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72.アレクシアの驚き

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 今日も陽気の中、馬車に揺られて騎士団の鍛錬場へ向かう。最近では、大体あとどのくらいで着くのか、感覚がわかるようになってきた。そろそろだな、と思うと、馬車が止まる。
 馬車を降りると、目の前にエリックがいた。爽やかな銀髪が今日も目に眩しい。

「あら、こんにちは。待っていてくださったの?」
「ちょうど、いらっしゃるのが見えましたので。ようこそ、キャサリン様」

 自然にエスコートされ、そのまま馬車を降りる。

「俺はこれからあの店に向かいますので、申し訳ないのですが、それまでこちらでお待ちいただけますか?」

 案内されたのは、いつもの騎士団の鍛錬場である。

「エリックが用を済ませて居る間、私がお側に控えさせていただきます。よろしいですか、オルコット公爵令嬢」

 待ち受けていたのは、素晴らしい体躯と、豊かな口髭。

「もちろんですわ。お気遣いいただいて、申し訳ありません」

 私は礼をして挨拶する。そこにいたのは、騎士団団長の、ドリスであった。どういう風の吹き回しか、エリックがアレクシアを呼びにいく間、騎士団長が直々に、私の相手をしてくれるらしい。

「うちのエリックが、ずいぶんとお世話になっているようですね。ありがとうございます」
「いえ、お礼を申し上げるのはこちらの方ですわ。エリック様には、いろいろと気を遣っていただいております」

 エリックの背を見送ると、並んだドリスにそう礼を言われる。目の前には、騎士達の鍛錬。隣には騎士団長。エリックがこの場を離れても、これなら最高に安全な環境だ。
 これも、エリックが配慮してくれたのだろう。
 私がお礼を返すと、彼は首をゆったりと左右に振った。

「いえ、奴はお陰様で、ずいぶんと柔らかくなりました。エリックを変えてくれたことに、私は感謝しているのですよ」
「以前は、柔らかくなかったのですか?」

 エリックの過去には、興味がある。私の質問にドリスは頷き、そして話し始めた。

「奴は能力が高いのですが、誰かを守る意思ということにおいて、未熟なところがありました」
「そうなのですか?」
「末っ子だということもあるでしょう。守られた経験はあるけれど、守った経験はない」

 今のエリックからは、そうした印象は受けない。彼からは、シャルロットや私を守ろうという、強い意思を感じるから。私には、ドリスの話がぴんとこなかった。

「守るのが騎士の務めですから。その部分は欠けてはならないのですが、どうもね」
「欠けているとは思いませんけれど」
「ええ。だから変わったのです」

 ドリスは鍛錬する騎士達を眺めながら、口角を緩く上げる。

「シャルロット様とオルコット公爵令嬢、あなた方は、エリックにとって、守るべき存在なのです」
「そうですわね」
「騎士は、自分にとって守るべき存在がいてこそ、強くなれる。エリックを一人前にするのは、きっとおふたりなのだろうと、私は思っていますよ」

 確信めいた口調で、ドリスは話す。騎士は、守るべき存在がいてこそ、一人前なのか。

「団長様にも、守るべきお方がいるのですか?」
「おりますよ。彼らを守るためには、命を賭してでも、この国を守らなくてはならない。それが私達の仕事です」

 命を賭してでも守るべきものなんて、あるのだろうか。ドリスの語る騎士道は、私にはよくわからない。私には理解ができないほど、騎士の世界には、確立された価値観があるのだ。
 両親が昨夜、エリックとの結婚を進めると提案したことを思い出す。貴族同士なら、親が出てきて関係を進めるのは、ありふれた話だ。しかし、貴族は貴族、騎士は騎士。これだけ違う価値観の中で生きる彼を、安易にこちらの論理に巻き込んではいけないと、改めて思った。

「そろそろ戻ってきますね」
「わかるのですか?」
「ええ。足音で」

 予告したドリスは、いたずらっぽく目で笑う。その言葉通り、数拍置いて足音、そして「お待たせしました」というエリックの声が聞こえた。

「仕事中だったんだけど! いきなり呼び出して、なんなの、ほんと」
「あら、ごめんなさい」

 その隣には、ご立腹のアレクシア。

「まあ、いいけど。ちゃんと商品も持ってきたよ」
「嬉しいわ」
「薔薇のネックレス。お気に召すかわからないけど」

 アレクシアは綺麗に包装された小箱を取り出す。週末には、シャルロットが帰ってくる。その時にプレゼントするため、作品を購入させてほしいと伝えてもらったのだ。

「では、私は失礼いたします」
「ありがとうございました」

 ドリスは挨拶をし、鍛錬場へ帰っていく。

「何事もありませんでしたか?」
「ええ。団長様が付いていてくださったおかげで、安全でしたわ」
「それは良かったです」

 真っ先に私を気遣ってくれるエリック。私を守ろうとしてくれているのは、痛いほどよくわかる。そうした思いのないエリックは、いまひとつ、想像がつかない。以前の彼は、こんな風ではなかったのだろうか。

「いちゃついてないで、さっさと本題に入ってよ。仕事の途中なんだから」

 アレクシアのあけすけすぎる言い方に、エリックの雰囲気がぴりっとする。彼が何か言う前に、私は「そうね」と相槌を打った。

「続編の話なんだけど」
「ええ……私、話した以上のことは知らないよ」
「わかっているわ。だけど、気になることがあって」

 アレクシアは首を傾げる。そうしたちょっとした仕草がやけに愛らしいのは、相変わらずだ。

「あなたは、この世界はやっぱり、続編に向かっていると思う?」
「それはあなたが回避したんじゃないの? ヒロインは、もう平民落ちはしないんでしょ?」
「そうなんだけど、気にかかることがあるの」

 たしかにシャルロットは王女として学園に入学した。現時点で、「平民として暮らしていたヒロインが学園に編入する」という展開になる可能性は限りなく低い。
 それでも気になるのは、タマロ王国の動きだ。とはいえ、一市民のアレクシアに、王家や貴族の細かい話などできない。

「ヘラン、って、聞いたことがあるかしら」
「なにそれ?」
「続編には出ないの?」
「出ないわよ」

 だから私が確認したいのは、ヘランのことだった。これだけ流行しているのなら、その話が、続編に出てもおかしくはない。

「なにそれ?」
「薬よ。私は飲んだことがないけれど、飲むと空を飛ぶような気分になるらしいわ」

 何か情報を得られたらと思ったのだけれど、彼女は何も知らなかった。がっかりしながら説明すると、アレクシアの丸い瞳に、怪訝そうな色が浮かぶ。

「飲むといい気分になる薬?」
「知っているの?」
「知ってるというか……うーん……」

 歯切れの悪いアレクシア。その反応がまさに、彼女が何かを知っていることを物語っていた。

「麻薬的な、やばい薬なんじゃないの? それ」
「まやく?」

 聞き慣れない単語が出てくる。ああ、本当に彼女は、ゲームの外の世界のことをよく知っているのだ。

「そういう言葉って、ないの? ここには。その薬って、みんな飲んでるの?」
「みんなというほどではないけれど……まあ」
「知らないで飲んでるの? やばいって、それ」

 アレクシアが焦った口調になる理由が、私にはわからない。「どういうこと?」と問うと、アレクシアは、「麻薬っていうのはね」と説明を始めた。
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