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第一章:アルテイルの扉
【10】女の涙
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「私、お母さんは平民なんだ」
ミレイユが発したその言葉で、俺は自分の推測が正しかったことを確信した。
こういう時に限って予感がよく当たる。
「お母さんは貴族の家で働いてたんだけど、そこの貴族の一人息子に無理矢理……。それで生まれたのが私」
「そうか……」
俺はなんて言って慰めればいいか、すぐに思いつかなかった。
冒険者の中にだってモンスターに犯される女はたまにいるが、ほとんどの場合はそのまま殺されて人生が終わる。
だから本人への慰めの言葉なんて考える必要はなかった。
まあ、直接の被害を受けたのはミレイユではなく母親の方だが。
「それからずっと、あいつらの屋敷で生きてきたんだ。あいつの正妻の子供は二人共『夜病持ち』だったから、お母さんも私も毎日いじめられてた」
『夜病持ち』、つまりは日光を浴びることができない遺伝病を持った者達ということだ。
日光さえ浴びなければ特に問題は起こらないが、行動は大幅に制限されるから、時間帯を気にせず動き回れるミレイユ達は疎まれたんだろう。
「それで逃げだしてきたのか?」
「逃げられないよ。私は跡継ぎのための予備として確保されてるの。私が逃げられないように、お母さんは屋敷の牢屋に入れられてる」
平民の血が混じっているとはいえ、夜病持ちよりはまだミレイユの方がマシだと判断されたということだろうか?
正妻の子供ということにして誤魔化そうなんて考えていたのかもしれない。
「でも、ついにチャンスが来たんだ」
ミレイユは顔を上げた。
その目には小さな決意と共に、うっすらと涙が浮かんでいる。
「あいつ、お母さん以外の女にも沢山手を出してたんだけど、その中に貴族の女が何人もいたんだ。……既婚も未婚もね。中には婚約が決まってた女もいたって話」
「おいおい……。それはとんでもないスキャンダルだぞ」
貴族の女。
ミレイユのその言い方に、俺は彼女の憎しみが相当なものであることを理解した。
まだ数日の付き合いでしかないが、少なくとも彼女は日常的にそんな言葉を使うようなやつじゃない。
「うん。それであいつらは一気に追い込まれたんだ。最初に発覚したのは未婚の女だけだったから、結納金を払って側室として引き取ることになったんだけど、その後で既婚とか婚約済みの女にも手を出してたのがバレたから……」
貴族の結婚の場合、普通は妻が持参金を持っていく。
それが逆に妻の実家に対して結納金を払ったとなると、相当に揉めたのは想像に難くない。
「詳しい経緯とかは私もわからないんだけど、結局あいつの家は取り潰されることが決まったんだ。でもそれだとホントの事がバレるでしょ? だから表向きは金欠になったあいつらが借金返済のために、爵位を売りに出すってことになったんだ」
「なるほど。自分の妻が他の男に抱かれたなんてことが知られれば、貴族同士の政治で圧倒的に不利だからな。婚約だって解消されてもおかしくはないか」
「うん。喧嘩を売り買いする口実に利用されるからね。貴族の結婚って好き嫌いは後回しで、とにかく利益のためにするものだから」
「それでついに解放されたんだな」
ここまでの話を聞いて、俺はミレイユ達がついに解放されたのだと思った。
爵位を売った場合、売った者達は爵位を失うだけではなく貴族ですらなくなってしまう。
それなら跡継ぎなんて必要ないのだから。
ミレイユはきっと生活の基盤を整えて、一日も早く母親と暮らしたいのだろうと。
だが実際は少し違った。
「ううん。お母さんはまだ捕まったまま。私は『とにかく金を稼いでこい』って言われて外に出されたんだ」
「そうか……。つまりまだそいつらに使われる状況は変わらないわけか」
「うん……。でも、やっと私にもチャンスが回ってきたんだ」
「チャンス?」
ミレイユの瞳に希望の光が差し込んだ。
「婚約を破棄されたくない貴族に言われたんだ。お金さえ用意できれば、私に爵位を売ってくれるって」
「え?」
それを聞いて、さすがの俺も驚いた。
爵位を買うと言ったら、普通は貴族か豪商が名乗りを上げるものだ。
いくら父親が貴族だからって、今のミレイユにそんな話が舞い込んでくるとは思えない。
爵位を得るには王の証人が必要で、金さえあれば誰でも入札に参加できるわけじゃないのだから。
「騙されてるんじゃ……。いや、そうか。そういうことか」
俺はピンときた。
「つまり対外的には、平民の子であるミレイユに継がせるために爵位を売りに出すってことにするわけだな?」
「うん。さすがはジェイド、気付くのが早いね」
「借金で首が回らなくなった貴族が、せめて娘の一人ぐらいは守ろうとした。確かにそれなら話も複雑になるし、スキャンダルを誤魔化せそうだ。それで纏まった金が必要ってわけか」
「そういうこと」
「……よし、それなら明日は迷わず50階に行こう」
「え?」
俺の急な提案を聞いたミレイユが目を丸くした。
「金がいるんだろ? だったらさっさと稼いで爵位を買おう。のんびりしてたら他の奴に買われるかもしれないしな」
「いいの? だって……、ジェイドは慎重に行こうって言ってたのに」
「いいんだよ。攻めなきゃならない時だってある」
「うん……。うん、ありがとうジェイド」
ミレイユはついに大粒の涙を流し始めた。
(天上の塔の頂上を目指すかどうかは、その後でゆっくり決めたらいいさ)
彼女が天上の塔に登りたい理由が爵位を買うための金だというなら、それが達成された時点で目的は消滅してしまう。
その時は……俺一人で塔に挑むことになるだろう。
(大丈夫、前世の俺だって一人で登ったんだ。ミレイユがいなくたって問題ないさ)
他に客がいない店の中に、ミレイユの嗚咽の声が響く。
俺もマスターも、空気を読んで何も言わずに黙っていた。
◇ ◆
「じゃあまた明日ねジェイド!」
「ああ、今日はしっかり寝ておけよ?」
「うん!」
店の前でジェイドと反対方向に別れたミレイユは、そのまま振り返らずに大通りを曲がった。
「……ふう。危なっかったぁー」
ミレイユは立ち止まると、大きな溜息をついた。
先程まで泣いていたのが嘘のような表情をしている。
「なんとか誤魔化せたみたいだね。相変わらず女の涙に弱くて助かったよ」
彼女は首に掛けていたペンダントを握りしめた。
「ま、そういうとこ、ジェイドらしいといえばらしいけど」
ミレイユは建物の影から顔を出した。
向こう側にはまだジェイドの後ろ姿が見える。
「ふふっ。またパーティが組めてうれしいよジェイド。仲良くしようね、『昔』みたいにさ♪」
ミレイユが発したその言葉で、俺は自分の推測が正しかったことを確信した。
こういう時に限って予感がよく当たる。
「お母さんは貴族の家で働いてたんだけど、そこの貴族の一人息子に無理矢理……。それで生まれたのが私」
「そうか……」
俺はなんて言って慰めればいいか、すぐに思いつかなかった。
冒険者の中にだってモンスターに犯される女はたまにいるが、ほとんどの場合はそのまま殺されて人生が終わる。
だから本人への慰めの言葉なんて考える必要はなかった。
まあ、直接の被害を受けたのはミレイユではなく母親の方だが。
「それからずっと、あいつらの屋敷で生きてきたんだ。あいつの正妻の子供は二人共『夜病持ち』だったから、お母さんも私も毎日いじめられてた」
『夜病持ち』、つまりは日光を浴びることができない遺伝病を持った者達ということだ。
日光さえ浴びなければ特に問題は起こらないが、行動は大幅に制限されるから、時間帯を気にせず動き回れるミレイユ達は疎まれたんだろう。
「それで逃げだしてきたのか?」
「逃げられないよ。私は跡継ぎのための予備として確保されてるの。私が逃げられないように、お母さんは屋敷の牢屋に入れられてる」
平民の血が混じっているとはいえ、夜病持ちよりはまだミレイユの方がマシだと判断されたということだろうか?
正妻の子供ということにして誤魔化そうなんて考えていたのかもしれない。
「でも、ついにチャンスが来たんだ」
ミレイユは顔を上げた。
その目には小さな決意と共に、うっすらと涙が浮かんでいる。
「あいつ、お母さん以外の女にも沢山手を出してたんだけど、その中に貴族の女が何人もいたんだ。……既婚も未婚もね。中には婚約が決まってた女もいたって話」
「おいおい……。それはとんでもないスキャンダルだぞ」
貴族の女。
ミレイユのその言い方に、俺は彼女の憎しみが相当なものであることを理解した。
まだ数日の付き合いでしかないが、少なくとも彼女は日常的にそんな言葉を使うようなやつじゃない。
「うん。それであいつらは一気に追い込まれたんだ。最初に発覚したのは未婚の女だけだったから、結納金を払って側室として引き取ることになったんだけど、その後で既婚とか婚約済みの女にも手を出してたのがバレたから……」
貴族の結婚の場合、普通は妻が持参金を持っていく。
それが逆に妻の実家に対して結納金を払ったとなると、相当に揉めたのは想像に難くない。
「詳しい経緯とかは私もわからないんだけど、結局あいつの家は取り潰されることが決まったんだ。でもそれだとホントの事がバレるでしょ? だから表向きは金欠になったあいつらが借金返済のために、爵位を売りに出すってことになったんだ」
「なるほど。自分の妻が他の男に抱かれたなんてことが知られれば、貴族同士の政治で圧倒的に不利だからな。婚約だって解消されてもおかしくはないか」
「うん。喧嘩を売り買いする口実に利用されるからね。貴族の結婚って好き嫌いは後回しで、とにかく利益のためにするものだから」
「それでついに解放されたんだな」
ここまでの話を聞いて、俺はミレイユ達がついに解放されたのだと思った。
爵位を売った場合、売った者達は爵位を失うだけではなく貴族ですらなくなってしまう。
それなら跡継ぎなんて必要ないのだから。
ミレイユはきっと生活の基盤を整えて、一日も早く母親と暮らしたいのだろうと。
だが実際は少し違った。
「ううん。お母さんはまだ捕まったまま。私は『とにかく金を稼いでこい』って言われて外に出されたんだ」
「そうか……。つまりまだそいつらに使われる状況は変わらないわけか」
「うん……。でも、やっと私にもチャンスが回ってきたんだ」
「チャンス?」
ミレイユの瞳に希望の光が差し込んだ。
「婚約を破棄されたくない貴族に言われたんだ。お金さえ用意できれば、私に爵位を売ってくれるって」
「え?」
それを聞いて、さすがの俺も驚いた。
爵位を買うと言ったら、普通は貴族か豪商が名乗りを上げるものだ。
いくら父親が貴族だからって、今のミレイユにそんな話が舞い込んでくるとは思えない。
爵位を得るには王の証人が必要で、金さえあれば誰でも入札に参加できるわけじゃないのだから。
「騙されてるんじゃ……。いや、そうか。そういうことか」
俺はピンときた。
「つまり対外的には、平民の子であるミレイユに継がせるために爵位を売りに出すってことにするわけだな?」
「うん。さすがはジェイド、気付くのが早いね」
「借金で首が回らなくなった貴族が、せめて娘の一人ぐらいは守ろうとした。確かにそれなら話も複雑になるし、スキャンダルを誤魔化せそうだ。それで纏まった金が必要ってわけか」
「そういうこと」
「……よし、それなら明日は迷わず50階に行こう」
「え?」
俺の急な提案を聞いたミレイユが目を丸くした。
「金がいるんだろ? だったらさっさと稼いで爵位を買おう。のんびりしてたら他の奴に買われるかもしれないしな」
「いいの? だって……、ジェイドは慎重に行こうって言ってたのに」
「いいんだよ。攻めなきゃならない時だってある」
「うん……。うん、ありがとうジェイド」
ミレイユはついに大粒の涙を流し始めた。
(天上の塔の頂上を目指すかどうかは、その後でゆっくり決めたらいいさ)
彼女が天上の塔に登りたい理由が爵位を買うための金だというなら、それが達成された時点で目的は消滅してしまう。
その時は……俺一人で塔に挑むことになるだろう。
(大丈夫、前世の俺だって一人で登ったんだ。ミレイユがいなくたって問題ないさ)
他に客がいない店の中に、ミレイユの嗚咽の声が響く。
俺もマスターも、空気を読んで何も言わずに黙っていた。
◇ ◆
「じゃあまた明日ねジェイド!」
「ああ、今日はしっかり寝ておけよ?」
「うん!」
店の前でジェイドと反対方向に別れたミレイユは、そのまま振り返らずに大通りを曲がった。
「……ふう。危なっかったぁー」
ミレイユは立ち止まると、大きな溜息をついた。
先程まで泣いていたのが嘘のような表情をしている。
「なんとか誤魔化せたみたいだね。相変わらず女の涙に弱くて助かったよ」
彼女は首に掛けていたペンダントを握りしめた。
「ま、そういうとこ、ジェイドらしいといえばらしいけど」
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