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第2部・第6話:小悪魔は笑う
第1章
乾いた大地に風が吹き抜ける。
耳を澄ませば、刻々と形を変える砂の音まで聞こえてくるようだ。
歴史の中に忘れ去られた古の都は、市街地の外れに、ひっそりと佇んでいる。
「――すごい……!」
神殿らしき遺跡の全容を確認して、ルカはたまらず歓声を上げた。
文明が滅び、時代に取り残されても、巨大な建造物は変わらずその威容を保っている。風化を免れた柱の上部には、所々精緻な彫刻が残っており、在りし日の栄華を感じさせられた。
「遺跡があることは知っていたけれど……」
「一度観てみたかったので、ありがたいですね」
博学なユージーンとネイトはそれぞれ、示し合わせたように満足げな表情を浮かべている。
「家庭教師に聞いた事があるような気はするんだが」
「立派なもんだな」
歴史があまり得意でないフィンレーや、旧時代の遺跡の存在などまったく知らなかったというジェイクでさえ、圧倒されたように、神殿とその周囲に点在する文明の名残に感じ入っているようだ。
ぬいぐるみ体のレフは、ルカのフードの中から、入り口付近に掘られたライオンのレリーフを、ジッと睨み付けている。
六者六様の若者達の反応を、この「ちょっとした観光」を提案した張本人、偉大なる魔法使い・黄金のベリンダは、美しく華やかな笑みを浮かべて見守っていた。
サウスホーフ州ビルダヴァを発った魔王軍斥候隊は、北の魔境へ向かう本来の旅のルートに戻るべく、北東へ4つ先の町・アルトゥナに立ち寄っている。
オアシスとしての規模は小さいが、市街地の南西部で遺跡が発見されたことによって、アルトゥナは学究と観光の町として発展することになった。人々の暮らしぶりも豊かそうで、通りには土産物屋が軒を連ねており、呼び込みの声にも活気が溢れている。
歴史家や研究者の出入りも多いため、時期によっては宿が取りづらいこともあるらしい。しかし幸いにも、時折強い風の吹くこの時期は発掘には不向きであるようで、一行はたまたま通りで声を掛けられた宿で、全員分のシングルルームを確保することに成功した。
アルトゥナに到着したのが、夕刻というには少々早い時間だったこともあって、ベリンダの提案により遺跡見物に出掛けることになった、という訳だ。
たとえ世界が違っても、風化した石と砂の遺物にロマンを感じるのは、どこも同じらしい。
ほとんどこの世界の歴史を知らないルカも含めて、斥候隊員は存分に「時代の重み」を味わった。日が暮れる間際ということもあってか、観光客も少なく、落ち着いて見学できたのも大きかっただろう。
大神殿を中心に、主要な建造物を幾つか見て回ってから、宿に戻る。
「――!」
ルカがふと足を止めたのは、大神殿の中に紫色の光が灯るのを見掛けたからだ。
空にはうっすらと赤みが差しており、建物の内部は既に薄暗い。じっと目を凝らすと、光は闇の中に溶け込むように佇む人物の胸元から発されているようにも見える。
周囲の観光客も、ほとんどがアルトゥナ市街地へ向けて帰ろうかという時間帯に、一体何をしているのだろう――。
「ルカ、どうしたんだい?」
ユージーンに呼ばれて、ルカは前方に向き直った。仲間達は皆一様に数歩先で振り返り、急に立ち止まったルカのことを待ってくれている。もう一度視線を戻した先には、光も人影も見当たらない。
「あれ?」
首を傾げるルカに向かって、フードの中からレフが「どうした?」と訝るような思念波を飛ばしてきた。その様子から察するに、彼も不審なものは見ていないようだ。
「……何でもないよ。見間違いだったみたい」
――暗闇に怯える子供じゃあるまいし。
照れたように笑って、ルカは速足で仲間達に追い付いた。
●
暗い空間を、ルカは漂っていた。
目を開けても真っ黒な世界が広がるのみで、一筋の光さえもない。
果ての見えない中を、ぷかぷかと浮いているような感覚。
――これは夢だ、とルカは思った。
その証拠に、何も感じない。得体の知れない場所や、だらりと伸ばした手足に感覚がないことに対する恐怖さえも。
闇と同化したように、ルカはただ存在しているだけだった。
ふと気が付くと、上空に紫色の光が灯っている。いつからそこにあったのかはわからないが、ルカが意識すると同時に、それは徐々に大きく膨れ上がっていく。
ゆらゆらと蠢く様子を無感動に見詰めていると、やがて光の中に人影が浮かび上がった。黒衣を纏った、長い髪の女性だ。見覚えはあるはずなのに、誰だか思い出せない。
この時、この空間におけるルカに、初めて「もどかしい」という感情が芽生えた。
女性は淡い微笑みを浮かべて、たおやかな手でルカを手招いている。
――来て。
女性の赤い唇がささやいた。思いの外低めのトーンが、耳朶に心地良い。
誘われるまま、思わずルカは、女性に向かって右手を伸ばしていた。いつの間にか紫色の光は膨張を止め、彼女との距離が近付くことはない。
――貴方を家に還してあげるわ。
女性が謳うように重ねた瞬間、ルカは気付いた。この紫の光は、大神殿の中で見たものと同じ。神々しく、そして禍々しい色だった、と。
そして、覚醒は突然訪れた。
「――!」
目を見開いたルカは、状況を確認するように、周囲を見回す。辺りはまだ暗いが、清潔なベッドと、シンプルで趣味の良い最低限の家具の供えられた室内には見覚えがあった――今夜の宿の、ルカに割り当てられたシングルルームだ。
「……」
見慣れた場所に安堵することもなく、ルカは静かにベッドを這い出した。オレンジ色の瞳が、紫色に輝いている。祖母特製の魔法除けの首輪をしているはずのレフが目覚めないことを不思議とも思わず、ルカはまるで操られているかのように、部屋を抜け出した。
寝間着のまま宿を出て、ほとんど人気もなくなった歓楽街を通り過ぎる。
虚ろな表情のまま向かったのは、町に隣接する遺跡群だった。
大神殿の中には、ルカを待ち受けるかのように、黒衣の人影が佇んでいる。
「お久し振りです。ようこそ、『予言の子供』よ」
黒いローブを目深に被った男は、恭しく礼を取った。
普段のルカであれば、直接面識もない人物に「久し振り」などと声を掛けられれば、さすがに相手の素性を訝しんだだろう。しかし、今のルカには正常な判断は難しいらしく、焦点の定まらない眼で、男の手元をじっと見詰めている。
男はニヤリと口元を歪め、エスコートするようにルカの手を取った。華奢な身体を引き寄せながら、ルカの眼前に、紫色の石の付いたペンダントを翳して見せる。
「――さあ、これを。あの方からの贈り物です」
「――!」
黒い紐が、片手で器用に首に掛けられた。
紫色の輝きが胸元に収まった瞬間、ルカは大きく目を見開く。
そして意識を失ったように、ぐったりと男の腕の中に倒れ込んだのである。
男はこうなることを見越していたようで、ルカの全体重を難なく受け止めた。そのあまりの軽さに、これが己の主を脅かす存在であるとされることへの疑いを強くする。
フードから覗く端正な口元には嘲るような笑みが浮かんでいたが、それも長くは続かなかった。
「――! ルカ……!」
予言の子供を呼ぶ声が、風に乗って微かに聞こえて来る。仲間のうちの誰かが不在に気付き、探しに来たのかもしれない。――まったく、目ざとい奴らだ。
姿を視認するよりも先に、それが自身の因縁の相手であることを悟って、男は小さく舌打ちした。昏倒したルカの身体を地面に横たえ、音もなく影に紛れる。
「ルカ!!」
姿を現したのは、やはり黄金のベリンダの弟子である、魔法使いの青年だった。美しく整った容貌を驚愕に染め、地に仰臥するルカへと駆け寄る。
ユージーンの悲嘆する姿を、男は嗤った。そして、意識のないルカに向けて、小さく呟く。
「永遠におやすみなさい――良い夢を」
冷徹な美貌を皮肉の色に染めた男――魔王麾下のヘルムートは、ローブの裾を翻し、闇の中へ溶けるようにして姿を消した。
耳を澄ませば、刻々と形を変える砂の音まで聞こえてくるようだ。
歴史の中に忘れ去られた古の都は、市街地の外れに、ひっそりと佇んでいる。
「――すごい……!」
神殿らしき遺跡の全容を確認して、ルカはたまらず歓声を上げた。
文明が滅び、時代に取り残されても、巨大な建造物は変わらずその威容を保っている。風化を免れた柱の上部には、所々精緻な彫刻が残っており、在りし日の栄華を感じさせられた。
「遺跡があることは知っていたけれど……」
「一度観てみたかったので、ありがたいですね」
博学なユージーンとネイトはそれぞれ、示し合わせたように満足げな表情を浮かべている。
「家庭教師に聞いた事があるような気はするんだが」
「立派なもんだな」
歴史があまり得意でないフィンレーや、旧時代の遺跡の存在などまったく知らなかったというジェイクでさえ、圧倒されたように、神殿とその周囲に点在する文明の名残に感じ入っているようだ。
ぬいぐるみ体のレフは、ルカのフードの中から、入り口付近に掘られたライオンのレリーフを、ジッと睨み付けている。
六者六様の若者達の反応を、この「ちょっとした観光」を提案した張本人、偉大なる魔法使い・黄金のベリンダは、美しく華やかな笑みを浮かべて見守っていた。
サウスホーフ州ビルダヴァを発った魔王軍斥候隊は、北の魔境へ向かう本来の旅のルートに戻るべく、北東へ4つ先の町・アルトゥナに立ち寄っている。
オアシスとしての規模は小さいが、市街地の南西部で遺跡が発見されたことによって、アルトゥナは学究と観光の町として発展することになった。人々の暮らしぶりも豊かそうで、通りには土産物屋が軒を連ねており、呼び込みの声にも活気が溢れている。
歴史家や研究者の出入りも多いため、時期によっては宿が取りづらいこともあるらしい。しかし幸いにも、時折強い風の吹くこの時期は発掘には不向きであるようで、一行はたまたま通りで声を掛けられた宿で、全員分のシングルルームを確保することに成功した。
アルトゥナに到着したのが、夕刻というには少々早い時間だったこともあって、ベリンダの提案により遺跡見物に出掛けることになった、という訳だ。
たとえ世界が違っても、風化した石と砂の遺物にロマンを感じるのは、どこも同じらしい。
ほとんどこの世界の歴史を知らないルカも含めて、斥候隊員は存分に「時代の重み」を味わった。日が暮れる間際ということもあってか、観光客も少なく、落ち着いて見学できたのも大きかっただろう。
大神殿を中心に、主要な建造物を幾つか見て回ってから、宿に戻る。
「――!」
ルカがふと足を止めたのは、大神殿の中に紫色の光が灯るのを見掛けたからだ。
空にはうっすらと赤みが差しており、建物の内部は既に薄暗い。じっと目を凝らすと、光は闇の中に溶け込むように佇む人物の胸元から発されているようにも見える。
周囲の観光客も、ほとんどがアルトゥナ市街地へ向けて帰ろうかという時間帯に、一体何をしているのだろう――。
「ルカ、どうしたんだい?」
ユージーンに呼ばれて、ルカは前方に向き直った。仲間達は皆一様に数歩先で振り返り、急に立ち止まったルカのことを待ってくれている。もう一度視線を戻した先には、光も人影も見当たらない。
「あれ?」
首を傾げるルカに向かって、フードの中からレフが「どうした?」と訝るような思念波を飛ばしてきた。その様子から察するに、彼も不審なものは見ていないようだ。
「……何でもないよ。見間違いだったみたい」
――暗闇に怯える子供じゃあるまいし。
照れたように笑って、ルカは速足で仲間達に追い付いた。
●
暗い空間を、ルカは漂っていた。
目を開けても真っ黒な世界が広がるのみで、一筋の光さえもない。
果ての見えない中を、ぷかぷかと浮いているような感覚。
――これは夢だ、とルカは思った。
その証拠に、何も感じない。得体の知れない場所や、だらりと伸ばした手足に感覚がないことに対する恐怖さえも。
闇と同化したように、ルカはただ存在しているだけだった。
ふと気が付くと、上空に紫色の光が灯っている。いつからそこにあったのかはわからないが、ルカが意識すると同時に、それは徐々に大きく膨れ上がっていく。
ゆらゆらと蠢く様子を無感動に見詰めていると、やがて光の中に人影が浮かび上がった。黒衣を纏った、長い髪の女性だ。見覚えはあるはずなのに、誰だか思い出せない。
この時、この空間におけるルカに、初めて「もどかしい」という感情が芽生えた。
女性は淡い微笑みを浮かべて、たおやかな手でルカを手招いている。
――来て。
女性の赤い唇がささやいた。思いの外低めのトーンが、耳朶に心地良い。
誘われるまま、思わずルカは、女性に向かって右手を伸ばしていた。いつの間にか紫色の光は膨張を止め、彼女との距離が近付くことはない。
――貴方を家に還してあげるわ。
女性が謳うように重ねた瞬間、ルカは気付いた。この紫の光は、大神殿の中で見たものと同じ。神々しく、そして禍々しい色だった、と。
そして、覚醒は突然訪れた。
「――!」
目を見開いたルカは、状況を確認するように、周囲を見回す。辺りはまだ暗いが、清潔なベッドと、シンプルで趣味の良い最低限の家具の供えられた室内には見覚えがあった――今夜の宿の、ルカに割り当てられたシングルルームだ。
「……」
見慣れた場所に安堵することもなく、ルカは静かにベッドを這い出した。オレンジ色の瞳が、紫色に輝いている。祖母特製の魔法除けの首輪をしているはずのレフが目覚めないことを不思議とも思わず、ルカはまるで操られているかのように、部屋を抜け出した。
寝間着のまま宿を出て、ほとんど人気もなくなった歓楽街を通り過ぎる。
虚ろな表情のまま向かったのは、町に隣接する遺跡群だった。
大神殿の中には、ルカを待ち受けるかのように、黒衣の人影が佇んでいる。
「お久し振りです。ようこそ、『予言の子供』よ」
黒いローブを目深に被った男は、恭しく礼を取った。
普段のルカであれば、直接面識もない人物に「久し振り」などと声を掛けられれば、さすがに相手の素性を訝しんだだろう。しかし、今のルカには正常な判断は難しいらしく、焦点の定まらない眼で、男の手元をじっと見詰めている。
男はニヤリと口元を歪め、エスコートするようにルカの手を取った。華奢な身体を引き寄せながら、ルカの眼前に、紫色の石の付いたペンダントを翳して見せる。
「――さあ、これを。あの方からの贈り物です」
「――!」
黒い紐が、片手で器用に首に掛けられた。
紫色の輝きが胸元に収まった瞬間、ルカは大きく目を見開く。
そして意識を失ったように、ぐったりと男の腕の中に倒れ込んだのである。
男はこうなることを見越していたようで、ルカの全体重を難なく受け止めた。そのあまりの軽さに、これが己の主を脅かす存在であるとされることへの疑いを強くする。
フードから覗く端正な口元には嘲るような笑みが浮かんでいたが、それも長くは続かなかった。
「――! ルカ……!」
予言の子供を呼ぶ声が、風に乗って微かに聞こえて来る。仲間のうちの誰かが不在に気付き、探しに来たのかもしれない。――まったく、目ざとい奴らだ。
姿を視認するよりも先に、それが自身の因縁の相手であることを悟って、男は小さく舌打ちした。昏倒したルカの身体を地面に横たえ、音もなく影に紛れる。
「ルカ!!」
姿を現したのは、やはり黄金のベリンダの弟子である、魔法使いの青年だった。美しく整った容貌を驚愕に染め、地に仰臥するルカへと駆け寄る。
ユージーンの悲嘆する姿を、男は嗤った。そして、意識のないルカに向けて、小さく呟く。
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