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第1章
目ざわり
しおりを挟む駆け込むようにファミレスに入って、目についた軽食とドリンクバーを注文した。紅茶を入れて差し出すと、夏原さんは冷えた手でおそるおそるカップを包んだ。
「あったかい……」
「飲んだらもっとあったまるよ」
何度かカップに口をつけると、彼女の頬や唇に色が戻ってきた。今度こそ本当にホッと胸を撫で下ろした。
――ダメだなぁ。君に何かあったら、僕は耐えられそうにないや。
「いったい何時間くらいあそこにいたの?」
「うーん……今はもう九時半か……てことは三時間くらいかな?」
信じられない。こんな寒い中、制服で、外に三時間も。
「ていうかさ、山丘くんばっかり私に質問しないでよ」
ぎゅっときつい視線に射抜かれた。
よかった、夏原さんのいつもの調子が帰ってきた。
「なんで山丘君が突然現れたの? しかもそんな格好で」
「ん……わっ! しまった、そうだ僕部屋着だったんだ!」
グレーのスウェットの上下に、のびきった厚手のカーディガン。ダサすぎる。
「僕、自分の部屋で勉強してて、そしたら窓の外から――って、そういえば、あの猫は!?」
「……山丘くん、さっきから何言ってるか分からないわよ」
くすりと彼女が笑って、ゆっくり説明してよ、と言う。微かな笑顔が嬉しい。
「ええと……公園にたまにいる黒猫に、誘い出されたんだよね」
夏原さんのもとにたどりついた経緯を説明すると、彼女はぽかんと口を開けた。
「なにそれ? あのクロちゃんが山丘くんを連れてきてくれたの? そんなことってある?」
「僕だって信じられないけどさ……」
でも、本当だ。黒猫が窓を引っかいて僕を部屋から連れ出さなければ、僕はまだ今ごろのんきに勉強してたはずだ。
「手遅れにならなくて良かった」
改めてそう言うと、テーブルを挟んで向かい合った夏原さんが一瞬ぐっと喉をつまらせた。
「……大げさだよ」
「そんなことない。夏原さんはもう少し自分のことを大事にしなきゃ。僕、こんなことが何度もあったら身がもたないよ」
――君は知らないと思うけど、君は死の淵に立っている女の子なんだから。
彼女はそっと瞼を伏せる。
「別にこの程度のこと、大丈夫なのに……それに、毎回山丘君に助けてもらおうなんて思ってないから」
「君に頼まれなくたって、僕は助けに行っちゃうけどね」
だってそれが僕の運命だ。
――僕は、君を守るためだけに、死の世界から戻ってきたんだから。
「もう……っ」
顔を上げた夏原さんは、なんだか泣き笑いの表情だった。
「山丘くんて、本当に変な人」
「うん。変かもしれない」
「そういえば最初に話した時も、“運命”とか、“君を探してた”とか、変なこと言ってたよね」
「うん。言ったよ」
もちろん覚えてる。僕が、僕の運命の女の子と、初めて言葉を交わした新緑の朝のこと。
「……今だから言うけど。私ね、あの時山丘くんに話しかけられる前から、君のこと知ってたんだ」
「え、そうなの!? ……剣道部の体験入部に参加したからかな?」
「違うよ。それより前から」
僕は驚いて彼女の顔を見る。カップから上る紅茶の湯気が、二人の視線をひとときさえぎった。
「“親のいない、かわいそうな男の子”」
入学式の翌日にそういう噂を聞いたのよ、と彼女の調子は淡々としていた。
「それで山丘くんのこと、こっそり目で追いかけてた。でも君は全然“かわいそう”に見えなかった。人当たりがよくて、ちゃんと友だちがいて、優しくて」
彼女は大きく息を吐く。
「目障りだったの。親がいなくてもちゃんと中学生をしてる君が。山丘くんの存在自体が私を追いつめる呪いみたいだった」
平手で打たれたような衝撃で、僕はしばらく固まってしまった。
入学式で彼女に一目惚れした。
最初の一月、僕は勝手に君に焦がれていただけだったのに。
僕が君を追い詰めるだなんて。何がどうこんがらがってしまったら、そんなことになるんだろう。
「ねぇ山丘くん、もうすぐ十時よ。そろそろ帰ろう……もう家に入れると思うの」
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