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いざないの時間
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地上に上がると日差しがまばゆくて、不意に立ち眩みがした。
色の世界にまだ慣れていないようで、こんなことで、本当に良い絵が描けるだろうか。
佐藤さんは、店を出る時から口数が減り、俯く回数が増えている。
( わたし、変な印象だったかな )
この後、どうしたらいい? 帰っていいのかしら。
俯きながら、こちらを見ず、自分の爪先を見るようにしながら、佐藤さんが声を掛けてきた。
「あの」
「はい?」
佐藤さんがこちらを見た。その目は真っ直ぐで、大人でこんな目をする人がいるのかと思うほどに、少年のような目だった。
「一緒に北海道に行きませんか?」
「 ――――――――――――― 」
救急車のサイレンがどこかで聞こえた。
その音が遠ざかり、やがて消えた頃に、わたしは声を出すことができた。
「北海道ですか?」
「美瑛です。やはり、一度、見ておいた方がいい」
行きたい。
瞬時に思った。
この人と?
この際、どうでもいい。
昨日までの日常からの脱却がそこにある。
しかもそれは、絵を描くために必要なことでもあり、観光としても最上級の地だ。
魅力しかない。
ただ。
「わたし、お金がありません」
「心配いりません。お誘いするからには、こちらで用意しますから」
「そうはいきません」
「これは、ある芸術家に賭けた画商のビジネスだと割り切っていただきたい」
「ビジネスですか」
なぜか、シュンとなった。こういうところが甘ちゃんなんだろう。世間知らずで、幼稚なのだ。
完璧なロマンティックに浸れそうなときに、ビジネスという、あまりにカラッとしたドライで生なフレーズに、簡単に水を差される未熟な心。
「行きたいです」
「そう来なくては!」
「旅費は、きっと部門候補を勝ち取って、その報酬からお支払いします」
そう言うと、キラキラしていた少年の目が細くなった。
目尻にできる皴。
それは、一転して、大人の匂いがした。
「あは、あのね、芸術家に大切なことを、ここでお教えしますよ」
「はい」
「それは、お金に関しては、無頓着でいることです。お金のために描くんだというのは邪念そのもので、筆は鈍ります」
「たしかに」
「だから、今回の旅費に関しては、もうこれでおしまい。もう言わない事」
「はい、分かりました」
納得ができた。
彼がビジネスだと露骨に言ってくれたおかげで、納得できたと言ってもいい。
北海道。なんて素敵なんだろう。
美瑛。
写真でしか見たことのない、あの童話としか思えないような丘の数々。
今の季節だと、何が咲いているだろう?
部屋のポトスも枯らすようなわたしだけど、花の力は知っている。
彼らは色の魔術師で、その魔力は人を魅了し、心躍らせ、和やかにさせる。そのひたむきさは人を勇気づけ、可憐さは人の共感を呼び、沈黙は人に色々な想像を呼び起こさせる。
佐藤さんと別れた後、わたしは、ビルの谷間の人の群れの中、飛び上がりたいような衝動を抑えた。
抑えに抑え、宝物をそっと抱きかかえる子供のように、自分の爪先あたりを見つめては、湧き起こる感情にほくそ笑みそうになる自分の心を堪能した。
靴を買おう。
一万円もあれば、それに、ちょっとしたお土産も買えるだろう。
あとは無心に描いてやる。
色の世界にまだ慣れていないようで、こんなことで、本当に良い絵が描けるだろうか。
佐藤さんは、店を出る時から口数が減り、俯く回数が増えている。
( わたし、変な印象だったかな )
この後、どうしたらいい? 帰っていいのかしら。
俯きながら、こちらを見ず、自分の爪先を見るようにしながら、佐藤さんが声を掛けてきた。
「あの」
「はい?」
佐藤さんがこちらを見た。その目は真っ直ぐで、大人でこんな目をする人がいるのかと思うほどに、少年のような目だった。
「一緒に北海道に行きませんか?」
「 ――――――――――――― 」
救急車のサイレンがどこかで聞こえた。
その音が遠ざかり、やがて消えた頃に、わたしは声を出すことができた。
「北海道ですか?」
「美瑛です。やはり、一度、見ておいた方がいい」
行きたい。
瞬時に思った。
この人と?
この際、どうでもいい。
昨日までの日常からの脱却がそこにある。
しかもそれは、絵を描くために必要なことでもあり、観光としても最上級の地だ。
魅力しかない。
ただ。
「わたし、お金がありません」
「心配いりません。お誘いするからには、こちらで用意しますから」
「そうはいきません」
「これは、ある芸術家に賭けた画商のビジネスだと割り切っていただきたい」
「ビジネスですか」
なぜか、シュンとなった。こういうところが甘ちゃんなんだろう。世間知らずで、幼稚なのだ。
完璧なロマンティックに浸れそうなときに、ビジネスという、あまりにカラッとしたドライで生なフレーズに、簡単に水を差される未熟な心。
「行きたいです」
「そう来なくては!」
「旅費は、きっと部門候補を勝ち取って、その報酬からお支払いします」
そう言うと、キラキラしていた少年の目が細くなった。
目尻にできる皴。
それは、一転して、大人の匂いがした。
「あは、あのね、芸術家に大切なことを、ここでお教えしますよ」
「はい」
「それは、お金に関しては、無頓着でいることです。お金のために描くんだというのは邪念そのもので、筆は鈍ります」
「たしかに」
「だから、今回の旅費に関しては、もうこれでおしまい。もう言わない事」
「はい、分かりました」
納得ができた。
彼がビジネスだと露骨に言ってくれたおかげで、納得できたと言ってもいい。
北海道。なんて素敵なんだろう。
美瑛。
写真でしか見たことのない、あの童話としか思えないような丘の数々。
今の季節だと、何が咲いているだろう?
部屋のポトスも枯らすようなわたしだけど、花の力は知っている。
彼らは色の魔術師で、その魔力は人を魅了し、心躍らせ、和やかにさせる。そのひたむきさは人を勇気づけ、可憐さは人の共感を呼び、沈黙は人に色々な想像を呼び起こさせる。
佐藤さんと別れた後、わたしは、ビルの谷間の人の群れの中、飛び上がりたいような衝動を抑えた。
抑えに抑え、宝物をそっと抱きかかえる子供のように、自分の爪先あたりを見つめては、湧き起こる感情にほくそ笑みそうになる自分の心を堪能した。
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あとは無心に描いてやる。
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