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シーズンⅠ-7 北部の宿敵

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 待機室には、何度か見たことがあるだけで話をした事がない六十歳に手が届く感じの太田素子が,美枝子に最初のレクチャーをするべくまさに待機していた。

「工藤先生、あなたと理事長は二十年来のお知り合いでしたよね。理事長は絶対に裏切らない忠誠を誓う者だけを認めるお方です。あなたは、今日からその内の一人だということです。これからは、女学院の教頭や校長として学園の指示の下で東北六家《とうほくろっけ》とも関わってもらいます」

「どういうことでしょうか」

「いずれ健将様をお助けするために、今のうちからあなたの顔を売っておくのです。東北六家の中の北部宗家の立ち位置を知らないとお手伝いは無理です」

 美枝子は東北六家の名前は知っている。

 逆に言えば、美枝子程度では東北六家の詳細なことは何も知らない。

 東北六家について聞いてみたいとは思ったが、いま美枝子がすべき事は理事長から言われた中野家の事情を教えてもらうことだった。

 かなりの時間に亘り太田素子から中野家についてレクチャーを受けた。

 この街で暮らす年配者で、北部宗家と中野家の確執を知らない者はいない。

 宴席では地元の歴史が必ずと言っていいほど話題になる。

 宴席でお酒が入ると地元の歴史が話題になるのはきっとどこの県でも同じだと美枝子は思っている。

 他県では明治維新の時の話が多いと聞いていたが、ここでは四百年以上も前の戦国時代に日の本を平定する最後の戦をここでやったことが話の中心になる。

 そういう意味では、太田素子が教えてくれた中野家の事情の半分は美枝子も知っていた。

 北部家はこの四百年以上も前の戦を境に宗家に上り詰めていた。

 一方で、天下人に真っ向から戦いを挑んだ九条《くじょう》一族はその時に滅ぼされている。

 その戦で首謀者とされた九条一族の長兄には、養子に出されていた実弟がいた。

 この弟は養子先から抜け出て、さらに改名し中野と名乗り北部家に仕え、この戦でも北部勢の一員として参戦している。

 実弟の中野は、首謀者の兄と腹心数名の命と引き換えに九条城に籠城している数百名の命乞いは許されたのを確かに聞いたが、それは反故にされ、全員が惨殺の憂き目にあい九条一族は潰えた。

 実弟の中野は恩賞を拒否。

 代わりに、戦で散った九条一族の御霊を弔うべく寺院の建立を願い出て、長い歳月を要したがそれを成し遂げた。

 その後の中野家は、この戦で宗家に昇りつめた北部家の下で代々に亘り重臣として明治維新まで北部家を支え続けている。

 しかし、あの戦で命乞いを許された後で反故にされた九条一族を助けるために天下人に訴え出なかった北部家の冷徹さを中野家は代々忘れていない。

 宴席になるとこの話がよく出る。

 もう四百年以上前の話にも関わらずだ。

 天下人を相手に戦った九条一族と生き残った中野家を自分に重ねる。

 そして話に尾ひれがついていく。

 美枝子も何度か聞かされている。

 この街で北部グループが強大なのは誰もが知っているが、宴席では北部という名前は反骨精神を捨てた一族と見る人々も少なからずいた。

 現代においてもこの街では中野家は一目置かれている。

 美枝子もそういう目で見ている。

 だが、その中野家を今もって支えている中野家家臣団の各家について知る者はいない。

 中野家当主の号令一つで動くという神話ができあがっているので、誰も詳しくは知らない都市伝説と化しているというのが本当のところだった。

 理事長は、現在の中野家当主である中野壮一氏がいずれ北部宗家に敵対してくるとおっしゃったが、中野家とその家臣団が北部宗家へ敵対する準備を怠っていなかったということだとすればこれほど恐ろしいことはない。

 両腕を胸の前で組んでいた太田素子が、組んだ状態から右手首を前に向けて折り人差し指だけを美枝子に向けてきた。

「理事長が一番懸念されているのは、中野壮一が北部銀行の頭取になることよ、いまはまだ取締役だけど」

 美枝子に向けられた太田素子の人差し指が何度も振り下ろされる。

 その仕草は憤りと自分の手ではどうにもできないことへの苛立ちに見えた。

「中野塔子さんのお父様が北部銀行だというのは知っています。そうでしたか、取締役になられていたのですね」

「我々は北部宗家なのよ。銀行と言えども宗家に仇《あだ》する可能性のある人間を頭取にするとは思えないけど。ただし、中野家が北部宗家を長年に亘って支えてきたのも事実。支えてきた歴史から見ても仮に中野壮一が北部銀行頭取になったとしても世間的には違和感はないという現実もあるわ」

 そこまで言うと太田素子はやっと腕組みを解いた。

「そういえば、工藤先生のご子息も北部銀行でしたよね」

「うちのはまだ駆け出しですし、沿岸部勤務ですので・・・」

「銀行の内情を知る機会も増えてくると思いますので、そういうときがきたらご子息からうまく聞き取りできるようしておいてください」

 なにからなにまで手回しのいいことだと思ったが、わかりました、とだけ伝えた。

 これから、この太田素子に教えを請う日が続くのだろうが、美枝子の過去も含めて見透かされているようであまり気分のいいものではないのが本音だが、敷かれたレールを歩む以外に道はない。

「太田さん。一つお聞きしてもよろしいでしょうか」

「なんなりと、どうぞ」

「ありがとうございます。中野塔子さんですけど、一人娘が、相手が北部宗家だとしても他家に嫁ぐということはあり得るんでしょうか。中野家の跡継ぎが居なくなりませんか」

「そうね。理事長は、こちらで生まれたうちの一人を中野家に養子に出すとおっしゃっています。ただ、それは北部の考えであるだけ。実は、中野の事情はほとんど分かっていないのが現実よ。中野家を支えている家臣団が二百人とも三百人とも言われています。いくつの家があるのかは今となっては誰も知らない。どこに勤めているのか、この学園の職員にもいるかも知れない」

「・・・そんな」

「私と工藤先生の持つ糸口は中野塔子だけと思ったほうがいいと思う。北部大学時代のは掴んでいます。工藤先生には女学院時代の中野塔子を調べて頂きたい、いままでに我々が知っていること以外でなにか分かるかも知れないので」

「わかりました」

 いま持っている中野塔子の情報交換をしたあとで、これからは常時、連絡を取り合うことを約束させられてレクチャーは終了した。


 中野塔子《なかのとうこ》。

 女学院時代は合気道部に在籍していた。

 大学時代も続けていたのが確認できた。

 女学院時代の学業の成績は普通より少し上だったと思う。

 確か学年で百位以内にぎりぎりで顔を出していたはず。

 背丈が高く筋肉質なイメージの女性だ。

 雰囲気はどちらかというと暗い印象がある。

 普段は何を考えているのか分からない、表情に出ないと言うか表情が無いと言った方が的を得ているかも知れない。

 最大限の誉め言葉で表せば、自分を持っている感じだったと思う。

 取り巻きや仲の良い友達は一族かも知れないので女学院時代のその辺を調べてみるのが美枝子の仕事になる。

 大学時代に特定の男性がいた気配はなかったという。

 太田素子の見立ては、男女共に友達は多かったと思うが、取り巻きが恋愛対象になる男は寄せ付けなかったのだろうだった。

 失礼だが太田素子に恋愛の何たるかが分かるのか疑問に思ったが、口には出さなかった。



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