ケモホモ短編

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ワクチン打ったらオオカミになっちゃったんだけどおぉ!?2

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 もし異国の地のバーかなにかで日本人に出会ったら一杯くらいお付き合いしたくなるだろう。それが同郷だったとしたら、わいのわいのとさぞかし盛り上がることだろう。場合によっては朝まで呑み明かせるかもしれない。
 突如として世界の道理からつまはじきにされた僕にとって、今目の前で柵越しに向かい合っているオオカミは同じ種の仲間と言えるのだろうか。
 先生の機転のおかげで僕は雄を失うことはかろうじて免れたのだが、次に待ち受けていたのはまたしても檻に閉じ込められるという運命だった。曰く、外見のみならず生物学的にみても僕は非の打ち所がない完璧なオオカミらしい。たとえオオカミの血が99%であったとしてもオオカミ犬という名目であったならば首輪とリードさえ着けていれば街中を闊歩することだってできただろうに、オオカミとなるとそうはいかないらしい。飼育には特別な許可や設備が必要だし、おいそれと外に出ることは叶わない。
 だから総合的に考えれば、キンタマを取られなかったことも含めて動物園で飼育されるというのは最適解であることはわかっている。だけどまた一歩、着実に僕が人間へと戻れる可能性が遠のいたような気がしてならない。

 目の前のオオカミはそんな新参者を興味深げに観察をしている。
 いつだったか動物園でオオカミを見たときは、猛獣というよりもただ少し大きい犬ぐらいにしか思っていなかった。トラやライオンといった花形から比べるとこれといった面白みもないので仕方がないだろう。だからさして印象にも残っていなかったのだ。
 それがどうだ。常に四つん這いの体勢になっていることを考慮したとしてもかなりデカい。僕だって超大型犬といってもいいぐらいのサイズだが、それよりも一回り以上は大きいのだ。おまけに当然言葉だって通じないのだから何を考えているのかもサッパリわからない。僕のことを仲間だと思っているのか、それとも自らのテリトリーを荒らす闖入者だと思っているのだろうか。オオカミって縄張り意識が強いんだったかな……。幸いにも今は辺りは薄暗く、閉園時間を過ぎていることもあってか展示場ではなくバックヤードで互いに仕切られた独房の中。もしこれが雑居房だったらこうして悠長に構えていられなかっただろう。
 そんな沈黙の牽制を破ったのはひとつの足音だった。
 穴が開くくらいに僕を睨み据えていたオオカミは興味の対象を即座に切り替えて、独房の中をぐるぐると忙しなく駆け回ってみせる。
 分厚いゴム底がコンクリートを噛み締める音と、鼻先をくすぐる血生臭さ。囚人の生活の中で唯一といってもいいお楽しみというわけだ。そういえばこの姿になってからというものの、全くもって口に入れていないことを思い出した。悠長に食事を楽しもうなんて気にはとてもなれなかったというのも大きいが、空腹感というものを忘れていたというのも大きいだろう。もちろん水については喉の渇きに耐えかねて飲むには飲んだのだが、コンクリートの床に設けられた申し訳程度の給水施設は、緑色の苔や土埃なんかも混じっていて不潔そのもの。おそらくは目に見えないバクテリアなんかも大量にいるだろうし、お腹を下してしまわないかが心配だったものの背に腹はかえられなかった。
 そうこうしているうちに配膳がなされる。といっても皿の上に盛り付けられる訳でもなく、コンクリの上に直に置かれた肉塊。それもスーパーで売っているようなものとは違い、血管や毛の生えた皮膚が所々にこびりつき得体の知れない臓物までセットだ。僕が食肉加工業にでも従事したことがあればどうってことは無かったのかもしれないが、ゲームや映画のスプラッターなシーンでも苦手なのだ。こんなものとても正視に耐えない。
 隣の房からは慌ただしい咀嚼音。肉を裂き筋を千切り骨を噛み砕く音。手の自由度が低いためか、首を傾げるようにして奥歯で骨を捉え小気味好い音と共に咀嚼していく。その様子を見るにつけてなりを潜めていた腹の虫がぐるぐるきゅるきゅると活動を再開して口内に唾液を充満させる。
 あまりの空腹に耐えかねて、目の前に打ち捨てられた惨殺死体に向き直ってみるも……やっぱりグロい。意を決して鼻を近づけてひと嗅ぎしてみると、吸い込んだ臭気が胃液に押し上げられて盛大なげっぷとなって吐き出された。おそらく、この身体にとっては目の前の血みどろがご馳走なのだろう。ドッグフードか何かだって食べられなくは無いだろうが、かつて食べていたコンビニ弁当やカップ麺は塩分が高すぎるだろうし、オニオンスープなんて飲んだ日には貧血を起こして倒れてしまうに違いない。このままハンガーストライキを続けたところで降伏する相手なんていないのだ。だから僕が命を繋ぐためにはこれを食べるしかない。そうはわかっているんだ。わかっている。けれどもいくらハードウェアがオオカミに変わっても、僕という人格のオペレーティングシステムや、これまで培ってきた経験というソフトウェアはまるっきり人間のままなのだから。
 そんな御託をいくら並べたところで何も変わらない。目を閉じ、息を止めてひと噛み。テレビのサバイバル番組ででっかい芋虫を食べている映像が脳裏をよぎる。弾力を持ったそれにブニュリと歯が食い込んでいくと滲み出て広がる肉汁。顔中の筋肉で眉間にシワを作りながら噛みちぎり、喉を鳴らして飲み込んだ。まずは一口。あとこれを何回続けなければならないのだろう。諦めにも似たため息を吐いた瞬間、鼻から突き抜けた血生臭さに横隔膜が持ち上がり胃酸と共にべチャリと音を立てて垂れ落ちた。
 その後も半ばヤケになりながら食らいついては吐き戻してを繰り返し、ついには胃酸に塗れて悪臭を放つ吐瀉物の塊だけがそこに残された。もう毛の一本だってそこには無いのに、胃壁に染み込んだ血の一滴までをも洗い流そうと胃液が溢れては口からしたたり落ちる。もう限界だ。
 ふと隣を見ると、自らの取り分を喰らい尽くして床に残った血痕すらも舐め去ったオオカミが物欲しげにこちらのご馳走を眺めていた。いいさ、くれてやるとも。こんなもの一刻も早く消し去ってしまいたい。前足で掃くようにして檻の隙間から横流しをしてやると、なんとも嬉しそうに次々と平らげていく。バケモノ。口の周りの毛を真っ赤に染めた、僕と同種族のそれはそう呼ぶに相応しい形相だった。そして僕の前足もそれと同じように染まっていた。

 寝返りを打つと腹がダポリと鳴る。
 あれから吐き気と空腹感が入り乱れ、おまけにひと嗅ぎだってしたくない空気が充満する中で、いてもたってもいられなくなって水、あのとても清潔とは言えない汚水をがぶ飲みして気を紛らわせたのだ。胃酸が薄まったおかげで空腹の方は幾分か治ったのだが、代償として次に訪れたのは尿意。自らの腹を見ると赤子でも宿しているのかと思うくらいにボッコリと膨らんでいる。いくらなんでもこればかりは我慢できそうにない。
 独房の中を見渡してみても当然トイレなんていう文明的な施設がある訳もない。ここにあるのは水飲み場と排水用の溝だけ。要はその辺りに垂れ流しってことだ。動物なのだから当たり前といえば当たり前ではあるが、僕はまた人間としての尊厳を一つ失っていく。
 出来るだけ水飲み場から離れたところならば衛生的だろうか。角の方に向かい、側溝に流れるよう傾斜のついた部分を探し……で、どうするんだコレ。立ちションしようにも四つん這いのまま。床にしゃがみこむと尻が地面に着いてしまう。ってことはつまり、この身体に適した体勢をとるとなると、片足を上げて電信柱にひっかけるアレをしろと。SMクラブかなにかではそういうのを好き好んでやる連中もいるんだろうが、あいにく僕にはそんな趣味はこれっぽっちもないんだぞ。
 まあ、どうせ誰にも見られやしないし、下手に片意地を張って無理やりな姿勢で致して小便まみれにでもなってみろ、ここにはシャワーなんて高級なものはないからそのまま夜を明かすことになるんだぞ。
 自分に言い聞かせながら、羞恥心を嚙み殺して右足を上げる。振り返って位置決めをして、射線が檻の柱に当たることを確認する。尿道を閉鎖していた緊張を緩めていくと圧力に押された液体が逃げ場を求めて駆け上がってくる。
 ジョロッ……チョロロ……
 よし、大丈夫、大丈夫だ。想定通りのコースだぞ。一気に放出すると暴発しかねないからこのペースを保ったまま減圧していくんだ。転倒しないようにバランスを取りつつ放尿をこなすウルトラCに集中していると、視界の端で影が動く。
 まて、まてまてまてっ! こっち来るなよっ!
 まだ貯蔵量はたっぷりとあるというのに、驚きのあまり水門が閉じられてしまう。でもこのままハイサヨウナラとやめてしまう訳にもいかない。オオカミにじっと見つめられたまま、痙攣するような腹の動きで漏れ落ちる小便。目を逸らしてしまいたいのに本能的な恐怖から背けることは叶わない。緊張と羞恥にまみれながら、最後の一滴が滴り落ちるまでその観察は続いたのだった。
 身体中の水分がすっかり出てしまった後も足を下ろすのを忘れてしまっていた僕の目の前で、そいつも鏡合わせのように足を上げる。それから、勝ち誇ったような顔、僕にはそう思えたのだが、僕とは対照的に自信たっぷりな様子で僕の痕跡を自らの体液で上書きをする。
 ああそういうこと。突如として現れた新参者が自分のテリトリーを主張し始めたから、ココは俺様のものだと示したかった訳ね。アホらし。僕は人間様なんだぞ、こんな犬っころの縄張り争いなんか興味ないっての。

 翌朝、けたたましい金属音と共に目を覚ました。
 檻の扉、展示場へと続く扉が開かれたのだ。
 さて! 新鮮な空気を吸って日向ぼっこでもするか! そんな気分になれるはずもない。この独房が解放されるということは僕にとって生命の存続すら危ぶまれる事態が始まろうとしているということだった。
 寝ぼけている身体をアドレナリンで叩き起こして臨戦態勢をとる。扉に正対し、できるだけ姿勢を低くしてこれから襲い来る恐怖に対して頭の中でシミュレーションを繰り返す。これが草原かどこかであれば一目散に駆け出して逃げ果せることも選択肢にあったのだろうが、この閉鎖空間の中ではそうもいかない。気配が近づいて来るにつれて鼓動が高まり視野狭窄がおこる。会敵まであと10秒とないだろう。あのオオカミは僕よりもゆうに一回りは大きい。もし少年漫画だったならば、小柄な僕は所謂スピードタイプってやつで忍者のように飛び回り相手を翻弄できたことだろう。だけど僕はこの身体になったばかりのズブのど素人。オオカミ初心者って訳だ。相手はオオカミ何年目かは知らないが体格や平均寿命から考えるに五、六年は先輩でおまけに生まれた時から生粋のオオカミときたもんだ。オオカミって共食いや同族殺しをする動物だったかな、普段から百科事典でも見る癖をつけておけばよかった。
 そうこうしているうちに、入り口を塞ぐ大きな影。逆光の中で目玉だけがギラギラと殺意の光を僕に向けている。生き物としての直感が、あれほど膨れ上がっていた戦意をまたたく間に萎ませて恐怖が身体を震わせた。手のひら、いまは肉球というべいだろうか、そこから緊張が雫となってコンクリートの床に染みを作る。
 たとえ勝ち目が無いとわかっていても立ち向かうべきだろうか。なすすべもなく無惨に噛み殺されるのを承知の上でも一矢報いるべきなのか。そのオオカミは一歩また一歩と近づく度に上唇をめくれ上がらせていき腹の底から地響きを鳴らす。金色の目の周りを取り囲むように黒っぽい毛が隈取りとなり、般若の面を想像させる。もし人間相手だとしたら、仮に外国人で言葉が通じなかったとしても身振り手振りや表情でそれなりの意思疎通ができただろう。自分には敵意はなくて、決して縄張りを侵略しようとしたり争いたい訳ではないこと。やむなく此処に連れてこられただけで、出来ればお互いに干渉することなく過ごしたいということ。だけどこの目の前のオオカミにはそんな思いを解するだけの高度な知性は持ち合わせていないだろう。
 いよいよ手の届く距離まで迫って来ると恐怖に耐えられなくなり、床に伏せてぎゅっと目を閉じ、揃えて並べた前足の中に顔を埋めて防御の姿勢をとった。こんなものは焼け石に水かもしれないが、少しでも被害を抑えることが出来ればという期待からだ。
 鼻息が耳をくすぐり生臭い息が鼻をつく。いやだ、怖い。このまま頭からガブリと丸かじりされたりしないよな。
「ギャッ! キャウン!!」
 痛い! やめてくれ!! そう大声で叫んでみても、首元に食い込んだ怒りは緩まる兆しすらなく、一瞬解放されたかと安堵する間も無くまた噛み直される。
 攻撃の対象は許しを乞うために開かれた口にも及び、上顎を唾液に濡れた牙で挟み込まれて締め付けられる。逃げることもじっと耐え抜くこともできず、苦し紛れに身体をよじるとグルリと地面が反転して見えたのは天井の蜘蛛の巣。子供の頃に兄弟と取っ組み合いをしたことを思い出す。
 オオカミが露わになった白い腹に顔を寄せた時、とうとう死を覚悟した。多少は被毛による加護があったとしても、そこに牙を突き立てられれば柔らかい腹の肉は破り裂かれて内臓を引きずり出されてしまうことは想像に難く無い。生きたまま食われるなんて嫌な死に方のトップスリーには入るだろう。いままでの二十数年、それなりにだけど勉強だって頑張ったし、仕事も何度も辞めようとしたのを踏みとどまって耐えてきたっていうのにその幕引きがコレだなんてあんまりだよ。せめて苦しむ時間が少ないように早々に気絶できることを祈っておこう。
 しかしいつまで経っても身をつんざく痛みは襲ってこず、オオカミは僕の腹の匂いを二、三度嗅ぐと、もう興味を失ったのか展示場の方へと出て行った。

 今日もまた頭にさんさんと降り注ぐ日光が心地いい。
 オオカミの生態について学んだことがある。あのオオカミ、僕の中ではその特徴からクマドリと呼んでいるのだが、アイツとの時には命がけの試行錯誤からだんだんと扱い方がわかってきた。
 それは徹底的な服従の意思さえ見せればむやみやたらには襲ってこないということ。時折自らがボスだということを示すために、威嚇し噛み付いて来ることもあるのだが、そんな時はクマドリの前に跪いて身体を屈め、それから腹を見せて媚びるように鼻を鳴らしてみせればそれ以上の追撃は無い。奇しくもあの日僕が無意識から起こした行動は思いがけず正解だったのだ。
 たった二匹しか居ない群れとはいえ、簡単なルールさえ守っておけばクマドリは非常に寛容な態度で僕に接してくれる。こうして展示場の隅に決まって僕が陣取ることも、今日みたいに天気のいい日はこの中をぐるりと歩いて散歩してみせることも、寝転びながらチラリとこちらを一瞥するだけで何のお咎めも無いのだ。
 そうしてクマドリのもとでオオカミとしての生活をするにつけて、この身体や環境にも少しずつではあるが順応していった。まず、あれほど吐き気を催した食事を難なく口にすることができるようになった。時々夢の中にラーメンやカツ丼が出てくることはあるけれど。次にトイレもたとえ展示場の外、つまり動物園の客がいようとも恥じらいの欠片すら無くなったし……あ、オシッコは要注意だ。足を上げてすると、それはどうやら縄張りのマーキングの意味らしく、クマドリのそれを上書きしてしまった日にはこっぴどく怒られたものだ。なので腕立て伏せのような体勢で足を広げて慎ましく済ませなければならない。
 よしよし、毛並みもだいぶん綺麗に整ったぞ。毛づくろいがうまくいったことへの満足感に混じって一筋の感情が背筋を冷たく撫でた。
 あれ? なんだ? ぼくはいま何を考えていたんだ? オオカミの生活に順応してきた? 毛づくろいに満足? 馬鹿かお前は! 僕は人間なんだぞ。今は一時的に、おそらくはあのワクチンのせいで何故だかこんな姿になっているが、中身は立派な人間そのものなんだ。どうにかして僕が人間だと証明してみせて、どこか大きな医療施設あたりで精密検査をすれば戻る手がかりが掴めるかもしれないんだ。そのためには僕を保護してくれたあの先生みたいな優秀な人が……

 最近、昼夜を問わず眠ってしまうことが多くなった。
 正確に言えば頭の中が霞みがかった感じにぼうっとして、ふと気がつくと夢遊病のように身体が動いているのだ。あれから何度か飼育員と意思疎通をはかろうとしクマドリがやってきた。こうして彼の口元をベロベロと舐め回しているとまだ小さかった頃の母親との思い出が蘇ってくる。甘噛みしながらじゃれついてみせると、かつて両親や兄弟たちがそうしていたように、彼は降参したとばかりに寝転がっておどけてみせる。狩りごっこだ。クマドリにのしかかり匂いを嗅ぐと胸がいっぱいにそうだ来園者に気付かせるのも手かもしれない。つまり、普通オオカミがしないような行動、たとえば道具を使ってみせて注目を浴びれば大好きな温もりだ。
「ねえおかあさん! おおかみさんたちケンカしてるの?」
 クマドリの目にじっと見つめられるとみぞおちの辺りから疼痛がほとばしって呼吸が浅くなってしまう。こうしてじゃれ合うとき、決まって最後にはこれでおしまいとばかりに鼻面を何度か噛まれるのだが、今日はまだその合図は無い。
 僕にされるがままになっていたクマドリがふいに起き上がり、とたんに形勢が逆転する。僕は仰向けになり、自らの急所を何もかもその眼前に差し出してはち切れんばかりに尻尾を振ってみせる。ドーパミンが全身の血管を隅々まで駆け巡って浮遊感にも似た快楽をもたらした。
 優しい目が僕の身体をひとしきり舐め回したあと、黒々とした鼻が喉元に埋まる。熱い吐息が毛皮をチリチリと焦がしていき、心臓が跳ね回って気が遠くなった。いっそのことこのまま食べられてしまうのも悪くない。
 鼻息の台風は毛並みに沿って南下を続け、首から胸、そして腹へと進んである地点で行き止まる。それからいくら待ってもそこから動こうとせず、その場所を強調するように何度も何度もしつこく嗅ぎ続ける。
 やめてくれ、恥ずかしい。僕はもう赤ちゃんじゃないし、オシッコだって別にしたい訳じゃない。なのにこんな……もっと、もっと。やがて催促するように鼻先でそこを突つかれると呼応するように腰が動いてしまう。
 まだちんぽをすっぽりと納めている鞘から伝わる断続的で僅かな刺激が血流を一箇所へと集中させていく。気持ちいい。恥ずかしい。嬉しい。感情の激流が脈打ち押し出されていくのを感じる。
 ぴちゃっ
 股間から伝わった電撃に驚いて顔をあげると、鞘から顔を出したちんぽの先端を拭うようにクマドリの舌が這っていた。まさか、そんな。いくらなんでも遊びの範疇を超えている。クマドリも僕も雄同士なのに、こんなことを、性行為をしてしまっている。見る見る間に赤黒い肉棒がせせり出して、それに長い舌が絡みつくのだった。
 れるっ、れちゅ……ちゅ、ぴちゅっ
 ちんぽへの愛撫は止まらない。身体の火照りと共に呼吸が荒くなり、舌がだらりとはみ出てそこを伝った涎が顔の毛を濡らした。何も抗う必要なんてない。ただクマドリから与えられる快楽に身を委ねればいいんだ。
 ちゅっちゅ、れる、ちゅぽっ
 やがて舌による愛撫が口内でのそれに変わっていく。啄むようにすぼめられたマズルが先走りを吹き出す尿道口とキスを繰り返し、徐々に掘削深度が大きくなっていく。ちゅこちゅこと水音を響かせながらちんぽ全体が飲み込まれていった。
「おおかみさんがちんちん食べてる!」
 にゅこっ、にゅこ、ぬぶぶっ……
 遠くの方からガヤガヤと喧しい野次馬の声と、シャッターの切られる音。せっかくの神秘的な時間に水を差されたことに苛立ちながらアクリル板の方を見ると、そこに張り付いた人間どもは下卑た笑いをたたえながら一様にスマートフォンを構えていた。アクリルの透明度が低いのか、はたまた屈折率の問題なのか、もはやわからなかったがそこに映し出される顔は抽象画のようにのっぺりとして、大人も子供も、男も女すらも区別がつかない。ただ、そこに人間がいるという事実しか頭の中では処理ができなかった。
 にゅぽっ……ぐりゅっ、にゅぐぐっ……りゅっ
 そんな、心ここに在らずで向こう側に気を取られていた僕に気を悪くしたのか、クマドリがぐるると唸り声を立てながら、奥歯でちんぽを甘噛みしてみせた。ちょうど食事の時に骨を噛み砕こうとする動きだ。もちろんちんぽを噛み千切ろうという凶悪な意図はそこになく、自分から意識を逸らしたことへの痛痒い仕置き。それまでの柔らかく包み込む口内から一変して、硬質の山ですり潰される攻撃的な快楽を受けて背中が仰け反り、その拍子に射精に近い勢いで先走りが吹き出した。このままこの拷問の中で果ててしまうのも悪くはなかったのだが、彼の目をじっと見つめて甘えた声で一鳴きしてみせると、満足げな鼻息が返ってきた。
 ぬぼっ、じゅっこじゅっぽ、ちゅぶぶ
 口内のちんぽが最大限に腫れ上がり、先走りがとめどなく垂れてくるようになると、まもなく射精が訪れることを悟ったクマドリの動きが激しくなっていく。
 気持ちいい。このままオオカミの口内で射精してしまいたい。僕の身体は、僕は、余すところなく全てこのクマドリのものなのだ。本来の摂理であれば雌オオカミのなかに放たれて、きっと沢山の仔オオカミを成すはずだった遺伝物質は一滴も残さずこのクマドリに飲み込まれてしまい、これから先もずっと彼に独占され続けるのであろう。あの時、キンタマをメスで切り落とされるのを幸運にも免れた僕は、このオオカミによって子孫を残す道を絶たれた。それはもはや去勢と同義なのだろう。
 ああ、いく、いくいくっ! 全部、丸ごとこの大きな口で飲み干して!!
 びゅーっ! びゅーびゅっ! ごくっ……びゅるっ! こくっ
 視界の中には閃輝暗点が暴れ狂い、長い長い射精の間、次々に吐き出される精液を飲み下す音をききながら、ただがむしゃらにクマドリへの愛を叫び続けていた。
 すっかり萎えたちんぽが鞘の中へと戻っていき、未だに名残惜しそうに咥えていたクマドリの口内から滑り落ちると、しとどに濡れたちんぽの周りをペロペロと舐め取られてくすぐったさに思わず声をあげてしまう。
 彼は顔を上げると、珍しく強請るように甘えた声で互いの鼻をすり合わせてから、僕の鼻先に自らの肉棒を押し付けた。
 ところどころに恥垢がこびりつき小便の匂いが鼻をつく。ビクビクと痙攣を続けるちんぽから垂れた蜜が僕の鼻を濡らす。彼もまた永遠に去勢されるのだ。この僕の手によって。


 閉園時間もすっかりすぎた頃、この場に似つかわしくない二人の男が訪れた。
 スーツ姿の気難しそうな顔の男と、白衣を着た男。彼らが受付にてA4サイズの書類を提示すると、守衛はピンと背筋を伸ばし敬礼をして見送ったあと、慌てた様子で無線機を手に取りどこかに連絡をする。
「秋川さん、秋川俊一さん……ですね?」
 白衣の方が檻の前にしゃがみ込み、その先に座っている動物に話しかけた。
「チッ、クッセェなここ……」
 スーツの男が鼻をつまみ、ひらひらと手で仰いでみせる。
「ちょっと! 聞こえますよ!」
「どうせわかりゃしねえって。解ったとしてもしゃべれないんだから文句も言えないいしな」
 うんざりした口調で皮肉を飛ばす男を無視して、白衣の男は膝をついて語りかけた。
「秋川さん。実は、あのワクチンに重大な副作用が見つかりました。世界でまだ4例ですが、つまり、あなたのように動物になってしまう……」
 オオカミの目は、白衣をじっと見つめている。
「治療法はまだ見つかっていません。ですが、副作用被害の救済プログラムによって保護を受けることができます。こちらで用意した施設で……」
 くるりと両耳が正面を向いた。
「もしくは、その……ここで一生を送ることもできます」
 スーツの方が苛立ちながら時計を眺め、靴底をコツコツと鳴らしてみせる。
「どんな手段でもかまいません、秋川さん。あなたの意志を、教えてください」

 オオカミ舎のバックヤードにある二つの檻のうち、その一つはまた使われることが無くなった。
 水飲み場への給水も止まり、今は干からびた藻が張り付き、時折すきま風が吹いてはカサカサと虚しく音を立てるのみ。打ちっ放しの床に落ちている白っぽい抜け毛だけが、かつてそこに住人がいた証となっていた。
 残る一方に今も住まうオオカミが木兎の声で目を覚ます。丸まっていた身体をほぐすように伸びをして、それからブルブルと全身を震わせてから音を立てて水を飲み、がらんどうの檻をじっと眺めていた。
 金色の瞳でしばし虚空を眺めた後、またもとの寝床へと戻っていった。そしてスヤスヤと寝息をたてる番のオオカミの肩に顎を乗せ、また夢の中へと落ちていくのだった。
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