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デュバルの女傑
177:霊廟の地下室 レイン
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ーーゴゴゴゴッ…フシューッ……
「「?!ちょぉっっとぉっ?!」」
父が棺の窪みに指環を嵌めると、地響きと共に棺の蓋が動き始め、棺の中から夥しい量の白い冷気が漏れ出る。
漏れ出た冷気を手で払いながら、父が棺の中を覗き込み、問題ないと呟いた。
王家とダリアに4つしかない公爵家は、魔塔特製の冷凍保存装置で亡骸を凍らせている為、亡くなった当時の姿が保たれているというが、見る勇気はない。
と、言うより、身体が動かない…
「余はオーソンを出迎えに行く故、お前達は地下室で待っておれ」
髪や眉、睫毛や髭に霜の粒を付けた父が、冷気に頭をやられたのか、とんでもない事を言い出した。
「ち、地下室…?」
「……私室は?」
「終戦以降、影にもデュバルへの接近を禁じている事を思い出してな。霊廟だけは影も入れない…此処が適所という訳だ。2人で、ナシェルが身を潜められる所を探しておけ」
「影も入れない…から、地下室…?」
フランの気の抜けた声に鷹揚に頷き、冷気に当たって頭が冴えたなと、顔に着いた霜を払いながら笑う父に、そのまま忘れていて欲しかったと思わずにはいられなかった。
「しつこいのう…いいから行け」
蓋をしっかり閉めたのかと、しつこく聞く俺達を切り捨てた父は、振り返りもせずに霊廟を後にし、残された俺達は顔を見合わせて項垂れ、重い足を引き摺りながら地下へ続く階段へと向かう。
白大理石の明るい霊廟と違って、青黒いランフェリンで造られた地下へと続く階段と壁は、冥府への入口かと思わせる程に暗く、壁に灯る魔灯の心許ない淡い光では、何の慰めにもならない。
「ナシェルは、地下室に入った事は…?」
「ない。霊廟を訪れたのも、前両陛下の納棺の儀以来だ…恐ろしくて周りを見る余裕はなかったがな」
「俺も、うろ覚えだ……着いたぞ」
圧迫感を感じながら、螺旋状の階段を降り切った先では、固く閉じられた運命の扉が俺達を待っていた。
「心の準備はいいな……開けるぞ?」
フランは、剣を握るのに邪魔だと言って、父と同じ指環を鎖に通して首から下げている。
ーーシャラ…カチッ……カチャン…
扉の窪みに、首から外した鎖に通したままの指環を嵌めると、開錠の音が静か過ぎる廊下に大きく響いた。
「これが…地下室?」
霊廟の真ん中に立っていた柱は、陽光を取る為のものだったらしい。
見上げた空洞から差し込む光と、幾つもぶら下がるシャンデリアの灯りが、霊廟と同じ白大理石の壁と床を明るく照らす。
ファブリックは濃淡様々な紫色で統一され、室内は空調魔法で心地良い温度に保たれている。
「伯父上の私室より豪奢じゃないか…?」
壁に埋め込まれた飾り棚には、上で眠る王族の思い出の品々なのだろう。装飾品や人形、羽ペン、煙管、陶器等が品良く飾られており、赴きある調度品からは、時を遡ったかの様な錯覚を感じる。
「とりあえず、ナシェルの身を隠す場所からだが…広いな…」
「二手に分かれ探すぞ。俺は右、フランは左だ」
「そこに飾ってあるドレスの後ろで、いいんじゃないか?」
階状の台に並ぶ、トルソーに掛けられた時代を感じるドレス達に目を向けて、名案だと頷くフランだが、それだけは俺の矜持が許さない。
「身を隠せても、変態みたいで嫌だ」
地上の霊廟より一回り広い見晴らしの良い室内は、隠れるのに適した櫃なども置いておらず、隠し通路も部屋もない。
迫る時間に焦りながら室内を歩き回る俺を、反対側を探しているフランの呆けた声が呼び止める。
「ナシェル…この、肖像画…」
「ルスカスと、レイダ妃の…結婚式…?」
マントルピースの中の壁にはダリアの国旗。
上の壁には、胸元に勲章が光る、黒いダブルブレストの軍服とペリース姿のルスカスと、金の刺繍の入った真っ白なドレスに、青いダリアのブーケを手に微笑むレイダ妃。
「…等身大だな。あの不自然な壁の広さの理由は…これだったのか」
画廊に並ぶ、芸のない胸像画と違って、大聖堂の前に立つ2人は表情も明るく、見ているこちらも心が浮き上がる。
「戦争に疲弊した国の希望の象徴として、歴代より大きく描かれたのかもしれない…」
「期待が大きかった分、失望も大きかったと…」
『治める国が豊かであれば讃えられるが、そうでなければ責められるーー』
フランの言葉に、父の声が頭を過ぎる。
「…画廊より、ここが似合う」
「…俺も、そう思うよ……この剣と金扇は、2人の遺品か…」
マントルピースの上に飾られた、100年前の物とは思えない剣と金扇は、綺麗に磨かれ、刃こぼれもなく、それ自体が光を放っている様にも見える。
ーーカチ……カチャン…
「?!」
「もう?!」
思わぬ形で目にした2人に夢中になり過ぎていたのか、扉の方から聞こえる音に我に返って、フランと辺りを見回す。
「ナシェル、マントルピースの中だ!早く!」
「蓋も扉もないのに?!」
「そこの国旗でも被ってろ!」
「雑過ぎだろ!フランッ、押すなよ…って、奥がある…」
壁に掛けられた国旗の奥は、人2人は入れる程の空洞になっており、なんならクッションを持ち込めば足を伸ばして寝そべる事も可能。
クッションは間に合わないが、ドレスの後ろで居た堪れない思いをするよりは余程いい。
「じっとしてろよ…」
国旗の向こう側からフランの顰めた声が聞こえ、次いで2人分の足音が聞こえてきた。
「待たせたな、フラン」
「いえ…デュバル公爵、昨晩はありがとうございました」
「………緊張なさらないでください。殿下も、ナシェル殿…いや、今はレインでしたね…心配せずとも、取って食べたりはしませんよ」
「「?!」」
「……オ、オーソン…?」
震える声でデュバル公爵の名を呼ぶ父の動揺が伝わる。
そして俺も、かつてない程の緊張に襲われている。
「……命のやり取りが常の軍人なので、人の気配や、人が纏う空気には聡い方なのですよ…」
「く、空気だけで…区別がつくと…?」
「…確信を持ったのは、訓練場で剣を振る姿を見かけた時です。癖を無くす訓練をされていた様ですが、これでも元帥なのでね。剣筋で人を見分ける事には自信があります」
「オーソン…」
「その様な顔をなさらないで下さい。私は、何も聞きませんし、陛下のなさる事に否やもありません。勿論、娘を傷付けられた事には憤りも感じておりました…ですが、不安や怒り、怯え、安堵…ナシェル殿の纏う空気は常に張り詰めていたのでね…言われるがまま、拒絶されるがままだった娘の事も叱りましたし、親として責任も感じておりました……と、いう事で…ナシェル殿、で、いいですかね?お手をどうぞ」
捲られた国旗の向こうに、手を伸ばして微笑むデュバル公爵は、俺の目を見て深く頷いた。
「………デュバル、公爵…」
恐る恐る伸ばした手をガッチリ掴み、俺を立たせると、デュバル公爵は視線を上向け眩しそうに目を細め、美しい2人ですねと呟いた。
「…家族といる時、エルデといる時、小説を読んでいる時…私といる時の緊張の張り詰めた顔と違って、穏やかさを感じました…力に愛は必要ない、オレリア嬢の加護の力だけでいい…けれど、常に緊張するオレリア嬢にも苛立った…イアン団長に親愛や友愛を得たかったのだろうと、嫉妬だと言われました…納得いく様な、いかない様な…あの時から今も、よく分からないままです。デュバル公爵、オレリア嬢を傷付けた事、申し訳ありませんでした」
力を求め、情は不要と、人に惑わされまいと、人と距離を置いてきた…オレリアは一番の犠牲者。
「人に受け入れられるには、己の事を晒け出さなければなりません…ナシェル殿は立場上、それが許されないのも多分にあったと思います。ナシェル殿はこれからです。ゆっくりでいい、相手と…いや…既に娘達が距離を詰めて、振り回してますね……」
「…ナシェルには荒治療が必要だ。もっと振り回してくれてよい」
「そういう事でしたら…スナイデルの森のサロンに、男性の意見を取り入れたいと娘達が話しているので、ナシェル殿、宜しくお願いします」
「…え?いや、それはーー」
「それでは!先ずは、時系列から…ですね」
2人の肖像画に一礼したデュバル公爵は、テーブルをお借りしますと、胸元からペンを取り出した。
遮られた上に、怒涛の展開に、着いていけない…
「軽食をお持ちしました。私が作ったので毒は入ってません。ご安心を…お紅茶も淹れますね」
流石は軍人と言うべきか。
籠から取り出したサンドを並べ、紅茶まで淹れてくれたデュバル公爵の手際の良さにも驚きだが、デュバル公爵の書き出す時系列に、サンドを持つ手が止まる程の衝撃を受ける事になる。
「「?!ちょぉっっとぉっ?!」」
父が棺の窪みに指環を嵌めると、地響きと共に棺の蓋が動き始め、棺の中から夥しい量の白い冷気が漏れ出る。
漏れ出た冷気を手で払いながら、父が棺の中を覗き込み、問題ないと呟いた。
王家とダリアに4つしかない公爵家は、魔塔特製の冷凍保存装置で亡骸を凍らせている為、亡くなった当時の姿が保たれているというが、見る勇気はない。
と、言うより、身体が動かない…
「余はオーソンを出迎えに行く故、お前達は地下室で待っておれ」
髪や眉、睫毛や髭に霜の粒を付けた父が、冷気に頭をやられたのか、とんでもない事を言い出した。
「ち、地下室…?」
「……私室は?」
「終戦以降、影にもデュバルへの接近を禁じている事を思い出してな。霊廟だけは影も入れない…此処が適所という訳だ。2人で、ナシェルが身を潜められる所を探しておけ」
「影も入れない…から、地下室…?」
フランの気の抜けた声に鷹揚に頷き、冷気に当たって頭が冴えたなと、顔に着いた霜を払いながら笑う父に、そのまま忘れていて欲しかったと思わずにはいられなかった。
「しつこいのう…いいから行け」
蓋をしっかり閉めたのかと、しつこく聞く俺達を切り捨てた父は、振り返りもせずに霊廟を後にし、残された俺達は顔を見合わせて項垂れ、重い足を引き摺りながら地下へ続く階段へと向かう。
白大理石の明るい霊廟と違って、青黒いランフェリンで造られた地下へと続く階段と壁は、冥府への入口かと思わせる程に暗く、壁に灯る魔灯の心許ない淡い光では、何の慰めにもならない。
「ナシェルは、地下室に入った事は…?」
「ない。霊廟を訪れたのも、前両陛下の納棺の儀以来だ…恐ろしくて周りを見る余裕はなかったがな」
「俺も、うろ覚えだ……着いたぞ」
圧迫感を感じながら、螺旋状の階段を降り切った先では、固く閉じられた運命の扉が俺達を待っていた。
「心の準備はいいな……開けるぞ?」
フランは、剣を握るのに邪魔だと言って、父と同じ指環を鎖に通して首から下げている。
ーーシャラ…カチッ……カチャン…
扉の窪みに、首から外した鎖に通したままの指環を嵌めると、開錠の音が静か過ぎる廊下に大きく響いた。
「これが…地下室?」
霊廟の真ん中に立っていた柱は、陽光を取る為のものだったらしい。
見上げた空洞から差し込む光と、幾つもぶら下がるシャンデリアの灯りが、霊廟と同じ白大理石の壁と床を明るく照らす。
ファブリックは濃淡様々な紫色で統一され、室内は空調魔法で心地良い温度に保たれている。
「伯父上の私室より豪奢じゃないか…?」
壁に埋め込まれた飾り棚には、上で眠る王族の思い出の品々なのだろう。装飾品や人形、羽ペン、煙管、陶器等が品良く飾られており、赴きある調度品からは、時を遡ったかの様な錯覚を感じる。
「とりあえず、ナシェルの身を隠す場所からだが…広いな…」
「二手に分かれ探すぞ。俺は右、フランは左だ」
「そこに飾ってあるドレスの後ろで、いいんじゃないか?」
階状の台に並ぶ、トルソーに掛けられた時代を感じるドレス達に目を向けて、名案だと頷くフランだが、それだけは俺の矜持が許さない。
「身を隠せても、変態みたいで嫌だ」
地上の霊廟より一回り広い見晴らしの良い室内は、隠れるのに適した櫃なども置いておらず、隠し通路も部屋もない。
迫る時間に焦りながら室内を歩き回る俺を、反対側を探しているフランの呆けた声が呼び止める。
「ナシェル…この、肖像画…」
「ルスカスと、レイダ妃の…結婚式…?」
マントルピースの中の壁にはダリアの国旗。
上の壁には、胸元に勲章が光る、黒いダブルブレストの軍服とペリース姿のルスカスと、金の刺繍の入った真っ白なドレスに、青いダリアのブーケを手に微笑むレイダ妃。
「…等身大だな。あの不自然な壁の広さの理由は…これだったのか」
画廊に並ぶ、芸のない胸像画と違って、大聖堂の前に立つ2人は表情も明るく、見ているこちらも心が浮き上がる。
「戦争に疲弊した国の希望の象徴として、歴代より大きく描かれたのかもしれない…」
「期待が大きかった分、失望も大きかったと…」
『治める国が豊かであれば讃えられるが、そうでなければ責められるーー』
フランの言葉に、父の声が頭を過ぎる。
「…画廊より、ここが似合う」
「…俺も、そう思うよ……この剣と金扇は、2人の遺品か…」
マントルピースの上に飾られた、100年前の物とは思えない剣と金扇は、綺麗に磨かれ、刃こぼれもなく、それ自体が光を放っている様にも見える。
ーーカチ……カチャン…
「?!」
「もう?!」
思わぬ形で目にした2人に夢中になり過ぎていたのか、扉の方から聞こえる音に我に返って、フランと辺りを見回す。
「ナシェル、マントルピースの中だ!早く!」
「蓋も扉もないのに?!」
「そこの国旗でも被ってろ!」
「雑過ぎだろ!フランッ、押すなよ…って、奥がある…」
壁に掛けられた国旗の奥は、人2人は入れる程の空洞になっており、なんならクッションを持ち込めば足を伸ばして寝そべる事も可能。
クッションは間に合わないが、ドレスの後ろで居た堪れない思いをするよりは余程いい。
「じっとしてろよ…」
国旗の向こう側からフランの顰めた声が聞こえ、次いで2人分の足音が聞こえてきた。
「待たせたな、フラン」
「いえ…デュバル公爵、昨晩はありがとうございました」
「………緊張なさらないでください。殿下も、ナシェル殿…いや、今はレインでしたね…心配せずとも、取って食べたりはしませんよ」
「「?!」」
「……オ、オーソン…?」
震える声でデュバル公爵の名を呼ぶ父の動揺が伝わる。
そして俺も、かつてない程の緊張に襲われている。
「……命のやり取りが常の軍人なので、人の気配や、人が纏う空気には聡い方なのですよ…」
「く、空気だけで…区別がつくと…?」
「…確信を持ったのは、訓練場で剣を振る姿を見かけた時です。癖を無くす訓練をされていた様ですが、これでも元帥なのでね。剣筋で人を見分ける事には自信があります」
「オーソン…」
「その様な顔をなさらないで下さい。私は、何も聞きませんし、陛下のなさる事に否やもありません。勿論、娘を傷付けられた事には憤りも感じておりました…ですが、不安や怒り、怯え、安堵…ナシェル殿の纏う空気は常に張り詰めていたのでね…言われるがまま、拒絶されるがままだった娘の事も叱りましたし、親として責任も感じておりました……と、いう事で…ナシェル殿、で、いいですかね?お手をどうぞ」
捲られた国旗の向こうに、手を伸ばして微笑むデュバル公爵は、俺の目を見て深く頷いた。
「………デュバル、公爵…」
恐る恐る伸ばした手をガッチリ掴み、俺を立たせると、デュバル公爵は視線を上向け眩しそうに目を細め、美しい2人ですねと呟いた。
「…家族といる時、エルデといる時、小説を読んでいる時…私といる時の緊張の張り詰めた顔と違って、穏やかさを感じました…力に愛は必要ない、オレリア嬢の加護の力だけでいい…けれど、常に緊張するオレリア嬢にも苛立った…イアン団長に親愛や友愛を得たかったのだろうと、嫉妬だと言われました…納得いく様な、いかない様な…あの時から今も、よく分からないままです。デュバル公爵、オレリア嬢を傷付けた事、申し訳ありませんでした」
力を求め、情は不要と、人に惑わされまいと、人と距離を置いてきた…オレリアは一番の犠牲者。
「人に受け入れられるには、己の事を晒け出さなければなりません…ナシェル殿は立場上、それが許されないのも多分にあったと思います。ナシェル殿はこれからです。ゆっくりでいい、相手と…いや…既に娘達が距離を詰めて、振り回してますね……」
「…ナシェルには荒治療が必要だ。もっと振り回してくれてよい」
「そういう事でしたら…スナイデルの森のサロンに、男性の意見を取り入れたいと娘達が話しているので、ナシェル殿、宜しくお願いします」
「…え?いや、それはーー」
「それでは!先ずは、時系列から…ですね」
2人の肖像画に一礼したデュバル公爵は、テーブルをお借りしますと、胸元からペンを取り出した。
遮られた上に、怒涛の展開に、着いていけない…
「軽食をお持ちしました。私が作ったので毒は入ってません。ご安心を…お紅茶も淹れますね」
流石は軍人と言うべきか。
籠から取り出したサンドを並べ、紅茶まで淹れてくれたデュバル公爵の手際の良さにも驚きだが、デュバル公爵の書き出す時系列に、サンドを持つ手が止まる程の衝撃を受ける事になる。
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