うまくいっただろうか。
気になった私は、まずは2年生のフロアへ向かうことにした。
「わ、すごい人……」
壁の前には人だかりができていて、押し合いながら順位を確認している。
背の高い先輩たちに遮られ、どうなったのか、見ることはできない。爪先立ちをしてみても、目を凝らして見ても、難しかった。
「すごいね、また1位だって」
「特待生って、できるのねえ」
すれ違う先輩の、そんな会話が耳に入って、私は順位を見る努力をやめた。
今、「また1位」と言っていた。ということは、慧が連続で1位を取った、ということだ。
「良かった……」
私と一緒にいても、慧の成績は下がらなかった。迷惑をかけていなかったとわかり、ほっとする。
ゆっくり1年のフロアへ向かって、昼休みが終わる間際に、順位を確認しよう。
私はそう決め、ゆっくりと廊下を歩き始める。
同じつくりなのに、学年の違うフロアは、雰囲気が違う。
掲示されているもの、歩く人の雰囲気、教室のざわめきの感じ。
ゆっくり眺めながら歩いていると、ある教室の中に視線を向けたとき、目が合った。
「あっ」
慧は、教室で机に向かっていた。ワイシャツの白が、爽やかだ。手に文庫本を持ち、視線をこちらに向けている。
その表情が、訝しげなものに変わった。
椅子から立ち上がり、こちらへ歩み寄ってくる。
「ああ……本当に、藤乃さんだ。見間違いかと思って、びっくりした。どうしたの、こんなところで」
「慧先輩の順位を見に来たんです」
「え、俺の? なんでまた……」
慧は、困ったような笑顔を浮かべた。
こういう風に笑うとき、彼の頬のえくぼは、それほどはっきりとは見えない。
「私のせいで慧先輩の順位が下がっていないか、心配だったので」
「順位か。別に心配しなくていいのに。俺は変わらないくらい勉強してるし、結果はついてくるだけのものだから」
余裕を感じる発言に、今度は私が苦笑する。結果はついてくる、なんて、できる人だけが言える台詞だ。
「藤乃さんはどうだったの?」
「まだ、見ていません。手応えはあったんですけど、あんまり早く行くと、ほら……」
「ああ、なるほどね」
ゲームの展開を知っている慧は、言葉を濁してもわかってくれる。
「昼休みが終わる直前に、見に行こうと思って」
「へえ……なら、まだもう少し暇なんだ」
「そうなんです」
慧は、廊下の窓のさんに、肘を軽く引っ掛けてもたれる。私が向かい合うようにすると、肩が、同じ窓のさんに触れた。
「俺も暇だったよ」
「慧先輩は、昼休みはいつも、何をされてるんですか?」
「俺? 大したことはしていないよ。本を読んでいるか、勉強しているか」
会話をしている間も、廊下の往来は止まない。すれ違った生徒が、ちら、とこちらに目を向ける。
「藤乃さんこそ、昼は何してるの?」
「私も、同じです。お昼を食べた後は、大体、教室で過ごしています。同じようにしている人は、そんなにいないんですが……」
皆、昼休みは、友人と楽しそうにしている。
私は、辺りを見回した。2年も同じで、それぞれが、楽しげに話しながら歩いている。
後ろから歩いて来た生徒と目が合って、そして、逸らされた。
「……ごめんね、藤乃さん」
「え? 何がですか」
突然謝られ、問いで返す。
「俺といると、変に注目を浴びるんだね。居心地が悪いでしょう」
「私は、別に……」
慧の言葉に改めて周囲を観察すると、そこかしこにある小集団から、ちらちらと視線を送られている。
早苗が、私に向けるような。それよりさらにあからさまで、好奇に満ちた視線だ。
「……慧先輩、注目されてるんですね」
先ほどから感じていた視線も、同様のものだったのかもしれない。
「ごめんね。変な目で見られて」
「それは別に、構わないんですが……」
似たような好奇の視線は、浴び慣れている。「あの」兄の妹だというだけで、こんな風にじろじろ見られることは、何度もあった。
「慧先輩は、この視線が嫌なんですね」
「嫌……というか、まあ気になるよ。俺だけならいいけど、藤乃さんに嫌な思いをさせるから」
「私は嫌じゃありませんよ」
私が言い切ると、慧は微笑む。その頬に、今度はえくぼが、まるく浮かんだ。
「強いんだね」
「そうでしょうか」
「そうだよ」
慧の言い方は、妙に確信めいている。
「そろそろ、時間かな」
「あ……そうですね」
廊下に溢れていた人だかりは、気づけば、ほとんど解散していた。昼休みの終わりを感じさせる雰囲気である。
「ではまた、放課後、図書室で」
「そうだね。またあとで」
手を挙げて挨拶する慧に背を向け、私は1年生のフロアへ向かう。
図書室の外で見る慧の姿は、なんだか新鮮だった。新鮮ではあったが、いつもとさほど変わらない調子の会話ができて、私の心はほんのり温かい。
教室に帰る前に、順位の貼り出される場所へ行く。2年のフロアと同様、この時間になると、人はほとんどいなかった。
「……え?」
私は、目を擦る。
そしてもう一度、順位を確認した。
「……うそ」
見間違いでは、なかった。
不動の1位である、海斗。その下にある名前は、予定通り早苗……ではなく。
小松原藤乃。
私の名前であった。
教室に入ると、真っ先に、アリサに「おめでとう!」と声をかけられる。
「藤乃さん、ついに2位に返り咲いたのね」
「あ……ありがとう」
「あの早苗さんを上回るなんて、すごいわ」
早苗が編入してくる前は、私は海斗の下、1桁の順位を行ったり来たりしていた。
それをアリサは知っていて、「返り咲いた」と言ってくれたらしい。
「藤乃さん、頑張ってたんだね」
「泉さんまで……たまたま結果がついてきただけだわ」
慧の「結果がついてくる」という台詞が、つい口をついて出た。別に私は、慧のようにできるわけではないのに。
きっとこれは、本当に偶然の産物だ。
予鈴が鳴る頃、海斗と早苗が、教室に入っていた。
海斗の手にレモンジュースの瓶がぶら下げられているのを、私は見逃さなかった。早苗が3位でも、きちんとイベントは進行したらしい。
間接キスしてきたんだわ、あのふたり。
そう思ってみると、海斗の表情が、どこかぎこちない気もする。本来なら知るはずのない事実に、私は、恥ずかしさで胸がいっぱいになる。
「……ねえ、藤乃さん」
放課後。荷物をまとめて、教室を出る。
図書室に向かうにつれ、人気は少なくなっていく。ほとんど誰もいない廊下を歩いていると、不意に、声をかけられた。
「……え」
声の主は、予想外の人物。
「早苗さん……?」
「今、ちょっといい?」
目の前には、早苗が立っていた。
「いいけど……何かしら」
「ここだと人目につくから……こっち」
早苗に連れられ、廊下の角を曲がった、奥まった場所へ入っていく。
彼女の後ろを歩くと、ふんわりと甘く蕩けるような香りがした。
早苗が、壁に背を向け、こちらを見上げた。
彼女の背は、私より少し低い。その潤んだ瞳で、こんな風に見上げられると、なんだかどきっとしてしまう。
「……何か?」
早苗と、まともに話すのは初めてだ。
「あたし、あなたに頼みがあるの」
その声は、普通に離しているのに、僅かに震えているように聞こえる。鈴の音が鳴るような、とはこのことだ。
「頼み……?」
「そう。あなたにしか頼めないの」
早苗が、ぐっと顔を寄せてくる。
また、甘く蕩けるような香りがした。
香水をつけているのだろうか。
そういえば、ゲームの中で、そんなアイテムも買えた気がする。
そんな余計な思考は、次の早苗の言葉で、消え去った。
「あたしと、樹さんの仲を、取り持ってくれない?」
「え?」
私は、耳を疑う。
誰と、誰の仲を?
「あなたは、海斗さんが好きなんでしょう? でね……本当はあたし、樹さんが好きなの」
「あなた、何を言っているの?」
早苗が、海斗ではなく、樹を好きだと言っている。
意味がわからない。その気持ちが、そのまま口から出た。
「藤乃さんにとっても、悪い話じゃないでしょう? 協力してくれたら、ちゃんと、あなたと海斗さんの仲も取り持つから」
「取り持たれても、どうにもならないわ」
「そう? 他のルートに入ったら、自然と海斗さんは、あたしを好きじゃなくなると思うんだけど」
ルート。聞いたことのある単語に、早苗の発言が繋がる。
これは、ゲームの話だ。
つまり早苗は、海斗のルートを抜け、樹のルートへ入る手助けをしてほしいと言っているのだ。
「……なんで、私に」
意味がわからない。
ゲームの知識を持つ彼女にとって、私はあくまでも、おまけ程度の「脇役」なはずなのに。
早苗は唇に人差し指を当て、小首を傾げる。可愛らしい仕草だ。
「なんで、って、わからないの?」
「……さっぱり、わからないわ」
「とぼけなくても、わかってるから大丈夫。……とにかく、藤乃さんにしか頼めないのよ」
また、上目遣い。
その黒目がちな目で見つめられると、対応に困ってしまう。
「……考えさせて」
絞り出すように言って、私は、後ろを向いた。
「また、声かけるから!」
後ろから、早苗の声が追ってくる。
どういうこと?
彼女は、何を言いたいの?
意味がわからなくて、何よりも、恐ろしかった。私は早く慧に会いたくて、図書室へ早足で向かう。
このわけのわからない話を、早く慧に聞いてほしかった。
「まだ行かないわ」
「そう。ならわたし、先に行ってるね」
泉がそう言って、屋上から出ていく。
テストの順位が貼り出されるのは、今日の昼休み。つまり、今だ。
あんまり早く行くと早苗たちに会ってしまうと思って、ここで、時間を潰しているところだ。
早苗と海斗がどんな風にいちゃつくかを、私は知っている。そんな光景を見たら、また泉は、何か言った方が良いと怒ってくれる。
彼女の気持ちは嬉しいけれど、イベントは、私がいなくても進むのだ。
だから敢えて、今は時間を無駄にする。
「……暑いわ」
真上に出ている太陽は、気温をじりじりと上げている。
もう、すっかり夏だ。
夏休みも近づいてきて、季節はすっかり移ろっている。
建物の陰に座っているとはいえ、じわりと汗が滲むのを感じて、私は立ち上がった。
結果を見に行くには、まだ早い。
「……2年生のを、見に行ってみようかしら」
成績は壁に貼り出されるので、他の学年でも、見ることができる。
慧は、うまくいっただろうか。
気になった私は、まずは2年生のフロアへ向かうことにした。
「わ、すごい人……」
壁の前には人だかりができていて、押し合いながら順位を確認している。
背の高い先輩たちに遮られ、どうなったのか、見ることはできない。爪先立ちをしてみても、目を凝らして見ても、難しかった。
「すごいね、また1位だって」
「特待生って、できるのねえ」
すれ違う先輩の、そんな会話が耳に入って、私は順位を見る努力をやめた。
今、「また1位」と言っていた。ということは、慧が連続で1位を取った、ということだ。
「良かった……」
私と一緒にいても、慧の成績は下がらなかった。迷惑をかけていなかったとわかり、ほっとする。
ゆっくり1年のフロアへ向かって、昼休みが終わる間際に、順位を確認しよう。
私はそう決め、ゆっくりと廊下を歩き始める。
同じつくりなのに、学年の違うフロアは、雰囲気が違う。
掲示されているもの、歩く人の雰囲気、教室のざわめきの感じ。
ゆっくり眺めながら歩いていると、ある教室の中に視線を向けたとき、目が合った。
「あっ」
慧は、教室で机に向かっていた。ワイシャツの白が、爽やかだ。手に文庫本を持ち、視線をこちらに向けている。
その表情が、訝しげなものに変わった。
椅子から立ち上がり、こちらへ歩み寄ってくる。
「ああ……本当に、藤乃さんだ。見間違いかと思って、びっくりした。どうしたの、こんなところで」
「慧先輩の順位を見に来たんです」
「え、俺の? なんでまた……」
慧は、困ったような笑顔を浮かべた。
こういう風に笑うとき、彼の頬のえくぼは、それほどはっきりとは見えない。
「私のせいで慧先輩の順位が下がっていないか、心配だったので」
「順位か。別に心配しなくていいのに。俺は変わらないくらい勉強してるし、結果はついてくるだけのものだから」
余裕を感じる発言に、今度は私が苦笑する。結果はついてくる、なんて、できる人だけが言える台詞だ。
「藤乃さんはどうだったの?」
「まだ、見ていません。手応えはあったんですけど、あんまり早く行くと、ほら……」
「ああ、なるほどね」
ゲームの展開を知っている慧は、言葉を濁してもわかってくれる。
「昼休みが終わる直前に、見に行こうと思って」
「へえ……なら、まだもう少し暇なんだ」
「そうなんです」
慧は、廊下の窓のさんに、肘を軽く引っ掛けてもたれる。私が向かい合うようにすると、肩が、同じ窓のさんに触れた。
「俺も暇だったよ」
「慧先輩は、昼休みはいつも、何をされてるんですか?」
「俺? 大したことはしていないよ。本を読んでいるか、勉強しているか」
会話をしている間も、廊下の往来は止まない。すれ違った生徒が、ちら、とこちらに目を向ける。
「藤乃さんこそ、昼は何してるの?」
「私も、同じです。お昼を食べた後は、大体、教室で過ごしています。同じようにしている人は、そんなにいないんですが……」
皆、昼休みは、友人と楽しそうにしている。
私は、辺りを見回した。2年も同じで、それぞれが、楽しげに話しながら歩いている。
後ろから歩いて来た生徒と目が合って、そして、逸らされた。
「……ごめんね、藤乃さん」
「え? 何がですか」
突然謝られ、問いで返す。
「俺といると、変に注目を浴びるんだね。居心地が悪いでしょう」
「私は、別に……」
慧の言葉に改めて周囲を観察すると、そこかしこにある小集団から、ちらちらと視線を送られている。
早苗が、私に向けるような。それよりさらにあからさまで、好奇に満ちた視線だ。
「……慧先輩、注目されてるんですね」
先ほどから感じていた視線も、同様のものだったのかもしれない。
「ごめんね。変な目で見られて」
「それは別に、構わないんですが……」
似たような好奇の視線は、浴び慣れている。「あの」兄の妹だというだけで、こんな風にじろじろ見られることは、何度もあった。
「慧先輩は、この視線が嫌なんですね」
「嫌……というか、まあ気になるよ。俺だけならいいけど、藤乃さんに嫌な思いをさせるから」
「私は嫌じゃありませんよ」
私が言い切ると、慧は微笑む。その頬に、今度はえくぼが、まるく浮かんだ。
「強いんだね」
「そうでしょうか」
「そうだよ」
慧の言い方は、妙に確信めいている。
「そろそろ、時間かな」
「あ……そうですね」
廊下に溢れていた人だかりは、気づけば、ほとんど解散していた。昼休みの終わりを感じさせる雰囲気である。
「ではまた、放課後、図書室で」
「そうだね。またあとで」
手を挙げて挨拶する慧に背を向け、私は1年生のフロアへ向かう。
図書室の外で見る慧の姿は、なんだか新鮮だった。新鮮ではあったが、いつもとさほど変わらない調子の会話ができて、私の心はほんのり温かい。
教室に帰る前に、順位の貼り出される場所へ行く。2年のフロアと同様、この時間になると、人はほとんどいなかった。
「……え?」
私は、目を擦る。
そしてもう一度、順位を確認した。
「……うそ」
見間違いでは、なかった。
不動の1位である、海斗。その下にある名前は、予定通り早苗……ではなく。
小松原藤乃。
私の名前であった。
教室に入ると、真っ先に、アリサに「おめでとう!」と声をかけられる。
「藤乃さん、ついに2位に返り咲いたのね」
「あ……ありがとう」
「あの早苗さんを上回るなんて、すごいわ」
早苗が編入してくる前は、私は海斗の下、1桁の順位を行ったり来たりしていた。
それをアリサは知っていて、「返り咲いた」と言ってくれたらしい。
「藤乃さん、頑張ってたんだね」
「泉さんまで……たまたま結果がついてきただけだわ」
慧の「結果がついてくる」という台詞が、つい口をついて出た。別に私は、慧のようにできるわけではないのに。
きっとこれは、本当に偶然の産物だ。
予鈴が鳴る頃、海斗と早苗が、教室に入っていた。
海斗の手にレモンジュースの瓶がぶら下げられているのを、私は見逃さなかった。早苗が3位でも、きちんとイベントは進行したらしい。
間接キスしてきたんだわ、あのふたり。
そう思ってみると、海斗の表情が、どこかぎこちない気もする。本来なら知るはずのない事実に、私は、恥ずかしさで胸がいっぱいになる。
「……ねえ、藤乃さん」
放課後。荷物をまとめて、教室を出る。
図書室に向かうにつれ、人気は少なくなっていく。ほとんど誰もいない廊下を歩いていると、不意に、声をかけられた。
「……え」
声の主は、予想外の人物。
「早苗さん……?」
「今、ちょっといい?」
目の前には、早苗が立っていた。
「いいけど……何かしら」
「ここだと人目につくから……こっち」
早苗に連れられ、廊下の角を曲がった、奥まった場所へ入っていく。
彼女の後ろを歩くと、ふんわりと甘く蕩けるような香りがした。
早苗が、壁に背を向け、こちらを見上げた。
彼女の背は、私より少し低い。その潤んだ瞳で、こんな風に見上げられると、なんだかどきっとしてしまう。
「……何か?」
早苗と、まともに話すのは初めてだ。
「あたし、あなたに頼みがあるの」
その声は、普通に離しているのに、僅かに震えているように聞こえる。鈴の音が鳴るような、とはこのことだ。
「頼み……?」
「そう。あなたにしか頼めないの」
早苗が、ぐっと顔を寄せてくる。
また、甘く蕩けるような香りがした。
香水をつけているのだろうか。
そういえば、ゲームの中で、そんなアイテムも買えた気がする。
そんな余計な思考は、次の早苗の言葉で、消え去った。
「あたしと、樹さんの仲を、取り持ってくれない?」
「え?」
私は、耳を疑う。
誰と、誰の仲を?
「あなたは、海斗さんが好きなんでしょう? でね……本当はあたし、樹さんが好きなの」
「あなた、何を言っているの?」
早苗が、海斗ではなく、樹を好きだと言っている。
意味がわからない。その気持ちが、そのまま口から出た。
「藤乃さんにとっても、悪い話じゃないでしょう? 協力してくれたら、ちゃんと、あなたと海斗さんの仲も取り持つから」
「取り持たれても、どうにもならないわ」
「そう? 他のルートに入ったら、自然と海斗さんは、あたしを好きじゃなくなると思うんだけど」
ルート。聞いたことのある単語に、早苗の発言が繋がる。
これは、ゲームの話だ。
つまり早苗は、海斗のルートを抜け、樹のルートへ入る手助けをしてほしいと言っているのだ。
「……なんで、私に」
意味がわからない。
ゲームの知識を持つ彼女にとって、私はあくまでも、おまけ程度の「脇役」なはずなのに。
早苗は唇に人差し指を当て、小首を傾げる。可愛らしい仕草だ。
「なんで、って、わからないの?」
「……さっぱり、わからないわ」
「とぼけなくても、わかってるから大丈夫。……とにかく、藤乃さんにしか頼めないのよ」
また、上目遣い。
その黒目がちな目で見つめられると、対応に困ってしまう。
「……考えさせて」
絞り出すように言って、私は、後ろを向いた。
「また、声かけるから!」
後ろから、早苗の声が追ってくる。
どういうこと?
彼女は、何を言いたいの?
意味がわからなくて、何よりも、恐ろしかった。私は早く慧に会いたくて、図書室へ早足で向かう。
このわけのわからない話を、早く慧に聞いてほしかった。
11
あなたにおすすめの小説
毒を盛られて生死を彷徨い前世の記憶を取り戻しました。小説の悪役令嬢などやってられません。
克全
ファンタジー
公爵令嬢エマは、アバコーン王国の王太子チャーリーの婚約者だった。だがステュワート教団の孤児院で性技を仕込まれたイザベラに籠絡されていた。王太子達に無実の罪をなすりつけられエマは、修道院に送られた。王太子達は執拗で、本来なら侯爵一族とは認められない妾腹の叔父を操り、父親と母嫌を殺させ公爵家を乗っ取ってしまった。母の父親であるブラウン侯爵が最後まで護ろうとしてくれるも、王国とステュワート教団が協力し、イザベラが直接新種の空気感染する毒薬まで使った事で、毒殺されそうになった。だがこれをきっかけに、異世界で暴漢に腹を刺された女性、美咲の魂が憑依同居する事になった。その女性の話しでは、自分の住んでいる世界の話が、異世界では小説になって多くの人が知っているという。エマと美咲は協力して王国と教団に復讐する事にした。
【完結】ひとつだけ、ご褒美いただけますか?――没落令嬢、氷の王子にお願いしたら溺愛されました。
猫屋敷 むぎ
恋愛
没落伯爵家の娘の私、ノエル・カスティーユにとっては少し眩しすぎる学院の舞踏会で――
私の願いは一瞬にして踏みにじられました。
母が苦労して買ってくれた唯一の白いドレスは赤ワインに染められ、
婚約者ジルベールは私を見下ろしてこう言ったのです。
「君は、僕に恥をかかせたいのかい?」
まさか――あの優しい彼が?
そんなはずはない。そう信じていた私に、現実は冷たく突きつけられました。
子爵令嬢カトリーヌの冷笑と取り巻きの嘲笑。
でも、私には、味方など誰もいませんでした。
ただ一人、“氷の王子”カスパル殿下だけが。
白いハンカチを差し出し――その瞬間、止まっていた時間が静かに動き出したのです。
「……ひとつだけ、ご褒美いただけますか?」
やがて、勇気を振り絞って願った、小さな言葉。
それは、水底に沈んでいた私の人生をすくい上げ、
冷たい王子の心をそっと溶かしていく――最初の奇跡でした。
没落令嬢ノエルと、孤独な氷の王子カスパル。
これは、そんなじれじれなふたりが“本当の幸せを掴むまで”のお話です。
※全10話+番外編・約2.5万字の短編。一気読みもどうぞ
※わんこが繋ぐ恋物語です
※因果応報ざまぁ。最後は甘く、後味スッキリ
死にたがりの黒豹王子は、婚約破棄されて捨てられた令嬢を妻にしたい 【ネコ科王子の手なずけ方】
鷹凪きら
恋愛
婚約破棄されてやっと自由になれたのに、今度は王子の婚約者!?
幼馴染の侯爵から地味で華がない顔だと罵られ、伯爵令嬢スーリアは捨てられる。
彼女にとって、それは好機だった。
「お父さま、お母さま、わたし庭師になります!」
幼いころからの夢を叶え、理想の職場で、理想のスローライフを送り始めたスーリアだったが、ひとりの騎士の青年と知り合う。
身分を隠し平民として働くスーリアのもとに、彼はなぜか頻繁に会いにやってきた。
いつの間にか抱いていた恋心に翻弄されるなか、参加した夜会で出くわしてしまう。
この国の第二王子としてその場にいた、騎士の青年と――
※シリーズものですが、主人公が変わっているので単体で読めます。
【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました
いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。
子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。
「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」
冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。
しかし、マリエールには秘密があった。
――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。
未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。
「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。
物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立!
数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。
さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。
一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて――
「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」
これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、
ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー!
※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。
『婚約破棄された瞬間、前世の記憶が戻ってここが「推し」のいる世界だと気づきました。恋愛はもう結構ですので、推しに全力で貢ぎます。
放浪人
恋愛
「エリザベート、貴様との婚約を破棄する!」
卒業パーティーで突きつけられた婚約破棄。その瞬間、公爵令嬢エリザベートは前世の記憶を取り戻した。 ここは前世で廃課金するほど愛したソシャゲの世界。 そして、会場の隅で誰にも相手にされず佇む第三王子レオンハルトは、不遇な設定のせいで装備が買えず、序盤で死亡確定の「最愛の推し」だった!?
「恋愛? 復縁? そんなものはどうでもいいですわ。私がしたいのは、推しの生存ルートを確保するための『推し活(物理)』だけ!」
エリザベートは元婚約者から慰謝料を容赦なく毟り取り、現代知識でコスメ事業を立ち上げ、莫大な富を築く。 全ては、薄幸の推しに国宝級の最強装備を貢ぐため!
「殿下、新しい聖剣です。使い捨ててください」 「待て、これは国家予算レベルだぞ!?」
自称・ATMの悪役令嬢×不遇の隠れ最強王子。 圧倒的な「財力」と「愛」で死亡フラグをねじ伏せ、無能な元婚約者たちをざまぁしながら国を救う、爽快異世界マネー・ラブファンタジー!
「貴方の命も人生も、私が全て買い取らせていただきます!」
辺境の侯爵令嬢、婚約破棄された夜に最強薬師スキルでざまぁします。
コテット
恋愛
侯爵令嬢リーナは、王子からの婚約破棄と義妹の策略により、社交界での地位も誇りも奪われた。
だが、彼女には誰も知らない“前世の記憶”がある。現代薬剤師として培った知識と、辺境で拾った“魔草”の力。
それらを駆使して、貴族社会の裏を暴き、裏切った者たちに“真実の薬”を処方する。
ざまぁの宴の先に待つのは、異国の王子との出会い、平穏な薬草庵の日々、そして新たな愛。
これは、捨てられた令嬢が世界を変える、痛快で甘くてスカッとする逆転恋愛譚。
【完結】モブの王太子殿下に愛されてる転生悪役令嬢は、国外追放される運命のはずでした
Rohdea
恋愛
公爵令嬢であるスフィアは、8歳の時に王子兄弟と会った事で前世を思い出した。
同時に、今、生きているこの世界は前世で読んだ小説の世界なのだと気付く。
さらに自分はヒーロー(第二王子)とヒロインが結ばれる為に、
婚約破棄されて国外追放となる運命の悪役令嬢だった……
とりあえず、王家と距離を置きヒーロー(第二王子)との婚約から逃げる事にしたスフィア。
それから数年後、そろそろ逃げるのに限界を迎えつつあったスフィアの前に現れたのは、
婚約者となるはずのヒーロー(第二王子)ではなく……
※ 『記憶喪失になってから、あなたの本当の気持ちを知りました』
に出てくる主人公の友人の話です。
そちらを読んでいなくても問題ありません。
転生しましたが悪役令嬢な気がするんですけど⁉︎
水月華
恋愛
ヘンリエッタ・スタンホープは8歳の時に前世の記憶を思い出す。最初は混乱したが、じきに貴族生活に順応し始める。・・・が、ある時気づく。
もしかして‘’私‘’って悪役令嬢ポジションでは?整った容姿。申し分ない身分。・・・だけなら疑わなかったが、ある時ふと言われたのである。「昔のヘンリエッタは我儘だったのにこんなに立派になって」と。
振り返れば記憶が戻る前は嫌いな食べ物が出ると癇癪を起こし、着たいドレスがないと癇癪を起こし…。私めっちゃ性格悪かった!!
え?記憶戻らなかったらそのままだった=悪役令嬢!?いやいや確かに前世では転生して悪役令嬢とか流行ってたけどまさか自分が!?
でもヘンリエッタ・スタンホープなんて知らないし、私どうすればいいのー!?
と、とにかく攻略対象者候補たちには必要以上に近づかない様にしよう!
前世の記憶のせいで恋愛なんて面倒くさいし、政略結婚じゃないなら出来れば避けたい!
だからこっちに熱い眼差しを送らないで!
答えられないんです!
これは悪役令嬢(?)の侯爵令嬢があるかもしれない破滅フラグを手探りで回避しようとするお話。
または前世の記憶から臆病になっている彼女が再び大切な人を見つけるお話。
小説家になろうでも投稿してます。
こちらは全話投稿してますので、先を読みたいと思ってくださればそちらからもよろしくお願いします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる