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第1話 「『運命』だ!オレと『番』になってくれ!」
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「遅刻だー!」
大声と共に、1人の男子学生—加原夏樹がキャンパス内を駆け抜ける。暖色メインの服装と派手なスニーカーに包まれた178cmのスラリとした体には、適度に引き締まった筋肉が付いている。健康的に日焼けした肌には、少し無造作感のある赤みの強い茶髪がよく映えた。良く言えば『親しみやすいイケメン』、身も蓋もなく言えば『チャラそう』な彼の目的地は、大学の部活棟だ。今日は講義で知り合った仲間達と立ち上げたバンドの練習日……だと言うのに、夏樹はレポート提出を忘れた件で、教授に呼び出されていたのである。
「ん?何だ?この匂い……?」
そんな夏樹が体育館横の渡り廊下に差し掛かった時だった。風に乗って、これまで嗅いだこともない、しかし本能に訴えかける様な心地よく、魅力的な”香り”が漂って来た。まるで涼し気な海風の様な……その匂いに、夏樹の足が止まる。一瞬で急いでいたことも、待っているバンド仲間のことも、夏樹の頭からは吹っ飛んでしまった。
「すっげー……いい匂い……」
夏樹は、さっきまで行こうとしていた道を外れ、その香りに吸い寄せられるように体育館の中へと歩を進めた。その様はさながら”光に集まる虫”の如し。
「こっちか?」
体育館の奥に進むにつれて、どんどん香りは強くなってくる。そして、香りを頼りに進み続ける夏樹の前に大きなガラス張りの窓が現れる。窓から眼下を覗くと、そこには大きな室内プールが鎮座していた。夏樹の通う”鷹見大学”は競泳の強豪校としても有名だ。その証拠に、今でもプールには沢山の部員と思しき学生達が屯している。そして、ガラス越しではあるが、夏樹の嗅覚は間違いなく、この向こうから香りは漂ってきていることを捉えていた。
夏樹がプールサイドへと入り込むと、塩素の匂いと共により強くなった”香り”がその鼻腔を一層強く刺激して来た。
「(間違いない……!ここにいる……!)」
内心の興奮を隠しきれない夏樹の前で、1人の選手が上陸して来た。そして、彼の上陸と共に更に『香り』は強くなる。どうやら、香りの主は今上陸した男性選手の様だ。
「(あっ、人魚……だ)」
水滴が陶磁の様な白く透き通る肌を滑り落ち、しなやかに引き締まった身体を際立たせていた。彼が動く度に滴り落ちる水の粒が体育館の照明の光に照らされ、そこだけ光り輝いている様にさえ見える。この世の者とは思えない……そんな美しさだった。
男性選手は、強豪校の選手らしい瘦身ながらも鍛えられた体の持ち主だったが、その首には項を覆い隠す”ネックガード”が嵌まっていた……疑いの余地はない、『オメガ』だ。
この世界には『男』『女』の性別を『第一性』として、更に『アルファ』、『ベータ』、『オメガ』と言う3種類の『第二性』が存在する。
●高い能力と強いリーダーシップを持ち、社会の中枢で権力を握るのが『アルファ』。
●平均な能力と立場を持ち、世の中の8割を占めるのが『ベータ』。
●そして、繁殖に特化した能力を持ち、男女共に妊娠可能なのが『オメガ』。
前者の2種類に関しては優秀で社会的地位が高いのが『アルファ』、社会の大半を担う所謂その他大勢が『ベータ』。概ね、この認識でいればよいだろう。そして、残りの『オメガ』と言う物はある種の曲者『性』と言える。
と言うのは、オメガは3ヶ月に1度の頻度で1週間程、『発情期』と呼ばれる強いフェロモンを発し続ける状態になるからだ。この期間中のオメガは個人差もあるが、基本的に性交渉のことが考えられなくなると言ってよく、更にはフェロモンを嗅いだアルファを誘引してしまうのだ。活動不能になる期間があることやアルファを暴走させかねない性質に加え、肉体的・精神的に繊細であることも手伝ってオメガは、長い間『劣等性』として蔑まれ、差別と偏見に晒されてきた歴史がある。
尤も、最近は抑制剤の発達や人権意識の高まりによって、少しずつその立場も変わって来ている。完全に平等になっているとはいいがたいが、それでも社会進出するオメガは年々増えていると言われているし、数年前には日本からオリンピック代表としてオメガの選手が選出され、しかも銀メダリストになったと言うニュースが世界中の話題をかっさらった程だ。
ちなみに夏樹の性別は『男性・アルファ』。まだ学生だから社会的な地位云々はないが、それでも昔から何でもそつなく出来たし、要領もよかった。頭も悪くない方だと自負している。
夏樹の目の前で問題のオメガは、ベンチに歩み寄るとそこに置いてあったスクイズボトルを手に取った。本人にとっては単なる水分補給なのだろうが、夏樹には中身を飲み込む度に動く喉仏の動きすら舐めかしく見えた。
「ふぅ……」
ボトルから口を放したオメガが溜息を吐いた。
「(やべぇー……色っぽい……)」
次の瞬間、夏樹は突き動かされる様にオメガの下へと駆け寄り、手を取った。突然手を掴まれた相手の困惑や、周囲のざわめきが聞こえた気がしたが、今の夏樹の目には目の前のオメガしか見えていなかった。
「(こいつ……オレの『運命』だ……!なんかどっかで見たことある顔の気もするけど……あー、そんなの後だ!やっと会えた……もう放さねぇ……!ってか、ネックガード邪魔!)」
至近距離で見た顔も”美”の一言だった。儚げで中性的な容姿が多いオメガにしては珍しく、アルファ染みた鋭さが目立つ風貌で身長も夏樹と同じくらいあったが、夏樹にとっては何ら問題には感じなかった。”彼を構成する全てが愛おしい”。正にこの一言に尽きると言えよう。夏樹は、今すぐにでも彼のうなじに噛み付きたいとすら思った。
「『運命』だ!オレと『番』になってくれ!」
夏樹は、自身の中で沸き上がった全ての衝動を吐き出す様に告白した。
「……」
夏樹の熱い告白とは裏腹に、その場の空気は一瞬にして凍り付いた。掛け声やらなにやらで賑やかだったはずのプールサイドは静まり返り、波の音が妙に大きく感じられた。誰かの手から滑り落ちたスクイズボトルが床に当たり、乾いた音が響く。
そんな静寂の中、真っ先に反応を示したのは告白を受けた張本人だった。
「すみません。運命論者は間に合っていますんで……」
オメガは、夏樹の手を振り払い、冷ややかな目で夏樹を見遣った。
「え?」
返された冷淡な反応に、夏樹は思わず固まってしまった。頭の中が真っ白になるとは正にこのこと。『断られた』と言う現実を理解するまで、脳が追い付かない。しかし、オメガは、夏樹が正気を取り戻すまで悠長に待ってくれなかった。
「と言うより、貴方誰なんですか?部員じゃないですよね?不審者ですか?……まあ、どちらにしても練習の邪魔なので出てってください」
オメガは追い打ちとばかりに言い捨てると、固まったままの夏樹を放置して歩いて行ってしまった。直後、背後から水音がしたことを考えると、再び水中に戻って行ったらしい。
「……」
何とか振り返った夏樹は、優雅に水を掻いてコースの向こうへと泳いで行く彼の姿をただ見つめることしか出来なかった。心の中に沸き上がった狂おしい程の感情と、目の前の現実が齎したギャップに心が追い付かなかったのだ。
大声と共に、1人の男子学生—加原夏樹がキャンパス内を駆け抜ける。暖色メインの服装と派手なスニーカーに包まれた178cmのスラリとした体には、適度に引き締まった筋肉が付いている。健康的に日焼けした肌には、少し無造作感のある赤みの強い茶髪がよく映えた。良く言えば『親しみやすいイケメン』、身も蓋もなく言えば『チャラそう』な彼の目的地は、大学の部活棟だ。今日は講義で知り合った仲間達と立ち上げたバンドの練習日……だと言うのに、夏樹はレポート提出を忘れた件で、教授に呼び出されていたのである。
「ん?何だ?この匂い……?」
そんな夏樹が体育館横の渡り廊下に差し掛かった時だった。風に乗って、これまで嗅いだこともない、しかし本能に訴えかける様な心地よく、魅力的な”香り”が漂って来た。まるで涼し気な海風の様な……その匂いに、夏樹の足が止まる。一瞬で急いでいたことも、待っているバンド仲間のことも、夏樹の頭からは吹っ飛んでしまった。
「すっげー……いい匂い……」
夏樹は、さっきまで行こうとしていた道を外れ、その香りに吸い寄せられるように体育館の中へと歩を進めた。その様はさながら”光に集まる虫”の如し。
「こっちか?」
体育館の奥に進むにつれて、どんどん香りは強くなってくる。そして、香りを頼りに進み続ける夏樹の前に大きなガラス張りの窓が現れる。窓から眼下を覗くと、そこには大きな室内プールが鎮座していた。夏樹の通う”鷹見大学”は競泳の強豪校としても有名だ。その証拠に、今でもプールには沢山の部員と思しき学生達が屯している。そして、ガラス越しではあるが、夏樹の嗅覚は間違いなく、この向こうから香りは漂ってきていることを捉えていた。
夏樹がプールサイドへと入り込むと、塩素の匂いと共により強くなった”香り”がその鼻腔を一層強く刺激して来た。
「(間違いない……!ここにいる……!)」
内心の興奮を隠しきれない夏樹の前で、1人の選手が上陸して来た。そして、彼の上陸と共に更に『香り』は強くなる。どうやら、香りの主は今上陸した男性選手の様だ。
「(あっ、人魚……だ)」
水滴が陶磁の様な白く透き通る肌を滑り落ち、しなやかに引き締まった身体を際立たせていた。彼が動く度に滴り落ちる水の粒が体育館の照明の光に照らされ、そこだけ光り輝いている様にさえ見える。この世の者とは思えない……そんな美しさだった。
男性選手は、強豪校の選手らしい瘦身ながらも鍛えられた体の持ち主だったが、その首には項を覆い隠す”ネックガード”が嵌まっていた……疑いの余地はない、『オメガ』だ。
この世界には『男』『女』の性別を『第一性』として、更に『アルファ』、『ベータ』、『オメガ』と言う3種類の『第二性』が存在する。
●高い能力と強いリーダーシップを持ち、社会の中枢で権力を握るのが『アルファ』。
●平均な能力と立場を持ち、世の中の8割を占めるのが『ベータ』。
●そして、繁殖に特化した能力を持ち、男女共に妊娠可能なのが『オメガ』。
前者の2種類に関しては優秀で社会的地位が高いのが『アルファ』、社会の大半を担う所謂その他大勢が『ベータ』。概ね、この認識でいればよいだろう。そして、残りの『オメガ』と言う物はある種の曲者『性』と言える。
と言うのは、オメガは3ヶ月に1度の頻度で1週間程、『発情期』と呼ばれる強いフェロモンを発し続ける状態になるからだ。この期間中のオメガは個人差もあるが、基本的に性交渉のことが考えられなくなると言ってよく、更にはフェロモンを嗅いだアルファを誘引してしまうのだ。活動不能になる期間があることやアルファを暴走させかねない性質に加え、肉体的・精神的に繊細であることも手伝ってオメガは、長い間『劣等性』として蔑まれ、差別と偏見に晒されてきた歴史がある。
尤も、最近は抑制剤の発達や人権意識の高まりによって、少しずつその立場も変わって来ている。完全に平等になっているとはいいがたいが、それでも社会進出するオメガは年々増えていると言われているし、数年前には日本からオリンピック代表としてオメガの選手が選出され、しかも銀メダリストになったと言うニュースが世界中の話題をかっさらった程だ。
ちなみに夏樹の性別は『男性・アルファ』。まだ学生だから社会的な地位云々はないが、それでも昔から何でもそつなく出来たし、要領もよかった。頭も悪くない方だと自負している。
夏樹の目の前で問題のオメガは、ベンチに歩み寄るとそこに置いてあったスクイズボトルを手に取った。本人にとっては単なる水分補給なのだろうが、夏樹には中身を飲み込む度に動く喉仏の動きすら舐めかしく見えた。
「ふぅ……」
ボトルから口を放したオメガが溜息を吐いた。
「(やべぇー……色っぽい……)」
次の瞬間、夏樹は突き動かされる様にオメガの下へと駆け寄り、手を取った。突然手を掴まれた相手の困惑や、周囲のざわめきが聞こえた気がしたが、今の夏樹の目には目の前のオメガしか見えていなかった。
「(こいつ……オレの『運命』だ……!なんかどっかで見たことある顔の気もするけど……あー、そんなの後だ!やっと会えた……もう放さねぇ……!ってか、ネックガード邪魔!)」
至近距離で見た顔も”美”の一言だった。儚げで中性的な容姿が多いオメガにしては珍しく、アルファ染みた鋭さが目立つ風貌で身長も夏樹と同じくらいあったが、夏樹にとっては何ら問題には感じなかった。”彼を構成する全てが愛おしい”。正にこの一言に尽きると言えよう。夏樹は、今すぐにでも彼のうなじに噛み付きたいとすら思った。
「『運命』だ!オレと『番』になってくれ!」
夏樹は、自身の中で沸き上がった全ての衝動を吐き出す様に告白した。
「……」
夏樹の熱い告白とは裏腹に、その場の空気は一瞬にして凍り付いた。掛け声やらなにやらで賑やかだったはずのプールサイドは静まり返り、波の音が妙に大きく感じられた。誰かの手から滑り落ちたスクイズボトルが床に当たり、乾いた音が響く。
そんな静寂の中、真っ先に反応を示したのは告白を受けた張本人だった。
「すみません。運命論者は間に合っていますんで……」
オメガは、夏樹の手を振り払い、冷ややかな目で夏樹を見遣った。
「え?」
返された冷淡な反応に、夏樹は思わず固まってしまった。頭の中が真っ白になるとは正にこのこと。『断られた』と言う現実を理解するまで、脳が追い付かない。しかし、オメガは、夏樹が正気を取り戻すまで悠長に待ってくれなかった。
「と言うより、貴方誰なんですか?部員じゃないですよね?不審者ですか?……まあ、どちらにしても練習の邪魔なので出てってください」
オメガは追い打ちとばかりに言い捨てると、固まったままの夏樹を放置して歩いて行ってしまった。直後、背後から水音がしたことを考えると、再び水中に戻って行ったらしい。
「……」
何とか振り返った夏樹は、優雅に水を掻いてコースの向こうへと泳いで行く彼の姿をただ見つめることしか出来なかった。心の中に沸き上がった狂おしい程の感情と、目の前の現実が齎したギャップに心が追い付かなかったのだ。
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