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20.闇の中の紳士
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日中、陽光を浴びているときはぽかぽかと暖かいけれど、夜風にはまだ少し冷たさが残る。私は王城の中庭でひと息ついていた。大広間の方を見上げると、半円形の窓から明るい光とざわめきが漏れてくる。
本来なら、人を避けたいならバルコニーにでも行くのが妥当なのだけれど、バルコニーは同時に、若い男女の逢引の場でもある。ちょっとふたりで話すためにバルコニーへ抜けたり、あるいは異性に声をかけて貰いたくて、ひとりでバルコニーに出たりする。婚約破棄されたばかりの私が、うっかりひとりで行こうものなら、「やっぱりあいつ寂しいんだな」と思われる、そういう場所。
だから私は大広間から離れた中庭まで、そっと移動してきた。ここなら、「男に飢えている」なんて思われず、休むことができる。
「ふぅ……」
深呼吸すると、ひんやりとした新鮮な空気が、心地よく体に流れ込んできた。
ベンチに座って目を閉じると、視覚以外の感覚が、研ぎ澄まされていくのを感じる。草と花の香り。大広間のざわめきが遠いようで近いような、頬に当たる風が冷たいようで柔らかいような、不思議な感覚が心地良い。
「あの」
びくっ! と条件反射的に肩が大きく跳ねた。目を開けると、目の前に黒い影。顔が良く見えないが、その衣装は、騎士団のものだ。
「な、なにかしら」
「いえ、どうされましたか? こんなところに、おひとりで」
やや低くて、温かみのある、人を安心させるような優しい声だ。春の夜の闇に、ふわっと声が溶けていく。
「少し、外の空気を吸いに来ましたの」
「危ないですよ、ご令嬢が、ひとりで出てきては」
「そうなんだけど……疲れてしまったんだもの」
その声の柔らかさに、なんとなく肩の力が抜けて、ぽろりと本音をこぼしてしまった。パーティに出て疲れた、なんて、私のような貴族の令嬢には似つかわしくない言葉なのに。
彼の言うことはもっともで、女がひとりでふらふらと出てきてはいけなかった。「男日照りだ」などと思われる不名誉は回避できても、純粋に身の危険がある。休憩もできたし、戻らなくてはならない。
「ご忠告ありがとう。あなたのおっしゃる通りね。会場へ戻ります」
「お送りいたします」
「お願いするわ」
私は呑気にひとりで外へ出てきた危機感のない令嬢で、彼は警備が仕事の騎士。お互いの立場上、申し出を素直に受けることにした。彼に余計な仕事を増やして申し訳ないので、せめてもの労いを、並んで歩きながらかける。
「あなたも大変ね、自分が出席するわけでもないのに、こうして夜まで警備を任されて」
「はい……いえ、俺も出席者なのですよ。ただ、社交場には、どうも馴染まなくて。つい職業病で、見回りに出てしまったのです」
「あら、そうなの」
「ええ。お嬢様と同じですね」
国王主催のパーティに呼ばれる騎士団員なんて、僅かだ。この国は、立国時に武勲を立てたオルコット家が公爵としての地位を保っていることからもわかるように、武力のある者の地位が高い。騎士団もその例に則り、たとえ平民の出であっても、騎士に叙された段階で貴族と同等の地位を得られる。
ただし、社交場に出入りするのは、騎士の中でも上級の者だけだ。もともと身分の高い家の次男や三男で、かつ武に優れた、ごく一部の人間。彼は随分、優秀な人のようだ。もしかしたらお互い、どこかで見たことのある相手かもしれない。
ここは暗くて、声だけでは誰だかわからない。ただ、穏やかで、心落ち着けるような、安らぎのある声だ。
「たくさんの人が挨拶に来てくれて、いろいろなお話ができるのは、とても楽しいのだけれどね」
「人気者なのですね。俺はむしろ、自分から話に行くのがどうも苦手で」
暗闇の静けさを邪魔しないよう、囁くような声で、会話を交わす。微かな足音と、吐息のような囁きが闇に響き、それは少し、現実離れした感覚だった。
「勇気が要りますよね、話さなければならない相手に、自分から声をかけるのって」
「そうなんです。タイミングを計るのが苦手なんですよ。剣の間合いなら、簡単に測れるのに」
「ふふ、それ、面白いわ」
パーティで相手から話しかけられるには、ある程度の身分が必要だ。騎士団なら、大勢の人に囲まれているのは騎士団長くらいなものだ。そうでなくて、上手く立ち回れるのは、場慣れした要領の良い人が多い。貴族的な社交のやり方と、普段剣を振るっている騎士とでは、そぐわないものがあるのだろう。慣れない場所で戸惑っている、強い剣士の姿を想像すると、微笑ましい気持ちになった。この人はきっと、真面目な騎士だ。
「次からは、少なくとも私には、話しかけられるようになりますわね」
「お心強いお言葉、ありがとうございます。……ここまで来たら、大丈夫でしょう。お気をつけてお戻りください」
「あなたは?」
「俺はもう少し、散歩してから戻ります。では」
建物への入り口に近付くと、彼はそう言って一礼した。ここまで送ってもらった私も、引き止めることはできず、礼をして背を向ける。
優しい夜の闇の中で、ゆっくりと会話した時間は、心休まるものだった。結局、暗い中で、お顔を見ることができなかった。
「……本当に、気が楽になったわ」
人混みに戻り、社交辞令を交わし合う間にも、彼との会話を思い出すと、心が温かくなる。お陰で、その後は息がつまることもなく、自然に振る舞うことができた。親切な騎士は、いったい、どんな人なのだろう。
本来なら、人を避けたいならバルコニーにでも行くのが妥当なのだけれど、バルコニーは同時に、若い男女の逢引の場でもある。ちょっとふたりで話すためにバルコニーへ抜けたり、あるいは異性に声をかけて貰いたくて、ひとりでバルコニーに出たりする。婚約破棄されたばかりの私が、うっかりひとりで行こうものなら、「やっぱりあいつ寂しいんだな」と思われる、そういう場所。
だから私は大広間から離れた中庭まで、そっと移動してきた。ここなら、「男に飢えている」なんて思われず、休むことができる。
「ふぅ……」
深呼吸すると、ひんやりとした新鮮な空気が、心地よく体に流れ込んできた。
ベンチに座って目を閉じると、視覚以外の感覚が、研ぎ澄まされていくのを感じる。草と花の香り。大広間のざわめきが遠いようで近いような、頬に当たる風が冷たいようで柔らかいような、不思議な感覚が心地良い。
「あの」
びくっ! と条件反射的に肩が大きく跳ねた。目を開けると、目の前に黒い影。顔が良く見えないが、その衣装は、騎士団のものだ。
「な、なにかしら」
「いえ、どうされましたか? こんなところに、おひとりで」
やや低くて、温かみのある、人を安心させるような優しい声だ。春の夜の闇に、ふわっと声が溶けていく。
「少し、外の空気を吸いに来ましたの」
「危ないですよ、ご令嬢が、ひとりで出てきては」
「そうなんだけど……疲れてしまったんだもの」
その声の柔らかさに、なんとなく肩の力が抜けて、ぽろりと本音をこぼしてしまった。パーティに出て疲れた、なんて、私のような貴族の令嬢には似つかわしくない言葉なのに。
彼の言うことはもっともで、女がひとりでふらふらと出てきてはいけなかった。「男日照りだ」などと思われる不名誉は回避できても、純粋に身の危険がある。休憩もできたし、戻らなくてはならない。
「ご忠告ありがとう。あなたのおっしゃる通りね。会場へ戻ります」
「お送りいたします」
「お願いするわ」
私は呑気にひとりで外へ出てきた危機感のない令嬢で、彼は警備が仕事の騎士。お互いの立場上、申し出を素直に受けることにした。彼に余計な仕事を増やして申し訳ないので、せめてもの労いを、並んで歩きながらかける。
「あなたも大変ね、自分が出席するわけでもないのに、こうして夜まで警備を任されて」
「はい……いえ、俺も出席者なのですよ。ただ、社交場には、どうも馴染まなくて。つい職業病で、見回りに出てしまったのです」
「あら、そうなの」
「ええ。お嬢様と同じですね」
国王主催のパーティに呼ばれる騎士団員なんて、僅かだ。この国は、立国時に武勲を立てたオルコット家が公爵としての地位を保っていることからもわかるように、武力のある者の地位が高い。騎士団もその例に則り、たとえ平民の出であっても、騎士に叙された段階で貴族と同等の地位を得られる。
ただし、社交場に出入りするのは、騎士の中でも上級の者だけだ。もともと身分の高い家の次男や三男で、かつ武に優れた、ごく一部の人間。彼は随分、優秀な人のようだ。もしかしたらお互い、どこかで見たことのある相手かもしれない。
ここは暗くて、声だけでは誰だかわからない。ただ、穏やかで、心落ち着けるような、安らぎのある声だ。
「たくさんの人が挨拶に来てくれて、いろいろなお話ができるのは、とても楽しいのだけれどね」
「人気者なのですね。俺はむしろ、自分から話に行くのがどうも苦手で」
暗闇の静けさを邪魔しないよう、囁くような声で、会話を交わす。微かな足音と、吐息のような囁きが闇に響き、それは少し、現実離れした感覚だった。
「勇気が要りますよね、話さなければならない相手に、自分から声をかけるのって」
「そうなんです。タイミングを計るのが苦手なんですよ。剣の間合いなら、簡単に測れるのに」
「ふふ、それ、面白いわ」
パーティで相手から話しかけられるには、ある程度の身分が必要だ。騎士団なら、大勢の人に囲まれているのは騎士団長くらいなものだ。そうでなくて、上手く立ち回れるのは、場慣れした要領の良い人が多い。貴族的な社交のやり方と、普段剣を振るっている騎士とでは、そぐわないものがあるのだろう。慣れない場所で戸惑っている、強い剣士の姿を想像すると、微笑ましい気持ちになった。この人はきっと、真面目な騎士だ。
「次からは、少なくとも私には、話しかけられるようになりますわね」
「お心強いお言葉、ありがとうございます。……ここまで来たら、大丈夫でしょう。お気をつけてお戻りください」
「あなたは?」
「俺はもう少し、散歩してから戻ります。では」
建物への入り口に近付くと、彼はそう言って一礼した。ここまで送ってもらった私も、引き止めることはできず、礼をして背を向ける。
優しい夜の闇の中で、ゆっくりと会話した時間は、心休まるものだった。結局、暗い中で、お顔を見ることができなかった。
「……本当に、気が楽になったわ」
人混みに戻り、社交辞令を交わし合う間にも、彼との会話を思い出すと、心が温かくなる。お陰で、その後は息がつまることもなく、自然に振る舞うことができた。親切な騎士は、いったい、どんな人なのだろう。
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