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第33話 魔王、悶々とする その2

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 月明りの下では二名の存在が向き合っていた。
 魔王ヴァイフリング、そしてアルテシア・カノンハートである。本来ならばこの組み合わせの時点で即刻決戦が起きていてもおかしくはない。
 当然、ヴァイフリングはへ転がる事に関してはぜひとも、という心構えである。しばらく骨のある敵と戦えず、少々不満でもあったのだ。

『フハハハ。調子でも悪いのか? 我輩の知っている貴様ならば、既に五度は殴りに掛かって来ているはずなのだがな?』
「ネイムもエリエもフレイドもいない。流石に私一人で貴様を倒せると思っているほど自惚れてはいないさ」
『はんっ! 殊勝な事だ! まあ、我輩は最強だし~? あの時はちょっと調子が悪かっただけだからな!』

 それをアルテシアは鼻で笑った。

「はて? そうだっただろうか? あの時確か貴様こう言っていたぞ。“今宵の我輩は最高の状態だ! 負けるなぞ到底あり得ぬわ!”とな」
『断じて言ってない! というか覚えるな、そこは!』
「はぁ……貴様と話しているとあの時の決戦が昨日のことのように思い出される」
『昨日の事だぁ? 我輩からしてみれば、あの屈辱は現在進行形だ』

 視線を交わし合う二人。そこに込められているのはただの戦意だけではない。

『それで? 何故貴様が今出てくる? 自慢ではないが、我輩はまだ貴様に目を付けられるようなことはしていないぞ』
「イーリス・シルバートンに憑依していてか? その言葉は素直に受け取る訳にいかないな」
『はっ! やはり隠れていても駄目だったか』
「……イーリスと初めて会った時、私は驚いたよ。何故、こんな少女が魔王の魔力を滲ませているのかとな」

 そこでアルテシアは一度言葉を区切り、綺麗な月を見上げた。

「教えてくれ、というのも変な話か? 何故封印の直前、逃げ出せた?」

 アルテシア・カノンハートは魔王ヴァイフリングと昔話をするために来たわけではない。どうしても気になっていた事――決着がついたについてどうしても知りたいことがあったためである。

「エリエの封印魔法はその精密さ、そして行使速度ではこの世に並ぶものはない。いくら魔王であろうと、逃げ出せるわけがないはずだ」

 その間、ヴァイフリングは黙して彼女の顔を見つめていた。浮かべる表情には少しばかりの真剣みが滲んでいる。

「単純に、エリエがあの瞬間に緊張かなにかで手元が狂ってしまい、そこを突いた。ということなら全然納得できる。だが、こと魔法においてあのエリエがしくじるなんて万が一にも考えられないというのが本音だ。では、何かがあったに違いないと辿り着くのが自然だろう?」

 アルテシアの言葉は正しかった。ヴァイフリングは内心で彼女の考えを肯定する。
 確かにエリエ・ルスボーンの封印魔法は完璧の上を更に超えていた。首を狙ってくる魔族達の中には封印魔法に精通した者も混ざっており、その辺の封印魔法に対するカウンターならば心得のあるヴァイフリングを以てしても、エリエの封印魔法には何もすることが出来なかった。
 何故か? その答えは簡単、単純に速いのだ。
 力が弱い封印ならば破り、完成が遅い封印ならば抜け出せたのに、あの封印魔法はその速度と堅固さを両方持ち合わせていたのだ。

『……そうさな、我輩もあの時は良く分かっておらん。何せ死に物狂いだったからな』

 だが、とヴァイフリングは一拍置く。この話にはまだ続きがあるのだ。

『死に物狂いで抵抗したせいか、あのエリエが僅かばかりに封印魔法に穴をあけおったではないか』
「……穴?」
『そうだ。お前らの他にもう一つ気配があったし、大方我輩の部下が最後の抵抗でもしたのだろう?』

「待て。今、何と言った?」

『我輩の部下が最後の……』
「違う。その前だ。……もう一つ気配がしただと?」

 口元に手をやったアルテシアは、当時の記憶を懸命に引っ張り出す作業に移った。あの時の事はよく覚えているだけに、一部始終を思い出すにはさほど時間はかからない。
 その上で、断じることが出来る。そして、納得した。
 あのエリエ・ルスボーンがあそこまで完璧に封印魔法を発動しておいて、あの魔王がまんまと逃げおおせたその訳が。

「……何だ?」
『あん?』
「あそこには貴様と私達四人しかいないはずだ。ヴァイフリング、貴様の感じた気配とは一体?」
『……貴様らの隠された五人目の仲間などではないのか?』
「人のことは言えないが、あんな狂人共の仲間になりたい奴がいるとでも?」
『すまん。おらんな』

 魔王ヴァイフリングをしても即答であった。絶対イヤである。仮に人間の肉体と自我を授かったとしても、恐らく近づこうとすら思わない。
 『暁の四英雄』とは、そういうキワモノの集団なのだ。

『なら、いるという訳か? あの頭のおかしな魔術師どころか、貴様を始めとする他の三人を出し抜いた存在が』

 その問いに、すぐ答えを出すことが出来なかったアルテシア。頭の中ではもう回答は固まっている。だが、その事実に感情が追い付いてこない。
 何故なら、ソレを認めてしまうということは新たな事実を生み出してしまうことになるからだ。

「ヴァイフリング、貴様はどう思っている?」
『力を感じたのは間違いないさ。今にして思えばアレはそうさな、力の半分を辛うじて飛ばせたというよりは――』

 その先は一言一句同じであったアルテシアが、ヴァイフリングの言葉を引き継ぐ。

、ということなのか」

 認めたくないな、とヴァイフリングには聞こえないように呟いた。
 何せ、あの死闘が――どこの誰とも分からぬ謎の存在にとってのとなっていたのかもしれないのだから。
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