冷徹社長の容赦ないご愛執

真蜜綺華

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そうだ、九州へ行こう。

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 今回のアポイント場所は、地域の中でも比較的賑わいのある商店街だ。
 数年前に地域活性化を目的として商店街の一新を行っており、シャッターばかりだった通りは軒並み新築で、目新しく生まれ変わった店舗がずらりと建ち並ぶ。
 舗道は広く整備され、各店舗は顧客を取り込みやすいよう建て替えられた。
 開けた間口でどの商店も景気よく商売をしている。
 御茶屋、呉服屋、文具店や書店。佐織が学生の頃通っていた店舗はどれも明るい外装になっていて、心なしか店頭に出ている店主の顔も晴れやかに見える。
 一軒一軒に人情味があり、どの店にも顔を出したくなるような親しみやすい雰囲気が漂っていた。
 馴染みがあるはずの田舎町。
 それなのに佐織は、自分がつまはじきされているように感じた。
 自分の意志でこの町を出たのに。
 まるでどこか流れの違う場所にでも、置いていかれている気がする。
 忙しない時間を立ち止まることなく通り過ぎて行く毎日。
 都会の街で、こんなふうに建ち並ぶ店をじっくり見ることなんてない。
 どれもが同じ造りのありふれたチェーン店。
 必要な部分以外を無駄なく省いていて、忙しない都会人にとってなくてはならない生活の一部になっている。
 しかし、そんな店で働く人の顔をいちいち覚えているだろうか。
 田舎町に感じる親しみがそこには一切ないのだ。
 意識していないからこそ、商品を提供してもらうだけの販売機だとでも捉えていたのだろう。
 まさに叔父が言っていた、翻訳機械の自分も同じなのだ。

――『あれは本当に、お前がやりたいことなのか』

 橘に問われたとき咄嗟に返した答えは、嘘ではない。
 自分を認めてもらえる場所が、そこにはあったから。
 だけど、心からの遣り甲斐を見い出せず、ただひたすら掴みどころのない焦燥感に追われながら、早歩きしている毎日が変わることはなかった。
 田舎町に行き交う多くはない人達の表情は、生き生きとしているようだ。
 自分にはないものを持っている彼らの姿が眩しくて、佐織は膝の上の非力な拳に目を落とした。

 時刻は午後二時を迎えようとするところ。
 商店街のシンボルでもある小さな時計台の広場でタクシーを降り、そばにある二階建ての建物に橘とルイを案内する。
 レンガ調の壁にある館名板には【商工会議所】の文字。
 タイミングよく正面玄関のドアから出てきたのは、スーツを着た中年の男性だ。
 「こんにちは」と声をかけてきた彼に、深く頭を下げた。
「久しぶりだね、佐織ちゃん」
「ご無沙汰しています、白石しらいしさん」
 目尻に皺を蓄えふくよかで優しそうな彼は、地元の観光協会会長。そして、昔からよく知っている佐織の父の友人だ。
 彼を紹介すると、橘はシルバーのカードケースから名刺を取り出し、会長の前に一歩出て丁寧に英語で挨拶をした。
『初めまして、EMUAScompanyの橘です』
 今回のビジネスも、橘は日本語を話すつもりはないらしく、対話を繋ぐのが佐織の役目だ。
「初めまして、この町で観光協会会長をしています白石です。あなたが噂のイケメン社長さんですね。なるほど、聞いていた通りの色男だ」
 親し気に橘を『イケメン』と称しながら、名刺を交換する白石。
 だけど、さすがに当人を目の前にして『イケメン』だの『色男』だのという言葉は恥ずかしくて伝えられない。
 それに橘自身、必要な分だけを伝える機転の巧さを褒めていたのだから、わざわざ伝える必要はない部分はこちらで編集させてもらう。
『……よろしくお願いします、と』
 当たり障りのない部分だけを英語に訳すと、橘は厭らし気に口の端を上げて英語で囁いた。
『ちゃんと隅々まで通訳しないとダメだろう』
 英語がわからない白石を前にして、とんでもなく意地悪なことを言ってくる。
 当然日本語を完璧に理解している彼が、わざとそれを訳させようとしているのは明らかだった。
(私に『イケメン』と言わせたいんですか⁉ 意外と意地悪ですね社長⁉)
 橘とともに微笑みを貼り付けたまま、こめかみがヒクつくのを堪える。
 静かなやり取りには気づかない白石が、二人の後方へ目をやった。
「あちらも、ご一緒で?」
 視線の先を辿ると、隣の陶器屋で金髪アメリカンが前掛け姿の老婦人の頬を染めさせていた。
「ルイ」と低めに呼びつける橘の一声で、彼は婦人に「Sorryごめんね.」と告げてからのんびりと戻ってきた。
『私、ルイ・ウォーカーと申します。あいにく本日こちらに出向したばかりで、名刺を持ち合わせておらず、申しわけありません』
 きらりとした王子様スマイルで握手を求め、丁寧で紳士的な挨拶を繰り出したルイに目を瞬かせる。
 修学旅行に来た学生気分でいるのかと思っていたが、きちんとした礼儀は身につけていたらしく、佐織は安堵した。
「早速ですが、町を案内しましょう」
 交わす挨拶もそこそこに、白石が近くに停めてあった車へと誘導する。
 佐織の通訳を介しながら、にこやかに『お願いします』と言う橘はルイに話しかけた。
『さっきのご婦人、会話できたか?』
『ううん、凄く困ってたよ。可愛いティーカップがあったから買いたかったんだけど、申し訳なかったな』
 ルイが言うティーカップは、和物の陶器しか置いていないあの店で言うところの湯呑みのことだろう。
『ティーカップ』と言われたあの婦人の困った顔が目に浮かぶ。取っ手のついたコーヒーカップを思い浮かべたに違いない。
 彼らの雑談を横耳に受けながら、白石所有の車に乗り込むとき、やはり橘は佐織のためにドアを開いて先に乗車させた。
 こういうさりげなさが、さっきの意地悪を帳消しにしてしまうから、この男は本当にズルいと思う佐織だった。

 白石が案内したのは、佐織にとっては昔なじみの場所や、地元出身者でもなかなか足を運ばないようなところだ。
 世界的に有名な某アニメ映画に出てきそうな巨大な楠の森や温泉街。江戸時代から続く酒蔵など、意外にたくさんあるのだと驚かされた観光名所の数々を巡った。
 最後に訪れたのは、商業の神様が祀られた日本三大のうちの一つである神社。朱色の柱が特徴的な社で、楼門を潜った奥には山の中腹まで届く高さの本殿に迎えられる。とても神聖で厳かな雅さに圧倒されるのは、何度来ても変わらない。
 本殿までの上り参道の階段で息切れしていた橘とルイも、社殿の天井に描かれた金箔をあしらった絵画には感嘆していた。
『日本の神社はとても美しいね。何か祈りの作法があるのかい?』
 大きな賽銭箱の前に四人並んで立ち、財布を取り出した白石を見てルイは佐織に訊ねた。
 賽銭について話し、二礼二拍手一礼の動作を教えると、ルイも橘も熱心に手を合わせ願いを心に描いているようだった。
『これだけの見所がある中で、観光地域の活性化に今ひとつ繋がらないのは、やはりPRがひとつの課題でしょう。それと国が掲げている外国人観光客の誘致には、異国の言語に対応できる環境が必要になりますね』
 帰りの車中で、橘は真剣に取り組むべき課題を挙げていた。
 商店街で会話のできなかった老婦人。神社での作法も佐織なしには行えなかった。
 橘がルイを無理やりにでも追い返さなかったのは、彼の好奇心旺盛で友好的な性格を知っていてのことだったようだ。本気で邪魔になるとは考えなかったのだ。
 実際、初めて日本に来た彼の反応や興味を持つ目線は、とても参考になった。
 橘はいつだって何事にも抜かりがない。移動時間ですら真剣に仕事について考えている。
 わかってはいたけれど、唐突に九州へ行こうなどと口走ったのは、安易に海の幸を欲してのことだけではなかった。
 彼が仕事と向き合う姿勢には心から尊敬する。
 佐織は思う。
 ……彼の役に立ちたい。
 秘書としてサポートし、彼の職務が円滑に進められるように。
 そんなふうに思ったことはこれまでなかった。
 もちろん毎日の業務は責任を持って取り組んでいたし、会社の役に立っていると思っていた。
 けれど、それは“自分”を生かしていなかったように思う。
 結局は“歯車”として機能しているだけだったからこそ、心には空虚さが広がっていたのだ。
(でももしかしたら……)
 突然現れた橘勇征という男。
 彼について行けば、何か自分を奮わせるものに出会えるかもしれないと、密やかな希望が芽生える。
 それを予感させる彼の存在に、佐織の中ではほんのりと熱い何かを感じ始めていた。
 その後、観光協会の事務所へと戻り、数名の職員と話し合いの場を設けて、今後は実際の観光部門の担当者を取り次ぐということで、話はまとまった。
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