社会復帰日記

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19.05.02

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 家族の夢を見た。それはただ父と母が登場するだけで、何もドラマはなかった。目覚めて、実家に顔を見せに行こうかと思った。ところで、鬱になるような性格が形成される上で、家族は恐らく避けて通ることが出来ないテーマのはずだ。自分なりにいくつか考えていることが既にある。概ね、私の家族は幸せだったはずだ。よく語られがちな、ステレオタイプな不幸はなかった。父は厳格だが誠実で、母は夢見勝ちだが優しかった。子どもの頃から良い教育を受けてきた気がする。ただ、思い返せば父の厳しさと母の優しさは、私の他人に認めて貰いたい願望、メンヘラの種を産み出した原因でもありそうだった。まだ幼稚園の頃、私が何かしら悪いことをすると、父は服を剥いだ。食事を与えなかった。家の外に放置された。暴力は振るわれなかった。反省の態度を示せば、最終的には服も食事も与えられたし、家の中にも戻れた。母は優しく迎えてくれた。躾の範疇。よその躾がどんなものか知らないから、程度がわからない。だが、衣食住を奪われる感覚は、人に従わないと生命の危機に瀕する、と幼い私に植え付けられたのではないか。母が暖かく迎えてくれるのも、甘えの一因になった。飴と鞭。躾、教育、矯正、洗脳の差異は上手くわからない。だが、私は両親が好きである。嫌いだと思ったことは全く無い。上に書いたものも、責任を家族に押し付ける酷いやり方だとわかっている。だがしかし、という話だ。鬱期間の延長についても、家族の問題は関わってくるので、いずれまた書く。

 昨日からの続き。ひまチャットの第1期。アイカとユニコと言う女性2人と、ひまチャットからカカオトークへ移って関係を続けていた。

 ユニコとは、いつか会いたいね、なんて話をいつもしていた。ユニコは茨城に住んでいて、その気になれば簡単に会いに行けたが、気軽に会うには遠く、また、シングルマザーと言うこともあって、仮に会えたとしても面倒なことになりそうな気がして、そんな距離感でいつも話をしていた。

 アイカは東京にいた。池袋のコスプレ祭みたいなものに参加していたこともあり、その場に探しに行こうかと思ったくらいだ。実際に、会ってみないかと尋ねたこともある。だが、それははぐらかされた。遠回しの拒否だった。だが、その後でも関係は継続された。責任を持たずに済む匿名の関係ならば、保持しておいても良いと、アイカは考えていたのだろう。

 つまり、2人ともと決定的に大きな進展を向かえることはなく、今までの恋愛のパターンを全くなぞるように、次第に私達の間で話すことがなくなっていき、やり取りの回数そのものが減ってきた。

 今更だが、そもそも私は即レスを嫌がった。どんなに自分に時間があっても、30分~1時間は間を開けた。仕事をしていれば、それより遅くなることも当然あった。その癖、相手からの返信が遅いと、返信が来ないなあ、と気にしていた。どこまでも自分本意だった。

 話題もなくなり、返信のインターバルが開くようになって、いつものように冷めた空気が画面越しにも伝わるようになってきた。その空気に関わることへの嫌な気分が溜まっていった。

 業務は繁忙期に差し掛かっていた。まだ前の部署にいた頃だから、忙しいなりにそこに楽しさ、やりがいみたいなものを見出だせていた。しかし、それでも帰宅が遅くなり、起床が早くなれば生活全体に苛立ちは募る。相槌を打つくらいしか返せない、つまらない冷めたやり取りや、そんなやり取りでも返信が来ないことが気掛りになる自分自身に嫌気が差していた。面倒臭くなっていた。なので、全て終わらせることにした。

 余りにも短絡的な発想だが、匿名の簡単な関係なこともあり、終わりに向かうのもとてもあっさり決めることが出来た。一度、そう決めてしまうと、それが私に必要なことであるとさえ思えた。確かに、この関係は不健全だった。

 細かい話は明日以降に続ける。
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