泡にはならない/泡にはさせない

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第2話 「なんだか……夢も希望もない話だな……」

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「ただいまー」
 オメガこと『人魚』に拒否された後、夏樹は家に帰って来ていた。正直、あの後、どうやってプールから出たのかも、大学から帰って来たのかも曖昧だ。結局、バンドの練習もサボってしまった。
「夏樹、どうしたの?」
「ああ、母さん……」
 リビングに来るや否や、ソファに崩れる様にして横になった夏樹を覗き込んだのは夏樹の母――しょうだった。オメガらしい小柄で穏やかそうな雰囲気を持つ『男性・オメガ』の翔は、いつもと様子の違う夏樹を心配したのだ。元々、オメガは感受性が高く、優しい気質の者が多い。社会における熾烈な競争社会を生き抜くには不利な性質を持っているが、『家長を支える配偶者』『子供を育てる母』としての適性はバース性随一と言えよう。事実、夏樹はこの優しい母が大好きだった。大学生になっても、反抗する気すら起こらない(その分、アルファである父とは、中高時代に熾烈な争いをしたりしているのだがそこは割愛)。
「なんだか、元気ないね?」
「実は……」
 夏樹は母に促され、今日あったことを話し始めた。
「今日、多分、オレの『運命の番』だと思う人に会ったんだ……」
「そうなの?それで、夏樹はどうしたの?」
「もちろん、告白したよ。”オレの番になってほしい”って……でも、あっさり拒否されちゃってさ……”運命論者は間に合ってます”って」
 あの時向けられた冷淡な言葉と視線は、思い出すだけで胸が痛い。でも、諦めるのはもっとつらい。夏樹も『運命の番』の素晴らしさは、父から嫌と言う程聞かされて育ったが、あんな一瞬で心を持っていかれる程だとは思っていなかったのだ。
「何でだよ……だって間違いなくオレ達、『運命』なんだぜ?世界でただ1人の『運命の番』なのに、何であんなことになるんだよ」
 夏樹の父も言っていた。”運命の番に会えば、心と体がその人を求める”。”一瞬でその人のことしか考えられなくなるんだ”と。
 夏樹の両親は『運命の番』として出会ったアルファとオメガの夫夫で、近所でも評判のおしどり夫夫だった。普段は大手商業のやり手営業マンとしての”デキるアルファ”の姿しか見せない父が、母には骨抜きなんだから笑ってしまう。そんな仲の良い両親の姿を見て育ち、更には幼少期から父にロマンチックとしか言いようのない『運命の番』と『その繋がりが齎す幸福』を聞かされてきた夏樹が『運命の番』に憧れを抱くのは必然であった。それこそ、今に至るまで18年間、ずっと自分の『運命』を探し続けていた程に。

「なるほどね」
 翔は息子の話をすべて聞いて頷いた。母として、息子の成長は嬉しくもあり、寂しくもある。
 だが、そうして『運命』を感じた息子だからこそ、言わなければならないことをあると感じていた。”番持ちの先輩”として、またそのオメガのとっての”先輩オメガ”として。
「夏樹、君の言い分はわかったよ。でも、その上で落ち着いて聞いてくれる?」
「何?」
 夏樹の聞く体勢が整ったことを確認した翔は、ゆっくりと言い聞かせる様に話し始めた。
「夏樹、まずアルファとオメガの人口比率は知ってる?」
「人口比率?確かアルファの方が多いんだっけ?」
 現在の教育において、アルファやオメガは『バース性』について学ぶ特別講義が設けられていることが多い。夏樹も例に漏れず受講してはいたのだが、正直真面目に聞いていたとは言い難く、その記憶は少々朧気であった。
「厳密に言うと『アルファ:3』に対して、『オメガ:1』なんだよ。国や地域によっては若干の誤差もあるだろうけど、近年の研究では概ねこの数値を大きく外れることはないって言われてるね」
「えっ、マジで?アルファって、オメガの3倍もいんの!?」
 夏樹は驚いて体を起こした。
「そうなんだよ。この数値込みで考えるなら、”そもそも運命が存在しないアルファがいる”か、”1人のオメガには3人のアルファが運命を感じる”とならないと矛盾してしまう」
「た、確かに……」
 初っ端からきな臭い話だが、非常に説得力がある内容だった。夏樹が話を読み込んでいることを確認した翔は、話を進める。
「それにフェロモンから『運命』を感じ取るのはアルファだけなんだよ」
「は!?」
 何だろうか、それは?母の言い分が正しければ、”オメガは『運命』を感じない”と言うことか?
「アルファはすごく嗅覚が優れているんだ。それは夏樹も知ってるよね?」
「うん」
 夏樹は頷く。
「アルファの優れた嗅覚はオメガのフェロモンを嗅ぐだけで、そのフェロモンの持ち主の遺伝子が自分の遺伝子の型に合っているかどうかを判断出来るんだよ。そして、”相性がいい”と判断すると、そのオメガに対して強い執着心や独占欲を発揮するようになる……所謂”スイッチ”が入った状態になるんだ。この衝動を『運命』だと呼ぶんだよ。昔はオメガの立場がすごく弱かったから、アルファがこの衝動のままに迫れば、オメガは受け入れざるを得なかったしね?」
「スイッチ……衝動……」
 夏樹がプールで出会ったオメガに感じたあの狂おしい程の感情は単なるアルファの本能に根差した物だったと言うのか?夏樹の頭の中では母の言葉がグルグルと回っていた。
「で、でも、父さんは……!」
「あの人もカッコつけたこと言ってるけど、最初はとんでもなかったからね?なんてったって、通行人が周囲に何十人もいる天下の往来で”『運命』だ!オレと『番』になってくれ!”だなんて叫んで、いきなり抱き着いて来たんだからね?」
「ええー……?」
 それではただの不審者ではないか。夏樹は両親の馴れ初めに唖然とする。そして、そんな不審者紛いな行動をとったのが自分の父であることに愕然とする。しかもその話が本当なら、口説き文句と行動が夏樹のそれと一緒だ。まさか、こんなところで血の繋がりを感じる羽目になるなんて。
「ボクもびっくりしてね?思わず悲鳴上げちゃったもんだから、誰かが通報したみたいで……あわや、父さんが警察の厄介になるとこだったんだよ」
「最悪だ……」
 夏樹は頭を抱えた。アルファの衝動、恐るべし。
「まあ、今となってはいい思い出だけどね?あの後、ちゃんと謝ってくれて、まずは友達から始めることにしたんだよ。きっかけは散々だったけど、今は幸せだよ。大事なのはきっかけじゃなくて、その後どうするかだよ」
「どうするか……」
「そう。夏樹はその人とは初対面だったんだろ?名前は知ってるの?何歳なの?誕生日は?好きなものと嫌いなものは?」
「……」
 夏樹は何1つ答えられなかった。『運命』だと謳いながら、自分は相手のことを何も知らなかったのだと理解する。誰が初対面の、自分のことを何1つ知らないアルファに”貴方の遺伝子が私の遺伝子の型に合っています。優秀な子供が出来ると思うので私と子作りのために『番』になってください”等と言われたところで頷くだろうか?少なくとも、夏樹がオメガの立場なら絶対に頷かない。即ち、相手が頷かなかったのは必然だ。
「でも、アルファがそうなるのは仕方のないことなんだよ。アルファは頭脳や肉体的なスペックは優秀に出来てるんだけど、生殖能力に関しては低いと言わざるを得ないから」
「あー、それは聞いたことある」
 ”アルファはオメガ以外とは子供が作れない”と言うのは有名な話だ。アルファが同じアルファやベータとの間に子供を設けようとした場合、ほぼ確実に不妊治療が必要になると言われているぐらいなのだと言えば、その妊娠確立の低さがわかって貰えるだろう。
「だから、アルファは子孫を残したい場合、必然オメガをパートナーにしないといけないんだよ。でも、さっき言った通り、オメガはアルファ全員に行き渡る程数が居ない。一説によるとアルファがオメガの項を嚙むことで為される『番契約クレイム』も、アルファが確保したオメガを独占しておくために発達した機構だとも言われているしね」
「そうなのか……」
 確かに合理的と言えば、合理的なのかもしれない。『番』を持ったオメガは、発情期が来ても『番』のアルファ以外をフェロモンで誘引することがなくなるから都合がいいと言ったのはオメガだったが、他のアルファが寄って来なくなると言う意味ではアルファにとっても都合がいいわけだ。
 加えて、『番契約』の解除はアルファの側からしか出来ず、強制解除されたオメガは新たな番を作れなくなり、更にはフェロモン異常や精神不安定に苦しみ、最悪死んでしまうこともあると言う(現在では新たな『番契約』が出来ないと言う点では変わらないが、フェロモンと精神の異常に関しては薬を用いることで対処可能らしいが)。あれもオメガが逃げ出さない様にするための”鎖”だとすれば納得だ。
「ただでさえ数が少なくて、出会うだけでも大変なオメガ。ましてや、その中に自分の遺伝子と相性のいい相手がいたとしたら、アルファとしては絶対に逃がすわけには行かない。だから”スイッチ”が入って、是が非でも手に入れようと行動を起こすんだよ。執着心や独占欲はその一部なんだ。極端な例になると監禁や誘拐、強姦からの強制クレイムなんてことも起りうる」
 夏樹も聞いたことがある。テレビや新聞でも、年に数件はアルファによるオメガに対する凄惨な事件が流れるのだ。今までは他人事の様に見ていたが、母の話が本当だとしたら、決してそれは夏樹にも無関係なことではないと言うことに他ならない。
「なんだか……夢も希望もない話だな……」
 夏樹が憧れていた『運命の番』は、決して綺麗な物ではなかった。”本能の悪戯”であり、”脳のバグ”。”夏樹”が”人魚”に”運命”を感じたのではなく、”夏樹のアルファ性”が”人魚のオメガ性”に”相性のよさ”を感じたのだ。”お前の衝動はただの勘違いだ”。母の告げた真実は、夏樹に痛い現実を突きつけて来た。しかし、そんな話を聞かされても尚、彼のことが気になってしょうがないのだから救いようがない。
「夏樹、そんな顔しない」
「母さん……」
 翔は俯いてしまった夏樹の頬を両手で挟み、無理やり上を向かせた。
「さっきも言っただろう?”大事なのはきっかけじゃなくて、その後どうするか”だって」
「どうするかって……どうすれば……?」
 だって夏樹は拒絶されたのだ。父が受けたのは”悲鳴”だったが、夏樹が受けたのは”本人直々の拒絶”だ。次も拒否されたとしたら……考えただけでも恐ろしい。
「じゃあ、その人を諦めるの?その人が他のアルファの物になっても平気?」
「そ、それは嫌だ!」
 それは許せない。彼を物扱いするのは間違ってるのかもしれないが、自分以外のアルファのところに行くのはなんか嫌だった。
「じゃあ、頑張るしかないじゃないか。少なくとも、父さんはそうしてくれたよ?彼はボクのことを知る努力をしてくれたし、一緒に幸せを作るために頑張ってくれた。だから、ボクも父さんを受け入れたんだよ」
 母の言葉に夏樹は気付いた。仲良しの両親も初めからそうだったわけではない。寧ろ、第一印象は最悪だったかもしれない。それでも家族になれたのだと言ってくれているのだ。
「オメガにはアルファの様な”スイッチ”がないから、最初は温度差があって当然なんだ。ボクだって、そうだった。だから、もうそこは割り切って行くしかない。その上で夏樹自身を好きになって貰えばいい。夏樹が感じた『運命』を、その人の『運命』にして貰うんだ。そうすれば、晴れて2人は『運命の番』だ」
「母さん……!オレ、やってみるよ!まずは明日、あいつに謝ってくる!」
 夏樹は立ち上がって、母に宣言した。
「(まずは知ろう!あいつのこと!そんでもって、オレのことも知って貰う!待ってろよ、『人魚』!)」
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