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シーズンⅡ-14 北部の秘密

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 二〇一五年七月。

 刻文塔子は一人息子を寝かせつけた後で寝室に戻り就寝前の化粧水をつけ始めた。

 発売されたばかりのこの化粧水は北部の県北にある鍾乳洞で湧き出た天然水を使っている、ドラゴンブルーと呼ばれる地底湖の青色の水を幼い頃に初めて見た時を塔子は忘れない、自分の色だと勝手に解釈した、発売された製品の容器がその色に近いのも手伝ってハマった。

 三百ミリリットルのボトルを、朝の洗顔時とお風呂上り、そして就寝前にたっぷりと使う、これで顔肌を保ってやる、自分のために作られた化粧水だとさえ思える。

 塔子はつけ終わると座ったままで、ベットで携帯を見ている夫の聖也に向き直った。

「あなた、京香と確か同い年だったんじゃなかった?」

「今年、二十九だけど」

「同い年だわ。と言うことは健将とも同い年だったのね」

「そうだよ。紗耶香とは二つ違い。なんかあった?」

「いや。来月あちらへ行くでしょ、それでふと思ったってわけ」

「お前は健将や紗耶香と面識はどうなんだ」

「面と向かってはないわ。中野と北部じゃ知り合うこともないし。私が高三の時に紗耶香が入学してきたんだけど頭にくるほど学院が盛り上がってイラついた記憶はある」

「北部女学院か。京香もそこの出身なのか」

「そうよ、学年で三つ下。表には出ない、というか出さない女だったはずなのに」

「星那の統合で動かした部隊に京香も関係してるのか」

「京香がリーダーよ。中野一族の裏の仕事の長《おさ》は京香だから」

 聖也は震災の前年に南東北の二学園を予定より一年ほど前倒しで刻文学園に吸収統合している、人口の東京一極集中のスピードが二学園の予想をはるかに上回っていた、この現実を基に聖也は未来を提案したのだ、だが星那学園に一部だが反対派がいた、吸収されるのを嫌がったのだ、それを聞いた塔子はその一派の弱点を探し出しそれをちらつかせながらカネで懐柔するよう京香に命じていた。

「震災が無ければ養女になることも、表に出すことも無かった女だと言うことだな」

 二〇十一年三月の大震災以降、学園統合計画は凍結されている。

「そう。京香を躾けるのにどれだけ時間を掛けたか、それを思うと悔しさがこみ上げる。今の長《おさ》は私が作ったんじゃないから程ほどにしか信用していない」

「ほぉっ、面白いな。どんな躾をしたんだ」

「最初の躾は結構大変だった。桜子様の娘だからちゃんと断ってからやったけど、一週間だけお借りしますとね。その一週間、監禁したの。私への恐怖を植え付けてやった、飴の方は真琴さんにやらせたんだけど、よっぽど怖かったのね、泣きながらイキ続けてたのよ京香は」

「そんなんじゃ終わらねえだろ、お前は」

「さすがね、教えてあげる。京香の本質はS性が強いんだけど私の前だけではM女になるように躾けてみたの。仕上げは、どうせ表に出ることのない女だからいいと思った、入れ墨しても」

「入れたんか。えげつないな」

「右の腰骨の下にちょっとだけ、あの場所だとショーツで隠れるから。私と京香はコインの表と裏、二人ともそれは分かってた。生まれた時から決められていたんだしタッグを組むしかない。それに、真琴さんが墨を入れて欲しがってたってのもある」

「なんて入れたんだ。お前のことだから『塔子様命』とか『塔子私物』とか、想像するだけで勃起もんだな、教えろ」

「ちょっと待ってね、何て入れたか書くから」

 塔子は書き留めたメモ用紙を持って鏡台からベットに移り、聖也に見せた。

 メモ用紙にはPOCHIとPOCHINOIEと書かれている。

「なんだPOCHIって。どんな意味があるんだ、俺的にはピンとこないんだが」

「そっか言ってなかったわね。POCHIはそのまま読んでポチ、真琴さんに私が付けてあげた名前、京香はガタイが大きいからポチが安心して休めるようにポチの家にしたんだけど」

「それって笑えるくらいセンス無いって」

「そうでもないのよ。二人に首輪とリードを付けて四つん這いで歩かせると上からいい感じに見える、けっこう気に入ってるんだけど。京香のはもう消しちゃって無いけど」

「好みの問題か。どうせやるなら次にやる時には俺に相談しろよな」

「いいの?長く使えそうな女が見つかったらその時は相談する、楽しみが出来た」

 一瞬、内田紗栄子さんの顔がよぎった。

 なんでかなと思ったが可能性はゼロに近い、相手が相手だけに手が出せない。

 聖也が知ったら「あの人だけは止めておけ。下手をすればこっちが破滅する」と言うだろう、それが普通だ。

 考えると怖くなる、諦めるしかない。


****


「例の件は京香には知らせてないんだろうな」

 聖也の一言で考えを中断された。

「知らせてない。表になった京香は知る必要がないし知らないほうがいい。京香の役目は離縁されないこと、もうそれしかないから」

「なんだ、もう関心はないのか」

 あるに決まってる、だが。

 関心はあるが裏の世界から出されてしまった京香との縁は切れている、三年も掛けてやっと北部宗家に嫁がせることができた今の状況に波風を立てるのは愚策だ。

「駒の一つに関心を持ち続けるってあり得ない、あなただってそうでしょ」

「まぁな。あえて北部の秘密を京香に教えてやるメリットは我々にはないからな」

 この三年で聖也と塔子は北部の秘密を突き止めている。

 初めに紗栄子さんに報告を入れた、その後で刻文宗家当主の刻文正和に紗栄子さんと聖也で報告を上げ、中野一族の活躍に対して塔子にも労をねぎらうと伝えられている。

 聖也の考えに基づいて塔子が部隊を動かしたことで成し得た快挙と言っていい。

 京香は使ってない、京香の後任の長《おさ》に塔子は指示を出した。

 途中から細かい指示を聖也に仰いだ。

 ある日、聖也から「北部の秘密が分かった」と言われその仮説に基づいて動いた結果に塔子は驚愕した、二十年という歳月を掛けて、そこにはあり得ないことが起きていた。

「なんで北部銀行が怪しいって思ったの?」

「うぅーん。最初は、紗栄子さんがあまりにも北部で軽くあしらわれた事がきっかけかな、歯牙にもかけない態度を取られたと紗栄子さんは言ってた。で、調べて見ようと思ったのは東北六家でも刻文が別格なのは預金量七兆円を超す圧倒的規模の銀行が母体にあるからだけど北部銀行は刻文銀行と比べたら三分の一の規模しかない。北部宗家が強気なのはもしかしたら北部銀行を失っても力が弱まらないからじゃないかと思った」

 一気にそう言ったあと聖也は携帯をベットの脇にあるテーブルに置いてから「それに」と続けてきた。

「刻文頭取や紗栄子さんの話を聞きながら思ってたんだけど、北部銀行ってなんかキレイな感じがするって思った、宗家を向いて仕事をしなくても問題がないって言うか独自に動いている感じ。これってすごく怪しい」

「そういう発想をするんだ」

 聖也の仮設は『北部銀行を除く北部一族の企業はすべて北部宗家が所有しているのではないか』だった。

 調べてみると、鉄道やバスだけでなく不動産、新聞社、土木等の北部グループの主要株主に北部宗家資産管理会社のどれかが顔を出している。

 どの県の宗家でも同じ仕組みを持っているのでこれ自体は特に目新しい事ではない、北部宗家の資産管理会社が保有する各社の持ち株はどれも三十数パーセント程度になっている、これだと筆頭株主ではあるが支配というか所有までには至っていない。

 株主構成を見る限りこれ以上のことは分からないと思ったが聖也は違っていた。

 聖也が目を付けたのは二番目と三番目の株主の保有割合だった。

 北部グループの各企業の上位三番目までの株主比率を合計すると、不思議なことにどの企業も六十七パーセントになっている、二番目と三番目で三十パーセントを押さえていたのだ。

 二番目と三番目の株主に登場する名前は同じではなかった、複数ある。

 聖也は二番目と三番目の株主の実態をすべて事細かに調べるよう塔子に指示を出してきた。

 調べは難航した。

 それがひょんな事から一気に解明されることになるとは塔子自身夢にも思っていなかった。

 部隊の長《おさ》の報告の中に「部下の一人がこれって右竹家に縁《ゆかり》のある名前が多いような気がする」というものがあった、すぐに聖也の指示で右竹家が経営している警備会社と産業廃棄物会社の株主名簿を手に入れる作業に入り驚愕の事実にたどり着いた。

 右竹家経営企業の二番目と三番目の株主は北部宗家の資産管理会社と事業規模が小さすぎてまったく目立たない北部宗家所有の企業数社で占められていたのだ。

 時間を掛けて調べたところ、北部と右竹で二十年間に亘って複数企業の株式の持ち合いを進めていたことも判明。

 北部学園とTUT経済研究所、お互いの本丸だけはそれぞれの経営陣が保有しており持ち合いの対象になっていない、TUTの名称は東北右竹からきているとの調べもついた。

 それ以外はすべて持ち合いされている。

 聖也が出した結論は「北部宗家と右竹家は一心同体」だというもの。

 北部宗家が何をしようが二番目と三番目の株主は賛同する仕組みになっている、右竹家の方も同じ仕組み、これは北部の各企業は株式の三分の二を宗家に握られ所有されていることに他ならない、株主総会で取締役の解任もできるし定款の変更も事業の譲渡だって可能になる。

 北部宗家は北部グループを完全に支配下に置いていたのだ。

 逆に言えば上場企業の北部銀行だけが支配下にないと言える、北部宗家が保有している北部銀行株は数パーセントで二番目の株主である従業員持ち株会に次ぐ第三位の株主だが所有もしてなければ支配権もない。

 北部銀行を見て聖也がキレイすぎると感じた直観が北部宗家のダークな部分を炙り出したことになる。

 聖也の結論を受けて塔子はすぐに行動を開始した。

 北部宗家は右竹家とどこで繋がったのか、二十年以上前に何かがあったはずだ。

 塔子は部隊の長《おさ》に中野一族の事務局とよく連携して調べるよう指示を出した、事務局にはこういう仕事に精通している本田真琴が勤務している。

 本田真琴からの報告は早かった。

 事務局は宿敵である北部宗家と北部学園をデータベース化している、本田真琴から二十数年前に北部女学院に右竹香苗《うたけかなえ》という人物が教師として在籍している事が判明したので右竹香苗の退職後を調べさせているとの報告が来た。

 そして、日を置かずに部隊の長《おさ》から決定的な知らせが届いた。

 右竹香苗には一人息子がいて名前は右竹薫、その父親はなんと北部栄心だという、認知もされている。

 右竹薫の戸籍は右竹香苗の戸籍に入っているので父親の姓を名乗ることは出来ないが、父親の欄には北部栄心と記載されているので法律上の親子関係は間違いなく生じており右竹薫はれっきとした北部栄心の法定相続人の一人になっている。

 右竹香苗は右竹家現当主の実の妹として決定権のある高い地位にあるという、現在の北部宗家と右竹家のパイプ役を担っているのは北部女学院で教師時代に右竹香苗の先輩だった工藤美枝子理事だと言う、あの工藤有佳の母親だ。

 これで、すべてが繋がった。

 今年に入り塔子は新たな命令を下している、部隊の長《おさ》には本田真琴との連携を欠かさぬよう釘を刺した、北部学園に勤め始めた右竹薫とその同期の合わせて四名の身辺調査を徹底して行うよう命じた。

 同期全員が右竹薫を支える役目なのかも知れないからだ。

 そして届いた結果に塔子は眉をひそめた。

 右竹薫以外の三名は右竹薫と北部栄心の関係を知らない、ただの同期なので特に問題はないようだったが一つだけ気になった、宮藤涼子だ。

 宮藤涼子は塔子が勤めていたみつつ証券北部支店時代の支店長だった宮藤耕三の娘だと分かった、なにかが起きているのかも知れない。
 
 北部支店時代の宮藤支店長は北部宗家や北部グループとの接触をマメにおこなっていたが、それは本社からの指示によるものでそこには個人的な繋がりはなかったはず、それなのにどうして北部大出身でもない国立大出の娘が学園勤務に就いたのだろうか、気になる。

 気にはなるが宮藤涼子は右竹薫の同期なだけじゃなく分室勤務なので同じ場所で働いている、慎重に動かないと相手が右竹だけにまずいことになるかも知れない。

 刻文宗家と言えども一心同体になっている北部宗家と右竹家とは喧嘩はできないだろう、特に右竹家の力を見くびると大変なことになる、警察と自衛隊と繋がっている右竹家には迂闊に接触しないのが無難だからだ。

 この先、もし北部栄心と右竹香苗が婚姻でもすれば右竹薫の姓は北部薫に変わることが可能となる。

 それは何を意味するのか。

 答えは聖也に聞かなくても塔子でも分かる。

 一心同体の象徴が忽然と姿を現すことになる、右竹薫の力量次第では東北を一つにまとめることも可能になるということだ。

「右竹薫の件だけど、ちょっと気になることがあるんで来週にでもみつつ証券の支店長に会って来るわね」

「ほぉぅ、お前が自分で動くのは珍しいな。よっぽどの事なのか」

「違う。みつつの支店長は北部でお勤めしてた時の上司だからよ」

「分かった。お前の貢献に対する慰労会はお盆明けに北部から戻ってからってことで伝えていいかな」

「そうして下さい。北部と会った後の方がいいと思う」


****


 塔子はみつつ証券刻文支店の宮藤支店長にアポイントを入れ、翌週訪ねた。

 空中店舗だというのは知っていたが、塔子が来たのは初めてだった。

 二十四階建ての事務所棟と四階建ての商業棟からなっている施設の建て主は地元資本とみつつフィナンシャルグループだ、一階から四階までをみつつ銀行が使い五階フロア全てをみつつ証券が使っている、刻文支店クラスの大きな店舗が路面に面していない空中店舗というのは珍しい気がしたが実際五階に上がってみてその大きさに塔子は驚いた。

 四階建て北部支店の倍もありそうな気がする、そしてキレイだ。

 宮藤支店長から娘がどういう経緯で北部学園に勤めることになったのか聞き出すのが目的だが、露骨には聞けない。

 さて、どうしたものか。

 ダメなら他の手を考えればよい、そう言い聞かせてみつつ証券刻文支店のドアに塔子は手を掛けた。

「お久しぶりです」

 久々に見た宮藤支店長は変わっていなかった、少し貫禄が出たかも知れない。

「送別会以来だからもう七年になるかぁ、あの時の送別会は塔子さんの退職と私の異動が一緒だったから、思い出すなぁ。次長が女子職員のことを塔子さんに頼んでいたのが可笑しかった」

 塔子は二〇〇八年八月末に退職している、同じ月にまだ着任して一年半だった宮藤支店長が人事部に異動したことで後任支店長を入れた歓送迎会と塔子の送別会が一緒におこなわれたのだ。

「でしたね。送別会の挨拶で次長が言った、同じ職場で働いた地元の女子職員のことを中野家の人間として塔子さんっ、忘れないで欲しいって言われた時はさすがにびっくりしました、でも、もし彼女等が結婚して退職した後でまた働きに出たいと思った時にお手伝いして欲しいと言う次長の気持ちが痛いほど伝わってきました。いい人でしたね」

「だよね。彼はいま本社でコンプライアンス部門の方にいる、営業よりそっちが向いてるかも知れない」

「確かに」

「二〇一〇年末の塔子さんの結婚と言うか結婚相手には正直、驚きましたが」

「ですよね。公表をしないという選択肢も先方にはあったようですが、二学園の統合が終わったばかりでしたので勢いをかって公表することになったようです。但し、直後の大震災で裏目に出ましたが・・・」

「北部の攻勢が一気に強まったことですね。この何年かは中野一族が相当苦労されたことは聞いています、北部健将氏との縁組は部外者である我々から見てもよかったと素直に喜んでいます。北部と中野のバランスは大切ですからね」
 
「支店長、その北部健将の右腕に収まったのが工藤先生、いまは理事ですがご存知でしたか」

「知っています。あそこまで優秀というかご出世なさるとは驚きました。信頼されているのだと思います」

 このあと、それとなく話題を持っていったが宮藤支店長から娘の就職先が北部学園だとは最後まで聞き出せなかった、支店長が関心を示したのは刻文での塔子の立場の方だった、確かに刻文支店長としては久々に再会した元部下との貴重な時間を無駄にしたくなかったのか知れない。
 
 さてどうしたものか、次の算段を考えなければならない。
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