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穏やかでない日常
137:扇
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アミとユラとの手合わせ以降、近衛でも武器になり得る物を用いて訓練する事を取り入れているが、戦争のない今でも、貿易船を守る為に海賊と命のやり取りをするデュバル軍と、魔物や罪人相手に戦う騎士とでは、その実力も戦い方にも大きな差がある。
マナを制御しなければならない模擬剣を使用している事も含め、勝算は高くないと想定していたが、これはあまりにも…
「無様だな…」
「そうは言っても、令嬢方に傷を付けられんだろ…俺の首が飛ぶ」
訓練場で項垂れる騎士達の姿に眉を寄せる叔父上に、イアン団長が苦笑いで答える。
確かに、貴族令嬢、それも王太子とその側近の婚約者が相手となれば、最大限に気を使う。
膝を着かされた者達は、そうして躊躇したり、怯んだところを叩かれていた。
ネイト達は、攻めより防御に重きを置いていたから最後まで残れたのだろう。
「叔父上とエレノアは本気でやり合いますけどね」
「?!おいおい、ジーク…」
「互いに素手で、ですけどね」
「それにしたって…大人気ねえな…」
「仕方ないだろ、本気を出さないとこっちがやられる」
騎士も体術の訓練をするが、そこまで本格的なものではない。
本気にならないと膝を着くと言う叔父上の言葉は尤もで、オレリア達の動きも体術の延長といったものだが、剣舞の様な回避する動きは捉え辛い上に、あれだけ正確に急所を狙われては、防御にも気を抜けない。
それにしても、エレノアはカインに会いに行っていたのか、それとも叔父上と手合わせをしに行っていたのか?
素手でやり合う2人を、紅茶を飲みながら高みの見物を決め込むカインが容易に想像出来る。
「ところでエレノア、その扇を見せてみろ」
「……何故…?」
扇を見せろ言うカインに、エレノアが閉じた扇を左頬に当てて小首を傾げた…答えはいいえだ。
口を開き過ぎない事が美徳とされる貴族の夫人や令嬢は、時に扇で感情や言葉を表す。
扇言葉と言われるそれは、主に男女間の恋の駆け引きに使われる為、男達は恥をかく事のない様、口説き文句を覚える前に先ずは扇言葉を覚えるのだが、カインはその答えに何か確信を得たのか、エレノアを見下ろしながら鼻で笑った。
「何故?お前の扇は俺が預かっているからだ」
「カイン様が…?だから、お父様の執務室になかったのね!オレリアとヨランダは返してもらえたのに、反省文もやり直しって…全部カイン様なんでしょ!」
なんだこの親子の様な会話は…ラスター侯爵がカインにエレノアの教育を任せているのか、カインが進んで教育しているのか、なんにしても婚約者同士の会話とは思えない。
「当たり前だ。お前が書いたのは反省文じゃなく、蛍の会の報告書だろ。ネイト殿と生活を共にしている俺に、よくあんな稚拙なものを出せたものだな」
「ハッ…何ですか?自慢ですか?」
「ああ、自慢だ。ネイト殿の絵姿を前に、紅茶を飲みながら話をして満足している様だが、俺は食事も共にするし、風呂も一緒に入る。なんなら共に朝を迎える事もある」
「「「朝(ですって)?!」」」
「ちょっと?!カイン殿?!その言い方やめて下さいよっ!誤解されるじゃないですか!」
「誤解も何も事実でしょう?そういえば、アズールでは幾夜となく枕を並べて寝ましたよね?」
「?!大勢で!大勢で枕を並べて寝たんですっ!」
必死に抗議するネイトに優しく微笑みかけるカインが、ひたすらに気持ち悪い。
カインとネイトを交互に見つめて頬を染めるオレリアと、何故か目を輝かせているヨランダ嬢の頭の中では、男2人のめくるめく世界が広がってしまっているのだろう。
俯いて震えるエレノアを勝ち誇った笑みで見下ろすカインは、頃合いと踏んだのか、身体ごとエレノアに向き直った。
「わ、私より仲良くして……私の方が…私の方が、ずっと長い間カイン様と一緒にいるのにっ!!…浮気者!!」
ーーパシッ…
「ちょっと?!返してよっ!」
「やっぱり…この扇、魔道具だな」
「「「「「魔道具?!」」」」」
腹黒いカインの策にハマったエレノアが嫉妬に手を振り上げると、すかさずその手を掴んで扇を取り上げたカインは、取り返そうと手を伸ばすエレノアをあしらいながら、中骨に彫られたラスターの家紋をなぞって納得した様に呟いた。
魔術科では簡単な魔道具作りもする為、リディアの授業を受けている3人ならあり得るが、彫られた家紋に魔法回路を通すのは簡単な事ではない。
そんな苦労をしてまで一体何を付与しているんだ…?
「まさか…身体強化をーー」
「その逆ですわ、イアン団長様?」
イアン団長の言葉を遮ぎり、オレリアとヨランダ嬢がエレノアを庇う様に前へと進み出て、扇を広げて口元を隠した。
「正確にはマナの使用量を制限する魔道具です。レイン様と条件を同じくする為に、リディア先生にご指導頂いて作りました」
「…それじゃあ…その扇を手にしている間は、平民並みのマナしか使えないと…?」
「おかげで苦戦しましたわ…髪が乱れていないかしら…オレリア、制服のリボンがずれててよ?」
「ありがとう、ヨランダ。貴女も髪飾りが落ちそう…留め直すわね」
驚く叔父上に苦戦したと答えた通り、夜会の日に騎士達と手合わせをしたアミとユラとは違い、3人の髪や制服は少し乱れている。
扇の事を知っていたなら間違いなくオレリア達の提案を受け入れなかったのだが、それを想定していたから、オレリア達も黙っていたのだろう…
「……それにしても、カインはよく気付いたな」
「いつもより動きが鈍かったので、何かあるとは思っていたのですが……まさか、ここまでするとは…そんな扇で乱打戦なんて…心配させないでくれ。頼むから…」
「カイン様…私、汚れてるから…」
3人の戦う姿を初めて見た俺には分からなかったが、観察、分析、考察を繰り返ししてきたカインだからこそ、違いに気付いたのだろう。
それにしても、カインの予想を遥かに超える3人の思考は、とんでもない方向に振り切っている。
特にカインとの歳の差を埋め様と何事にも一生懸命が過ぎるエレノアは、行動力も行動範囲も、高位貴族の令嬢とはかけ離れており、終着点のないエレノアの努力は、健気でありながら時に無謀だと感じる程で、事ある毎にカインが嗜めてきた。
そんなカインも今回ばかりは肝を冷やしたらしく、エレノアを引き寄せて抱き締め、ホッとした様に大きな溜め息を吐いている。
歳の差など気にせずとも、これだけ互いを想い合っていれば問題ないと思うがな…
「とりあえず、3人は埃を落としておいで。サロンで待っているよ」
「「「ありがとうございます」」」
マナを制御しなければならない模擬剣を使用している事も含め、勝算は高くないと想定していたが、これはあまりにも…
「無様だな…」
「そうは言っても、令嬢方に傷を付けられんだろ…俺の首が飛ぶ」
訓練場で項垂れる騎士達の姿に眉を寄せる叔父上に、イアン団長が苦笑いで答える。
確かに、貴族令嬢、それも王太子とその側近の婚約者が相手となれば、最大限に気を使う。
膝を着かされた者達は、そうして躊躇したり、怯んだところを叩かれていた。
ネイト達は、攻めより防御に重きを置いていたから最後まで残れたのだろう。
「叔父上とエレノアは本気でやり合いますけどね」
「?!おいおい、ジーク…」
「互いに素手で、ですけどね」
「それにしたって…大人気ねえな…」
「仕方ないだろ、本気を出さないとこっちがやられる」
騎士も体術の訓練をするが、そこまで本格的なものではない。
本気にならないと膝を着くと言う叔父上の言葉は尤もで、オレリア達の動きも体術の延長といったものだが、剣舞の様な回避する動きは捉え辛い上に、あれだけ正確に急所を狙われては、防御にも気を抜けない。
それにしても、エレノアはカインに会いに行っていたのか、それとも叔父上と手合わせをしに行っていたのか?
素手でやり合う2人を、紅茶を飲みながら高みの見物を決め込むカインが容易に想像出来る。
「ところでエレノア、その扇を見せてみろ」
「……何故…?」
扇を見せろ言うカインに、エレノアが閉じた扇を左頬に当てて小首を傾げた…答えはいいえだ。
口を開き過ぎない事が美徳とされる貴族の夫人や令嬢は、時に扇で感情や言葉を表す。
扇言葉と言われるそれは、主に男女間の恋の駆け引きに使われる為、男達は恥をかく事のない様、口説き文句を覚える前に先ずは扇言葉を覚えるのだが、カインはその答えに何か確信を得たのか、エレノアを見下ろしながら鼻で笑った。
「何故?お前の扇は俺が預かっているからだ」
「カイン様が…?だから、お父様の執務室になかったのね!オレリアとヨランダは返してもらえたのに、反省文もやり直しって…全部カイン様なんでしょ!」
なんだこの親子の様な会話は…ラスター侯爵がカインにエレノアの教育を任せているのか、カインが進んで教育しているのか、なんにしても婚約者同士の会話とは思えない。
「当たり前だ。お前が書いたのは反省文じゃなく、蛍の会の報告書だろ。ネイト殿と生活を共にしている俺に、よくあんな稚拙なものを出せたものだな」
「ハッ…何ですか?自慢ですか?」
「ああ、自慢だ。ネイト殿の絵姿を前に、紅茶を飲みながら話をして満足している様だが、俺は食事も共にするし、風呂も一緒に入る。なんなら共に朝を迎える事もある」
「「「朝(ですって)?!」」」
「ちょっと?!カイン殿?!その言い方やめて下さいよっ!誤解されるじゃないですか!」
「誤解も何も事実でしょう?そういえば、アズールでは幾夜となく枕を並べて寝ましたよね?」
「?!大勢で!大勢で枕を並べて寝たんですっ!」
必死に抗議するネイトに優しく微笑みかけるカインが、ひたすらに気持ち悪い。
カインとネイトを交互に見つめて頬を染めるオレリアと、何故か目を輝かせているヨランダ嬢の頭の中では、男2人のめくるめく世界が広がってしまっているのだろう。
俯いて震えるエレノアを勝ち誇った笑みで見下ろすカインは、頃合いと踏んだのか、身体ごとエレノアに向き直った。
「わ、私より仲良くして……私の方が…私の方が、ずっと長い間カイン様と一緒にいるのにっ!!…浮気者!!」
ーーパシッ…
「ちょっと?!返してよっ!」
「やっぱり…この扇、魔道具だな」
「「「「「魔道具?!」」」」」
腹黒いカインの策にハマったエレノアが嫉妬に手を振り上げると、すかさずその手を掴んで扇を取り上げたカインは、取り返そうと手を伸ばすエレノアをあしらいながら、中骨に彫られたラスターの家紋をなぞって納得した様に呟いた。
魔術科では簡単な魔道具作りもする為、リディアの授業を受けている3人ならあり得るが、彫られた家紋に魔法回路を通すのは簡単な事ではない。
そんな苦労をしてまで一体何を付与しているんだ…?
「まさか…身体強化をーー」
「その逆ですわ、イアン団長様?」
イアン団長の言葉を遮ぎり、オレリアとヨランダ嬢がエレノアを庇う様に前へと進み出て、扇を広げて口元を隠した。
「正確にはマナの使用量を制限する魔道具です。レイン様と条件を同じくする為に、リディア先生にご指導頂いて作りました」
「…それじゃあ…その扇を手にしている間は、平民並みのマナしか使えないと…?」
「おかげで苦戦しましたわ…髪が乱れていないかしら…オレリア、制服のリボンがずれててよ?」
「ありがとう、ヨランダ。貴女も髪飾りが落ちそう…留め直すわね」
驚く叔父上に苦戦したと答えた通り、夜会の日に騎士達と手合わせをしたアミとユラとは違い、3人の髪や制服は少し乱れている。
扇の事を知っていたなら間違いなくオレリア達の提案を受け入れなかったのだが、それを想定していたから、オレリア達も黙っていたのだろう…
「……それにしても、カインはよく気付いたな」
「いつもより動きが鈍かったので、何かあるとは思っていたのですが……まさか、ここまでするとは…そんな扇で乱打戦なんて…心配させないでくれ。頼むから…」
「カイン様…私、汚れてるから…」
3人の戦う姿を初めて見た俺には分からなかったが、観察、分析、考察を繰り返ししてきたカインだからこそ、違いに気付いたのだろう。
それにしても、カインの予想を遥かに超える3人の思考は、とんでもない方向に振り切っている。
特にカインとの歳の差を埋め様と何事にも一生懸命が過ぎるエレノアは、行動力も行動範囲も、高位貴族の令嬢とはかけ離れており、終着点のないエレノアの努力は、健気でありながら時に無謀だと感じる程で、事ある毎にカインが嗜めてきた。
そんなカインも今回ばかりは肝を冷やしたらしく、エレノアを引き寄せて抱き締め、ホッとした様に大きな溜め息を吐いている。
歳の差など気にせずとも、これだけ互いを想い合っていれば問題ないと思うがな…
「とりあえず、3人は埃を落としておいで。サロンで待っているよ」
「「「ありがとうございます」」」
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